4 マルティンがいた頃
自分の小さいのがいて、マルティンのこめかみは大いに痛んだ。
──片割れのイゾルテは嬉しそうだが。
「膝の上にお座りしてくれるようになったのよ」
しかも、チビマルティンはイゾルテの膝の上で彼女の介助されながら、フォークで食べている。
溢れそうな肉汁を、イゾルテが手を添えてちびマルティンの口まで運んでやっているのだから、本マルティンの機嫌が著しく悪い。
「……ドレイク」
瞳の紅いチビマルティンに頭を抱えながら呼び掛ける。
モグモグと慣れない人の口で食べているドレイクの顔は、肉汁で汚れていた。
幼児そのものだが
「だから、どうして周囲の人の形を取るんだか……」
と溜め息を付く。
「わからにゃい」
ごくん、と口の中の肉を飲み込み、目の前にいるマルティンに言うと、パンを手にとる。
「しかも、また裸かい。裸族がお前は!」
「マルティン、食事中よ」
諌めるイゾルテの意に貸さず、マルティンはドレイクを逆さづりに持ち上げる。
「加えて、出るべきところも出てないし」
股の間にあるはずの、男の象徴の部分がへこんで皺が出来ていた。
「? 竜は身体にょ中、隠す。プラプラしとくあぶにゃい」
「人は出しとくものなの。成りきらなくちゃ魔法は教えないよ」
「……」
ドレイクは嫌々ながら、中に隠した象徴を出した。
「おお! ……相応だな」
「まるてんの小さい頃の」
「馬鹿たれ」
マルティンは、ジブンモドキのドレイクの尻を叩いた。
食事が終わり、汚れたドレイクの口を拭いながらイゾルテは、目の前にいるマルティンに
「これでも良いと思うのよ。自分の子として育てるつもりだし」
そう言った。
「まだ子作りもしてないのに、子供?」
マルティンの台詞にイゾルテは頬を染めた。
彼女の手を取り優しく握る。
そうする時、いつも笑顔を称えているマルティンの表情が至極真剣だ。
「ドレイクは自分達の子にはしない」
そうイゾルテに告げた。
「……駄目なの?」
「ドレイクは僕に『魔法を教えてくれ』と言ってきた。僕は弟子として引き取ることはするとしても、子供として──は考えていない」
椅子に座るドレイクを見る。
うまく表情を作ることが出来ない彼は、小さい頃の自分の姿でじっと見ていた。
無表情の自分は、我ながら冷たい印象しか与えない。
「ドレイクも心得ておくんだよ。弟子にするからには、同じ月齢の子供とは扱わない。まあ、まず変身が出来たらの話だけどね」
頷くドレイクの方が余程決意が強いか──と、マルティンの口角が上がる。
「イゾルテ」
黙って目を伏せる彼女に再び向き合う。
「子としてはドレイクは引き取れないが、君がドレイクの人としての基盤を作ってやれば良い」
「……そうやって一人で何でも決めてしまうのね」
イゾルテの柳眉が上がる。
「仕方ないよ、僕は一族の長だから。一族を取り仕切る為にも、小さな決断に迷ってはいられない」
「小さくないわ、私にとっては。子供として引き取ることが何故小さな決断と言えるの?」
「君はそうでも、ドレイクは子供としてここに居たいわけじゃない」
「……」
黙ってしまったイゾルテに「そう言うことだから」と、マルティンは忙しくその場を離れた。
これから議会があるためだ。
食事もそこそこに行ってしまったマルティンの後ろ姿が見えなくなると、イゾルテは溜め息を付きながら両手で顔を覆った。
青銀の髪がさらりとテーブルに棚引く。
ドレイクは一束髪を握り、そこから流れてくる波動がキュッとした暗いもので、イゾルテを見た。
「いぞるて様、にゃいてる?」
はっとした様子で慌てて顔を上げた、ドレイクを見つめ笑顔を作る。
「泣いてないわ、ごめんなさい。ちょっと疲れちゃったの」
「疲れたら休む。竜はそう」
「そうね、朝だけど休もうかしら」
一緒に休む? そう聞かれドレイクは
「人にょ子供がにぇる前に親がしてくれること、にゃに?」
と尋ねる。
「そうね……。歌を歌ってあげたり、ご本を読んであげたり──かしら?」
「人が読む本、読んでくれにゃら休む。人にょ字、覚える」
それは休むんじゃなくてお勉強ね──イゾルテはそう笑った。
**
孵化する前から知恵は付いている。
イゾルテとマルティンは仲良しだし『好き』と言う、主従関係とは違う思いがある。
だけど──周囲には、よく思わないのもいるんだ。
イゾルテは、それを切々に感じてしまう。
マルティンもきっと感じているけど、否応なしにはね除ける力強さがあるから平気なんだ。
竜みたいに繁殖期に発情して、それ以外は『仲間』と言う感情以外は無いわけにはいかないらしい。
《面倒くさいんだ》
ドレイクは竜の姿に戻り、書庫の中から自分が読める本を引っ張り出して読み耽っていた。
残念ながら難しい文が並ぶ書物はまだ無理で、童話やお伽噺のうっすいペラペラな、絵付きの本しか読めてない。
どれも恋と言う形の無いものに落ち、修行みたいな苦しい行いを強いられ、解決して、めでたしめでたし──な、内容。
多分イゾルテが読んでいたものだろうなと推測が出来た。
《そんなに良いもの?》
イゾルテとマルティンも結婚したら、めでたしめでたしになるのか?
