紅い音色に想いを乗せて 5
目が眩むほどの光が、三人を照らしていた。影は色濃く畳に映し出されている。
局長の手の中で弄ばれていたジッポが、カツンと音を立て開き火が灯る。火は夕日の紅に溶けて消えた。
「この間――消化したんじゃなかったのか?」
「私が喰べたのは、女じゃありませんでした。あそこは未練がたまる場所です。処刑の場でもあり、人目を忍んで逢瀬を重ねる場でもある。エサがわんさと転がっている」
「藤皐月が妖化したと?」
「可能性はあります」
「お前が仕留めそこなったって可能性は?」
何と答えるべきか。逡巡するも、どう言葉を発したらいいか分からなかった。
斬り殺した時には複数の人間の想いが流れ込んできていた。喰い殺した相手のどれが、松木忠雄の記憶だったのか――想いだったのか分からない。多少なりとも、周囲の未練を喰らい他の怪異よりかは力をつけていたから。
「複数いたため、どれが松木忠雄だったのか不明です」
「そうか」
もっと私が、怪異の成り立ちに興味を持っていれば、松木忠雄が消化できたのか分かったかもしれない。
今まで私は一体何をしてきたのか問いたくなる。でも、それでも――私はまだ怪異を人間として見ることはできない。
あの日の怪異は、とても人間だったなんて思えない。手当たり次第に人を傷つけ、殺し、喰べた。喜びも、哀しみも、痛みも、全部。仲間の死体は見るも無残で、肉も魂も全てなくなっていたのだから。
目を瞑れば、今でも思い出す。血の臭気、外からの光を遮るほどの夥しい血が飛んだ窓、ぬるりと生暖かい血だまり、今まで笑っていた人たちの――私を可愛がってくれていた人たちの動かない体。家族を喪った私を支えてくれた、私の大切な仲間――家族の――。
「春陽、前を見ろ。今は後悔してる場合じゃない。後ろを振り向くのは、この件が解決してからでいい」
局長が煙を吐き出しながら、寂しそうに言った。
どんな言葉を発すればいいのか分からない私の横で、樹希が口を開く。酷く深刻で、いつもののんびりとした調子はどこかへ消え失せていた。
「あそこには、怪異のエサがわんさと転がってます。もし仕留め切れていなかった場合、それらを取り込んで傷を癒せば、また怪異が発生するでしょう」
「下手したら、リバウンドしてもっと手ごわくなってるかもな。喰いでがあっていいじゃねぇか」
眩暈がする。頭痛が一際強くなった気がした。それを堪え、自分の希望を口にした。声が何故だか、ひどく震えてか細い声しかでない。
「刀の封印を、解いてください。私が処理をします」
「俺と、お前の二人だ。二人で対処するんだ」
「黙ってて。樹希には無理」
「どうして」
「あんた、必ず救おうとするでしょ。そんなことしてたら、こっちが喰われてお終いよ」
「局長、許可を」
「怪異は、お前にとって単純に消化するだけの対象か?」
静かに問いかけてくる。私は自分にとって正解と思える方を答えようとするが、言葉が出てくることはなかった。
「それが今のお前の答えだ。迷ってる分、前よりはマシになったんだろうが……。今は急を要する。その状態で、お前を死地に送り込むことはできない。顔色も酷いし、今は寝て待て」
「それは、承服しかねます。仲間を死地に立たせて、自分だけ寝ているなんてできません。今、答えを出せというなら出します」
「言ってみろよ」
「怪異は倒すべき相手、無に帰すべき相手、消滅させるべき相手。これだけ知っていれば充分です。それ以外の答えは、いら、ない」
「それだと、封印はといてやれないと思うが……どうだ? 樹希」
「私は――封印を解いてもいいと思います」
「どうしてだ?」
「彼女の能力があれば、無理やり藍澤宗助を喰い殺すこともできるでしょう。禁止されていたとはいえ、春陽はそれをしなかった。それが、彼女の答えだと思ってます」
「そうだな。ことあるごとに言いつけを破るやつだからな」
「ですが、今は別の意味で解きたくありません」
局長は顎を撫でながら、黙って耳を傾けている。樹希はそのまま続けた。
前をずっと向いていたかったが、胸の辺りが苦しくて、話の途中で思わず下を向く。ぽたぽたと汗が畳に染みを作った。
「封印を解けば、おそらく彼女は飛び出していくでしょう。今の状態で怪異と対峙すれば、死ぬと思います。だから、今は解きたくありません」
「分かった、お前の判断だ。それに従おう。誰だって……死ぬ――見た……からな」
二人の声が遠くに感じる。顔を上げることもできず、視点すら定まらない。それどころか目の前が薄ぼんやりと滲み、視界が白く塗りつぶされていく。それでも、彼を一人で行かせることはできない。あの性格は、優しすぎて荒事には向かないから。
ふいに体が傾いだ気がした。目の前が真っ白になり、次いで訪れたのは暗闇。誰かに受け止められた気がしたが、目を開ける余裕すらなく徐々に意識が薄らいでいく。その中で、床を蹴る音がやけに大きく聞こえた。次いで耳に入ってきたのは、凶報だった。
「隅田川にて、怪異が――」