58 マルティンの魔法(2)
何か足元から崩れた気がし、止めどもない、やるせない感情がロジオンを襲った。
ぐるぐると目が回っている気がする。
足が震え、力が入らない。
落ち着かないと。そう思っても、どう心を静めてきたのかさえ思い出せない。
自分の考えていたことと違う。
見当違いがショックでこうなってるんじゃない。
だけど──どこかで期待していた部分
「魔法を創りあげた……原初の魔承師・マルティンが関わっているのだと感じていた!……マルティンの魂の輪廻の先が……自分じゃないかと思っていた!」
言葉として吐き出される。
その見当外れの期待の内容よりもっと、もっと衝撃な内容だから──。
──僕は人ではないの?
──育つ人形なの?
僕は何の為に創られたの?──
がたりと椅子から膝から落ちた。
円卓の上に置かれた皿も茶も何もかも床に落ち、音を立て割れた……。
「ロジオン!」
泣きながら震えているロジオンの姿は異常で、イゾルテは自分の告げた事がどれだけ言葉が足りなかったか知り、呆然と目の前の少年を見つめる。
ロジオンは──誰かに揺さぶられているように左右前後に揺れ、子供に遊ばれている操り人形のように見えた。
*
「──!? イゾルテ様? ──ロジオン!」
ドレイクが顔色を変え、中央の塔がある方向を見据えた。
「──ロジオン様に、何かあったのですか?」
「『あった』んじゃなくて『してる』んです!」
貴女はここにいなさい──ドレイクはそうアデラに告げたが、彼女はがっしりとドレイクの腕を掴んで離さなかった。
「私も行きます!」
仕方ないとでも言わんばかりの表情でドレイクは頷くと、ロジオンとイゾルテのいるバルコニーへと跳んだ。
*
跳んだ先が謁見場で、二人が真っ先に見たものは、見上げる程高い窓のステンドグラスがすべて粉々に飛び散り、破片が床に散らばっていたことだった。
二人言葉を出す余裕もなく、バルコニーに駆け寄って愕然とした。
椅子と円卓、食器は全て粉砕され、石造りのバルコニーの柵までもが形を無くしていた。
床は亀裂が走り、塊と化したバルコニーの一部が大量に跳び跳ねしている。
「ドレイク!」
イゾルテは、この界隈だけに被害を抑えるために結界魔法を施行していたが、至る場所でバチバチと火花が飛び交い、ドレイクは危険な状態だと悟った。
「いかん! 今の状態のイゾルテ様にはロジオンは止められん!」
「私が……私が悪いのです! ああ、もっと言葉を選んでいれば……!」
ドレイクの怒りがロジオンに向かう──危険を感じたイゾルテは阻止を含めてそう言ったが、彼の黒竜としての使命が感情を支配した。
「ロジオン……! 貴様!」
「いけない! ドレイク殿、よく見てくれ!」
彼の左手から目映い光が生まれたのをアデラが制した。
ロジオンは背中を丸めて踞っていた。
銀の髪を乱し、顔を床に突っ伏し震えていた。
微かに耳に届く喘ぎは、泣きじゃくっている声と似ている。
「イゾルテ様……これは?」
「真実の一つをお話したのです……彼にはまだ早すぎました……受け止められなかった」
アデラの視線から逃げるようにイゾルテは目を伏せた。同時、涙が溢れ頬を伝う。
「まだ話は途中でしょう? それでこうなるとは未熟すぎる──何にせよ止めないと」
どきなさい、とドレイクはアデラを押し退けようとしたが、アデラはますます立ちはだかる。
「アデラど──」
「しばし時間を下さい」
強い口調と眼差しにドレイクは一瞬怯んだ。
アデラは踵を返すとロジオンに向かう。
「ロジオン様! アデラです! どうされたのです!」
途中破片が、アデラの肩や足に当たったが気にしている場合ではない。
あんな姿の主は初めてみた。余程にショッキングな内容だったのだろう。
コンラート師の時も泣いていたが、必死に悲しみを堪えていた。彼は立ち向かえる力を持っている。未熟とかそんなんじゃない。
彼自身の、これから生きる為の根本から崩す何か──。
震え泣く主に近付く。
彼はまだ少年だ。まだ十五じゃないか。
本来なら一国の王子として、人の好い父王や母妃の元で兄弟に囲まれて、なに不自由無く暮らしているはずなのだ。
それなのに、人より高い魔力があるというだけで親から離れ、辛い現状を見て育ち、魔法使いと言う道を選ばされた。
本人は何も恨んでも悲しんでもいないと話したのに──。
ここまで主を混乱させ、嘆かせる真実の一つ。あと幾つの真実が彼をこうさせるのか──。
ああ──
瞼をぎゅっと閉じた。
もう、いい。捨てよう──
私は離れられない、このままでは。
主が、彼が、笑ってくれれば、それで……。
「ロジオン様!」
何度目かの呼び掛けで、ロジオンはようやく顔を上げた。
同時、破かれる寸前だった結界の亀裂音がなくなり、ドレイクは自分の主人であるイゾルテを抱き寄せた。
ロジオンは──涙で頬と掛かる前髪は濡れ、澄んでいたブルーグレーの瞳は充血していた。
「ア……デラ?」
視点が定まらない瞳は、ぼんやりとした表情を強調させる。
彼女が誰かだったか思い出したように「アデラ」と名を繰り返した。
ロジオンの瞳に、すがり付くような鈍い光が生まれた。
震える手が怯えるようにアデラに向けられた。
「アデラは……僕が何者でも……いてくれるよね? ……僕が……人じゃなくても……側にいてくれるよね……?」
床にへばりつくように座り込むロジオンの手を握ると、アデラは彼を抱き締めた。
「当たり前です! アデラはロジオン様の従者です。何処へでもお供致します!」
「……絶対だよ……? 嘘つかないでよ……?」
「嘘は申しません」
──私は、何があっても貴方様の味方です──
だから
安心して──
私の好きな人……。