59 イル・マギア(1)
感情のままに魔力を使い、精も根も尽き果てたらしいロジオンは、アデラに抱き締められたまま眠ってしまった。
揺さぶって起こしてみて、うっすらと瞼を開けるが
「眠い……」
と言って、また眠ってしまう。
魔力を持ち自分で全く制御出来ない赤ん坊や、癇癪を起こした子供がよくこうなると、ドレイクがアデラに話す。
「魔力が高いだけに迷惑な結果になりましたが」
溜め息を付き、野外で待つハインに知らせに行った。今宵はこちらに泊まると、宮廷に言伝てを頼みに行ったのだ。
与えられた部屋の寝台で、安らかな寝息をたて眠るロジオンを見て、アデラもようやく安堵した。
手を差しのべてきた時の主は、明らかにおかしかった。
顔は死人かと思うほど白く、目は窪み見開き──狂ったのかと一瞬血の気が引いた。
だけど、ここで怖じ気付く訳にはいかない。この手を、彼を、抱き締めなければ。コンラート師がいない今、精神共に身体を預ける相手は自分しかいない。求める相手が自分しかいないのだ──主は。
扉を叩く音にアデラは振り向く。
ドレイクが食事を運んできてくれた。
「ロジオンは起きませんか?」
側に設置されたテーブルに食事を置きながら、アデラに尋ねる。
「はい。でも、安らかな顔でほっとしています」
「そうですか」
ドレイクは手短に言うと、お腹が空いたらどうぞと蓋付きの皿をさした。
「ありがとうございます」
アデラは礼を言って再び視線をロジオンに戻す。
では、と部屋を出ようと扉のノブに手を掛けたが、思い直したようで扉のすぐ横の壁に背を付けた。
「……?」
不思議に思い、アデラは顔を上げドレイクに視線を向ける。
彼は腕を組み、アデラを見て言った。
「決意は……本物ですか?」
決意とは、ロジオンに言ったことだろう。
「今、離れることはロジオン様には良くない……考えてみてください、最も信頼していた師が亡くなり、十数年ぶりに再開した家族にも慣れていない。心身を預ける場所が無い。ロジオン様には信頼でき、何かあった時に共に前へ進める相手が必要です」
「ロジオンが家族と一線を置く理由はコンラートの件だけではないと知ったでしょう? 離ればなれで暮らしてきただけが理由では無いことを……」
「はい」
「それはアデラ、貴女にも当てはまる。家族や貴女は只人だ。歳を取り、私達より早く死ぬ。取り残される悲しみをロジオンに味わせることになる──ロジオンは潜在的に悲しみを回避しているんですよ」
「私は、死ぬその時までロジオン様の側にいるつもりではありません」
「……?」
アデラは真っ直ぐな瞳でドレイクを見つめ、微笑む。
「これからロジオン様にも、色々な出会いがあるでしょう? きっと、魔法使いに魔導師が多いでしょうか? 同じ年代の、自分と同じ方達と共感をして、長い時を有意義に過ごせる友と呼べる方達が出来て……そうしたら、私はもうロジオン様の側にいる必要はありません」
「それまで、ですか……」
「それまで、です」
真っ直ぐにこちらを見つめる常緑色の瞳は、躊躇いの一切も感じられない。
─ドレイクは思い出し瞼を閉じる。
もう記憶も朧気な遠い昔に、このような瞳を持つ仲間達を誇らしく眺め、自分も一員となる日を夢見た──。
只人は嫌いだ。嫌悪している。
だが彼女のような、同族を思い出す強い決意をもつ瞳を持つ只人は嫌いではない。
魔力を持つ尊き人や自分のような他種族に持つ、特別な力など無いのに、己の限界を越えてまで相手に尽くすのは尊敬に値する。
「貴女の意思の強さは、私の種族のとよく似てる」
「『黒竜』の……?」
すぐ戻ります──ドレイクはアデラにそう告げ部屋を出て、今度は手に何かを持って入ってきた。
「貴女に、これを……お譲りしましょう」
卓上に置かれたのは二対のマインゴーシュとヘッドドレスだった。
マインゴーシュは柄と刃が繋ぎ目が無く、見たことがない光沢を放っている。
ヘッドドレスは装い用のではなく、冑の簡易型だと分かった。
磨かれた材質も、これまた見たことがない。
「……これは何で出来ているのでしょうか?」
「私の爪と骨、それとカーリナに利用されて命を落とした同族の骨です」
そう言えば終わった後に、落ちた自分の指と幼竜の亡骸を拾っていた。
取れたドレイクの指は、本来の姿の──鋭い爪を持つ固い竜の指に戻っていた。
『このまま放置して、只人に見つかれば騒ぎになりますから』
そう言いながら自分の爪と一緒に、大事そうに腕に抱いていた黒竜の幼体。
幼竜は原型を止めていない姿になって息絶えていた。
今でも時々、竜の特殊な能力を利用する輩がいると──ロジオンは言った。
彼は竜の血をひきながら、不遇な境遇にいる者達の探索と保護もしているのだとも聞いた。
彼はどんな気持ちで変わり果てた同胞を抱き上げたのか──彼の瞳に憐憫の光りが微かにあり、皆声をかけずそっとしておくしか無かった。
──その遺骨で作られた……。
遠い過去に、竜の身体の一部を使った防具や武器が出回っていたと話には聞いていた。
それらしき古い防具に武器も残っているが、事実はまことしやかである。
「手に持ってみてください」
促され、恐縮しながらマインゴーシュを手に取る。握る感触も重さも自分にあつらえたようにぴったりだ。
振ってみても違和感が全く出ない。使い手の次の手を感じているように馴染む。
「ヘッドドレスの方は調節が出来るようになっています」
着けてみると自然、頭の形に独りでに密着する。しかも軽い。
「軽くても強度は最高を誇るでしょう」
竜の骨ですから──と、ドレイクは付け加えた。
「これを頂けるのはありがたいが……宜しいのですか? ドレイク殿の同族の形見では……」
「言ったでしょう? 貴女の意思は黒竜の意思に似ていると──主人に対しての意思の強さ・思い……それはロジオンを支える時の助けとなることを望むでしょう」
ありがたくお受け取りします──アデラはドレイクから貰った剣を両手に持ち、ゆるりとお辞儀をした。それは彼に敬意を払った意味の厳かな礼の意味でもあった。
アデラのその礼は、ドレイクに僅かながらに、只人に対する溜飲が下げるものであった。