57 マルティンの魔法(1)
「イゾルテ様のドレスの裾を直すのではないのですか?」
「申し訳ありません。イゾルテ様がロジオンと二人きりで話したいことがあると申されたので、このような虚言を使いました」
はあ、とアデラは気の抜けた言葉を返した。
──別に回りくどいことしなくても、言ってくれれば席を外すのに。
「今まで楽しく話していたのに、いきなり席を外してくれなんて言えば、お気を悪くなさるかと」
それに、とドレイクは言いながらアデラを更にバルコニーへ誘導する。
「急に深刻な……ロジオンに関わる話に切り替わるのに、タイミングが欲しかった──と言うのもあります」
アデラの足が止まった。
明らかに、その場から外されたことに傷付いている。
「……成程、貴女がアサシンに向いていない理由の一つですね」
何がおかしいのかドレイクは、口の片側だけ上げた。
「ロジオン様からお聞きしたのですか?」
この、意地の悪い笑い方をするドレイクを睨みながらアデラは尋ねた。
「エルズバーグ国王陛下からです。長を務める家系だそうで、今は妹君が継いでいる」
「妹の方が才があっただけのことです」
「アサシンとしてはそうでしょうな」
「……私には才が無い、言われなくても分かっています! だから、だからこそアサシンとして磨いた技術だけは役に立てたい。ロジオン様にお仕えしてあの方の役に立ちたいのです!」
「その決意は本物ですか?」
「本物です」
「ロジオンが何者か知っても?」
「コンラート師の件で、ロジオン様が得体の知れない何かを抱えていると知りました。──それでもお仕えする気持ちは変わりません」
「貴女はロジオンといることで、諦めなければいけないことが出てきます──その決意が決まらないうちに聞かせるには酷だと判断したから、あの場所から貴女を外しました」
「……諦める?」
──そうです、とドレイクはバルコニーの縁に座る。
「貴女の能力は計り知れない、だが、只人です。止まることなく老いが進み、短い寿命を終える……」
「あ……」
「ロジオンは恐らく、私くらいで絶頂期を迎えそこで成長が止まる。それから、只人から見たら長い時を生きていきます。貴女は、一生を彼に忠誠を誓い、従者として生きていくつもりではないでしょう? あと何年かしたら結婚をし、子を産み、自分達の血を残していく作業がある」
「……」
「ロジオンに付いていくのには、結婚と出産を諦めるだけではありません」
言葉もなくドレイクを見つめるアデラに話を続ける。
「今までの日常の中で捨てなくてはならないことや、あえて拾わなくてはならないことも出てくるでしょう──波乱にとんだ毎日を死ぬまで送らなければならなくなるかも知れません」
──貴女には何の得もない。
──それでも貴女はロジオンの側にいますか?
*
彼女と二人きりになっても、居心地が悪いとは思わない。
自然に、溶け込むように自分は受け入れている。
──分かってる。
魂の記憶が僕の生に干渉しているからだ。
何度もこう言う場面があったことも教えてくれた。
彼女が僕に向かい微笑む。
僕と同じ銀の髪は、柔らかで淋しさを含む秋の風が揺らす。
海に似た色が生まれ、その様子を僕は眺めて胸を焦がす。
このチリチリと痛む胸は、誰が──なんだろう?
──君は僕、僕は君──
だからと言って、僕の目に写る彼女を僕は、思うほど恋していないようなんだ。
*
じっとイゾルテはロジオンを見ていた。
『見ている』んではなくて『視ている』んだと、ロジオンには分かった。
こんなにあからさまなのは、判断しづらい何かがあるのだろう。
「……成程。ドレイクでも視えない理由が分かります」
イゾルテはそう呟き目を伏せた。
「僕の中の人のことですか……?」
「自分の魂の呼び掛けは経験していると、ドレイクから聞いています」
混乱したでしょう? ──イゾルテは同情するように眉尻を下げた。
「はい……でも大丈夫。自己主張してきたのは、師匠相手の最後の時でしたし……後は似た場面に遭遇すると頭に過去の映像か出てくるくらいです」
「何とかしてあげたいのだけれど、私では無理で……ごめんなさい」
「中にいる人達が言ってました……最初の人が無理矢理、輪廻に加わろうとしたからだと……」
「……そこから、ドレイクも私も見解を間違っていました。輪廻と言う輪の中で、溶け込めなかった記憶が、人格まで支配するようになったのだと──」
「これは……?」
ロジオンが何の躊躇いも無く尋ねてくるのが、イゾルテには心苦しいようで瞳を伏せた。
「……僕もある程度は予想もして……それなりに覚悟しています」
「何故……このような魔法を……」
独り言を呟くイゾルテの美眉は歪んでいた。
躊躇っていたが、意を決したようにロジオンに顔を向け、口を開いた。
「ロジオン、貴方は……初代の魔承師であり、私の兄でもある──マルティンの……創った魔法で間違いないでしょう」
長い沈黙があった。
視線を落とし、膝につけた自分の握り拳をロジオンは見つめる。
……僕は創られた……?