序譚「閑古鳥」
俺がいる店の内装は、まるで古風な喫茶店のような、バーカウンターのような風貌である。まぁ、椅子とテーブルの代わりに変なものが入った棚が並んでいるのだが。そんな感じの、今日も客が一人もいない寂れた店内を見渡して俺はため息をつく。客が来ても、俺一人では困るのではあるが、からからと天井に付いたプロペラが虚しく回っているのを眺めるだけの仕事はもう飽きた。店番を頼まれたとはいえ、あまりにも暇すぎる。ここ数週間は客が来た記憶など一切ない。とはいえ、暇をつぶせるような物などこの店にあるわけがない。
……語弊がある。大いに充分に暇を潰せそうな物はたくさんあるのだ。ただし、それらを触った時の身の安全が保障されていないというところであろうか。自らの好奇心という面から見ると、その暇を潰すような品々に触ってみたい気持ちは多大である。だが、俺はもう、この店で扱っている『不思議』というモノにはこりごりなのだ。そのため、毎日カウンターの上で日向ぼっこして暇を潰しているわけである。常に虫や小鳥がいるというのであれば、”猫”らしくそれを追っているというのに……。
そう、『猫らしく』という言葉通りに俺は今、猫なのである。正真正銘の猫。生まれや種類は知らないが、そこらへんでワイルドに生きていそうな猫そのものなのである。っといっても元人間ではあるのだ。生まれた時から名前はあるし、生まれた場所は狭くてジメジメしたところなんかではない。立派なベッドの上なわけだ。俺自身が猫の体になってしまった訳を話すと長くなるので割愛するが、あれもこれもそれも、この「彌延不思議屋店」のせいであることだけとは書いておこうと思う。
書いておくと言ったが俺は今キーボードに向かっている。なので売っていると言った方が正しいだろう。日向ぼっこも最近は飽きてきたので、店長から無断拝借したパソコンで日誌を付け入る最中なのだ。猫の体でどうやってキーボードを?と思う輩もいるであろうが、猫の体を侮ってはいけない。猫だってこうやって努力すればキーボードだってグーグル検索だってできるのである。猫の体でパソコンに向かっている姿はさぞ愛らしかろう。画面の中の皆様にも見せてやりたい所存だ。
さて、話がそれたがこの『彌延不思議屋店』について書いておこう。彌延不思議屋店。その名の通りで先ほどの文で述べたように、不思議を扱うのである。ただ、不思議を扱うと一口に言っても、一般人にはさっぱりであろう。当然である、俺にもさっぱりなのだから。ただ数か月程、この店に居候している俺の認識的には、この店は超マニア向けのオカルトグッズを売っている所、というもので構わない。ヤバいいわくありげの商品や、おとぎ話で見たようなものが棚のカウンターの中の棚には所狭しと詰め込まれているのだ。そんなもので身の暇を潰すなど自殺行為といってもいいだろう。こうやって猫になった俺が言うのだから信用性と言うモノが――
「やっほー、今帰ったよー」
若い男の声とともに、からんからんと入口の錆びたベルが鳴る。俺は書きかけた文章を保存処理してから出入り口に目をやった、がその姿が見えない。なにやら紙袋やアタッシュケースなどたくさんのよくわからない品々が、入口の姿を隠していた。それらは素晴らしきバランス感覚で人の両手に積み上げられてており、俺はまたもや彼が商品の仕入れから帰ってきたのだということを察した。それよりも、どうやってドアをあけたのだか……。
「帰ったじゃねーよ……、仕入れに行くときはカリカリを補充してからにしろっていつも言ってるじゃねーか」
「あ、また切らしちゃってた? ごめんごめん」
あはっと悪びれずに彼は笑う。そうしてゆらゆらと荷物のタワーを揺らしながら入ってきた男はカウンターの上に荷物を置いた。見て分かるように、今度も大量に仕入れてきたらしく、カウンターはギギギと木特有の不気味な音を立てた。その積み上げられた新しい商品タワーの陰から、やけに血色の良い唇をした白髪の男が顔を覗かせた。唇から上は自前のさらさらとした白髪で覆われており、その顔は見えない。はたから見たら怪しさマックスである。
