35 腐植の滓
「流石のドレイクも、数少なくなった同族の危機を感じたら冷静でいられなくなるのねえ?」
「……古の言い伝えを真に受け、我が同族をの血を利用するか──カーリナ」
「言い伝え? 嫌だわドレイク、それが言い伝えかどうか貴方自身が一番よく知っているでしょう?」
泉を背に二人のやり取りの口調は冴え冴えと響き、閉じられた空間でもないのに反響しているように聞こえる。
二人に共通しているのは、至極冷静で落ち着いている態度。
だが、ドレイクの声音はいつもよりさらに低く怒りを押さえているようで
もう一人──カーリナと呼ばれた少女は、弾んだ声で芝居を楽しんでいるように見られる。
カーリナの動作も仕草も、幼い少女そのままで若々しく、足取りも羽が生えたように軽いステップを踏む。
「竜の血は古より万能薬と伝えられている。特に『不治の病』『不老』に『不死』の効力があるとね」
「謂われなだけで、実際そのような効果はない──貴様が知らないわけではなかろうに」
「──でも」
妖精さながらに踏む軽やかなステップを止め、カーリナは池の中央で浮いている球体を指した。
「どんなに強力な結界でも、消滅させることは出来る」
パチンとカーリナは指を鳴らす。
それに呼応し球体が音も無く割れ、中に入っていた個体が現れた。
小さな黒い竜──幼体のようで背に生える羽は、萌える幼葉のように薄い。
ドレイクの眉尻が吊り上がった。
幼体の竜の首筋には切り傷があり、そこから細い赤い筋が下へ流れていたのだ。
「特に同じ種の竜同士の結界なら──無理に力で壊さなくても、ほんの数滴の血で充分なはず。この竜は幼いから、そもそも力で壊すことは期待してないからねえ」
──止まりなさい!
カーリナの声が響く。
自分を飛び越え幼竜を救おうとしたドレイクの目論みに、カーリナは瞬時に気付き左手──主に攻撃魔法を繰り出す方を幼竜に向けた。
「……」
無表情だが怒りで赤い瞳をたぎらせ、自分を見つめるドレイクにカーリナは悠然と微笑んだ。
「竜は生命力が逞しいわ。五体バラバラにされたってすぐには死なない。あの竜だって、今まで相当血を抜いて利用したけど細々と命を繋いでる──ああ、でも、この結界を消滅させる頃には命が尽きそうよ? どうする? ドレイク」
勝利を確信しているカーリナの微笑みは、少女らしさの全く無い、背徳の影があるものだった。
「助けたかったら、貴方自ら結界を消滅させなくてはねえ?」
「……あの竜はどこで捕らえてきた?」
「知りたいの? 知るためには『代償』が必要じゃなくって?」
「──人の成りをして暮らしていた者を捕らえたのか?」
「私の話を聞いて無いのかしら?」
「どうなのか聞いているんだ!」
「うるさいわね! 知りたければ『代償』をよこしな!」
「コンラートの魔法日記だろう、大方! 探しに私の部屋に忍びに来たのは承知だ!」
しばし静寂が起きた。
ぽたり
幼竜の血の最初の一滴が池に落ちた。
「あーら、言い合いしている暇があったらさっさと決断したら? ──でないと、あの竜が死ぬわよ?」
「……出自など、どうでも良い。幼竜と魔法日記を引き換えだ」
「結界を解きなさい。それが先よ」
「『代償』と引き換えと言うなら、それでは同等に価しない」
ギリリ──とリシェルの口元から歯軋りの音が聞こえた。
「じゃあ、脅迫と鞍替えしようか!」
後悔するが良い! 池に向かって伸ばすリシェルの左手が握られる。
「キィエエエ!」
幼竜の首が捻られ、痛みで泣き叫んだ。
絞られるように一滴・二滴と血が池に落ちるその時──。
「──どりゃ!」
池の反対側から勢いを付けルーカスが飛び、幼竜をキャッチすると刹那、姿が消え再び池の反対の陸地に現れた。
「──な……どうして!? 私に気付かずれずにどうやってここまで!?」
じりじりと近付くドレイクから距離を取りながら、カーリナは驚愕した。
