4. 緑の帆
先輩!
デヒティネの前方には、巨大な船が姿を現していた。
高さもあるので、近寄られるとかなりの威圧感がある。
基本的な造りは海盗賊の船と同じだが、マストは三本だ。
帆の色は鮮やかな緑色で、銀色の大輪の花が一輪、めいっぱいに描かれていた。
「ルクワーの艦か」
ゲイルの言葉に、シルフィは首を傾げる。
「ルクワー? それ、なに」
「この国の、正規軍のひとつだな。とくに沿海警備で有名だ。海盗賊退治の、エキスパートでもある。緑の帆が目印だ」
船はゆるゆると停止すると、海面に向かって大きな網を投げた。
どう見ても、漁に使う網だ。
それを使って、溺れかけていた海盗賊たちを、まとめてひきあげる。
かなり荒っぽい手法だ。
海盗賊など、魚扱いで上等、との意図だろうか。
あっけにとられていると、網のひきあげ作業をしている者たちからは、離れた場所に立っている連中が、手旗でなにかを合図してきた。
ジェリーがそれを見て、ケリーソンに伝える。
ニックに抱えられたままで、息をぜいぜいと吐きながらも、指文字で指示を出している。
その命令どおりに信号を返すと、ルクワーの船はデヒティネ左舷側に移動し、並行して停まった。
すぐに板が渡され、兜と鎧をつけた人物が先頭になって、乗り込んできた。
背後には部下が三人、影になろうとでもしているような、不思議に無駄の少ない動きでついている。
「私は艦長で、リャン・ツォイキンという。こちらの責任者と話をしたい」
流ちょうな船乗り語のその声は、女性のものだった。
兜をはずすと、長い髪をそのまま垂らした、二十代後半ほどの年齢の、日に焼けてひきしまった顔が現れる。
「責任者は、今、負傷してまして……」
ジェリーがケリーソンを示すと、同情するように眉をしかめ、すぐに申し出た。
「わが艦には、医者が乗っている。手当をさせよう」
実は、デヒティネには船医がいない。
認王国に医者はそもそも少なく、条件のよくない船医となると、さらに数は減る。
つまり、確保するのは難しいのだ。
負傷前提の戦艦とは違う商船なので、そこまで必須と思われていない、というのもある。
だから、今のような事態に、この申し出はとても助かった。
「それはありがたい」
そう返すと一度だけうなずき、部下に現地語の指示を出す。
言われた彼は、引き返していった。
すぐに連れてこられたのは、前掛けをした白髪の老人だ。
どうも、彼が医者のようだった。
前掛けには色々な粘液や粉がついていて、どちらかというと壁塗り屋の主人に見える。
だが、腕は確からしい。
持参してきた箱から軟膏のようなものを取り出し、それをケリーソンの傷に塗りたくり、しばらく待つと流れ出ていた血は止まった。
それを確認すると、さらなる手当のため、自分たちの船に運ぶように言う。
恰好こそ変わらなかったが、目つき、手際とも、文字通り老練の技を感じさせる変わりようだった。
担架が呼ばれ、ニックも付き添いでついていくことになる。
「目的地はフォンムンか」
残ったジェリーに確認すると、リャンは着くまでの護衛を申し出てくれた。
ちなみにフォンムンは、この大陸最大の貿易港だ。
ほかに小~中規模の港もたくさんあるが、扱う荷量、寄港する船の大きさと数、港湾労働や関連業務に関わる人数、どれもが桁違いに大きい。
海盗賊がこの海域にやたらと跋扈しているのも、そのせいだ。
「ご親切にどうも。いいのですか」
「実は、捕えた海盗賊のことについて、いくつか訊きたいことがある。お願いするのは、むしろこちらのほうだ。了承してもらえるか」
「よろこんで、協力しましょう」
「では、交渉成立ということでいいか。他にも怪我人がいるなら、こちらに引き取ろう」
「大きな怪我をした者はいないので、大丈夫でしょう」
「ふむ。では私は艦に戻る。そちらが先行してくれるか」
「はい」
リャンはまた兜をかぶると、渡し板へと引き返す。
その途中、シルフィが目にとまり、立ち止まった。
「めずらしい。こちらの国の船に、女性が乗っているとは」
「風呼びの見習いです。シルフィといいます」
名乗ると、兜の合間からかろうじて見えている、目元がほころんだ。
そして、親しみを込めた力加減で、シルフィの肩をポンと叩いた。
***
次の日の晩、ニックとジェリーは、リャン・ツォイキンの艦ラープムイの夕食に招待された。
なにが起こったのかの話を、食事がてら詳しく聞きたいということだ。
ほかに、ゲイルとシルフィも招かれた。
