手紙の行方3
地上は涼しい風が吹く今日、二人の人間が研究所に訪問してくる。一人は雇われに、一人はアレックス繋がりの人間だ。前者はいつも通り面接を通してランクを決めれば良い。
しかし後者はそう上手くことは運ばないかも知れない。名前はジーナとしか書かれておらず、私達の界隈では名を聞いたことのない人間がこの研究所にやって来る。一体どんな化物がやってくるのか、皆目見当もつかないでいる。
「所長代理!例の人間がやって来ました」
私室の部屋をノックもせずに開ける奴が私の秘書ということに涙を呑みつつ、平然とした態度で椅子に腰をかけ、後の手順の段取りを任せる。私の秘書がこの場所に来たのはこの研究所が出来て暫く過ぎてからの事だった。
初めの頃、まだ面接という制度に慣れていなかった私は、身分ではなく実力で採用する制度に齷齪したものだった。
例えば熱意のある若者や金に困っていそうな労働者が、最後の希望としてここに来たのを不採用にするというのは心苦しかったし、経歴が嘘を吐いているようにしか思えない人材を採用してしまった時など。創立して数か月は痛い目をみたものだ。
以前アレックスのした大掃除、彼曰く大粛清との事だが(命名には余り私はこだわりを持たない主義なのだ)、あの時に一度研究所内の雰囲気が、穏やかな春から絶望渦巻く極寒の凍土に変わったのは言うまでもない。あの日から研究所の空気は張りつめている。
「ご苦労、何時もの場所に招き入れておいてくれ」
しかし彼女は常識を持ち合わせていない代わりに明るく気が利くし、珈琲の入れ方も上手い。あの小僧は変に見る目だけはあると、珈琲を啜りながら最近思ったりする。
「かしこまりました」
雇われるほうが先に来たか。先に得た情報では歳は40~50ほどの帝国生まれ帝国育ち。しかし宗教関連には余り関心が無く、家もそれほど宗教と繋がりのある家ではない・・・か。まずは一次審査合格だな。
(神を実験に使う私達に宗教を布教されても困るからな)
「所長代理!部屋の準備出来ました。お客がいらっしゃいました」
「分かった。直ぐに向かう」
地下の生活にも、所長代理という肩書にも慣れてきた。国務の大半をこなしながらの研究に、面接、研究所全体の指揮、色々と仕事はあるがやりがいはある。一日に六時間、私が幼い頃から勉強して来た時間が全て仕事にすり替わったのだ。楽しくないわけがない。
畑仕事や道具を買うための地図作りで疲れた後に、月光を頼りにする勉強よりもこの仕事は容易く、そして眠たくならないしな。
私は再度、上質な革と布で出来た椅子に腰を掛けそのザラザラとした感触に心を落ち着かせた。
「・・・ふむ・・・」
「・・・・」
「・・・」
「所長代理!代理!ジャマッパ所長代理!マッパ代理!」
「ハッ!?誰だ私をそんな不名誉な名前で呼ぶ助手は!?」
「お仕事中ですよ代理、おねんねしないで下さい!」
「寝てはいない」
「寝ていましたよ?もう、お疲れなら仮眠室に行って下さい。皆さん所長代理の仕事ぶりには驚いているんですから。休憩したって、誰も文句は言いませんから、ね?」
「大丈夫だ。私はそんなに脆く出来ていない」
言い訳も苦しくなってきた。早く面接室に向かわねば。
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20平米の部屋に机と椅子、最近話題になり始めた風送塔という風魔法を貯め込み使用する高さ二メートルほどの魔道具がある、他の部屋よりも少し金のかかった部屋に移動し、先に席に座る。
「入りたまえ」
人族語で呼びかける。
「失礼する」
扉を横にスライドさせて入って来たのは白髪交じりの栗毛の男。力強い目が特徴的で昔は筋肉があったことを思わせる細身の中年で、虎や獅子とは対照的な狼のようだ。
その男の名前はグリエルモ・ン・ジョヴァンニ。彼は椅子の横に立ち、背筋を伸ばし、手を後ろで組んで、左足に体重を乗せるような形で立っていた。そしてその眼は私と椅子を交互に捉え、早く座らせろと催促をしているようにも見えた。
「ようこそ、今なお名もなき研究所へ。座りたまえ」
「失礼する」
ふむ、別に部屋のノック以外ならウチは別に礼儀に関しては言うことはないが・・・。この男はこのような場では真面目な応答の出来る部類の人間ということか・・・珍しい。
「では簡単な質問からさせて貰うとしようか。まずは志望動機を聞かせてくれ」
「湯水のように溢れる財源を研究に好きなように使って良いと聞いてきた」
あの転移者の娘、一体この壮年に何を吹き込んだ。馬鹿げた勘違いをしているぞ。
「いや、それは間違いだ。確かに他の研究所より財源が確かに多い事は認めよう」
「それはどの国よりもか?」
