31 初恋、失恋、恋敵(2)
「お前……一体、何の用なんだ?」
鬱陶しいのがやって来た──アデラは、そんな様子を隠さずにエイルマーに応対した。
当のエイルマーには、そのような意思は目下伝わっていない。
それどころか、小さな瞳を潤ませてアデラに迫り、距離を縮めてきた。
「良いんだ、アデラ……君の気持ちは分かっているよ。何も心配はいらないよ。全てを承知で俺はこうして迎えにきてやったんだ……」
「──やったんだぁ? いや、その前に私の気持ち? 分かっている? 何を分かっているんだ?」
妄想が入っていると思われる目線上の台詞に、アデラは頭を抱えた。
「自分の身の上に危険が及んでいるのを知ったから、俺を冷たい態度で遠ざけたんだろう? ぁあ! 俺は何て罪作りな男だったんだ! 君の気持ちに気付かずに苦しみの渦中に放り込んでしまった! 太陽の光を受けて輝く砂漠の砂のような君、このような薄暗い陰気な城に閉じ込める悪い魔法使いから救いに来たんだよ!」
「……色々間違いすぎてどこから突っ込んだら良いやら……」
酔いしれているエイルマーは、かなり質が悪い。
騎士としての腕と素質は筋金入りなのに、女性に対する思い込みの勘違いも筋金入りなのだ。
頭を抱えているアデラの腕を掴み、エイルマーが切り出した。
「危険をかえりみず君のために迎えに来たのだ! さあ! もう本心を隠す必要など無い! 私の胸に飛び込むんだ! そして共に帰ろう!」
「主を置いて帰るわけがなかろう! 妄想ではっちゃけおって! 帰るなら一人で帰れ!」
アデラは掴まれた手を払いエイルマーに怒鳴ったが、彼は呆れながら大きな溜め息を付き首を横に振る。
「はあ……君はどうしてこうも素直じゃないんだ? それともロジオン王子に惑わされたままなのか?」
「貴様の頭の中が煩悩だらけなのだ!」
「アデラ……私は君が王子の欲望に純潔が王子に散らされていても構わないのだよ? 心身共々ボロボロになった君を癒してやれるのは私だけだ……さあ! アデラ、私の胸に飛び込んでおいで!」
高ぶった感情そのままに両手を広げ、エイルマーはアデラを誘う。
──今度はアデラが溜め息を付きながら、首を横に振る番だった。
(どうしてこう言葉が通じないんだ……)
どうしよう。
追っ払って早々に宮廷に戻って欲しいが、こいつは一筋縄では行かないのはよく知っている。
(エイルマーより、がたいの良い奴数人に連れていって貰えれば良いんだが……)
残念なことに小城には、該当する人物はいない。
ドレイクが見かけによらなそうだが、こんな面倒なことに協力してくれそうもない。
「この面白そうな人、誰?」
異邦人より酷い相手をどう追い返そうか思案を巡らせているアデラに、後ろから声をかけてきた人物──ロジオンだった。
*
「ロジオン様──ぶっふ」
アデラが無様な声を出したのは仕方ない。
エイルマーがアデラを押し退けた際に、彼の腕が彼女の顔に当たったのだ。
庇う姿勢を取ったらしいが、顔面強打では庇われた方は迷惑である──特にこの場合では庇われたくない男に庇われているのだし。
しかし、庇った方の男──エイルマーは自信満々・英雄気取りで胸を張り堂々とロジオンに物申していた。
「ロジオン王子! 立場を利用し相思相愛の男女を切り裂くことは、神をも許されぬ行為ですぞ! 」
「アデラは……以前、付き合っている人はいない……と僕に話していたけど?って言うか、君どちら様?」
「しかも! 主従関係と言う逆らうことの出来ぬ者に、なんと言う不埒なことを!」
「……だから君誰なの?」
「人として恥を知らぬのですか!」
「だから……君名前は? どこの所属?」
「今、心を入れ替えればきっと神もお許しになりましょう! そして私もアデラだって貴方様の行為を許します!」
「だーかーら! 君誰!」
「聞いているんですか!」
「それはこっちの台詞だよ!」
エイルマーは肩が揺れるほど、大きな溜め息を付いて言った。
「なんと言うこと……。話し合いどころか会話も成り立たぬとは」
「「それはお前だ!」」
ロジオンとアデラ、二人声が揃った。
この騒ぎにエマとハインが顔を出してきて、新しい顔に首を傾けた。