「私が気配を消す魔法を施行したからよ~。周囲に違和感無く溶け込むように気配を消すまでの実力、そう滅多にいないでしょ~、カーリナ」
ルーカスの後ろ──後衛を担当するエマが顔を出した。
「エイルマー……。オカマになったと言う話は真だったか……」
上から下まで染々と見つめるカーリナに
「性転換! おかまじゃねーよ! エロキチストーカー!」
と怒鳴った。
エマの台詞にカーリナの顔は、瞬く間に怒りで真っ赤に染まる。
「エロキチはあんたでしょ! そんな胸でかに形成させて、バランス悪くて気持ち悪いんだよ!」
「はあん、負け惜しみ? だったら幼女の身体から乗り換えたら? 前の前みたいにさあ? ──あっ、ごめーん。前の身体は『本物』だったけど、お胸は残念だったわよねえ~」
あかんべーをしながら嫌みを言い返すエマに、カーリナは全身を朱に染めて怒っている。
まさに怒髪天を衝くと表現して良い。
その様子が面白いのか、エマはますますからかい出した。
「大丈夫! 女は胸じゃないわあ。性格よぉ。──あ、でも性格も最悪だったわね~。それでコンラートにフラれたんだしぃ。やだあ、カーリナったら良いとこ全然無いわあ~」
「コンラートにフラれてないわよ! エイルマーーーーー!!!」
怒りで髪が逆立つ──その表現そのままのカーリナは、すっかり我を忘れていた。
その隙をドレイクは見逃さなかった。
「──Tule hangout punainen rot maasta(地腐の赤い溜まり場より来たれ)『腐植の滓』」
「──!」
カーリナの足元から一瞬にして伸びてきた蔓のようなものは水泥で、水音を立てながら腐臭を漂わせカーリナを囲む。
「うぅ……」
ジュルジュルと水泥混じりの音を壮大に立てながら、隙間を埋めていく。
「ドレイク! 駄目だ、彼女の身体まで腐り果ててしまうよ!」
後から追い付いてきたロジオンが止めに入ってきた。
同時『腐植の滓』の動きが止まる。
「『魂替え』で、元の魂はまだ生きている! 魂を元に戻さなくては!」
そう訴えるロジオンをドレイクは冷めた目付きで言い返す。
「『魂替え』は、時間をかけて試行する魔法。更にお互い了承した上でないと拒絶が返ってきて、どちらも消滅してしまう。成功しているところを見ると互いが了承でしょう。──躊躇う必要はありません」
「相手はまだ小さな子だよ……? 訳もよく分からずに交換したかも知れない」
「無駄ですね。この女が元の身体に戻ることなど承知するはずがない」
──ジュル──
音をたて再び動き出す『腐植の滓』
ロジオンの瞳が一瞬だけ煌めいた。
「Pyritte palaamaan kotiin pesäpaikka tahraama kipeä pohja laho(腐底の住処に戻り穢れた褥の温床に励め)──『赤い溜まり場の勇士達に戻れ』」
『腐植の滓』
世界は幾つにも分かれ、独自に発展した世界を創り上げていると言われている。
分かりやすい例で言うと『水』や『火』などの特性を持つ者達(精霊と呼ばれている)の世界に介入し、そこに住む者や対武器の力を借りる──『召喚』である。
この『腐植の滓』も異世界の水溶植物を召喚したもので、自らの根本に脳を携える。
──所謂怪物
だが脳は持っていても知能は低く──そうとは言え、プライドは高く凶暴である。
コンタクトを取りやすい異世界植物であるが、そのプライドの高さゆえに滅多に従わず、気に障ると召喚者にまで攻撃するし、召喚したらしたらでなかなか帰らない。
扱いにくい怪物で、水の性質を得意とする者達も、そうそう召喚しないのだ。
その怪物を召喚し、見事に操って見せたのが──コンラートである。
コンラートの召喚魔法をドレイクが施行したところを見ると、彼が魔法日記を読み進めていることは明らかであった。
──そして、ロジオンは──?