風呼びが、こういった他の船とのつきあいに呼ばれるのは、珍しいことらしい。
ゲイルが、教えてくれた。
小型ボートが迎えにきてくれ、慣れない形状の船に、おっかなびっくり乗りこむ。
ニックはケリーソンの付き添いですでにこっちにいるので、見舞いと合流のために、まずは医療室を訪ねることになっている。
案内されたのは薄暗い部屋で、ランプの灯りも絞ってある。
そのせいで、物や人の位置がかろうじてわかる。
ただ、不快な暗さではなく、どこか落ち着く雰囲気があった。
見慣れない薬草や水薬の瓶、壺などの並んだ棚が壁を埋め尽くしている。
その部屋の右奥、カーテンの陰にある小さな寝台に、ケリーソンは目を閉じて横たわっていた。
上半身は裸で、肩から腹にかけて横切る刃の跡が、痛々しい。
傷口の縫合跡には膏薬が厚く塗られ、さらには、見慣れない模様の描かれた紙がびっちりと貼りつけられている。
おそらく、この地域に伝わる医療魔法を補助的に使っているのだろう。
すぐそばの椅子に座っていたニックは居眠りをしていたが、人が入っていた気配に、顔をあげた。
「船長」
ジェリーが近づき、そっと声をかける。
すると、うっすらとだが、まぶたを開いた。
「ああ、みんな、無事か」
「ええ、なんとか。船長だけですよ、こんな大怪我したの」
ジェリーが、泣き笑いのような声で言う。
ケリーソンは口角をすこし曲げた。
たぶん、笑ったのだろう。
「まあ、移譲書の準備はしなくてすみそうですな」
ニックもそんな冗談を言う。
万が一、ケリーソンが助からないとなると、速やかに船長としての権利を譲る必要があった。
そうしないと、絆を失ったデヒティネがまた暴れる。
それが、船長という任を背負った人間と船とのあいだの、特別な結びつきというものだった。
しかし今の彼女の落ち着きようから判断するに、どうやらケリーソンの具合は大丈夫なようだ。
船員たちからすると、ある意味、医者の言葉よりよっぽど信用できる指針だった。
他にも船の備品の状態の報告など、短い言葉をいくつか交わしたところで、左奥の机で乳鉢をかき混ぜていた医者が立ち上がり、面会は終わりだと言った。
「まだ、ろくに話もしてないのに!」
抗議の声をあげたが、あっさり受け流された。
「疲れさせちゃいかん。今日はこのくらいにしておけ」
ニックとジェリー、ゲイルは素直に立ちあがり、廊下に出てケリーソンの状態について詳しい説明を医者から受け始めた。
シルフィもベッド脇から離れようとすると、ケリーソンに手を引かれる。
「シルフィ」
か細い声が聞き取りにくかったので、シルフィは耳を口元まで近づけた。
「おまえ、あのとき……。大丈夫だったのか。みんな、心配してるっていうじゃないか」
「怪我はしてないよ。襲われたりも、しなかった。安心して」
「そっちじゃない……」
そう言われて、わかった。
おそらく、シルフィが外律魔法に引きずりこまれかけたことを、心配しているのだろう。
「あれから、一回も使ったことないし、使えない。それに……」
シルフィはあのあとのことを思い出し、身震いした。
身体の外の黒い霧がすっかり消えたあとも、内側にはまだ片鱗が残っているようで、シルフィは何度も何度も吐いた。
おかげで、ひどい脱水症状にもなりかけた。
あわてて飲まされた水も、最初はまともに飲み込めないほど。
そして、なんとか落ち着きを取り戻したあとも、しばらくはひどい頭痛に悩まされた。
それらの苦い経験で、嫌と言うほど、叩きこまれた。
あの黒い霧も、それを発生させる魔力も、人間の身体とは相いれない、相いれてはいけないものなのだと。
「使いたくない。これからは、ちゃんと気をつけるようにする」
きっぱりと言い切ると、ケリーソンはわずかにうなずき、安心したように目を閉じた。
すぐに、静かな寝息が聞こえてくる。
起こさないように、そっと立ちあがり、部屋を出た。
ニックが医者から受けた説明によれば、傷は思ったよりは浅く、感染症に気をつけ、安静にしていれば、二~三週間で直るだろうということだった。
ただし、今は大量に血液を失った状態なので、血を増やす薬と食事を与えるため、フォンムンに着くまではこちらの艦で預かる、ということだった。
どうやら死にはしないらしい、という診断が医者からもおりたことは、デヒティネの人間にとっては、なによりの朗報だ。
そのおかげで、続く夕食も、明るい気持ちで楽しむことができた。
出港してまだ数日しかたっていないラープムイの食材は、新鮮でたっぷりとしたものだった。
