32 初恋、失恋、恋敵(3)
「エマは東のリ二シュの国の出でね……向こうの言語で書くと『EiRUMA』なんだ」
ロジオンは三人の前で、羊皮紙にスペルを書いて見せた。
「それで頭文字の『E』は『エ』……後ろの『MA』は『マ』と呼ぶわけ…。そこの国独自の名前のスペルだから……まあ、今の本人見ても思い付かないよね……」
EとMAに丸を付けられた羊皮紙を見て呆然とするハインとエイルマーは、すっかり気の抜けた炭酸水のようだった。
「……それは分かりましたが、ロジオン様……エマ……いゃ、エイルマーは何故──」
「『エマ』で良いよ……と、言うより……そう呼ばないと……男女問わず恐ろしい目に……」
「……あったんですね……ロジオン様は……」
真っ青な顔で頷くロジオンは、過去の経験を生かした助言だと、はた目でも分かった。
共に頷くルーカスも同様であった。
アデラは一つ咳払いをして、話を続けた。
「エマ殿はそのぉ、いつから……なんでしょう? あのように女装を?」
「女装じゃないんだ。今、女性化している最中なんだよ」
と、ルーカス。
「女性化?」
アデラの再問いかけにルーカスは頷くと、説明を始めた。
「手っ取り早いのは薬を引用したり、まあ、身体に手を加えたり──なんだけど、薬だと定期的に服用しなければいけないし、身体に傷を付けてだと後々に後遺症が残るかもしれない……だから、自分の魔力を使って自身を変化させるんだよ」
「そんなことまで可能なのですか……魔法と言うものは万能なのですね」
感心しているアデラに
「いや……可能だけど、実際施行するとしたら……大変だよ」
とロジオン。
「うん、そう。身体の造りは勿論、骨格やら皮膚やら筋肉量や脂肪にホルモン等々──変えていかなきゃいけないからね。一日二日で出来るものじゃない。時間を掛けてゆっくり変化をさせないと狂いが生じる」
「では──エマ殿はいったい何時から……」
「僕がエルズバーグに向かう前に……一度会った時は……今のエマになっていた……」
「吃驚したろう……? その前はまだ男の成りだったし……」
ルーカスの言葉にロジオンはゆっくりと首を振り
「いや……その時より、数年会っていなくて……その後の方が……。筋肉質の体育会系の姿のまま……女物の服を着て現れた時の……あの……」
「ああ……それな……声が先に女性化したから……それで我慢が出来なくなった……らしい……」
思い出したのか二人、脂汗を掻きながら紅茶を飲んだ。
「それを聞くと、随分長い時間が掛かるようですね……」
「僕が生まれる前から……やっていたらしいからね」
「俺が気付いたのは、もう少し前──魔法を施行する力が弱くなって『終わりの時』が近付いてきているのかと思って尋ねてみたら──って訳でね……成人した身体を形成し直すからなあ、少しずつとは言え相当量魔力を消費するもんなんだな、と」
「じゃあ……エマは今よりずっと魔力があるわけなんだ?」
ロジオンが驚いたようにルーカスに聞いたが、いつものゆっくりとした口調が少々早くなっただけで、あまり驚いたようには見えない。
「『結界』の魔導師と成りうる人材だったんだ」
「『結界』……? 称号でしょうか?」
「ああ、そうだよ」
「称号は四大元素の『火』『水』『土』『風』しかないかと思ってました」
アデラの言葉にルーカスは首を横に振った。
「それは『元祖』とも言われているもので一般的に有名なものでね。実際は地上にある、有りとあらゆるものの物質に対して、それぞれ得意としている者達がいるんだ」
納得したように頷くアデラにルーカスは話を続ける。
「本当なら今頃は魔導師なはずなんだ。『結界』の称号まで付いている魔導師になっていただろうに──それより『女』になることを優先してしまったんだよな……」
眉間に眉を寄せ喋るルーカスは怒りと言うより、憤懣やる方ないような表情に見えた。
話が一区切り付き、ふらり──と、エイルマーは立ち上がり、よたよたとした足取りで小城から去っていった。
「お騒がせな人だね……」
ロジオンの言葉にアデラは同意した。
「またすぐに新たな恋に出会って立ち直りましょうから」
「そう言うもの……?」
「あやつは、そう言う奴なのです」
「ふ~ん……で、 アデラ……君は彼を追わないの?」
「何故です?」
「何故って……付き合っていて……君が心配だから追いかけてきたんじゃないの? 彼?」
アデラの首が思いっきり横に振られる。
「何をおっしゃいますか! 私と奴の間に、そのような事実はありません! ただの同僚です!」
「ふ~ん……。でも……彼はそう見てなかったようだよ?」
「いつも宮廷城の誰かに勝手に惚れて、脳内で付き合っていると言う設定にされてしまうのです。──これで何回目なのか知りませんが……」
「……思わせ振りな事をしたんじゃないの?」
「い、いいえ! 決してそんなことはありません!」
確かロジオン宅で徹夜をして帰った日、起こされ何故か説教されて
──その時、眠い中、いい加減に相づちを打っていた―
その時、エイルマーに勘違いされたのだろうと言うことは間違いないだろう。
まだ私に粘着しているならまだしも、途中で対象人物を変えたから特に主に話す必要はないだろう──アデラはそう思っていた。
(しかし……適当に相槌を打ったことが、思わせ振りな言動になってしまって、このような騒動までに発展しまったのだよな……)
そう考えるとアデラは居たたまれなくなり、ロジオンに頭を垂らした。
「申し訳ありません……」
「何故……謝るの? 向こうが思い込みで乗り込んで来ただけなら……アデラは謝る必要がないでしょう? それとも……彼が誤解をするような言動をしたの……?」
この時、主の様子が違うことにアデラはようやく気付いた。
周囲の雰囲気を察することに長けているハインは早々に部屋から退出しており、無頓着なルーカスは暢気に茶のお代わりをしていた。
一年前、初めて顔を合わせた時と同じ、平坦で冷たい口調。
固い、何の感情も見れない表情。
「どうなの……? アデラ」
「そ、それは……」
向けられたロジオンの眼差しの冷たさは、どこか軽蔑の光が宿っているようでアデラは思わず俯いてしまった。
「……」
「……」
ロジオンはじっとアデラを見つめ
アデラは、ロジオンの視線を避けるように俯く。
よろしくない雰囲気の中、空気を読まないルーカスは一人茶をすする。
「アデラ、何か食べるもの無いかな?」
茶だけ飲んでいて胃が刺激されたのか、ルーカスが徐に尋ねた。
はっと顔を上げたアデラにロジオンは
「菓子でも出してあげて……」
そう言って立ち上がると、先に扉に向かって歩いて行ってしまった。
「ロジオン様、どちらへ?」
「ドレイクの訓練の続き……もう時間だから」
しばらく邪魔しないで──そう言うと、振り向きもしないで部屋から出てってしまった。
「ロジオン様……」
呆然とするアデラに
「ついでにこの紅茶、渋くなってるから湯を足してくれると嬉しいんだけど。後、お菓子は栗が良いなあ。出来れば焼き栗じゃなく甘く煮たもの」
と、またもやルーカスは空気を読まない発言を繰り返した。