しかし、俺はこの男を知っている。この男は、ここ彌延不思議屋店の店長である。店長といっても、この店には彼しか働いている者はいなく、全て彼が兼業しているようなものである。実際問題、この店に来る客なんて人っ子一人いないので、店員がいなくても問題ないのだが。
店長の名前は店の名前にも入っているように彌延と言うらしく、下の名前は聞いても教えてくれない。何にも知られてはまずいらしく、俺の口の軽さを危惧しているらしい。
「まぁさ、今回は色々と面白いモノも手に入ったから勘弁してよ」
カウンターに積まれた沢山の荷物の中から彼は空っぽの鳥かごを取り出した。
「なんだよそれ」
「閑古鳥だよ」
「……それ、洒落のつもり?」
全く持って儲かってないからなのかついに彼の頭がおかしくなったのかと思った。銀色の中身のないそれを熱心に見る彼は、はたから見ると何かキめているようにも見える。
「あ、疑ってる目をしている」
「お前には猫の表情がわかるのか?」
「佐藤さんはやけに人間臭い猫だからね」
「お前、俺が元人間だって忘れているだろ……」
「あれ、そうだっけ?」
まぁ、見ててよ。そう言って彼は鳥かごをすっぽり覆うように布を被せた。するとどうだろうか、途端にその中から鳥の鳴き声がするのだ。羽をはためかす音と共に布だって揺れだした。とにもかくにもいるのだ。先程まではがらんどうにすっからかんだった鳥かごのその中に、確実に生きて動いている鳥がいるのである。
「ははっ、うちの閑古鳥はやけに元気がいいなぁ。 食べちゃダメだよ、佐藤君」
「食わねーよ、そんな得体のしれない鳥。 ……て、どうなってんだよその鳥かご」
「ん? やっぱり気になる?」
店長はニヤニヤしながら前髪を軽く触る。サラサラと髪は揺れるが、口ほどまで伸びたそれは決してその顔をあらわにしなかった。彼の素顔は本名と並ぶ彌延七大不思議の一つである。
「布に小型のスピーカーとモーターとかついてんの?」
なんとなしに猫パンチを鳥籠に放ったが店長の手に遮られてしまう。動くものに反応してしまう悲しき猫の習性である。
「人語を喋れる猫がそんな科学的なこと言わないでよ。 せっかくの不思議が泣いちゃうよ。 それにさ、ここは不思議屋店なんだよ、タネも仕掛けもないから不思議なんじゃないか。 不思議じゃないものを仕入れてくるほど僕も余裕ないよ」
「非科学的なことは信じられない性分なんだ」
もう一発猫パンチを放つ。今度は鳥かごではなく店長に向かってである。猫として生きた数か月間の血と汗の涙とカリカリを込めた全力の猫フックである。おととい逃した雀への腹種を込めて俺は放った。しかし、彼にとってはどこ吹く風で見ないままに避けられてしまうのだ。
「うわ、爪立てて殴らないで欲しいよね」
「見てないくせによく言うよ」
「殺気でわかるんだよ、殺気で」
立ち上がった彼は鳥籠にかけていた布を取ると、小さくたたんだ。鳥籠の中はすっかり元通りで、鳥の羽一枚すらなかった。生命がそこにいた感じだけが猫としての野生の勘で感じられた。
「もう一回言うけど、食べちゃダメだよ。食べたら閑古鳥がいなくなっちゃうからね」
「いなくなったら何か問題あるのか?」
そう聞くと彼は唇を吊り上げてこう言った。
「閑古鳥がいなくなったらお客さんが来ちゃうだろう?」
「……始めて会った時もそんなこと言ってたっけ」
「そうさ、ここは彌延不思議屋店。 不思議に選ばれたものしか来ちゃいけないのさ」
店長が外へ出ていき、からりと木の板が揺れる音がする。きっとそれは開店をしめす音だ。その音を聞いた俺は急いでパソコンに打ち込んでいた文章に終わりをつけようと思った。なぜだか不思議なことに店長が開店という札に裏返すと客が来るのである。
――とにかくにだ。そう、ここは彌延不思議屋店。不思議を売り買いする不思議なところ。笹之目駅から出て十字路を右に曲がり、四個目だか三個目だかの細道に入る。そこをまっすぐ行ったり、たまに曲がったりすると、古ぼけたこの店が見えるだろう。客などめったにこなく、いつも人がいない店内。だからもし、この店を見つけられたなら立ち寄ってみたらいいと思う。そうすれば、元気に鳴く閑古鳥が見られるかもしれないのだから。