52 幸せな二人
髪留めが外される。
捻って留めていた髪が音もなく肩に落ちた。
ロジオンは後ろから、髪に付いている整髪料をけし梳りながら絹糸のようなアデラの髪を解かしていく。
「あの、ロジオン様」
「何?」
アデラは寝台の端に座って大人しく髪をすがれているが、忙しく指を動かしていた。
「自分で出来ますから……」
「やらせてよ」
普通なら、従の自分が主であるロジオンにするべきことではないか──。
でも、と渋るアデラにロジオンは
「久しぶりなんだ……こう言うの。だから……」
と、懇願するように話す。
こう、ねだるように言われるとアデラは何も言えなくなってしまう。
「コンラート様にも、こうやって?」
ヘアクリームを手に擦り付け、アデラの髪を編み込んでいく様は手慣れていた。
「うん……。師匠のはもっと……時間がかかったな」
懐かしそうに喋るロジオンの顔を、手鏡越しに覗く。
コンラートを浄化した後、暫く空を見上げたまま動かなかった主は、置いてきぼりをされた子供のような顔をしていた。
今は何の憂いもない、穏やかな顔で、落ち着いた瞳で自分の髪を編んでいる。
(良かった……)
アデラは、鏡に映る優しげな少年に向けて微笑んだ。
両脇の髪を耳の上から編み込んでいき、後ろは高く上げて結び、四つほどに分け三つ編みにしていく。
両脇の編み込みと四つに分けた三つ編みを、高く結んだ根本にくるくると巻いていった。
時々、ピンを使い押さえ、最後に髪留めでしっかりと押さえた。
「……お上手ですね」
浮いたり編み忘れの部分もなく、専門の美容師にやってもらったような出来映えだ。
自分で風呂場を造ったりと、ロジオンの手先の器用さには本当に感心してしまう。
「どう?」
「はい、素敵です。ありがとうございました」
アデラの素直な感想に、ロジオンは満足そうに微笑んだ。
「でも……勿体無いなあ……そんなに綺麗な髪をしているのに……下ろしとけば良いのに」
「中途半端な長さで邪魔なんです。仕事中は特に」
「仕事が……休みの時は下ろしているんだ?」
「はい」
ふーん、と呟く主にアデラはフィンガーボールと水差しを持ってきて、整髪クリームの付いたロジオンの手を洗う。
「自分で出来るよ」
「お礼です」
照れ臭そうにしながらも、まんざらじゃないロジオンは結局、なすがままにされた。
すぐ側にアデラの顔がある。
意思の強そうな眉
髪の色より色味の濃い睫毛。
通った鼻筋に、形良い小鼻。
ふっくらした唇は艶々として血色が良い。
正統派美人の類のアデラだ。
どうやら自分は、こう言うタイプが好みだと分かってきた。
「……?」
誰かの顔とぶれる。
一時目を閉じて、ああ、そうか──と目を開けた。
「ロジオン様?」
じっと一点を見つめて動かない主にアデラは首を傾ける。
ゆっくりと顔を扉に向け、ロジオンは口を開いた。
「……何、盗み聞きしてんの……?」
入ってきなよ、とロジオンが促し入ってきたのは、にやけ顔のエマとハインだった。
「いやあ、良い雰囲気なので、お邪魔かなと思いまして」
「だあってねえ? 『やらせてよ』『久しぶりなんだ』ってロジオンは言ってるしい。アデラちゃんは『お上手なんですね』なんて言ってるの聞いたら……」
──ねえ? と見合わせ相づちを打つ二人を見て、誤解された意味を知りアデラは顔を赤くし、ロジオンは呆れた。
「自分達が良い雰囲気だから……周りもそうだと思わないで欲しいよ。頭の中……それで一杯なんじゃないの?」
「やあん! ロジオンったら! おませなんだからあ!」
勢い良く背中を叩かれたロジオンは
「か……完治が延びた……」
と、痛さに震えながら寝台に踞った。
*
「そんでねえ、ハインが~言ってくれたの! 『女体化が終わるまでに貴女に相応しい男になります』って!もおおう、カッコいいでしょ?!」
キャラキャラと黄色い声を出しながら、ロジオンの打撲した腹をバンバン叩くエマに──。
その横で
「いやあ……! 本当にそう思ったんで、思いを打ち明けただけですよ~」
と、しまりの無い顔を見せるハイン。
「もう……昨日から何度も聞いてるよ」
うんざりしながら冷めた視線を送るロジオンに、苦笑いのアデラ。
コンラートの件が済み、包み隠さずに自分の気持ちを伝えようとしたエマより先に、ハインの方が実行に移したのだ。
バンバン──エマはロジオンの打撲した腹を叩く。
「『エマさんは、そのままでも充分ですが、エマさんがきちんと女性になりたいと言うなら、全力で応援します。でも、女性化が完成したら今よりもっとモテますよね……それは嫌ですね』──だって! もおおおお! 可愛くない!?」
「だって、そうじゃないですか。今だって大変お美しいんですよ? 完全に女性になったら不安ですよ。──私的にはこのままでも……」
「いやあん、ハインったらあ! 目移りなんかしないわよお! や・く・そ・く!」
エマとハイン二人で、指切りげんまんをする。
「エマさん……」
「エマと呼んで……ハイン……」
小指を絡めたまま二人見つめ合う視線が熱い。
絡んだ小指に、ロジオンの鋭い手刀が入った。
「治療に来たのか、いちゃつきに来たのか……どっちなの!」
「「──どっちも」」
二人揃った返事にロジオンはむすりとした。
今回で、幸せな結果になったのはこの二人だけだ──ロジオンはそう思った。