2. 奪いにきた者たち
窮地……!
船内に降りたシルフィは、どこに隠れようか、しばらく迷った。
ひと気がない船内は、急に知らない場所に変わってしまったようだ。
いつも内部で忙しく働いている者たちも、総動員で甲板に出てしまっているので、妙に風通しが良くなっているような気がする。
どんなときでも我が物顔で、のっそりと歩き回っているミスター・クラムビーも、さすがにきなくさい雰囲気を感じとったのか、どこかに隠れてしまって気配がまったくない。
シルフィは、さらに下に降りることにした。
キッチンに向かうことにしたのだ。
コックのブルーノが、窯のさらに奥に、小さな隠し貯蔵部屋を造ってあるのを、まえに偶然見てしまった。
それを、思い出したからだ。
ライムを潰した汁を、運ぶ手伝いをしたときのことだった。
その小さな扉の前には、さまざまな調理器具や食材が、ブルーノ独自の流儀で所狭しと並べてある。
そのせいで、予備知識のない者には、まずわからない。
もうすぐ寄港地に着く予定だったから、在庫もあまり残っていないはずだ。
シルフィひとりくらいの身体の大きさなら、じゅうぶん隠れることができるだろう。
めあての扉を開けてみると、推測したとおりだった。
残り少なくなっている、大小の瓶や壺を奥に積み重ね、空間を作る。
できる範囲で扉の前の調理器具を元のように戻してから、ほんの少しだけ隙間をあけて扉を閉め、膝を抱えて座った。
しかしそうしていると、安全ではあるのかもしれなかったが、真っ暗闇なのもあいまって、悪い想像ばかりが頭に浮かんできてしまう。
頭の上からは木材を伝って足音の響きが聞こえてくるのがせいぜいで、実際のところどうなっているのかは、さっぱりわからない。
そんなふうにしていると、幼い頃、眠る前に母親のホリーが聞かせてくれた昔話の海盗賊たちのことを思い出す。
粗野でがめつい乱暴者ばかりで、人を殺すのも、なんとも思わないような連中だった。
まさに今、甲板で戦っている仲間たちの誰かが殺されるかも、と思うだけで、震える背中を冷たい汗が流れ落ちる。
それでも、しばらくは短剣の柄を握りしめたままじっとしていたが、すこし時間がたつと、自分にもっとできることがあるのではないかと思い始めた。
手始めに、様子を窺ってキッチンに出る。
音をたてないように気をつけながら、肉切り包丁やナイフ、先の尖っている金属の串など武器に使えそうなものを集め、大きなビネガー樽の裏にまとめて隠しておく。
そんなことをしているうちに、ふと、誰かの声が聞こえてきた。
「おまえは下から順番に確認しろ。俺は上からいく」
聞き覚えのない声。
船内を見回るために、船盗賊の誰かがおりてきたに違いない。
つまりは、甲板での勝敗は、もう決まってしまったということだろう。
シルフィは、唇を噛みしめた。
すぐにでも仲間を助けにいきたかったが、しかし今、飛び出していくのは得策ではない。
たった今、この瞬間は、自分ひとり飛び出していっても、なにもできなだろう。
そう考え、なんとか気持ちを抑えこむ。
そして渋々ながらも、貯蔵部屋のなかに戻った。
荒々しい足音が、ドタドタと下品な音をたてながら、船内を巡っているのがかすかに聞こえてくる。
キッチンにも近づいてきたが、シルフィの目論見通り、ごちゃごちゃと物の並んでいるのを入口からざっと見ただけで、去っていったようだ。
それでもしばらくは息を殺し続けて、ようやくもう大丈夫だと確信してから、一度だけ大きく息を吸った。
用心しながら、扉をそっと開け、キッチンの入口わきに隠れながら、通路を伝わってくる声に耳を澄ます。
「確認が終わったら、さっさと甲板に戻れ!」
神経質そうな、三人めの怒鳴り声が、上の階層、船長室のある方向から聞こえた。
***
そのすこしまえから、甲板は、それまでの喧騒が嘘のように、静まりかえっていた。
乗組員たちは次々と打ち負かされ、武器を奪われて、しかたなく投降するしかなかった。
人数こそデヒティネのほうが多かったが、いかんせんただの商船乗りだ。
略奪に慣れた相手とでは、戦闘能力に、違いがあり過ぎる。
ただ、さすがに海盗賊たちも無駄に殺すつもりはないようで、いったん負けを認めさえすれば、攻撃の手を止めた。
しかし、反撃を封じるためだろう。
動けないように手足をロープで拘束したうえで、何人かをまとめて一本のロープで、マストの周りに縛りつけた。
