抑止力
「彼らの会話を待っていたら、日が暮れてしまいそうですね。私から推測できる範囲でお伝えしましょう。」
それまで黙って聞いていたトールは、そう言ってため息をついた。
あれは会話のうちに入るのだろうか。
宙に浮いて魔法を撃ち合っているのだが。
「エントがミア様のアイザック様に対する動向を気にする理由は、ひとえにアイザック様の身を案じてのことです。先生はあのエントをもってしても理解しがたいほど強い。解放派が教会を根城にしている今、そこに所属しているあなたに、防げない火の粉がかかることを恐れているのです。」
「なるほど。しかしあのエルフはどう見ても温厚そうだ。解放派は腐っても魔族と人間の平等をうたう組織。おまけに私はほとんど王都になぞ行かん。そこまで不安になることだろうか。」
「エントにはそれが理解し難いのでしょう。見ての通り、魔法の強さが全ての世界で生きてきた、古い魔法使いですから。」
トールはそう言って宙に浮いて戦う、魔法使いたちを見上げた。
私が先生の抑止力になり得るか。
それは分からない。
見ている限りでは、先生は私に愛情を持って接してくれている。
けれど、どんなに目を凝らしたって結局のところ、人の心など分からない。
「私なんぞを当てにするなんて。抑止力として随分とお粗末だと思うけど。」
先生は首輪の契約者に人間を傷つけないように命令されている。
けれど、先生は命令をねじ伏せるほどの魔力を持っているのだ。
対する私は魔法も使えないひ弱な人間で、彼の魔法の前では手も足も出ないだろう。
「私は決してミア様をお粗末などとは思いませんが、エントはそれ以外にできることが思いつかなかったのでしょう。そして、私の知る限りでも、最も有効かつ唯一の手段です。」
魔法で対抗できない以上、いざとなったら情に訴えかけようと思ったらしい。
私は上空で容赦なくナギに魔法を浴びせるエントを見て、不思議な気分になる。
あのエントがそれほど恐れるほどのものなのか。先生の魔法は。
「まぁ、先生に会ったら言っておきます。アイザックさんはお世話になっているので、万が一、解放派が気に障っても大目に見てほしいと。まあ、先生はよっぽどのことがない限り気にしないと思いますが。」
5年間、ずっと先生と一緒にいたと言っても過言ではないが、彼が怒っているところなんて見たことがない。
「ミアさんのようなお嬢さんに気を使われるようなことでもないんだが、まあ、それでご老人が安心できるなら、ありがたい申し出だ。」
アイザックさんは少し気まずそうな顔で頷いた。
「エントがそれほど心配しているなら、騒ぎが収まるまで解放派とは距離を置いても良いのでは?」
アイザックさんとてエントを不安にさせることは本意ではないだろう。
解放派から離れてしまえば、エントがそんな杞憂をする必要もない。
「……まあ、それも良いとは思っているのだがね。実際、元々いた穏健派の同志の数名は、今の穏健派の空気が合わなくて距離を置いている。」
アイザックさんはそう言って悩まし気にため息をついた。
何か懸念があるのだろうか。
「それと同時に、このまま解放派を野放しにして良いものだろうか、とも思っている。強硬派に属するのは、国の頂きに手をかけようと欲が湧くほどの権力者たちだ。そんな権力のある貴族連中が、急に増えた穏健派の人々を良きように利用せんとも限らん。」
人々の安全を守る騎士団長は、そう言ってまたため息をつくと、ソファに深く沈んだ。
こういう、知らない他者まで想って行動できる人を、素直にすごいと思う。
私だったら大切な人だけ連れて安全なところに逃げるだろう。
「……アイザック、お前は私の心配など気にせずとも良い。好きなところで好きに生きよ。」
声がする方をふり返ると、回復魔法をかけながら、エントが地面に降りてきていた。
魔法で私たちの会話を聞いていたらしい。
「そうは言っても、私は好きでご老人を気にしているのだ。けれど、まあ、あなたがそのように背を押してくれるのなら、今しばらく解放派にとどまることにしよう。」
アイザックさんはそう言って晴れやかに笑った。
その様子をエントは穏やかに見ている。
高い背から見下ろす様子は、まるでアイザックさんを見守っているようだった。
その後、私たちは好きなだけ庭を堪能した。
忙しいはずのアイザックさんも、私たちとは離れたところでエントとのんびり庭を散歩していた。
そもそも人間なのに忙しい彼が変わっているのだ。
仕事は魔族に任せて、人間は遊んで暮らすのが普通だ。
まして貴族なんて、お金のことを気にしなくていいから好きに時間を使うことができる。
仕事と社交に熱心な彼だから、これほど忙しいに違いない。
「忙しくても、庭を散歩する時間くらいは作っても良いのではないでしょうか。」
私は来たときの3倍くらい花がほころんでいる庭を見て、思わず呆れた顔をしてしまった。
「……そうだな。」
アイザックさんはそう言ってエントを見た。
エントは至っていつも通り無表情だったが、この花の咲き誇り様は彼の仕業に違いない。
「……好きにしろ。」
エントはやっぱり無表情でそう言ったが、近くのつぼみがまた一つほころんだ。