あの娘、アレックスに見つからないように私の方で手を回しておかなければならないな。見つかればただでは済まないぞ、私共々。
「まあ恵まれている事には違いないが・・・私達のオーナーはどの国よりも寛大なのだ。次に職務経歴についてだが・・・・帝国で魔導者をやっていたと・・・」
「ああそうだ。帝国一の魔導者と豪語しよう」
「魔導者とはなんだか教えてくれないか」
(そんな職種、聞いた事がない)
「魔導技師とも錬金術師とも魔法使い(ウィザード)とも違う、その魔力全てを多方面から観測し、融合し、進化し続けるものを研究する者の総称だ」
「で、今のところはその・・・自称なんだな?」
「残念ながらなぁ。時代が俺に追いつけてねえ」
ウチの研究所にはこういったプライドの高い者はとても多い、それにユーモアもあるし中々に面白い男だ。更に話を聞かせて貰おう。
「この研究所はこれといって大きな目的があるわけじゃない。所長は稀にひょっこり現れて幾つかの指令書を残して姿を消すが、ソレをやれと言われているわけでもない。私達は好きな事に好きなだけの時間を費やす事が許されている」
「ここは夢のような場所だな」
「そうでもない。研究資金は出るが娯楽費は出ない。だから娯楽費が欲しければ自分でこの研究所に貢献してもらう必要がある」
甘い制度だと私は思うが、それもアレックスの願望だから仕方がない、この聖域は彼の財によって造られたものだ。彼が法であり彼が絶対の秩序を作る権利を有する。
「研究所に貢献すると追加の資金を貰えるということか?」
「いや、あくまで遊ぶためだけに使う金と思ってくれていい。女を買う事はここでは出来ないが、他のモノなら多く取り揃えている。きっと満足のいくものを見つけられる事だろう」
いつしかアレックスが成人になれば水商売やそういった類の設置も議題に出てくるのだろう。しかし、規律も統制も不安定なこの研究所で今それをするのは良くない。
今働いて貰っている職員には外での発散を余儀なくさせているが、コレに関しては五年か六年の歳月をかける必要があるだろう。この研究所にとって重要な案件の一つといえる。
「酒はあるか?」
万人の趣向に沿うものは用意できているはずだ。酒場で労働者の飲む炭酸の抜けたような酒から、深い味わいのあるワインまでずらりと、研究所職員専用のセラーに保管してあるぞ、グリエルモ君。
「銅貨の酒から白金貨の酒まである。酒が好きか?」
「嗜む程度だが、割と好きな方だと最近知ったよ」
「良いことを聞いた。よし、じゃあ後は施設内を案内させる者を寄越すから研究所の内部を見てまわってくれ。わからないことがあればその彼女に聞けばいい」
グリエルモは背後にいつの間にか立っている女性に驚いたのか、肩が跳ねて遊んでいる。彼女も最近ここに来たが、彼女の身元情報は名前以外一切不明でここに来た動機も一切不明だ。
種族が人なのは分かる、ただ彼女に行った実技試験では知識も教養も作法のレベルも他の者より群を抜いて余りある。
あの観測者の娘同様に恐らくは異世界転移者であることは間違いないが、順応もしており、少し前まではこの世界の何所で使用人として働いていたのかも知れないと思うほどだ。
しかし経歴はウチでは関係ないし、副業だとしても問題ない。私達は心よく彼女を受け入れた。
しかし問題が一つ残っていた・・・・なぜかは知らないが彼女からは死の臭いが漂ってくる。老いた者が死ぬ間際にベッドの淵に立つと臭ってくる、あの何とも言えない独特の臭いが彼女には染みついているのだ。
恐らくは多くの人間の死を間近で見る機会の多い場所にいたのだろう。硝石と硫黄の混じった臭いも恐らくは彼女の元の職業で扱っていたモノの臭いだ。それが獣人の私には辛いものがあった。
彼女はメイドのような身なりをしておきながら実際には異世界人で、そして人を殺める役職か死体の処理をする立場の人間で、硫黄と硝石を主に取り扱っていたと考えられる。
だが、これ以上の情報は鼻を潰す覚悟で挑まなければならないと分かったので、深く追求はしなかった。
そんな彼女に、同じような時期に入ってきた新入職員を任せるのは気が引けたが、彼女の接待の練習にもなるだろうし、グリエルモはそういったことではあまり怒らないような人柄だと話していて思った。
「宜しく頼むよ、えぇ・・・スキールニル君」
「はい、ではグリエルモさん、こちらです」
扉を開けて二人は退出していった。さて、私は次の来客の準備に取り掛からねば。
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「ね、姉ちゃんいきなり出て来たなぁ・・・ビックリしたぜ」
「作法ですので」
「あんたの国のかい?・・・変わってんだなぁ」
「私の主の趣向ですよ。住んでいる国は関係ありません」