こうしてあると、ひとりが無理にひっぱるようなことがあれば、他が締めつけられるので、思うように身動きが取れないという仕組みだ。
ただそのなかで唯一、ケリーソンだけは別の扱いだった。
首もとにナイフの刃をあてられ、船尾楼まで連れていかれる。
そこには、すでにジェリーが引き離され、床に伏せさせられていた。
そして、誰も掴んでいない舵輪を背に、腕を組んで甲板を見渡す男が、ひとり立っていた。
海盗賊たちはみんな短い髪をしていたが、その男だけが、長い髪を後ろでくくっている。
頬と腕には、大きな傷。
目はまるで油を含んでいるようにぎらぎらと光っていて、どこか狂気じみた雰囲気があった。
「ギャンタイコォ」
ケリーソンを連れてきた男が、名前を恭しく呼んだ。
どうやら、この男が首領のようだ。
タイコォというのが、このあたりの現地語でのちょっと荒っぽい尊称なのは、ケリーソンも知っていた。
つまり、ギャンという名前なわけだ。
本名かどうかは、かなり怪しかったが。
「おまえが、船長らしいな」
ニヤリと皮肉な笑みを浮かべ、ギャンは船乗り語で話しかけてきた。
隣には、頭ふたつ分は背が高く、さらに横幅となると倍近くある、筋肉隆々の男が並んでいる。
年齢は首領よりすこし年上のようだが、護衛、あるいは右腕といった雰囲気だ。
この男の身体には、隣の男よりもさらに数多くの古傷が、縦横無尽に走っていた。
ケリーソンは突っ立ったまま、黙っている。
すると、船尾楼から、ケリーソンの目の前、鼻と鼻がぶつかりそうなほど近くに、おりたった。
そして、日に焼けた顔に尊大そうな笑みを浮かべたまま、気取った調子で訊いた。
「金庫はどこだ」
ケリーソンは顎を軽くあげ、答えた。
「なんの話だ」
その態度に苛立ったのか、ひと呼吸おいたあと、右から力まかせに拳で殴りつけてきた。
ケリーソンは足をぐらつかせたが、すぐにまたまっすぐな姿勢に戻り、唾を足元に吐いた。
血が混じっている。
口のなかが、切れたらしい。
「今さら、しらばっくれてもしかたないだろう。あり場所を吐けよ」
まったくもって、相手の言う通りではあった。
今さら、抵抗したって、どうしようもない。
しかし、そこで素直に白状するのは、どうしても気持ちが許さなかった。
船なんていう限定された生活環境に長期間耐えながら、遠路はるばる手間暇かけてやってきたのは、海盗賊にみすみす努力の成果を奪われるためではないのだ。
意地を張りたくなっても、しかたのないことだろう。
「死にたいのか」
一向に動じないことに苛ついたのか、ギャンは、ジェリーから奪って持っていた拳銃を、こめかみにあててきた。
顔が引きつりそうだったが、なんとか耐える。
なぜなら、そんな台詞を言っていても、殺しはしないことはわかっていたからだ。
すくなくとも、目あてのものがどこにあるかわかるまでは、殺してしまっては元も子もないはずだ。
他の船員には教えてないことくらい、船の世界に詳しい人間なら、見当がついているだろう。
まあ、あくまで、そんな理屈が通用する相手だと想定して、の話ではあるが。
そして相手も、ケリーソンをこれ以上脅してもしかたがないと、すぐに気づいた。
こめかみに銃はあてたままではあったが、右腕の男に、彼らの言葉でなにかを命じた。
男はのしのしと近くのミズンマストに寄ると、縛りつけられていたトバイアスの咽喉に、手にしていた曲がった刃の剣を当てた。
この剣も、船の帆と同じように、この地方特有の形をしている。
「船長ぉぉ~~」
トバイアスが情けない声をあげた。
せまい額に、脂汗が光っている。
「わかった、わかった、教えるよ」
ケリーソンは、とうとう観念する。
「よし、俺はこいつを連れていく。アイユ、おまえは甲板で見張ってろ」
そう言われ、トバイアスに刃を当てていた男は、不満そうな息を漏らした。
続けて、なにかを言い募る。
しかし、ギャンはにべもなく首をふった。
どうも、アイユと呼ばれた男が自分もついて行きたいと言ったのを、断ったようだ。
安心して後を任せる、というよりは、自分のこれからやることを見せたくない、そんな秘密主義からの拒絶に思える。
そのせいだろうか。
答を聞いたあとも、不満気な表情のままのアイユ。
どうやら、この連中は一枚板というわけでもなさそうだ、とケリーソンは察した。
(うまくやれば、それを利用できるときが来るかもしれない)
