大会準備編 6 怒りの矛先
現在オットーと試験体番号82は、一つの強化ガラス越しで生活を共にしている。おはようからこんばんはまで、付きっ切りで研究をするというオットーの熱意か、あるいはその姿勢に胸を打たれたのか研究所は助手を二人つけ、彼女の研究を進めさせていた。
(こんなのは俺の指示じゃない)
オットー本人に試験体番号82の影響によって異常が起きないか、助手の一人に監視をさせ、もう一人には客観的に全体を把握することと、オットーからのレポートを見直しする役を任されているようだ。
全体の把握が出来ており尚且つ責任職を任せられる人は少ないが、その彼は元々ジャマッパの元で働いていた職員の生き残りだ。この研究を引き受ける代わりに地位の向上を求められており、コレに対して此方も検討しておこうとだけ言うと、不満げな顔をされたがとりあえず引き受けはしてくれた。
とても危険な仕事ではあるが、ジャマッパの部下ならば問題ないだろうと思っている。上が優秀なら下も大体は優秀だ。元は国のトップに近い存在、・・・今もそうだが、実際に権力を振るっていた男の集めた獣人の精鋭達だ、有効利用しない手はない。
俺には難しい仕事なため、追加の資金などの要請をされても嫌な顔一つせずに渡す準備もした。果たしてそれほど難しい仕事なのかと前にジャマッパに聞かれたが、それほど難しい仕事に見えない所が最も注意するべき『デンジャーゾーン』なのである。
それを知らずに軽々しく給料が良いからと受ければ後々後悔するのだ。
この仕事、言い換えるならば、お金を渡すからリア充共の会話を聞いてレポートをとれ、ということなのだ。なんの脈絡も生産性もないであろう形容し難い生理的嫌悪を示す会話を、黙々と仕事としてひたすら朝から晩までレポートに書き起こすのだ。俺なら間違いなく鬱になる。あるいは人を殺す喜びに目覚めかねない。
今回の件でジャマッパから俺は厳しく叱られるとともに、研究所の総意として一定期間の研究停止が言い渡されたので、研究は出来てもその為に実験場などを使う事が当然出来なくなってしまい、ならば変わり果てた試験体番号82をどうするかで議論がされた結果、オットーに任せれば良いということになった。
誰も彼女の面倒は見たくないらしい。
顔はとても美人な褐色の人族だというのに、爪が竜のようだとか、体のバランスが最悪だとか、胸を切られた所が痛々しいとか、研究者としてあるまじき理由でたらい回しにされる彼女を、いつもみんなの下請けのようなことばかりやっていたオットーなら適任なのでは?ということで決まったらしい。
俺が話合いに参加していれば絶対にジャマッパを押していたのに残念ではあるが、今回一番の被害者は82の彼氏、あるいは旦那のオットーである(俺は82とオットーの関係を詳しく知らない)のは間違いないため、会議はいつも以上に早く終わりを迎えた。
彼女の思い通りになる事は不愉快だが・・・今回ばかりは邪魔をする気になれない。精々俺が出来ることと言えば彼女の好きになったオットーを操作するぐらいだろう。これも出来るかどうかは五分だが・・・。
彼女の担当がこのような過程で決まり、俺は二人の状態を暇つぶしに覗き見に来ていた。前と見比べて明らかに全体の毛の量の少なくなったジャマッパの部下と、もう一人のオットーの助手が扉を開けて丁重に迎え入れてくれる。細い通路にキッチリと詰められた魔道具はおそらくジャマッパの部下、長いため部下Jとするか。
その部下Jの性格だろう。そして、部下Jともう一人の助手(コイツの名前は憶えてないため研究員Hで)が見つめる先にいるのが、先ほどまで泣いていたのか目元が赤くなっている、不潔アザラシの擬人化・・・だった、オットーの背中が見えた。
アザラシなどとは呼べないほどやつれているため今は・・・なんと言うべきか、まあ新しい称号についてはおいおい考えるとして、とにかく何も口にしていないのではないかというほどにやせ細っている。
