捧げ物【トール視点】
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
私は迫りくる魔物を無視して大急ぎで街に引き返そうとした。
「トール。落ち着いて。お願いだから。」
ナギが私の腕を力強くつかみ、懇願するように言った。
いつの間にか魔物はナギの魔法で一掃されている。
「首輪の、首輪の契約が切れました。ミア様の身になにか……」
「分かっているよ。でもこの状態で街に戻ったら警備に捕らえられて本当に二度と会えなくなるかもしれない。」
「二度となんて……首輪の契約が突然切れたなら、どうせ二度と、二度と……」
会えない。
冷静になればなるほど最悪な現実が突きつけられる。
目の前が暗く陰り、世界が真っ黒な雲で覆われたようだった。
「私が主様につけている加護は並の物じゃない。おまけにまだエルフの加護もいくつか残ってる。あの状態の主様を亡き者にするなんて不可能だよ。」
ナギは努めて穏やかに、そう言った。
いつもは世間知らずの子供のような人魚は、けれどやはり途方もない年月を生きた大人なのだ。
私は震えを抑えるために深く息を吸う。
その合間に最速でミア様の元にたどり着く方法を考える。
私ができる最大限のこと、いつだってそれをミア様に捧げるだけだ。
「ナギ、ミア様の位置は特定できますか?」
「分からない。街から遠すぎる。」
「では、まず街に入れるようにいたしましょう。遺跡の奥にいるであろう先輩は探せますか?」
「それなら分かるよ。」
「ではそこへ転移して事情を説明し、首輪の契約をしてもらってください。その状態で街に入り、ミア様を探索してください。」
「分かった。」
ナギはそう言って一瞬で消えた。
彼なら上手く説明するだろう。
ミア様が先輩と呼ぶ男はミア様に仕事仲間としての情がある。
よほどの不利がない限り協力してくれるはずだ。
しばらくして、通信用の魔法で作られた鳥が飛んでくる。
鳥がくわえた紙には走り書きでこう書かれていた。
『この街にはいない』
その言葉を飲み込んだ瞬間、また一段と視界が暗くなったように感じた。
『私も先輩と契約します。街の外に連れてきてください。』
私は紙の裏にそう書いて、鳥にくわえさせた。
契約していない魔族は街に入れない。
ミア様以外の人間と契約するのは不本意だが、手段を選ぶことはできなかった。
「警備隊に事情を説明して捜索している。」
熊のような大男は真剣な顔でそう言った。
私の首輪は契約の模様が現れている。
「分かりました。私たちは街から出て捜索します。何かありましたらてきとうに命令をして伝えてください。」
契約者の命令はどんなに離れていても聞こえる。
「首輪を便利な通信手段として使う気か。」
大男はわずかに苦笑した。
いつも快活な様子の彼の顔には心配がにじみ出ていた。
ぬるま湯のような世の中で暮らす人間は善良な者が多いが、彼は善良なことに加えて賢い人間だ。
状況を理解しているのか、私たちを引き留めて説明を求めることすらない。
「ご協力感謝します。ミア様を見つけた後にいくらでもお礼いたします。」
「おー。早く見つけて酒でもおごってくれ。」
そう言って大男は私たちを見送った。
「ここからは別行動にしましょう。あなたは隣の街に行って、情報を集めてください。手がかりが見つからなければさらにほかの街へ。私は王都の教会を訪ねます。」
居場所が分からない以上、しらみつぶしに探すか、あてのある人に聞くしかない。
「先生を?」
ナギはいつも通りの様子だが、内心穏やかではないだろう。
こんなときにまで本心を隠すことができるのは年の功というやつだろうか。
私は焦りを抑えられない。
「ええ。おそらくミア様は彼の名前を知っています。本当に危険なときは呼ぶはずです。多少なりとも居場所が分かるのではないでしょうか?」
たくさんの魔法に組み込まれた名前は強力な呪文になると言っていた。