そう思い、機会を窺うことにした。
そして、背後を取られながら、船長室へ続く階段をおりていくことになった。
***
「さて、船長さんよ。さっさと、金庫のあるところに案内してもらおうか」
シルフィが聞いた、神経質な声の持ち主は、ギャンだった。
人質を連れてくるなり、今まで船内を調べていた部下を、さっさと追い出したわけだ。
これは、ケリーソンにとってはいい兆候だった。
敵の数は、少なければ少ないほどいい。
「そう焦るなよ。背中に銃を当てられてると、どうにも足がすくんじまってな」
わざとらしく言うと、真に受けた相手はせせら笑う。
ただ、この声を聞いて、シルフィが動いた。
上階層へ続く階段の一番上まであがり、目までをそっと上階に出し、船長室の方向を見る。
ケリーソンと、海盗賊らしき知らない男がいるのが見える。
銃を向けているだけで、なぜかロープなどでの拘束はしていなかった。
その理由は、すぐにわかった。
海盗賊が指示をして、ケリーソンがしゃがみこんだ。
なぜか、テーブルの足をつかむ。
なんでそんなことをしているのかはわからなかったが、このために両手を使えるようにさせているのだろう。
やがて、テーブルをどけると、今度はじゅうたんをはがし始めた。
模様替えでもあるまいし、なにをしているのかとシルフィがいぶかっていると、そこでケリーソンと目が合った。
視線が低い位置になっていたせいだ。
指を使って、船長室のドアの陰まで移動することをシルフィが合図すると、わずかに頷く。
そして、ドアには背を向けている相手に、話しかけ始めた。
シルフィから気を逸らすためだ。
「なんで、海盗賊なんてやってるんだ。フォントゥなら、船の仕事なんていくらでもあるだろ。まっとうに働けよ」
相手は鼻で笑う。
「おまえ、知らないのか。あの国ではな、バッワーの出じゃないと、出世なんて見込めないんだよ。バカバカしくてやってらんねぇ」
『バッワー』がなにを指すのかは気になったが、ここで話に聞き入ってしまっては、元も子もない。
せっかく隙を作ってもらっているうちに、音をたてないように気をつけながら、すばやく移動した。
ケリーソンが絨毯をはがし終わり、床を指してみせている。
相手が、よく見ようと、無意識に屈む。
その瞬間。
シルフィは、手にした短剣を、思いっきり床に滑らせた。
すかさず、それをつかむケリーソン。
そして跳ねるように立ち上がると、一瞬で相手の背後にまわり、喉元に刃を突きつけた。
「貴様っ……!」
「黙ってろ。でなきゃ咽喉を掻っ切るぞ」
ケリーソンが低い声で脅した。
相手は黙る。
そう。
今や、形勢は完全に逆転していた。
シルフィが駆けこむと、銃を取りあげるように言われた。
おっかなびっくり、相手の手から奪う。
それをケリーソンに渡すと、持ち替えて短剣を返してくれた。
「シルフィ、俺の衣装箱からスカーフを持ってこい。一番上に入ってるはずだ」
「うん」
命じられるまま、そのスカーフで男にさるぐつわを噛ませ、さらにはロープも取ってきて、腕と足を縛った。
後ろ手にして攻撃できなようにし、足はかろうじて歩ける幅だけの余裕をもたせたうえで、ひっぱればすぐ転ばせることができるように、残りを長く取って手に持った。
「シルフィ、反対の、船首側に回ってから、甲板に上がってくれ」
「うん。船長は?」
「俺は、こいつを連れて、ここから上に出る」
「うん」
「そうやって注意を引いているあいだに、おまえはひとりでも多く、捕まってる奴のロープを切るんだ。できるか」
「わかった。やってみる」
「ただし、見つかったら、おとなしく降伏しろよ。命まで取られちゃ、割にあわん」
「うん」
「百数えたら、俺はこいつを連れて甲板に出る。そのときに出るんだ、いいな?」
シルフィは強く頷き、部屋を出て船首方向へと必死に走った。
船首楼の下に出る階段までつくと、頭が甲板の上に出ない、ぎりぎりの位置まで登り、待機する。
「おまえら、よく聞け!」
そして、打ち合わせ通りのタイミングで、ケリーソンの声が、甲板に響き渡った。
「タイコォ!」
自分たちの首領が捕えられていることに、海盗賊たちは明らかに動揺した。
せっかくあちこちに散らばるように配置され、人質を見張っていたのに、すぐに持ち場を離れてしまう。
そして、ケリーソンたちのいる船尾へと、全員がじわじわと移動しはじめた。
たぶん、無意識に。