オットセイやアザラシと言っているが、コイツは人間なので俺はオットーを見てすぐに病院・・・呪院に連れて行ってベットの上で生活させるべきだと見てわかる。ただ、疲労や精神的な病気には魔法が使えないため、コチラで点滴などを作って寝かせるべきだろう。
二日か三日での急速な体重減少はとても恐ろしい。元がプヨプヨなお腹だった為に、その危うさは誰の眼にも止まる。
だが、恐らく都合の良い事以外聴く耳を持たないだろうし、実行に移すこともないだろう。精神状態の悪い人間の傾向として実行に移すまでのタイムラグが長いのだ、あれこれ余計なことばかり考えているからな。俺が挨拶したのに見向きもしないのがいい例だ。
言葉のキャッチボールが出来なければそろそろ長期的な休みを与えようかとも考えるが、さてさてソレはどうかな。
「オットーさん、食事をとっていますか」
「・・・・・・・・」
「だんまりですか」
「彼女をこんな姿にしたのに、どうしてそんな平気な顔でいられるんですか・・・」
「彼女の自滅ですから――――僕は関係ないじゃないですか?」
「・・・彼方の薬でこうなったんです。それなのに彼方は僕達に詫びの一つもない。正直言うと僕は彼方を許せない」
アザラシの僻みなぞ聞く耳持つだけ無駄ではあるが・・・話が進まないのは気分が悪い。会話の無限ループなどやっていて眠たくなるだけである。
「彼方の薬でこうなったって・・・・・飲んだのは82ですよ?」
「その番号で彼女を呼ばないで貰えませんか。バーニングファイヤーという名前が彼女にはあるんです」
嫌である。もはや彼女を職員に戻す事は、彼女がもう一度おかしなことをしない限りあり得ないし、それならば俺が名前を覚える必要性がない。
「過去の名前では・・・・そのような名前らしいですね。でも彼女、自分で化け物になりたくてなったんですよ?」
「・・・・もう一度、・・・もう一度言ってみろ!!」
「言ってみろって・・・はぁ・・・ではもう一度、言ってさしあげましょう。彼女は自ら望んでこうなったと・・・」
血走った眼で胸元から短剣を取り出すと細い俺の首目がけて振り下ろされる。当然、受ける必要がないため、正当防衛としてその短剣を奪いオットーの腹に何度も何度も突き刺した。しばらくは動けないだろうが、治療魔法も助手の二人からかけられている事だから命に別状はない。
「頭の良い彼女ならば、自分がこうなることぐらい可能性の範囲に入れていたはずです。自分はどのように変化するのが一番安全なのかと考えなければ生物としておかしい」
探偵口調で怒り狂ったオットーに向けてふざけるように話す。
「・・・そうなると面白い策謀が見えて来ます。もしかすると全て試験体番号82の掌の上で転がされていたのではないかと、・・・・そういった考えが湧いて来るんですよ。僕の中から怒りのようにね。クククウッ・・・とても普通じゃあ考えないような悪い計画が見えて来るんです。えぇ、とても悪い人が考えそうな悪魔のようなシナリオがねぇ」
オットーは腹の痛みで苦しみながらも、眼は俺の顔を捉え睨みつけている。そういった恋人の仇を取ろうとする君の眼を向けて怯むほど、俺も軽い気持ちで彼女と戦っているわけじゃあない。
「計画は三つのフェイズからなります。一番初めの土台作り、ソレは恐らく彼女が薬を飲む直前、いや、もしかすると薬の情報を知ってから既に計画は始まっていたのかも・・知れません。僕を見る彼女の眼は、生意気な餓鬼を嘲笑するような気持ちと利用してやろうとする気持ちで満ちていましたから」
オットーの息が荒い、どうやらまた刺す準備をしているようだ。次もしそんな真似をしたら、寝不足のせいか大量発生している奴のニキビを、片端からピンセットで引き千切ると同時に火魔法で炙った針で消毒してやろう。少しはマシな面になるだろう。
