46 豹変
私用が一旦落ち着いたので投稿します。
リシェルの『入魂』が終了し、安堵している場合ではなかった。
激しい水音に池を見てみれば、ドレイクどころか、ロジオンもアデラも──コンラートもいない。
「やだ! もしかして全員、池に引きずり込まれた音?」
三人青ざめて顔を合わせる。
「──エ、エマ! かっ……!つぅ──」
雑木林から飛び出したエマを止めようとしたルーカスだが、肋の痛みで踞ってしまった。
「ルーカスとハインは、リシェル連れて避難してえ! 怪我してんだからあ!」
エマは走りながらルーカス達に言い、どんどん池に近付いていった。
池に引きずり込まれたなら、一刻も早く助けなければならない。
ドレイクとロジオンなら、水中で何かしらの魔法を施行するだろうが
(アデラちゃん……!)
アデラは魔力が無い。只人だ。
一番コンラートにつけこまれ安いだろう。
「エマ殿!一人じゃ危ない!」
すぐ後ろからハインの声がして、エマは驚いて振り返った。
「私しかいないでしょ! 動けるのぉ!」
「私だって動けますよ!」
「詠唱してる間にやられちゃうって!」
「魔法以外の──エマ殿!」
池の中から飛沫をあげて飛び出してきた影が、エマに突っ込んできた。
「危ない!」
ハインがエマを押し倒し回避する。
「──ね? 魔法以外でも役に立てるでしょ?」
「……もう少し気を付けて避けてよね」
嬉しそうに話すハインに、エマは擦りむいた鼻を押さえた。
闇の中に蠢く闇にハインとエマは目を凝らす。
──コンラートだ。
二人身構えた。
だが、コンラートが子供並みの大きさで眉を潜める。
先程の少年の姿よりぐんと小さく、弱々しくなっているのだ。
何があったのか?
入魂に集中していたエマ達には把握が出来ない。
「──ひっ!?」
自分の後ろから来る、凍てつくような波動にエマは思わず声を出した。
声を出さなくとも、ハインも同じだった。
恐る恐るコンラートを見ると──その、のっぺりとした顔には昔の面影も見当たらなく、ようやく目鼻立ちが分かる程度なのに──怯えている。人目で分かった。
チャポン……
再び起きた水音に振り向く。
身体に、たなびく波紋は先程の凍てつくものと同じ。
だけど──
何故その波状が、ロジオンから出てるのか……?
*
浮力の魔法施行で、ロジオンは水面に浮いていた。
片腕にアデラを抱き、地面に着地する。同時、ロジオンはアデラを手放した。
がくり、とアデラの膝が折れ、地に突っ伏す形で咳き込む。
「ぐ……ッ! ゲホッ! ゴボ!……」
「アデラちゃん!」
水を飲んで吐き出しているアデラの背中を、エマは懸命に擦った。
びしょ濡れで、後ろに結わき止めていた髪が肩に落ち、びったり肌や首にまとわり付いている。
「防具服着てるんでしょ? なら上着とシャツ脱いで。風邪引いちゃう!」
エマは早口で捲し立てると、自分のマントをアデラに掛けた。
エマのマントは袖を通せる型の物なので、上着の役割として充分果たせる。
水を吐きながらもアデラは
「ロジオン様……はっ?! ご無事か? 水の中で様子がおかしく……なられて……!」
と懸命に尋ねた。
「アデラちゃんを抱き抱えて、水から上がってきたわよお……ただ」
そう言うとエマはアデラの肩を抱いて、対物魔の結界を張った。
「中身がロジオンとは限らないかもねえ……」
*
池に戻ってきてドレイクはその光景に愕然とし、また、恐れていたことが起きたことに血の気が引いた。
コンラートはもう逃げ出せないほどに弱々しく、更に透明感を増し、地べたに這いつくばっていた。
ロジオンは──
今の状況を楽しんでいるのか、自信ある笑みを始終絶やさずにいた。
師であるコンラートを滅することに、何の躊躇いも無いように。