「というのは、ジャマッパさんの?」
「いいえ、彼は私を雇っているだけであって主とはまた違います」
「ッケッケッケ、色々込み合った事情があるらしいなぁ・・・けんど、若い時はいくら動いでも体が動くし、今のうちに動いとけよ!」
「私もいい年ですからそんなに無理も出来ませんよ」
「ハッ、姉ちゃんならまだまだこれからだ、今が旬って感じよお。そんとなあ、獣人族語は覚えたてって感じだろうし、なんか言葉で詰まることが有ったら俺に聞いてくれや、昔獣人の奴隷がウチに居たから言葉は話せるんだ」
「獣人語は細かい言い回しが多くて大変です」
「それに発音の難しさもマグ・レイで一番厄介だろうしなぁ、頑張れよ!」
「ありがとうございます」
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自室に戻り、次の来客に備えて幾つかのパターンを用意しておこう。一つ目は人外、言葉の通じない種族だった場合どうすれば良いだろう。アレックスの友人だ、きっと人でないものか、人の形をした人ではないものに違いない。
獣人語を知らず、こちらも相手の言語を理解出来ない可能性は僅かにある。そういった場合翻訳者が必要だが・・・そういったものはこの研究所内にはいない。私が最も多くて7カ国語、それ以上に沢山の種族がこの土地には棲みついている。
「出来るのか、この私に・・・」
「しっつれいしまーす」
「待て!まだパターン一だけだぞ!!」
なんだ・・・助手だけか。客のほうはまだのようだな。
「ほへぇ?なんのことです?」
「いや、そのだな」
私は彼女に分かりやすいように、丁寧に、それはもう丁寧に今起こるかも知れない可能性の一つについて話した。
「ジャマッパさん、話が長すぎです」
「は?・・・私は君に分かりやすいようにと・・・」
私は彼女に対する無意味な怒りを抑えつつ、彼女の言葉に耳を貸した。
「要は珍客が来るかも知れないから覚悟しとけってことなんじゃないの・・・ですか?だったらその時で考えれば良いじゃないですか。大丈夫です、私、臨機応変に対応できる自信があります!」
「私にはそんなどこから湧いて来るのか分からない自信はない」
「自信は心から――――湧いて来るんですよ?」
な、なんていらつく顔でいらつくことをいう女だ。省長代理でなければ今ここで殴っていた。手を胸に当てて私に諭すように、しかも座っている私に目線を合わせるようにして腰を落とした彼女の顎に、思いっきりの猫パンチを今ここで喰らわせてやりたい気分だ。
「ふん・・・では君は頭から知恵を絞れ」
「無い知恵絞ったところでクルミの一つも出てきませんよ???」
そう言い返すのが私の精一杯の反抗だった。しかしそんな反抗も助手はしたり顔で流し、私を私の席から立たせた。
「なあ助手」
そして、ふと思う。彼女の行動、表情、全て私をこう動かせるためのモノだったのではないかと。計算高く、そうやったのではないかと。幼少期の頃にもたまにいた、頭が良いのにワザと頭の悪い振りをして周囲を盛り上げる奴のように。
彼女はもしやそういった計算の元で私を励まして・・・?
「どうしたんですか、ジャマッパ代理所長」
「君には人の身でありながら獣人を奮い立たせる才があるらしいな」
「あ、私猫には好かれるんですよぉ」
私を猫と勘違いするような奴がそんな器用なことをするものか・・・!
「私を猫と同じにするな」
「御免なさい」
少し気が落ち込んでいたのを吐き出すように言ってしまったせいか、変に彼女を怖がらせてしまった。
「・・・自虐は良いが、人に言われるのはあまり好かないんだ。我が儘ですまないな」
「あ、いえいえいえ、どんどん我が儘言って下さいね。ソレが私のお仕事でもありますし・・・全部一人でやるんじゃなくて、私にお手伝いさせて貰えたら嬉しいなぁって・・・」
「君に出来るのか?・・・あぁ・・いや、すまない」
「マッパだいりぃ~・・・信用してくださいよぉ~というかお仕事下さいぃ~」
「抱きつくな!モコモコするんじゃない!あとマッパ代理言うな!」
「だってこのふわふわの毛が気持ち良いんですもん・・・モコモコ、モコモコって・・・うひゃぁー!みなぎってきたぁー!」
たまに見える私への視線の正体はコレだったか。というか興奮するな。頬を染めるな、顔を埋めるな、すりすりするな!
「止めろ!放せ!オッサンの毛を触って喜ぶなんて変態のすることだぞ!」
「でっぷりした猫が大好きなんですぅ~うぅ、よしよしよし」
「きゃ・・・客はまだなのか」
「まだですから、ねぇ?もうちょっとモフモフしましょう、ねぇ?」
この後はねのけることも出来ず小一時間モフモフされた。
「早く来てくれ・・・ジーナ君」