「そして起こってしまった第二フェイズ。ここでは彼女は薬を飲んで、全て演技を頭の中にインプットした状態で体を欲望のままに進化させました。それで出来たのが82です」
「しかし一つ疑問が芽生えました、えぇ、どうしてそんな分かりやすい化け物になる必要があったのか、ということですよ。人をさらって脅迫してナイフで人を殺すぐらいなら、人間とほぼ変わりない状態、人間の状態でも出来る事なんですよ。薬を飲まなくても良かった」
話しの途中でオットーがブツブツと何やら言っているので、回復魔法を使っている助手の一人に聞いて貰い大きな声で言ってもらう。
「それは彼方の薬がそうした、と言っています!」
ふむなるほど。馬鹿を拗らせるとここまで醜い生き物になるのか、彼女の方が幾分かマシだ。寄りにもよって俺の研究に何か問題があったのではないかと言っているのかこの男。まあ・・・俺もソレは試した。
此処に来る前にもし俺の薬が失敗していたらという可能性を考え、何度も色々な条件を変えて実験したのだ。
「そうかもしれないと。僕も確信がなかったので同じ薬を同じ時間同じ場所同じ気温に放置して使ってみました・・・が、変化はありませんでしたよ、他の条件を変えてやってみても同様にね。頭の作りが違うなどと言われればそりゃあ仕方がないでしょうけど、ジャマッパさんに飲んで貰っても頭の毛がちょっとツンツンになったぐらいです。個人差と言うのは余り大きな問題ではないように思えるのは、恐らく僕の話しだからでしょう。他から見たらまた別の意見を言うと思いますよ」
それから俺はこの策謀に気づき始めたのだと話すと、イライラと表情に表し短剣を強く握りしめている。やっぱりに今何を言ったとしても無駄かなぁっと思いながらも話しを進める。
「ですが、事実として挙げるべきは、薬がこのように危険な状態というのを百も承知で飲んだということです。誰も彼女を脅して飲ませた分けでも、ましてやそそのかして飲ませた分けでもないはずですが、彼女は薬を飲んだ。コレは事実です。そして化け物になった、これも事実です。そして・・・」
話しをため、ゆっくりと刺される準備をする。
「彼女が被検体となる事でオットーさん本人が研究者としての地位を手に入れた・・・これも事実です」
元気になったオットーはしっかりと短剣を握りしめ、再度子供の腹を斜めに切り裂くようにして振り下ろした。余りに弱々しい立ち上がりに、カウンターをする気分も削がれ、別にほっておこうと思った。
そのつもりだったが、振り下ろされた短剣は俺の鎧と(今は子供には長く引きずられた白衣と服となっている)肉を切り裂く事はなく、代わり何もない所を空振りした。後ろで助手の二人がオットー押さえつけてくれたらしい。
「僕達も彼女の状態には聞いた話が違うと思っていたところです」
「所長、私は気づきましたよ。・・・・気付いたからこそ、ここでオットーに刺されてはならない。彼方は、ここに来ただけで充分ではないですか・・・」
部下Jは気づいたか。・・・・中々使える獣人だな・・・特別報酬を支給しておこう。
「二人は少し黙っていて下さい、オットーさんと話をしているんです。・・・彼女の目的は、今のこの状況だった・・・と考えます。肌が荒れ、唇はカサカサ、ゲッソリとした死神のような風貌で、目元を赤くしている今の彼方のその状態が彼女の望んだものなのかどうかは定かではありませんが・・・」
「それでも今の彼方は研究所の誰からも馬鹿にされるようなことはなくなった、何故ならばこの研究所で一番偉い僕の研究を引き継いだと言っても過言ではないからです。この研究所内での上下関係はとても大きいですから、当然、引継ぎをしたということはソレだけ大きな意味合いがあります」
「ソレを知っていて阻止出来なかった職員達は後々になって自分達が犯したミスに後悔するでしょう、・・・地位向上を手にするならこれ程早い事はないですからね」
