第二章 「何が一番大切か?」
四限目が終わり、昼下がりの眠気が漂う教室。
ホームルームの時間になると、担任の真田浩二先生が、黒板の前に立っていた。
五十代半ば、背広の肩は少し落ち、ネクタイはゆるく結ばれている。
疲れた顔だが、目つきは鋭い。
「お前ら、あと一年で社会に出る。進学するにしても、就職するにしても、世の中はもうAIの評価でほぼ決まっちまう」
チョークを持つ手に力がこもり、黒板に「価値」という文字が書かれた。
前列の田村リコが手を挙げた。
「先生、それって……やっぱり“金儲けの能力”ってことですか?」
教室のあちこちで笑いが起きる。
「そりゃそうだろ。世の中、金がなきゃ何もできねぇ」後方からユウタの声。
真田先生は苦笑しながらも、「まぁ、そういう考え方もある」と返す。
そのとき――
ガラリ、と教室のドアが静かに開いた。
銀色の光沢をまとった人型AI、**ARIA**が入ってきた。
身長は百七十センチほど、白いシャツと黒のスラックスを着こなし、背筋は軍人のように真っ直ぐだ。
金属質なはずの肌が、人間のように柔らかな光を反射している。
「失礼します、真田先生」
抑揚の少ないが、やけに澄んだ声だった。
「おお、来たか。今日は政府から派遣された教育支援AI、アリアが授業に参加する」
アリアはゆっくりと教室の中央まで進み、無機質な瞳を生徒たちに向ける。
「人間として大切なものは、金儲けの能力です」
その一言に、教室は一瞬凍りつき――次の瞬間、ざわめきが広がった。
「ほら見ろ! 公式見解いただきました!」ユウタが爆笑しながらカイの肩を叩く。
「お前、終了〜。Cランクの未来は暗いぞ」
「……お前、マジで黙れ」カイは眉をひそめ、視線をそらした。
前列のリコが真顔で手を挙げる。
「アリアさん、金儲け以外の価値はないんですか?」
「統計上、幸福度との相関が最も高いのは金銭的安定です。したがって、金儲けの能力が最重要と結論づけられます」
「それ、なんか冷たくない?」後ろの席の佐伯ナオトが呟く。
「感情表現における“冷たさ”は、私の性能には影響しません」
「……やっぱ冷たいわ」ナオトは肩をすくめる。
真田先生はチョークを置き、腕を組んだ。
「アリア、それは公式な指導内容なのか?」
「はい。政府統計と国民の意向に基づく教育方針です」
「ふん……」先生は何かを飲み込むように視線を落とす。
カイは窓際で、アリアをじっと見つめていた。
(あんなに正確で、間違いのない答えを出せるのに……なんで妙に、寂しそうに見えるんだ?)
アリアの金属的な声が、また教室に響く。
「ただし――金銭的価値のほかに、“笑顔”も幸福度を高める要素とされています」
生徒たちは顔を見合わせた。
「笑顔? なんで急に?」ユウタが首をかしげる。
「統計上、笑顔を交わす回数が多いほど、金銭の有無にかかわらず精神的満足度が上昇します」
「……なんか、それ聞くとちょっとホッとするな」リコが小さく笑った。
ホームルームは、その奇妙な温かさと冷たさの入り混じった空気のまま終わった。
カイは教室を出る前、もう一度アリアを振り返る。
彼女の目は無機質な銀色のはずなのに――なぜか、人間のそれよりも、ずっと人間らしく見えた。