新たな気配に気付き、ロジオンはドレイクの方に振り向いた。
彼はドレイクに涼やかな笑顔を向ける。
「やあ……ドレイク。久しぶりだね。息災で何よりだ」
声音はロジオンだが、口調が違う。
のんびりとし、平坦とした彼の口調ではなく、落ち着いた大人の男性のものだ。
その口調にドレイクは覚えがあった。
「消滅の呪文を手に入れてきたようだが……骨折り損になってしまったね──もっと早く私が出てくれば良かったのだが……」
コンラートの方を見ながら話しかけるロジオンに、ドレイクは言った。
「マルティン様……?」
と。
*
──マルティン
魔法を扱う者達が知らないことは無い人物。
魔法の創立者であり、魔導術統率協会の創設者。
尊敬があまりにも深く、皆、子にその名を名付けるのを憚るほどに。
その名は魔力の持たない者達──アデラさえも知っている。
まさか──と、エマもハインもアデラも唖然と、ロジオンとドレイクのやり取りを聞いていた。
「私の魂を受け継いだ者が、上手に攻撃魔法を使えないようだったから、指南のつもりで出てきたのだが……余計なお世話だっただろうか?」
「──いえ」
ロジオンは微笑みを深くする。
「表情が固いね、ドレイク。私が、今のこの身体を乗っ取るのではないか──と、疑ってはいまいか?」
「……マルティン様ならしないでしょう」
「──なら、久しぶりの再会だ。随喜の顔を見せて欲しいな。突然の事で驚くのは仕方ないが」
ふっ、とドレイクの顔が緩む。
普段、無表情に近い顔の彼が、このように柔らかく笑うのは珍しい。
本当にマルティンなのか?──
柔らかで清々しい笑みを浮かべるロジオンは、ずっと大人びて見え、いつもの、のんびりした口調ではないが。
この、身もよだつ恐ろしさは何なのか?
『地獄の鑑賞者』達が大勢やって来た時よりも恐ろしく感じる。
マルティンとは、このような人物だったのか?
──いや、そもそも──
(どうして、ロジオン様に? ロジオン様はどうされたのだ? ロジオン様がマルティンの振りをしている?)
アデラの頭は混乱の渦の中、すがるようにロジオンを見つめる。
それに気付いたのか、アデラの方を向いて彼は微笑んだ。
「心配しなくて良い。君の主人は中にいる──眠ってもらっているがね」
と、自分の胸に手を当てアデラに言った。
アデラは返す言葉も浮かばず、ただ頷くだけだった。
話しかけられただけで手足が震える。
畏れ多いとか、畏敬の念で震えているのでは無いのだけは分かってる。
──ドレイクは何ともないのか?
──本当にマルティンなのか?
それは、隣にいるエマやハインも同じ気持ちであった。
しかし、自分達には遠い過去の存在であるマルティンが、どのような人物だったかなど知らない。
マルティンの時代から生きている、ドレイクしか知らないのだ。
黙って見守るしかなかった。
「イゾルテも変わりはないか?」
「はい。元気に過ごしております」
「それが気掛かりだった。ずっと君が付いていてくれていたのだろう?」
「私を保護し、育ててくださったマルティン様の大事な妹君ですから……」
「ありがとう、ドレイク」
ロジオンの手がドレイクの、高さのある肩に触れようとする。
──が、ドレイクにかわされた。
瞬時、アデラ達に防壁結界が施行される。
「……マルティン様ではありませんね? よく似た口調をしてらっしゃるが、狂心がただ漏れですよ」
ロジオンは不貞腐れた表情をし、顔を下に向けた。長めの前髪が、たらんと下がる。
くく、と含みのある笑いが、俯く顔から漏れた。
「ふ……ははははははは!」
笑いと同時、顔を上げたロジオンは──。
歪んだ笑みを浮かべ、ドレイク達を見つめ返した。