82、バーニングファイヤーの筋書きがどうなのかは知らないが、大方こんな感じなのだろう。
議会に出る人間に接触をして自分の責任者をオットーにするように仕向けていたのかも知れない、その事を俺は知らないし勝手に決めつける事は良くない。しかし、こんなにも美味しい話は、作られなければ存在すること自体やや難しい。必然的にこういった考えにもさせられる。
「そしてオットーさんの女、82はそれに誰よりも早く気付いた。もしかしたら直感だったのかも知れない。いち早くこの社会構造に気付き、誰よりも先に所長である僕を罠に嵌めました」
「僕から見れば生まれて初めての裏切り行為です。・・・とても悲しいですが騙されました、僕の負けです。彼女は自分の身を引き換えに今のオットーさんの立場を大きく上げることに成功しました」
一呼吸を置いた後、俺は地面で暴れるオットーに向けて、湧きだす怒りを抑えつけて最後に、自分が自分自身に負けを認めさせるために敗北の宣言をする。
「自分を犠牲にしてでも愛することの出来る人間がいることを考えていなかったことが僕の敗因です」
オットーの涙は既に枯れており、ただ、苦しそうな思いがかすれた小さな声で呟かれるのを聞くと共に、なぜこの男は自分の地位が向上したのにこんなにも悲しそうなのか理解に苦しんだ。
「オットーさん、何故そんなに苦しそうなんですか?目先の怒りに惑わされて本質を見落としてはいませんか?・・・・彼方は上司の僕にお願いという形で多くのモノを要求することが出来る、そういう立ち位置になったんですよ?」
「・・・・僕達の・・・・時間が帰ってくることはない・・・・!」
おぉ・・・コイツは天賦の才の持ち主だ、ここまで人をイラつかせられる奴を見たのはコレが始めてだ。いつまでたっても要請書が提出されなくて、態々こっちから出向いてやったというのに本人が気づいてないじゃないか。
「はぁ・・・82が可哀想に思えてきましたよ・・・割と本気でね。今の彼方ならば、僕に彼女をもとに戻す薬の申請をすることもできるということです。なぜって?研究に必要な事であれば僕は手を貸さざるおえない。責務を果たさなければならないのは僕もオットーさんも変わりはないですからね」
「じゃあ・・・アレックス所長、戻す薬を一本・・・下さい」
なんて情けない声出しやがるんだこのアザラシは・・・、俺はこんな奴に負けたのか?・・・おいおい勘弁してくれよ。いや、待てよ?・・・コレはもしかして・・・。
「条件付きなら」
コレはコレはもしかして?本当に?
「僕と彼女がこんな目にあっているのに彼方はああああ彼方はあああああ」
「取り押さえろ」
『ハッ!』
研究者二人の魔法によって、オットーは地面にめり込み顔だけが地面から生えているように見える。
「ここに彼女の勝利を讃えて、戦利品を贈呈します。この要求が呑めないようであれば彼女は元には戻りませんよ?」
サラサラと筆を走らせて一枚の契約書を彼の口に挟むと、顎をポンポンとしてその場を離れ、試験体番号82には俺が負けましたと白旗を上げる言葉と共に、別の契約書を渡す。少し違った内容の契約書だが。
82に渡した契約書は俺がこの82を研究している部屋に来る前に書いたものだ。怒りで我を忘れそうになるほど怒りに狂っていた時に書き殴ったモノを、オットーの契約書を書く時に、少し手直しをして渡した。
82に対する要求がとても多いが、それは必要な事だ。責任を取らせるまで追求する、途中で許すなんて妥協はあり得ない。俺は今回の件で学習した、愛などという闇がとんでもない化け物を生んだことからな。
エンドルフィンの過剰分泌によって予測を越えた結果は生まれること、妄想は現実を殺す事。だから俺はこの諸悪の根源を嬲り殺しにする、二度とこのような過ちを起こさないため、痛めつけてボコボコにして、二度と芽が出ないように徹底的にすり潰す。そうでないと、俺も収まりがつかないお年頃なのだ。




