第3話:飢饉
太陽は人々の真上に差しかかっている。
今日も容赦ない日差しが、近江の国に降り注いでいた。
貴世と名乗る依頼人の老人は、懐から大きな握り飯を取り出した。
鳥絵は、その白くつやつやとした表面を、思わず凝視した。
「どれ、ひとつ食べるかな」
貴世が、三つある握り飯のうちの一つを鳥絵に差し出した。
鳥絵の細い腕が握り飯に伸びる。
「ありがと、貴世さん」
両手の中にずっしりと感じられる握り飯を目の前にし、鳥絵は口の中いっぱいになった唾をごくりと飲み込んだ。
「い、ただきます」
小さくそう口にすると、鳥絵はひと口、握り飯にかぶりついた。
うまい。
久しぶりに感じる米の味である。
口の中で何度も咀嚼しているうちに、それは甘味を増してゆく。
うまい。
鳥絵の目に涙がにじんだ。
みんなにも食わせてやりてぇな、と思ったが、その思いはすぐに立ち消え、目の前の握り飯に二口、三口とかぶりついていた。
握り飯ひとつで腹いっぱいになり、鳥絵は改めて貴世を見つめた。
貴世は二つ目の握り飯に手を付けるところだった。
「貴世さん、俺たち、どこかで会ったかな」
自分でも不思議に思われたが、鳥絵はそんなことを口にしていた。
「いや、はじめてだよ」
貴世は握り飯をほおばりながら答える。
「ふーん、まぁいいや。これから、どうするの?」
仕事の依頼人に詳しいことを聞いてはいけないというのが決まりだったが、気のゆるみから、鳥絵は思わずそう尋ねていた。
貴世はくしゃくしゃの顔を更にくしゃくしゃにしながら、
「そうだなぁ、とりあえず、隣国まで荷を運びたいが、その間、この国でも商いがしたい。どうだ坊主、今この辺りで一番大きな市を知らんか」
と尋ねた。
鳥絵は目を真ん丸にして驚きを露わにした。
「この国で商い?無理無理!ここ数年ずっと飢饉でみんな生活に困ってるんだ。食い物が足りなくて物の値段が上がってて、みんな金貸しに金を借りてるんだ。知らないの?」
鳥絵の説明を聞き、貴世は細い目を見開いた。
「風の噂で近江国が飢饉に見舞われて久しいことは知っていたが、いやはや、こんな有様だとはなぁ。坊主も大変だな」
そう言うと貴世は足元で毛づくろいをしていたテンを抱き上げ、膝の上に乗せ、ゆっくりとした手つきでなで始めた。
「別に。弱音を吐いたって食べ物が降ってくるわけじゃなし。それに、俺の名前は坊主じゃなくて、鳥絵。鳥絵って言うんだ」
貴世は鳥絵を見やって目を細める。
「そうか、坊主は鳥絵というのか。いい名だな」
鳥絵はてっきり貴世が同情や励ましの言葉を口にするのかと思ったが、そんな言葉がひとつも出てこなかったので、なんとなくこの老人を好ましく感じた。
「近江国にいる間は親父の世話になるんだろう?その間、俺が町を案内してやるよ。今じゃあめっきりしけた町になっちゃったけど、これでも商いで栄えた町なんだ」
鳥絵はそう言って、貴世とテンに笑顔を作って見せるのだった。




