4. 神殿にて
届け出とは、列に並ぶこと
翌日、船乗りの加護申請のため、シルフィはゲイルに連れられて、朝早くからマアアルンの神殿へと出かけた。
この世界は、さまざまな神々の加護のうえで成り立っている。
船に関することはこの神が担っていて、あちこちの地に神殿がある。
なかでもアーンバラの神殿は大きいことで有名で、大勢の人間が連日詰めかけている。
シルフィたちが着いたときにも、受付は長蛇の列で、見るだけでもうんざりした。
しかし、船に乗る以上、この手続きを省くわけにはいかない。
しかたなく、列の最後尾に並ぶしかなかった。
周りでは、手に色々なものを持った子供たちが、呼び込みをしながら駆けまわっている。
菓子、飲み物、軽食、手遊び用の小さなおもちゃ、折り畳み式の小さな椅子……。
どれも、順番を待つあいだの暇つぶし用のものだ。
意外と買う者も多く、なかなかの商売になっている。
昼近くなり、ようやく列の半分あたりまできたときだった。
ざわざわと、背後からささやきが波のように伝わってきた。
背伸びして振り返ってみたが、シルフィの背の高さでは他の人間たちに阻まれて、見ることはできない。
ただ、ひそひそと呟く周りの声だけが聞こえてきた。
「軍人たちじゃないか」
「なんだい、急に……」
そのうちに、硬い靴底の足音と腰に下げた剣の音を響かせながら、十人ほどの男たちが近づいてきた。
紺色に金モールの上衣、揃いの色の三角帽。
さすがにシルフィでも、その服装がなにを意味するのか知っていた。
海軍の連中だ。
並んでいる列を気にもせず、ずかずかと前に進んでいく。
人々は、眉をひそめた。
しかし、ひそひそと囁くだけで、直接彼らに対してなにかを言う者はいない。
海軍と言えば聞こえはいいが、港で働く人間たちのあいだでは、艦で働く最下層の水夫にと、ひんぱんに若者を強制徴用してしまうので、悪名のほうが轟いている。
現に今も、対象になりそうな連中が、そっと列を抜け出していった。
せっかくこれまで、長い列に耐えていたというのに、だ。
シルフィにしたって腹が立っていた。
だから、集団の最後尾にいた少年がぶつかってきたとき、つい、声をあげてしまった。
「おい!」
「ああ、すまない。……ん?」
素直に謝った少年が、シルフィの顔をまじまじと見る。
「おまえ、どこかで会ったか?」
負けじと見返し、気づく。
「あんた、このあいだもあたしの順番、飛ばしたよな」
「どういうことだ?」
「ボートだよ。桟橋で」
「ああ、そうだ! あのときのやつか!」
そう。
デヒティネから迎えに来たボートを奪った、あの少年だった。
「あんた、いっつもこんなことしてるのかい」
呆れて言うと、少年は苦い笑顔を浮かべる。
「すまない。とにかく緊急の命が降りているんだ。急いで手続きをしなければならない」
「だったら、ひと言でも添えればいいだろ。列を無視してすまない、って」
そういったやり取りをしているうちに、先行していたほかの軍人たちが、あわてて引き返してきた。
「王子!」
「この小娘はなんだ」
「不敬罪だぞ、わかっているのか!」
大のおとなが、顔色を変えて怒鳴っている。
「王子?」
シルフィがきょとんとしていると、一番年かさの、金ぴかの肩章をつけた男が偉そうに紹介した。
「こちらは我がトライゴッズ認王国第三王子、ワイアット様だぞ! おまえごときが馴れ馴れしい口を利いていいお方ではない!」
それを聞いて、ゲイルの顔色も変わった。
シルフィの腕を掴み、すごい勢いで後ろに引っ張ると、頭に手をやり、無理矢理下げさせた。
それでも、シルフィはあまりピンとこない。
王族の顔も名前も、自分が暮らしているような貧民街、国政から忘れられた街では、これまで知る必要もなかったからだ。
シルフィにとって目の前にいるのは、まだ成長途中の針金みたいな体格をした、頼りなさそうな少年でしかなかった。
しかし、列を作っていた連中は、そうではなかったらしい。
まるで、シルフィが伝染病の感染源でもあるように、あっという間に人が離れていった。