徹底して名前を教えないところを見る限り、名前を呼ぶことでなにかしら先生に影響があるのだろう。
「……激高した彼に殺されないように気を付けて。」
ナギはそう言って苦笑いした。
私たちが付いていながらミア様は行方不明になったのだ。
エルフは人間に攻撃しないように命令されているが、そこに魔族は含まれないだろう。
はっきり言ってシャレにならない話だった。
王都までの道のりの何と遠いことか。
数日経ったのにナギからの連絡もない。
近くの街にはいないのかもしれない。
そもそもこれは誰の犯行なのだろうか。
色々なことを考える。
忙しく思考を回さないと、深みにはまって抜け出せなくなりそうだった。
ミア様はもうお隠れになったのではないかという最悪の考えに。
ふつう首輪の解除は契約者が首輪に直接触れなければ不可能だ。
それ以外の可能性として考えられるのは、まず契約者の死による解除。
そのため人間は死ぬ前に子供に魔族を遺産として引き継がせることが多い。
そして、第三者の魔法による解除。
実際にできるかは置いておいて、可能性としては考えられる。
ただし相当難解な魔法だろう。
少なくともその辺にいる魔族には不可能だ。
それ以外に、いったいどうすれば解除できるというのだろう。
けれど、ナギの言う通り、あれほどの加護を突破してミア様を亡き者にできる人がいるとも考えにくい。
あの加護を突破するとしたら、これまた相当な魔法を使うことになる。
視界が暗い。
世界はこんなにも色あせていただろうか。
教会の前庭に足を踏み入れた瞬間、大聖堂に転移していた。
「どうしてあのような状況になっているのですか?」
明日世界が滅ぶと言われても微笑みを返しそうなエルフが、眉間にしわを寄せて詰め寄ってきた。
「状況が分かるのですか?ミア様は今どのようなご様子ですか?無事なのですか?」
私は矢継ぎ早に質問した。
場所さえわかれば御の字と思っていたが、すでに状況まで把握しているとは。
「奴隷商人に攫われて閉じ込められているのです。無事なはずないでしょう?」
「奴隷商人?」
私はほぼ悲鳴のような声を上げた。
どうしてそんな野蛮なものにミア様が捕まっているのだ。
「人間が取りこぼしていた魔族たちが北の端に小さな社会を築いているようです。国家とも呼べない小さなものですが、人間を奴隷として商売をしている者がいるようで、ミアを標的にして攫ったようです。」
「……そこまで分かっていながら、あなたがここにいるということは、少なくともあなたが命を削って助けなくて良い程度には安全な状況なのですね。」
良く回る頭が一番知りたかった答えをはじき出し、私はその事実にひとまず安堵した。
本当に危なければ、この男は首輪の制約など気にせずにミア様を助けるだろう。
「はぁ。あの子は商人たちをたぶらかして、館の中を自由に歩き回っているようですよ。」
先生は額に手を当ててやれやれと首を振った。
「何というか……さすがミア様ですね。」
人との駆け引きを知り尽くした魅惑の人魚を、400年越しの初恋に落としたのだ。
ミア様が本気で気に入られるように動いたら、その辺の有象無象などひとたまりもないだろう。
「あの様子では、もう手放す気もないのでは?」
私はその一言にぴたりと動きを止めた。
「そうでしょうとも。ミア様の隣にあれることほど格別なことはありません。けれど無理やり連れ去り、てきとうに拵えた場所にミア様をとどめておこうなど、許されることではありません。」
ミア様の口に合うものを拵え、ミア様の肌に合う服を誂えて、ミア様の目を楽しませる美しい場所へ連れていく。
それすらできないのなら、さっさと手放して消えてしまえばよいものを。
「……何というか、さすが私のミアですね。」
私の様子を見ていたエルフはそう言って苦笑した。
よくわからないが、ミア様はいつだって素晴らしい。
目の前の景色は明るく、世界は色を取り戻していた。




