心変わり
御者は私たちを約束通り街の近くまで届けた。
「防音の魔法を使ってたの?」
私はナギに尋ねる。
獣人は耳が良いので、馬車の中の会話くらい聞こえるはずだ。
もうすぐ警備隊が攻めて来るという話を聞いて、逃げ出さない者はいないだろう。
「使っていないよ。あの獣人は警備隊より強い魔族の命に背くことを恐れたんだ。馬車の中には私も乗っていたことだしね。」
魔族の世界はずいぶんと弱肉強食である。
強い者が弱い者を支配する。
魔法という圧倒的な力の前には、首輪の契約などなくてもひれ伏すしかないのだろう。
「ナギも首輪がなければ私を奴隷にして飼いたいと思う?」
彼は強い魔族だ。
首輪がなければ魔法で私を脅すことなどたやすい。
「あれはね、弱い者が自分と全く別の生き物だと思うからできることだよ。私は君に恋するほど君を身近に感じているんだ。怖がらせないようにもっともっと慎重にすり寄るだけだよ。」
彼は私との契約が切れた時点で自由になれたはずだ。
けれど、他の誰かと再び首輪の契約をして、私を助けに来た。
「これって誰と契約したの?」
私が手を伸ばすとナギが屈む。
首輪の表面に現れた契約済みの模様を指でたどった。
「先輩だよ。街に入るためにどうしても契約済みの首輪が必要でね。」
ナギは何でもないことのように言った。
「ナギは本気で私のことが好きなの?」
首輪をぐいと引っ張って強引に目線を合わせる。
縦長の瞳孔を持つ金の瞳、光を透かすうろこ。
人間とは全く別の生き物。
「愛しているよ。」
400年生きた人魚はそう言って妖艶に微笑んだ。
私はさすがにもう、認めざるを得なかった。
ナギは本気で私を恋愛対象として見ている。
「やめた方がいい。」
「主様。」
「やめた方がいいよ。ナギ。」
私の病的な人間不信は治りそうにない。
ナギの首輪は多分もうずっと外すことはないだろう。
私は一生、ナギを恋人にすることができない。
「主様。君はまだ10年くらいしか生きていないでしょう?そんなにすぐに心変わりするはずもないよ。」
ナギは悲しんだ様子もなく、ひどく穏やかな声でそう言った。
私を腕の中に抱きしめて、落ち着かせるように背を撫でる。
「それにね、私のように長く生きる者は、あんまりすぐに心が動いたりしないんだ。今から頑張って主様への恋心を忘れようとするでしょう?そうしたら吹っ切れるのは100年後くらいかな。少なくとも主様が生きている間はずっと好きだろうねぇ。」
ナギはのんきな声で言った。
「じゃあ気軽に恋なんてしたら駄目じゃない?」
少なくともぽっと出の小娘にすることじゃない。
相手をしっかりと見極めて恋愛しなければ、100年も無駄にすることになる。
「だから400年も生きてようやく初恋なのではない?少なくとも、これまでこんな気持ちになったことはないよ。」
ナギは私を子供のように抱えると、街へ向かって歩き出した。
「じゃあもうどうしようもないの?」
「そう。もうどうしようもない。だから、主様は私の恋心に付け込んで、私を好きにするといいよ。どうせ何をされたって、嬉しいのだから。」
ナギはそう言ってうっとりと笑った。
私はナギの両肩に手をついて、あらためてじっくりと顔を見る。
もうどうしようもないと言うのなら、こんなに美しい生き物が私のことを本気で好きだと言うのは、悪い気がしなかった。
街へ入る門の前にはいつもよりたくさんの衛兵がいた。
私の姿を見つけると、すぐに詰所の中に案内される。
大柄で存在感のある男が一人、ドンと偉そうに座っていた。
私を視界に入れると、張り詰めた顔が緩み、安堵の表情が浮かぶ。
「お嬢、無事でよかった。」
「先輩、髭そったらモテるって本当だったんですね。」
普段のむさくるしい、近付きがたい雰囲気が消え去っている。
これで地位も金もあるのだから、本当にモテるのだろう。
「気にするとこそこかぁ?けど元気そうで安心だな。」
先輩は拍子抜けしたように笑った。
「おかげさまで元気です。色々助けてもらったようで、ありがとうございました。」
「おう。お前のせいじゃねぇ。気にすんな。」
そう言って先輩はいつものように豪快に笑った。
「……ナギを私のもとに返してもらえますか?」
私は少し緊張しながら、そう口にした。
「当然だろ?将来有望な後輩の魔族を、混乱に乗じて奪ったりしない。」
そう言って先輩がナギの首輪に触れたので、私も慌てて首輪に触れる。
私が振れやすいように少し屈んだナギの伏せた瞼が、少し震えた。
指先に軽い痛みが走ると、首輪に新しい模様が現れる。
ナギは目をゆっくりと開くと、恍惚とした表情を見せた。
「あぁ。確かに、これはたまらない。世界で、君が無条件に安心できる人が、私だけだなんて……」
人前でとんでもないことを言い出したナギの口を、慌ててふさぐ。
「俺は頼まれたって、お前の魔族をこのまま引き取りたくなんてねぇよ。命令なんて無視して、お前のもとに飛んでいくだろう。仕事にならねぇ。」
先輩はガシガシと頭を掻きながらそう言った。
「天下のギルド長が弱気なことですね。」
「バカ言え、事実だ。よく見て考えれば分かるだろ?犬の獣人にも早く無事を知らせてやれ。俺はあれの手綱を握るのも御免だ。」
「そんなもの、もうとっくにしましたよ。放っておいたら、やりすぎなくらいやっちゃいますから。」
私の言葉に先輩は顔を引きつらせる。
「早くあいつを引き取ってくれ。」
「心配しなくても、どうせすぐそうなります。」
私はそう言って、得意げに先輩を見た。




