18 穏やかな一時
朝、喉の乾きに目覚めたロジオンは目を擦りながら、のそのそと厨房に向かっていた。
厨房に近付くほどに臭う、焦げ臭さに一抹の不安を覚える。
「いや~ん、失敗しちゃったよ~ん!」
この無駄に語尾を伸ばして喋る黄色い声……。
「エマ……何焦がしたの……?」
厨房に入ってみれば、やはりそこには無駄にフリルの付いたエプロンを身に纏うエマの姿があり、黒い物体がこびりついてるフライパンを上下に振り回し落とそうとしていた。
「あっ、おはよ~。ロジオン、よく眠れた?」
「おはよう……。で、それ、何?」
「目玉焼き~。焦がしちゃった」
しっぱ~い! と舌を出して朝から絶好調にキャピキャピしているエマを朝から見てると、無駄に疲れる──ロジオンは心の中でそう呟くと「貸して」とフライパンを受けとると、フライパン返しで焦げを削ぎ落とす。
「堅焼きにしたかったの~。わたし、半熟苦手だし~」
上目使いで首を傾げながらロジオンを見つめ、言い訳をするエマにロジオンは背筋の寒い思いをした。
(慣れないなあ……)
以前のエマをよく知っているだけあって、どうも態度が硬化してしまう。
それでもなるべく平静を保とうとロジオンは努力していた。
「フライパンをよく熱して……油を少し多目に引くの。最初の片面を長めに焼いて……しっかりしてきたら返しを使って卵をひっくり返して……」
ほらっ──と、エマに見本を見せる。
「へぇ~。ロジオン相変わらず器用ね~。王子として生活しててもご飯は自作なの?」
「……何言ってんの。生活全般の家事やらなすぎるんだよ……師匠もエマも含めて他の魔法使い達は」
溜め息を付きながら、焼けた目玉焼きを皿に乗せる。
「だって面倒~。食べたら皿洗いもめんど~」
「腰振る暇あったらハムでも切ってて……そのくらい出来るよね?」
色仕掛けなのかただの癖なのか、無駄に腰を振り続けるエマに淡々と告げると、ロジオンは次々に卵をフライパンに割り入れた。
*
アデラの実家、ビアス家は縦長に並ぶ住宅街の内の中にある。
中流家庭そのものの家庭。
だが、今は亡き祖母には勿体無いくらい裕福な生活に思えたらしい──いつも太陽に向かって感謝の意を示していた。
いつでも祈りが捧げられるよう屋上を作り、一日の大半をそこで過ごしていた。
祖母が屋上に持ち込み、植えた色とりどりの草花をアデラは祖母の顔と重ねて見ていた。
国の恩義に応えるため、次世代のアサシンを育てようと躍起になっていた祖母。
今は祖母のかつての仲間達が育てたアサシン達が、影で暗躍している……。
「お姉ちゃん、ここにいたのね。何してるの?」
屋上に続く階段を登ってきたのは、妹のラーレだった。
「あら、ラーレもお休みだったの?」
「感謝祭近いでしょ? 休暇と言う名の巡回よ」
職業が自由に選べるエルズバーグでも、世襲制は存在する。
アサシンの家系はアサシン──アデラがアサシンを降りた現在は妹・ラーレが受け継いでいた。
肩まである素直な黒髪を揺らし、ラーレはアデラが腕に下げている籠の中を覗く。
「ハーブ摘んでるんだ」
「お祖母様からのハーブは香りが高くて評判が良いからね。手土産に持っていくの」
「母さんから聞いた。第五王子に頼まれてるんだってね」
手伝うよ──と、ラーレもハーブを摘んでは籠に入れる。
「でも、よく懐いたね~。悪臭王子」
「懐いたって……犬や猫みたいな言い方を……」
「だって、今までずうううっと付き人拒否してたじゃない。もう噂だよ? どう手なずけたのかって」
「ああ……」
アデラの肩は溜め息で揺れる。
ラーレは普段はアサシンとしての顔を隠し、王女達のその他大勢の侍女をしている。
どうロジオン王子を懐柔したのか──あの噂が宮廷中飛び交っているのだろう。
「恋愛音痴のお姉ちゃんに限って、誘惑して懐柔させたなんて私は信じてないけど」
「そのまま信じないでいて」
「うん、お姉ちゃんに女の色香を使って相手を手込めにするなんて、無理無理」
「そうそう」
ちょっぴりグサッときたが、事実なので素直に頷くアデラ。
「やるとしたら、拳で言うこときかせる感じだもんね」
「……」
「いくらお姉ちゃんでも、王子の身分の人にその辺のガキンチョ相手するみたいに、拳を振らないよねえ」
キャラキャラと笑うラーレの傍らで、アデラのハーブを摘む指が小刻みに震えた。
その微妙な変化に気付いたラーレは固まり、姉を見る。
「まさか……マジ?」
──妹よ、さすがだ──
嘘が下手な姉。
その目は真実を物語る。
──すいません、やりました──
「しかし、陛下から『多少乱暴な手を使って良い』と許可を頂いていたのだし……」
「いやあああ……だからと言って素直に拳で言うこと聞かせる? しかも『多少』だよ?」
「ぅぅぅううう……。やっぱ、まずい……?」