気がついたら、シルフィとゲイル、王子とやらと取り巻きの軍人だけしか、この場所に存在しないかのようになっていた。
ざわめきに満たされていた神殿内も、急に静寂に包まれる。
「どうかお許しを。こいつは風呼びです。国にとっても貴重な人材のはず。礼儀は言ってきかせますから、今回だけはどうか見逃してくれませんか」
ゲイルが庇ってみせたが、怒鳴った軍人の態度は軟化しなかった。
シルフィの頭にやっている手に力がさらにこもる。
ここでようやく、相当にまずいことが起きているとシルフィがわかりはじめた。
全身から、嫌な汗が滲み始める。
そのときだった。
「もうやめておけ」
ワイアットが口をはさんだ。
「しかし……」
軍人たちは渋い顔を見せる。
しかし、かまわず続ける。
「この程度のことでいちいち罪に問うてたら、国の半分以上の人間を、牢屋に放り込まなきゃいけなくなるぞ」
「しかし……」
「それに、こいつの言うことにも一理ある。無理に割り込ませてもらったんだ。詫びのひとことくらい、言うべきだった」
そして、遠巻きにしている人間たちに、身体を向けた。
「私の初出陣が、急に決まったのだ。手続きを急ぐ必要がある。わかってくれ」
子供にしてはやけに威厳のある、朗々とした声だった。
そしてもちろん、反論する者は誰もいなかった。
ただ、かすかなざわめきが生まれ、群衆のあいだをさざ波のように広がっていく。
それはさっきまでとは違い、どこか温かい、好感の囁きだった。
「だが、おまえ」
ワイアットはシルフィの前に立つと、手を伸ばして顔を上げさせた。
「今回は、はっきり言ってくれて助かった。しかし、その生意気な口を噤んでいたほうがいい場所は、たくさんあるぞ。他では、気をつけるんだな。次に見るのが処刑台、なんてことにはなりたくない」
いくら身分が高いとは言え、自分とたいして年齢も違わない少年に偉そうに言われ、シルフィは思わずまた睨みつけた。
ワイアットはそれを見て、軽やかな笑い声をあげる。
どうやら、シルフィの反応が面白いらしい。
そのまま取り巻きを連れ、さっさと手続きに向かっていった。
そこでようやく、ゲイルが長い安堵のため息をつく。
「まったく、ヒヤヒヤしたぜ。その口も考え物だな」
シルフィは頬を膨らませた。
「あたしの言ったこと、間違ってないよね」
「どうかな。相手によるな」
まだ頑固に自分の主張をするシルフィに、ゲイルは呆れたように答えた。
「でも、王子でも出陣なんてするんだ」
「王子だから、だろ。国の面子を背負ってるのさ。王太子は陸軍だから、海軍にはほかの王子を、ってことだろう。ただ、たしか第二王子がって話だった気がするが……。急ぎ、というのはそこらへんが関係してるのかもな。いくらなんでも若すぎる」
(あんな年齢で、取り巻き連中に慇懃にかしずかれて、そのくせなんだかよくわからないものを背負わされるなんて、王族ってのも大変なんだな)
シルフィが感じたのは、そんなことだった。
しつこいようだが、王族というものと自分たちの生活には、あまりにも関連がなさすぎて、他人事にしか思えなかったのだ。
「もっとも、内海の制海権がどうのこうので、隣国と小競り合いばっかやってんのを、やめりゃいいだけの話なんだが」
ゲイルはそう言って、肩を軽くすくめた。
ちょっと怒っているようにも見えたが、その理由はシルフィにはわからなかった。
やがてすぐに、用事を済ませた軍人たちが引き返してくる。
偉い人間相手になら、手続きを早く済ませることもできるんだな、と、感心とも呆れともつかない気持ちになる。
ワイアットが、一瞬、視線を群衆に走らせた。
シルフィと目が合い、鼻に皺を寄せる。
笑おうとしているのか、しかめっ面をしようとしているのか、微妙な表情だ。
だがすぐに側近にせかされ、シルフィの反応を見るまでもなく、早足で去っていった。
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