癒やされるおじさん
「あ、ごめん、りっちゃん。帰ってきた時おかえりって聞こえなくて、誰もいないと思った」
「え? 言ったよ?」
「あれ? そうだった? 気づかなかった」
「疲れてるね、なんかすごい顔して入ってきたから、どうしたのかなって思ったけど…」
「あー、ごめん。そんなひどい顔してた?」
「うん、今も眉間のシワすごいよ」
りっちゃんが隣に座って、俺の眉間をモミモミしてくれる。気持ちいい。
「グランドキャニオンより深い谷できてる」
「そりゃすごいな、観光名所になるかな」
いちゃついてると、今日の面接で減った俺のHPがみるみる回復する。
『続いて、ダンジョン情報です。千葉県のダンジョンで、20代の新人探索者3名がコボルトの群れに襲われ死亡。遺体はバラバラで回収不能でした――』
テレビから流れてきたアナウンサーの声に、俺は思わず「うわっ」とリモコンを手に取る。
りっちゃんが「怖いね…」と俺にしがみついてきて、慌ててチャンネルを変えるけど、どの局も似たようなニュースばかりだ。
「……1層なら弱い魔物が多いのに、深い階層にでも行ったのかな? それにコボルトも群れて連携してこなきゃ大したことないはずなのに……」
りっちゃんが真顔でポロッと呟いて、俺は「へぇ、ゲーム会社に勤めてるから詳しいんだね」なんて笑う。
「え、うん、そうだよ!」とりっちゃんが慌てて頷くのがちょっと可愛い。
「今、うちのスタジオでダンジョンもののゲーム作ってるんだよ。それで、その、設定とか、作っててさ。ギルドの人に話聞いたりとか、ね」
「へぇ、ダンジョンが現実にある時代に、ダンジョンもののゲームねぇ。……売れるの? それ」
本物のダンジョンがあるのにゲームでやる意味あるのか、と思ったけど、りっちゃんの「じゃあなんで戦争ゲームとかが売れてると思う?」、とドヤ顔で言われて、なるほどと納得してしまった。
ダンジョンに行きたくてもいけない人とかもいるし、探索者の中にもイメージトレーニングの為にプレイする人もいたりするらしい。
りっちゃんが心配そうな顔して、俺の顔を覗き込む。
「あんまり無理しないでね? そんな焦らなくていいよ」
「そうは言っても、今月で失業保険切れるし、住宅ローンもあるし、そろそろヤバいかなって」
「大丈夫だよ、貯金もすぐなくなるわけじゃないし、私だって、その、そこそこ稼いでるから。まーくんくらい養えるよ」
「いや、それはちょっと…」
りっちゃんは、友達と起ち上げたインディーズのゲーム開発スタジオで働いていて、今は在宅でパソコン使って仕事してる。
パソコンさえあればどこでも仕事が出来るんだから、いい時代になったもんだ。
俺も子供の時からゲームが好きだから、りっちゃんの会社が作ったゲームに興味があるんだけど、恥ずかしいのか何も教えてくれない。
「もしかしたら気付いてないだけでもうプレイしているかもよ? 前作のオープンワールドRPGゲームはそこそこ売れたしね」、なんて笑って言ってたけど、俺はインディーズのゲームはあまりやらないからなぁ。
インディーズでそこそこ売れたRPGゲームといえば、最近では『Braves―AnotherWorld―』というのが爆売れしたらしいから、これかなって思ったんだけど。
りっちゃんの会社はまだ立ち上げたばかりの少数精鋭のスタジオらしいし……流石にそれはないか。
あんまり詮索するのも悪いし、そもそもうちは仕事の話はお互いノータッチで、財布も別だ。
月末に共同の口座に生活費入れてる感じだ。
「りっちゃんが稼いでるのは知ってるよ。今は俺より年収高いのも、まぁ分かってる。でもさ、なんというか、養われるってのはちょっと…」
「男のプライドってやつ? じゃあ仕方ないね。でも辛くなったら言うんだよ? いつでも、私が養ってあげるからね?」
「うーん、一度甘えたらズルズル行きそうで怖いんだよ。それに父親としても家族としても、俺も頑張らないとさ」
「もう充分頑張ってるよ。いいじゃん、甘えちゃえば。私は全然構わないよ。それとも……甘えないの? ほら、いつもみたいに」
「いつも、て……はい、甘えます」
「ふふ、素直でよろしい。じゃあ早速、はい、おいでー。ぎゅうぅぅ」
そう言ってニコッと笑うりっちゃんは俺の首に手を回して、グイッと胸元に引き寄せる。
優しくて甘い香りが、ふわり、と俺を包み込む。
柔らかくて温かい母性の象徴が、俺の擦り減った精神をじわじわ回復させてく。
マジで癒される…りっちゃんは女神かもしれない。いや、女神だ。
俺より年下なのにしっかりしてるし、可愛いし、スタイルいいし。
こんないい子がなんで俺なんかと結婚してくれたのか、ほんと謎だ。
「りっちゃん、俺、頑張るよ」
「ほらまた。まーくん。まーくんは今までもずっと頑張ってるよ。ほら、今はちょっと休憩しなよって、神様的なものが言ってるんだよ、きっと」
「神様的なものが」
「そっ、神様的なものがね」
「神様的なものが言ってるなら……、いいのか」