「ロジオ~ン、今この辺りは出入り禁止でしょ~。どうして知らない顔がいるのぉ?」
腰を振りながら軽やかな足取りでロジオンに近付くエマの姿を見て、後ろで癒されているハインであったが──。
「──私は貴女を待っていました! 貴女こそ私の花! 生きる理由! 生涯の伴侶!」
ロジオンとアデラと口論していた男がそう言いながら、瞳を輝かせエマの手を握りしめたのを見た瞬間、あり得ない早さで間を詰めた。
「──おい! お前!」
しっかりと握りしめた手の握力はさすがで、ハインの腕力では離すことが出来ない。
エイルマーはハインなどその場にいるのに見えていないようで、相変わらず瞳を輝かせエマを見つめ、手を握られた当のエマは、目を見開いたまま固まっていた。
「アデラ」
ポカンと口を開けたまま、事の成り行きを見ていたアデラにエイルマーは顔を向けると、申し訳ない様子で口を開いた。
「アデラ……すまない。私は真実の人に出会ってしまった……。君の気持ちは嬉しいが、受け取ることは出来ない……。女性達を惹き付けて止めない私を許してくれ」
「「──はあ?」」
アデラとエマ、二人揃って疑問詞の台詞を吐いたが、疑問詞の内容が違うのは見てとれた。
(いつあんたと付き合った? つーか、私があんたに惚れている設定になっているのは何故だ?)
──アデラ。
(どうして私があんたと付き合うことになってんのぉ?)
──エマ。
脳に口があったなら、是非エイルマーに聞かせたい言葉である。
──例え聞こえても、彼の脳に入っていくかどうかだが──
「ちょっと!離しなさいよ!」
エマが手を揺さぶり逃れようとするが、エイルマーの手はますます固く握られていく。
「いっ──たいじゃないの!」
「恥ずかしがらなくても良い……私には分かっている、お互い目が合った瞬間に恋に落ちたことを……」
「……あんた、頭の病気?」
「恋の病と言えよう……」
エイルマーは自身の台詞にうっとりとしながら、エマを引き寄せた。
「ぎゃっ!気持ちワル~! 筋肉系好みじゃな~い!」
「またそのように……何て可愛い子猫ちゃんだろう」
「エマ殿を離すのだ! 勘違いもいい加減にしろ!」
どうにかして、エイルマーからエマをひっぺがそうとするハインとアデラ。
その様子を、途中から離脱したロジオンがやや離れて眺めていた。
(カオスだ──)
と。
確かにエマは可愛い。
そう思うが、昔の姿を知っているロジオンには、恋心も嫉妬心も沸き上がらない。
今思うのは──
(エマの過去を隠し続けるのは……いけないんじゃ……いや……でも)
焦りに躊躇い、この場を収拾しなくてはならない思いである。
「ちょっ……ちょっとみんな落ち着いてよ……」
声をかけ止めに入るが皆興奮状態で、ロジオンの声など耳に入っていなかった。
「私はぁ筋肉だけの頭空っぽな奴が一番嫌いなのぉー!」
「その通りだぞ! 離したまえ! 力で女性を屈せようなど!」
「いい加減にしろ! 団長に報告するぞ!」
その時──
「手を離せ―って何度言えば分かるんだよ? おい」
ドスのきいた低く野太い声が響き、皆、凍りついたように固まった。
──それもそうだろう。
その声はエイルマーの目の前──エマから聞こえたのだから。
「その薄汚ねえ手を離しやがれ、頭のイカれた筋肉野郎!」
エイルマーに向けられたエマの視線は、眼力が逞しい。
「──ヒッ!」
雰囲気のあまりの変わり様に息を飲み込んだエイルマーは、そのがたいからは想像できない高い声を上げ──そのまま身体が跳ね上がり、尻餅を付いた。
「エイルマー?」
アデラは何が起きたのか分からず、前屈みで尻餅を付いたエイルマーを見る。
「エイルマーだぁ? エイルマーっつーんか? この脳内筋肉」
エマの低い声音に慄きながらも「そうですが」とアデラは返事した。
「俺の名前と同じかよ! かぁー! ムカつくぅぅぅぅ!」
「「「―えっ……?」」」
アデラ、ハイン、エイルマー。
三人、野太い声に固まっていたが、新たな事実に完全に凍りついてしまった……。
「……自分から言っちゃったよ……」
あ~あと、少し離れた場所でロジオンは頭を押さえた。