(やっぱ、この人に女らしい誘惑は無理だわ……)
ラーレは、相変わらず不器用な姉に安堵とこれから『彼氏いない暦更新』するのではないかと言う一抹の心配を抱き、溜息をつく。
「……噂の件と、このことはお父さんとお母さんには黙っとくよ……」
「うん……そうしてくれたら嬉しい……」
「姉ちゃんたちー! 朝飯だってさー!」
ぎょっとして二人後ろを振り向いた。
大きな声を出し、階段からニョキリと顔を見せた十代そこそこの少年はトニノ──ビアス家の長男でありアデラとラーレの弟である。
「もう少しハーブ摘んじゃうから。先に食べてて」
「早く来てよ。父さん、久しぶりに家族揃って飯が食えるってスゲエ楽しみにしてんだからさ」
「分かった分かった」
分かってんのかな~、とぶつぶつ言いながら階段を下りていくトニノを二人眺め、完全に気配が無くなったのが分かるとアデラは
「トニノにも内緒だからね。あの子、お喋りだから……」
と。
ラーレは頷きながら
「うん。口止め料は『シェルダム』の最新バックで手を打つから」
と、アデラの今月の給金が全部無くなる条件を出した。
同じ職場で働くものじゃない──アデラは半泣きで承諾することとなった。
*
朝食はドレイクも共に席に着いた。
勿論ロジオンも。
二人向き合う形で席に付く。
「これはエマが作ったのですか?」
切り分けした目玉焼きをフォークに刺しながら、ドレイクは誰にとなく尋ねる。
「ロジオンよ~」
エマの答えに、口に食べ物を運ぶドレイクの手が止まった。
無言でフォークを置くドレイクにロジオンは
「何も入れて無いよ。目玉焼きじゃあ入れようが無いでしょ?」
と、微笑む。
「昔、一服盛られたことを思い出しましたよ。まだ十にもならなかった君が
『初めて一人で作ったオムレツなの』
と、まあ、清純に瞳を輝かせて食べてくれと……。一口だけで即効で寝るって、一体どれだけの量を入れたんでしょうね? 睡眠薬を、君は」
「見かけと体積が相当違うと聞いていたもんだから……超大型動物用睡眠薬を……どの位だったかな? でも下剤や痺れ薬よりましだったでしょ……?」
「常人だったら、そのまま目が覚めなかったんじゃないですかね」
「──ほら……それはドレイクだから、そこは安心」
「……」
ドレイクの口角が上がる。
本人的には微笑んでるらしかったが、エマとルーカス的には怖かった。
(目、笑ってないよ!)
猛禽類のような厳しい視線の標的なのに構わずロジオンは、普通に食事を掻き込む。
ドレイクは気にもしないロジオンの態度に慣れてるのか、黙ったまま作り置きのチャパティを食べ始めた。
「ね~、ドレイク。今日はどうするの~?」
食休みの茶を飲みながらエマはドレイクに尋ねる。
取り合えず感謝祭まで池の中に閉じ込めておける結界は張った。
次は完全にコンラートを封するか滅するか──。
「コンラートは滅する方向と決定している。その一番有効な方法を考えねばならないな」
代わりにルーカスが答えた。
「取り込んだ水の精を傷付けずにコンラートだけを滅しなければなりません。それ相応の準備が必要ですね」
「やっぱ『聖光』?」
エマの台詞にドレイクは、ようやく瞳を細める。
「切り離すために『餌』がここにいるのですよ」
「『餌』でーす」
相変わらず呑気な口調でロジオンは手を上げた。
「本気で囮にするんですか?」
ドレイクの隣に座っていたルーカスが身を乗り出し問う。
「そうよ~。失敗したらロジオンがコンラートになっちゃうじゃな~い。嫌よ~エロ親父系ロジオンなんて~」
「エロ親父……」
新たな異名が生まれそうだと、違うところで内心ビク付いたロジオンだった。
「やれやれ……」
ドレイクは立ち上がると、呆れたように三人に向けて言い放った。
「何の為に私が出向いたと思ってるのでしょうね? 魔承師補佐の私が。貴方達で出来るんなら私がわざわざ出向く必要はありませんよ」
そうして
「ロジオン、一緒に来なさい」
と促すと、ロジオンを連れて、黙りこくるエマとルーカスを置いて部屋を出ていった。
「……むかつく」
唸るエマに
「声、戻ってるぞ」
と、ルーカス。
「あらっ、いっけな~い」
と、エマは黄色い声で舌を出す。
「エマが腹立つのは分かるが、ドレイクの実力は確かだしな……長い時で培ってきた技も経験も、元からの魔力もさ」
「……魔力なら」
「うん?」
「ロジオンの方が高いわよ」
ぼつりと言ったエマの台詞にルーカスも「うん」と頷いた。
「だからさ、魔承師様も色々と考慮して我々も派遣したんだろう? 」
「それもドレイクは嫌なんだろな~。やんなっちゃう!」
ブツクサ言いながらエマは窓の外を眺める。
マントを羽織り、既に外を歩いているドレイクとロジオンがいた。
次回は9/29です。