「いいんだよ。今は存分に甘えて英気養おうね」
「……うん」
りっちゃんは「よしよし」と言いながら俺の頭を撫でてくれる。
撫でられる度に、就活で荒んだ俺の心が癒されていく。
『続いて、ダンジョン情報です。全国的に1層での魔物出現率が――』
――とくん、とくん。
テレビのアナウンサーの声がぼんやり流れてきて、りっちゃんの胸から聞こえる「とくん、とくん」って心臓の音と混ざる。
疲れてる耳にはどっちも遠く感じて、なんか現実感薄れてくる。
『ダンジョン探索者ギルドからのお知らせです。今月から探索者新規募集を再開――』
『君は何にだってなれる、夢をあきらめるな! さぁ君も探索者に――』
――とくん、とくん。
「ダンジョンのことしかやってないね、テレビ」
「……んー?」
目を閉じてりっちゃんの母性に顔を埋めて堪能していると、りっちゃんがテレビを見て呟いた。
りっちゃんの声が少しだけ遠く感じて、俺はそっと目を開ける。
「……探索者募集中、だってさ」
「探索者、ねぇ?」
ちらり、と母性からテレビの方へ視線を向けると、画面には派手なCMが流れている。
厳つい装備を身に着けた若者達が声を揃えて「探索者募集!」なんて叫ぶと、魔法を模したキラキラしたエフェクトが、これでもかと炸裂する。
そういえば、ハローワークで求人を探していたら、職員さんに冗談半分で、「もう探索者にでもなればいいんじゃないですか?」って呆れながら言われたっけ。
その時は「40のおっさんに何を言いやがるんだこいつは」って思ったけど、少しだけ、そう、少しだけだけど、気になったから探索者についても調べたんだったな。
その気はないけど、一応どんなものかだけ。
「……ねぇ、りっちゃん」
「ん? なぁに?」
りっちゃんが俺の頭を撫でる手を止めて、ちょっと首を傾げ俺の顔を覗き込む。
確か、そう、確か新人でも上手く行けば月収30くらいは行ける……だったか?
『探索者の収入は新人でもなんと、こんなに――』
「探索者って、実際どうなんだろうね」
「え? うーん、事故とか、最近多いよね」
「探索者ってさ、その、上手く行けば、稼げるん、だってさ」
「へぇ、そうなんだ。え、……それって、まーくん、やりたいってこと?」
――どくん。
「いや、別に、そういうわけじゃないんだけど……」
「……」
『ですが、やはりその分危険もあり、探索者の死亡数は例年――』
――どくん、どくん。
心臓の音が、高鳴る。
さっきよりも近くで聞こえるそれは、りっちゃんからか、それとも俺からなのか、分からない。
ただ、『新規募集中』という言葉を聞いて、俺の頭の、心の奥がジワッと熱くなった気がした。
そうだ……当時も、こういう風にテレビやネットでたくさん見聞きして、俺も……って。
「……俺も、……昔はあんな風に」
「え?」
『ダンジョン、探索者、夢を追うのは大いに結構。ですがね、今一度、自分を省みてください。私の息子も――』
このコメンテーターがダンジョンに批判的な意見を言うのはいつものことだ。
確かこの人の息子が少し前にダンジョンで命を落としたんだったか。
「……」
「まーくん。私は、まーくんが何を選んでもそれを受け入れるよ?」
りっちゃんは少し不安そうな顔で一瞬俯くけど、すぐに顔を上げて微笑みながら言う。
「でもね、まーくん。無理は、しないでほしいな」
「っ、……俺は、」
思わず、りっちゃんの小さな手をぎゅっと強く握ってしまった。
りっちゃんの手は、小さくて。
『しかしですね、探索者は確かに危険な仕事ですが、そこには夢があり希望が――』
そうだ、探索者は危険と隣り合わせの仕事だ。
俺みたいな妻子持ちが、40のおっさんがやる仕事じゃない。
今更、何を言っているんだ。
「……いや、なんでもない、やっぱ忘れて」
「え、何? 気になるじゃん! ほら、危なくないかなって、ほら、色々とさ」
「ほんと、なんでもないって。ちょっと言ってみただけだからさ」
りっちゃんを不安にさせてまで、やるようなことじゃない。
俺は、今が幸せなんだから、普通の仕事を見つけて普通に生きられればいいんだ。
そう、俺には、大事な家族がいるんだから……今更、夢なんて。
「そ、それよりさ、まだ保育園のお迎えまで時間あるし……」
「え? あ、そっか。ふふ、私も最近仕事忙しくてさ。その、まーくん成分補充、したいなー、なんて」
「……いいの? まだお昼だけど」
「いいよ。知ってた? 夜だけしかしちゃいけないなんて、そんな法律はないんだよ。それに昼間からまーくん成分いっぱい補充しないと、私も、ね?」
「あ、じゃあ……」
「ふふ……うん」
……なんて、無職のくせに、やることはやるっていう。
その後、子供のお迎えまで無茶苦茶イチャイチャした。
大変有意義な時間でした、と私は声を大にして言いたい。
「じゃあ、綾ちゃんの迎え、行ってくるよ」
「うん、ありがとう、まーくん。気をつけてね」
明日から、また頑張ろう。
家族がいれば、パパは頑張れるのだから。




