42 復活(3)
ピシ……
僅かに聞こえる割れる音に気付いた時には、コンラートは封縛を解き、軽やかに宙を飛んでいた。
両手に水の球体を抱いて──。
ドレイクは球体に標的をあてた。
一瞬にして水の球体は蒸発し気体に変わる──が、ドレイクは自分の失敗に舌打ちをした。
コンラートの手まで干乾びてしまった。
通常の人なら、熱いと感じるくらいで済むはずだった。
だがコンラートが取り込んでいるのは、水の精霊。人より揮発率が高い。
念頭に置いて威力を押さえて施行したが、思ったより過敏であったらしい。
コンラートは池の中へ滑り込んで行った。
「閉じろ!」
ドレイクが刹那、左から右へと腕を振る。
池全体が光を放ち、瞬時に古代文字で形成された封印結界が池を覆う。
──だが
パキィィィィン
と、乾いた音が、封された池から響いた。
「……なれの果てでも、高名な魔導師──と言うことですね」
ドレイクが忌々しく呟いた。
崩壊された結界から、飛び魚のごとく水が幾つも線を成して飛び上がる。
それが鉄砲のようにドレイクに襲いかかってきた。
先端が魚の口に似、パクパクと開けながら、水しぶきを上げて向かってくる。
ドレイクは、竜の身体能力を発揮した跳躍で地を蹴り、木々の幹を飛び蹴り、襲いかかる水攻撃を避ける。
誘導施行もかけているようで、それはドレイクの後を易々と追いかけてきた。
水力で枝をなぎ倒し、葉や木の破片を巻き込み更なる凶器に仕立てあげる。
ドレイクは方陣の場所を踏む──瞬時に姿が消え別な場所へ出現した。
池の真上に──。
誘導施行された水の凶器は、池の上の方陣にいるドレイクに向かって突き立てた。
──だがドレイクに当たる瞬間、彼の姿は消え、凶器と化した水は、勢いのまま己の住処の池に突っ込んだ。
その勢いは津波を起こし、池の外にまで流れ出る。
*
「池の上にも方陣が……」
アデラが、信じられない物を見たようにロジオンに告げる。
「水の王の力を借りたか……事前に用意していたか……だね」
しっかりこっち見て、とロジオンに促され、アデラは再び自分の剣の刃の部分に目を向けた。
手入れされた刃からは、僅かな月明かりと繰り出す魔法の起こす光で、アデラとロジオンの顔がうっすらと写っていた。
「ドレイクのことだから、水の精を切り離す策は出来てるだろうけど……その後のことを考えると……僕達も策を張っておく」
「はい」
「刃に写る僕の口の動きを見て……」
*
ドレイクは動きを止めていなかった。
魔法攻撃に取り込んでしまった木々の破片──物理攻撃まで加わった自分の施行した魔法。
それが自身に戻ってきたことで、僅かに隙が出来た。
「上げろ!」
ドレイクの命で水中から飛び出てきたのは、コンラートだった。
水に関与できるのは水の精霊──特に支配している王。
事前にコンタクトを取り、精神の繋がりを依頼していた。
身体憑依・精神支配とは異なったもので、精神感応と言われている。
正体不明の化け物に変わってしまったコンラートが仲間を取り込んでしまっては、水の王も流石に静観している訳にはいかない。
生来、臆病な一面を持つが、ドレイクならと信頼を得て精神に繋がりを持たせた。
“私の前で水の中で隙を見せたら、押し上げて池から放り出せ”
──かくてドレイクの思惑通りにいった。
自分が支配した池から放り出されたコンラートは、地の上で呆然としていた。
何が起きたのか気付いていないのは明らかであるが、それも短い間だと──。
ドレイクは刹那コンラートに魔法を繰り出した。
コンラートを取り囲む柵のような立体陣。
「ᚷᚱᛟᚫᚾ ᚫᚾᛞ ᚱᛟᚫᚱ(唸り、轟け)身体の奥底まで」
ドレイクが施行した魔法は音波魔法。
それも閉じられた狭い範囲内である。
ウィィィイイイイン
身が波打つような強烈な音波にコンラートは懸命に陣から脱出しようと、柵のような立体陣に手を掛けた。
だが、更に状況を悪くしただけであった。
音波を発しているのは、この立体陣の柵からであり、あまりの強烈さにブルブルと身体全体にくる。
かなりの電流を受けているのと似た感覚で、身体が振動し肌が波打っていた。
「ぅっ、うっ、ぅっ」
がくんがくん、とコンラートの身体が激しく揺れる。
「水の精はこのくらいの波動なら、風に波打たれる程度のもの。──だが、コンラート……元・人間の貴方はどうでしょうか?」
ドレイクの口元が上がった。
立体陣の中のコンラートがブレだした。
二人いる錯覚。
重なったり離れたりを繰り返し──ずるり、と人の形成した殻から出る何か……。
──コンラートだった。
──水の精から離れた。
ドレイクは、左手を素早く握る仕草を取る。
コンラートを閉じ込めた立体陣は、一瞬に細い柱となり化け物と化した身体を縛り付けた。
「王!」
ドレイクが誰にともなく叫ぶ。
離れて自由になった池の精霊だが、コンラートに精神を含む全てを乗っ取られ弱りきっている。
自ら土に溶け、浸水し自分のある場所に戻るのにも絶え絶えで行っていた。
また捕まってしまう──ドレイクは王に保護して貰う為に呼び掛ける。
急に土に浸透するスピードが上がり、水の精は土に溶けていった。
「──!?」
自分の左の握り拳が、意思に関係なく開く。
破裂音に、コンラートが柱から解き放たれたことを知る。
「──ちっ!」
ドレイクの左の掌が血で染まった。ボトリと中指が落ちる。
掌に深く亀裂が入り、血が止めどなく流れていく。
封印がまだ未完成のうちに解かれたことで、跳ね返りが来たためだ。
忌々しく左手を振り、己の血を払う。
水の精が離れたのは良いが、魂が自由になった分動きが格段に早い。
そのことは長く生きてきた分、ドレイクは知っていた。
逃がさない自信はあるが生前が高い魔力に、様々な魔法を駆使したコンラートだ。
──封じ込めて滅する方向が一番確実だが──
(まだ準備が整わん)
封じ込めるだけで手一杯か──。
ドレイクは、先程とは格段に早いスピードで迫るコンラートを見て、そう思った。
*
「ᛒᛟᚱᚱᛟᛙ ᛁᛏ(借り給う)『戦女神パラスの鎧』」
『戦女神パラスの鎧』──物・魔の防御だけではなく、かけられた個々の能力も飛躍的に上がる魔法である。
ただ、軍隊など大人数には施行が出来ず、一人の魔法使い・魔導師で一人しか出来ない。
戦では大抵自分自身に施行する魔法であった。
施行ギリギリであった。
少しでも判断が遅れていたら殺されていたか、取り込まれていたか。
「自由だな! コンラート!」
ぴったりと追い付いてくる影の顔がうっすらしか無いのに、にやりと笑ったのがはっきりと見えた。