我ながら傑作
私たちは再び馬車に乗ると、アイザックさんの邸宅に向かった。
彼は本当に「気の合う知人」として私を門番に通すように言っていたらしく、連絡もしていないのにすぐにバラ園へ案内してもらえた。
「あぁ……」
ナギは感嘆の声を上げて、バラ園を見ていた。
僅かに見開いた彼の瞳から、涙が零れ落ちる。
それが頬のうろこを伝って流れていく。
濡れたうろこは庭の色すべてを映してきらめいた。
「大丈夫?どこか痛いの?」
「大丈夫。たぶん年を取って涙腺が緩くなっているんだよ。」
ナギが泣いているのを見て騒ぎ出したライラにてきとうなことを言って遠ざける。
人が感動しているところにわざわざ水を差す必要もない。
私たちが少し離れたところでわちゃわちゃしていると、話を聞いたのかアイザックさんがやってきた。
「人魚が来ていると聞いて、気になって来てしまった。」
彼はそう言って笑うと、ナギの方を見る。
人魚の涙はもう乾いていて、人が増えたことに気付くと私たちの方へ歩み寄ってきた。
「やあ。私はアイザック。我が家のバラ園はお気に召したかな?」
「そうだねぇ。」
ナギはおっとりと笑った。
「君が良ければ我が家に住むこともできる。本気で望むのなら、私がミアさんに良い交換条件を出そう。」
アイザックさんは庭を褒められたことに満足したように頷いてから、そのように提案した。
魔法について教えることのできる魔力の強い魔族と交換してくれるとしたら、むしろ破格の取引だ。
「いいえ。私にとっては変わらないバラ園より、荷馬車の隙間から見る景色や、吹き抜ける風や、知らない香りの方が余程価値がある。」
ナギはずっと愛玩用の魔族だったと言っていた。
400年も部屋に閉じこもっていたのだとしたら、多少不便でも色々な場所へ行ける方が楽しいのかもしれない。
「はっはっは。それでは私はミアさんにとてもじゃないが叶わないな。」
アイザックさんは面白そうに笑った。
私たちはあの後、バラ園を少し散歩してから宿に戻った。
夕食のときにトールに今日のことを話すとトールは渋い顔をした。
「今度から馬車にも結界を張りましょう。」
気になるところそこなんだ。
翌日、私は朝食を食べた後、すぐに馬車に向かった。
「どうしたの?今日は少し早いようだけど。」
私はいつも昼頃に一緒にご飯を食べにくるので、大分早いと思うのだが、やはり時間感覚が違うのだろうか。
「今日はちょっと、ここで絵を描こうかと思って。」
「ここにはあまり美しいものはなさそうだけど……」
「いいや。」
私はそう言って、床に落ちたうろこを拾った。
うろこは定期的に生え変わるようで、落ちた瞬間にほとんどナギが燃やしてしまうが、半透明で見えにくいそれはたまに下に落ちている。
ナギの髪と同じ青みがかったグレーに薄く色づいたそれは、光に透かすと淡い色を落とす。
「私、日ごろ常々、これは画材になるんじゃないかと思ってたんだよね。」
「そう?では剝がそうか?」
ナギが平然と言うのでぎょっとする。
「痛くないの?」
「すぐに治るよ。」
多分、無理やり剝がされたことがあるのだろう。
ナギの手が自分のうろこを剥がそうとする前にその手をつかんだ。
「剥がさなくても絵は描けるから大丈夫。」
私はにやりと笑った。
「主様は物好きだねぇ。こんなものに執着して。」
「これくすぐったくないの?」
「ほとんど何も感じない。そよ風が通ったかな、というくらい。」
私はナギのうろこに絵の具で彩色していた。
赤、白、黄色、青、緑。いろんな色を使って1枚ずつ塗っていく。
今はおでこのあたりだから構わないけど、口元を塗るときは絶対にしゃべらないでほしいな、と思った。
「やっぱり生命力が強いと、感覚が鈍くなったりするのかな。ちょっとくらい傷ついても大丈夫、みたいな感じで。」
「私にとってそよ風は強烈な感覚だったけどねぇ。」
そよ風が強烈とはどういうことだ。
「それって暴風をそよ風と勘違いしてない?」
ナギは長生きで色々なことを知っているのに、世間知らずなところがある。
「ふふふ。」
彼は優しく微笑むと私の頭を撫でた。
「よれる。」
「ごめんね。つい。」
私はたまに軽い妨害をうけながら、見えるところのうろこをすべて塗った。
最後に指の先まで塗って完成する。
全体を確認して、我ながら傑作かもしれないと思った。
ナギは手元を塗り始めたころから静かにその様子を眺めていた。
私が離れて満足げに頷いていると、完成したことが分かったのだろう。
慎重にそっと手を持ち上げて、カーテンから漏れた光に透かす。
「……ねぇ、私にはこれが美しく見える。」
ナギは呆然とつぶやいた。
薄く色づいたうろこは、光を透かし、まるでステンドグラスのように美しい影を落とす。
教会のステンドグラス、色とりどりの花畑、ナギの涙。
まさに私にしか描くことのできない傑作と言えよう。
「嬉しくて涙が出そう。その前に滲まないように魔法をかけなきゃいけないのに、震えて呪文が上手く唱えられない。」
ナギが震えた声でそんなことを言い出した。
私は一瞬で傑作が台無しにされそうな危機に、思わずナギに飛びつく。
ベッドの淵に座っていた彼は、膝の上に飛びついてきた私を絵の具が付いていない方の手で閉じ込めた。
「そう。震えが納まるまで、ここにいて。」
背中に腕を回されて、密着した彼の体は確かに震えている。
私は宥めるために背中を撫でた。
震えは少しずつ治まっていって、完全に止まったところで彼は呪文を唱えた。
これから泣くのだろうかと表情を伺うと、彼はむしろ艶やかに微笑んで私を見ていた。
今や美しいだけの生き物になった彼は魅惑的に微笑んだまま私に顔を近づけると、唇にキスをした。
「ん?」
私は唐突なこと過ぎて、目の前で起きたことの事実を疑った。
「ありがとう、私の魔法使い。君がくれた奇跡に感謝を。」
呆然と見上げる私にナギはとろけるような笑みを浮かべた。