残り少ない食材で、なんとかやりくりしていた近頃の食事に慣れていた舌には、それらはあまりにも豊かな味だ。
料理の皿をすべて平らげ、片づけられたテーブルのうえに食後のお茶が並べられる頃には、誰もが、満足気なため息をもらしていた。
ここで、リャン・ツォイキンは海盗賊の襲撃のあらましを聞き取りするつもりだったらしい。
ようやく、書記の人間を呼びつけた。
そして、主にニックやジェリーに、色々な質問を浴びせかける。
ふたりとも、ひと通りのことを真面目に答えていたが、シルフィの外律魔法のことは黙っていてくれる。
シルフィは安心すると同時に、なんだか嘘をつかせているようで、申し訳ないような気持ちにもなった。
***
ひと通りの用事が済み、いよいよデヒティネに戻ろうとしたときだった。
シルフィは思い切って、見送りに出ていたリャンに訊いてみた。
「リャン艦長」
「うん?」
「艦長は、戦闘で、大切な仲間を傷つけられたりしたことはありますか」
「そんなのは、軍人である以上、年がら年じゅうだな。なぜ?」
「海賊に襲われたとき……、船長がやられたとき……、それに、デヒティネが壊れそうになったとき……。頭のなかが、空っぽになったんです。空っぽっていうか、熱くて熱くて……。なんでかわからないんです。わからないんですけど……、残りの世界が全部壊れてしまってもいい、って思えるくらい、頭のなかがおかしくなっちゃったんです。そんな経験、ありますか」
リャンは、シルフィをじっと見た。
「なくもないかな……。でもなぜ、私に訊く?」
「なんででしょう……。でも、デヒティネの他のみんなは、そんな風にならなかったみたいなんです。同じ目に遭ったのに、あたしだけ、そんな風になって……。他の船でも、そんなもんなのかな、って……」
「ああ、どうかな」
リャンは小首を傾げ、質問した。
「船に乗って、どのくらい経つ?」
「実は、今回が初めてなんです。だから、三か月弱くらい」
「そうか。じゃあ、無理もないな」
リャンは、柔らかく笑った。
「海で生き残りたいなら、理性を失ってはいけない。でも、感情がなくなったら人間じゃなくなる。その割合を、自分なりに折り合いをつけるには、まだまだ経験が足りてないと思う。焦る必要はないだろう。さいわい、君の船の人たちは気のいい連中のようだ」
「そうでしょうか……。いや、気のいい連中なのは否定しませんけど……」
もごもご言うシルフィ。
その肩を、リャンは昨日のように、また親しみのこもった軽い力で叩いた。
「まあ、頑張れ」
「はあ……」
わかりやすい答をもらえなかったことにすこしがっかりはしたが、たしかに、自分の感覚で身につけるしかないことなのかもしれなかった。
「まあ、それだけ、仲間のことを大切に思ってた、ってことだろう。なんなら君は、いい船長になれる性格かもな」
思いもかけないことを言われ、言葉が出ない。
「なんだい、なにも今すぐ船長になれる、って言ってるわけじゃないぞ。でも将来目指してみるのも、悪くはないだろう?」
なんとも、答えようがない。
でも、そんな意見を持つ人間がいることが、そんな夢も許される気がする商船の世界が、とても開かれた世界である気がした。
あのとき、失った、と思ったのは、『可能性』というもののことだったのかもしれない。
自分の才覚を認めてくれ、成長を促してくれ、ときに厳しく、ときに優しく、さまざまな文化や人間が関わり合ってくるこの世界。
失わなくてよかった。
心の底から、そう思った。
リャンに力強く、うなずいてみせる。
「そうですね。悪くないです。それにふさわしい人間になれるように、頑張ってみます」
星の光が輝く上空から、優しい風が吹いてきた。
あたかも、夢を見始めた少女に、寄り添おうとでもするかのように。
「おーい、シルフィ」
下にいるボートから、仲間の呼ぶ声が聞こえる。
シルフィはリャンにもう一度だけ力強くうなずいて見せると、舷縁にかけてある梯子をおりた。
さあ、デヒティネに帰るのだ。
シルフィの夢と希望を体現する、あの船に。
[第四章 あたしたちの船 了]
お読みいただきありがとうございます。
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ひとまずここで完結です。
が、できれば続きを、夏~初秋の頃にでも公開できれば……と思っています。
その時にまたお会いできたら嬉しいです。