広げて足の踏み場の無くなった床から飛び回って本棚に出向いては、また本を引っ張り出して小さな手で頁をめくる。
《あっ! 仲間の絵!》
ドレイクは描かれている竜の絵に尻尾を振った。
しかし──読み進めていくうちにドレイクは憤慨し、その本を咬み飲み込んでしまった。
──お姫様を拐った悪い竜を、退治する王子様の話だった──
プリプリしながら書庫から出ていこうとしたら、後ろからやって来たイゾルテに尻尾を捕まれた。
「ドレイク、出した本は元の場所に戻しておきなさい」
《……》
「その竜の本は『異世界』から来た人達から聞いて描いた童話なのよ」
《人の方が悪い! 竜は剣でやっつけられるほど弱くない!》
「色々な見方があるの」
諭すようにイゾルテは言うと「あら?」と首を傾げた。
「その絵本は……? 見当たらないけど……」
《食べた》
「ドレイク……。無闇に食べちゃ駄目。お腹壊すわよ」
《そんな物でお腹壊すほど柔じゃない》
本をしまいながら平然と言い、飛び回るドレイクにイゾルテは溜め息をつく。
「人は、本は食べないのよ」
暫し沈黙があった。
ドレイクは棚に絵本をしまい終えると、イゾルテの側まで飛んでいく。
彼女目線で止まると、そのまま羽をはばたかせながら尋ねた。
《回りの人を模倣したら駄目と言われたけど……。難しい……いぞるて様は分かる?》
「いきなりじゃ難しいわよね……」
《どうしたら良い? このままじゃ魔法、いつまでも教えて貰えない……》
イゾルテは困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい。マルティンに教えてはいけないと言われているの」
《何故?》
「私が教えると私がドレイクの『師』になってしまうから」
そうなんだ──落ち込むドレイクにイゾルテは自分の髪を一束持たせる。
《?》
不思議がりながらも、小さな手に彼女の髪を握り締めた。
「前に私の髪を握り締めた時、私の思いを感じ取ったわね?」
《うん》
「物や人の気を感じ取るって、案外難しいの。ドレイクはもうそれは出来てるってことね」
《それがどうかした?》
「それが出来るなら、自分の気や魔力も感じ取れるのではないの?」
これ以上は教えられないわ──イゾルテはそう言って微笑んだ。
**
夜、眠れなくドレイクは彷徨い歩いていた。
『華燭の典までに間に合わなかったら、式には出させないよ』
と、マルティンに宣言されたのだ。
別にマルティンの花婿姿はどうでも良いが、参加できないとイゾルテが悲しむだろうなと思うと胸が痛む。マルティンはよく分からないけど、イゾルテの事は仲間と言う意味で好きだ。
それに
人の形を取って生活している竜達も来ると聞いて、ドレイクは焦っていた。
参加できなかったら、彼らにも会えないと言うことだ。
いっそのこと泣いてやり方を乞おうか?──ドレイクはいやいやと首を振る。
マルティンのことだ。二度も温情をかけないだろう。
溜め息を付きながらフラフラ飛んで、中庭の噴水に辿り着く。
喉が渇いて、顔ごと突っ込み噴水の水を飲んだ。
飛沫と波がおさまり、静かな水面に戻って映る自分の顔を眺める。
月明かりの下で映る自分の顔。紅い瞳と黒光りする鱗が映り、輝いていた。
自分のこの姿が好きなのに、今の世の中は駄目なんて──保護条令と言うのが知られて『竜狩り』の無意味さが分かるようになるまでは、本当の姿で生きてはいけない。
何て不条理なんだろう──。
《強くなろう》
それしかない。
《誰よりも強くなって、竜を殺したりしたら俺に仕返しされると思うまで強くなる》
それまで、人の姿で生きて、一杯知恵を付けて魔法を沢山覚えて、強くなる。
《その為には、人の姿を覚えないと……》
初めの一歩から躓いてしまい、落ち込みを深くするドレイクだった。
落ち込んでいたイゾルテを思い出す。
暗く沈んだ気だった。
『それが出来るなら、自分の気や魔力も感じ取れるのではないの?』
《感じる……》
『模倣は結局、なりすましの類なんだよ』
人の気を感じ模倣した。
マルティンの時もイゾルテの時も。
《俺が俺の気や魔力を感じ取る……》
親から受け継いだ魔法が使えるのは、親と同じ気と魔力だから?
水面に映る自分の顔を見つめる。
《自分の気、自分の魔力、魔法にする……形を作るのも同じこと?》
気も魔力も個性なんだ。
その個性を人型に生かすんだ。
ドレイクの魔力に噴水の水面が波を打った──。