「動くな! おまえらの首領が、どうなってもいいのか!」
ケリーソンが銃口をギャンタイコォの後頭部にぐりぐりと押しつけながら怒鳴ると、手下たちの動きが、完全に止まった。
その隙に、シルフィは甲板にそっと出る。
ケリーソンの狙いどおり、うまいこと気づかれないですんでいる。
それが確認できると、まずは自分から一番近いフォアマストの根元に、忍び寄った。
後ろ手に縛られ、足首もロープで固定されてしまっている五人が、ぐるっとマストを取り囲むように縛りつけられている。
そして、その五人のなかで一番近くにいたのは、リッチーだった。
持っている短剣を無言のままで見せ、これから結び目を切ることを示すと、顎を動かして、切る場所を指示してきた。
なにか、思惑があるらしい。
示されたとおり、まずは、手首のものを切り、それから腰に巻きつけられているものの、手のすぐ近くの部分を切る。
それが床に落ちないように、リッチーは手で受け止めた。
そうしていると、まだ縛られたままでいるように見える。
そうやって相手を油断させ、不意打ちをするつもりらしい。
いいアイデアだと、感心した。
まあ性格的にはなんだが、頭が回るのはたしかなのだ。
残りの四人は手首のロープだけを切っておいた。
あとは任せることにして、キッチンから持ってきていたフルーツナイフをその手に握らせておく。
それがすむと、次に、ハッチカバーの陰に隠れる。
一番、大勢が縛りつけられている、メインマストになんとか近づきたい。
「こいつを殺されたくなかったら、武器を捨てろ!」
一連の流れを見ていたケリーソンが、このタイミングで怒鳴る。
海盗賊たちはお互いに顔を見合わせていたが、とうとうひとりが武器を床に置いた。
すると、渋々ながらも、次々と同じように従う。
そして、これと同時に、リッチーが動いた。
他の四人もすぐに動き、近くに積んであった武器の山から、めいめい武器を取る。
そのなかのひとりは手斧を取り、仲間たちを縛っているロープに、片っ端から振りおろした。
このタイミングでシルフィも隠れ場所から飛び出そうとしたが、ケリーソンが首をふってみせたので、思いとどまる。
次々に手足が自由になった連中は、続々と武器を取り戻し、おのおのが海盗賊のそばに、いつでも攻撃できる姿勢で立った。
いまや、完全に、船のコントロールは取り戻された。
そう見て取ったケリーソンは、続けて指示した。
「自分たちの船に帰れ」
何人かが、諦めた表情で舷縁からぶらさがっているロープへと近づき、戻ろうとし始める。
その時だった。
不敵な笑い声を、あげた者がいた。
「やっちまえばいい」
ケリーソンたちからあまり離れてはいない位置に立っていた、アイユと呼ばれていた屈強な大男だ。
「なに!?」
思いがけない言葉に、誰もが、一瞬ぽかんとする。
「ケチくさいそいつに従うのにも、いいかげん、うんざりしてたんだ」
そう言って、甲板に唾を吐く。
「今だってそうだろ。お宝がどれだけあるのか、俺たちに知られたくなくて、ひとりで見にいきやがった」
苦々しげな口調は、この不満が、今急に思いついたことではないのを感じさせる。
「おかげで、まんまと反撃くらってやがる。バカ丸出しじゃねえか、やってらんねえ」
鬱憤を晴らすかのように滔々とまくしたてたあと。
突然、周りにいた人間を、敵味方関係なく吹っ飛ばし、走った。
あっというまに、ケリーソンたちの前までくる。
そして、向き合ったと思うと、手にしていた斧を、大きく振りかぶった。
ケリーソンは、とっさに邪魔なギャンを、突き放す。
銃を構え……。
しかし、間に合わなかった。
次の瞬間、斧は思いきり振りおろされた。
左の肩口から右下へと、斜めにざっくりと切られる。
一瞬の間をおいたあと、血が一気に噴き出した。
たまらず膝をつき、しばらくその姿勢で耐えていたが、結局、前のめりに倒れこんだ。
「船長! 船長ぉぉ!」
甲板の乗組員たちが、叫び出す。
アイユはすぐに取り囲まれ、組み伏せられた。
海盗賊たちまでもがあっけにとられ、これを機に反撃に転ずるのも忘れてしまったようだった。
ケリーソンの手が離れたギャンは、これ幸いと逃げ出し、海に飛びこんだ。
そして。
船体が突然、まるで痙攣でも起こしているように、細かく揺れ始めた。
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