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人魚

「そのままじゃ困るでしょう。宿まで送らせるわ。」というオーナーの有難い申し出によって、私は意識のない人魚の横で途方に暮れずに済んだ。

宿の前は荷馬車で作業していたトールがいて、見知らぬ馬車から降りてきた私にぎょっとした顔をしている。

「どちらまで運びますか?」

ここまで馬車を走らせてくれた御者は人魚を荷台から降ろすと淡々と聞いた。

「とりあえずそこの荷馬車まで。」

人魚を荷馬車に置くと、御者は帰っていった。


「どういうことでしょうか?」

トールはほほ笑んでいる。

しかし、なんとなく黒いオーラをまとっている気がするのは気のせいだろうか。

「なんか、人魚もらちゃった。成り行きで。」

「どのような成り行きだったらこんなことが起こるのでしょうか?」

「散歩してたら道に落ちてて、うろこ触りたいなーって思って持ち主に声かけたら、なんかもらうって話になってた。」

なんとなく娼館の下りは伏せておく。

「騙されていませんか?」

トールはやっぱり笑顔だ。

こんなに他人に対して警戒心が強いのに、詐欺にひっかかっていたら笑いものだ。

「もらう気はなかったけど、いらないならいいかなって。人魚って魔力多いんでしょ?」

「……強いとしても、うろこ持ちを外に出すことはできません。一生荷台の中に飼い殺しですよ。」

そんなに忌避されるものなのか。

周りに全くいないので知らなかった。

路地裏に転がっていたのは、相当レアということか。

「まぁ、うちの荷台、快適だしいいんじゃない?」


トールが改造した荷台はかなり住み心地が良さそうだ。

まず、御者台の後ろに2人くらい座れそうな幅広の椅子が設置されている。

その後ろに簡易的なベッドと机がしっかりと動かないように固定されていた。

荷台の前後にカーテンが付けられ、中を見えなくすることができるようになっている。


人魚は一番後ろの何もないところに転がされていた。

私は念願のうろこに触ってみた。

ひんやりしていて固いのに柔らかい、不思議な感触だ。

なんか思ったよりだな、とグニグニ触っていると、後ろでトールがため息をついた。

「分かっています。うろこはよく見れば大して醜いものではない。魔力が多ければいくらでも使い道はある。タダでもらえるならもらってしまおう。そう思ったのでしょう?」

「うん。だめだった?」

トールも合理的なタイプだから、私と同じ考えだと思っていた。

首輪を付けた魔族が怒っていようが委縮する必要はないのに、どうしてか私の体は縮こまっていた。

嫌われたくないのだ。

信用もしていないくせに。

「いいえ。ミア様は何も悪くありません。悪いのは、自分以外の者がミア様に首輪をはめられていることに嫉妬している私です。」

私の考えを軽蔑しているということではなさそうで安心する。

「首輪をはめていることに嫉妬?そういうのが好きになったの?」

人魚は意識を失っていて、まだ話したこともないのだ。

比べるまでもなくトールの方が仲が良いのに何を嫉妬することがあるのだろう。

「えぇ。首輪をはめていれば、ミア様はどんなに近付いても安心してくださるでしょう?その権利が他の者に与えられるのが気に食わないのです。」

トールの歪んだ考え方に苦笑した。

「仮初の信頼でも?」

「ミア様の一番近くで、世界を見る権利を与えられること。それは何よりも素晴らしいことなのですよ。」

トールはそう言って荷台のカーテンを閉めると、そっと私を抱え上げた。

「ほら。視点が上がるだけで、景色が少し違って見えるでしょう?」

「確かに。」

彼はとても背が高いので、私のいつも見ている視点とは大分違った。

「ミア様はこれよりもっと凄いことをしていらっしゃいます。」

自分がそんなすごいことをしているとは思えないが、彼にとってはそうなのだろう。

「じゃあ今日はベランダでご飯食べよう。」

きっと違う景色が見える。

「かしこまりました。」

トールは笑顔でそう言うと、私を抱えたまま部屋に戻った。


「あの人魚、本当にほっといても大丈夫なのかな?」

私はベランダの欄干から足を出してゆらゆらさせた。

涼しい風が吹き抜けて、心地よい夜だ。

「私も詳しくは存じ上げませんが、人魚は殺しても死なないと聞きます。むしろ夜中に目覚めて逃げ出すのではないでしょうか。聞くところによると、裏口から勝手に出ていたのでしょう?」

横にいるトールも同じように腰かけて荷馬車を見つめていた。

「まぁ、逃げたときはそのときということで。」

「そうですね。」


例えばトールの場合、私から離れると社会から切り離されてしまう。

仕事もできず、食事にもありつけない。

外壁の外は食用の植物も動物も魔法的生物によって淘汰されているので、生きていけない。

でも、人魚が食べ物を摂取しなくても生きられるほど強靭であるなら、逃げることは可能だ。


「さぁ、ミア様。明日から長旅になります。今日はもう休みましょう。」

トールがそう言って食器を片付け始める。

私は星明りと揺れる街灯を名残惜しく思いながら、部屋の中に入った。


翌日、荷台のカーテンを恐る恐る開ける。

昨日と同じ状態で荷台の隅に寝転がっていた人魚と目が合う。

彼は緩慢な動作でどうにか身を起そうとした。

「私はミア。あなたの名前は?」

「ナギと申します。」

艶やかで魅惑的な声だ。

「荷台に上りたいから、少しよけてくれる?」

ナギは荷台の入口をふさぐように寝ていたのだ。

彼はどうにか動こうとしたが、しばらくするとあきらめて呪文を唱えた。

「おぉ。」

私の体が浮き上がり、荷台の椅子の上に降ろされた。

先生と同じ、息を吸うように魔法を使うタイプだ。

「出発いたします。」

トールが御者台の方のカーテンを外がギリギリ見えるくらいまで閉めた。

同時にナギも後ろのカーテンを魔法で閉める。

馬車はゆっくりと動き始めた。

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