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7. 友だちに別れを告げて

友よ、またね

 二隻の船が港へと帰ると、岸壁で待っていた連中が、大騒ぎで迎えた。

 救出した人間たちのほとんどは自力で立てないほど弱っていたので、ジェラニは船に乗せたままで手当てをさせることに決めた。

 岸に指示を出すと、すぐに、医者とスープの鍋が運ばれてくる。

 船の持ち主の男は、船室のひとつに拘束された。

 ひと通りの手配を済ませたら、ジェラニが事情をきちんと訊くつもりらしい。

 周りのすすめもあって、シルフィはいったん、ティシャと一緒に下船することにした。

 市場で見た女たちが、すぐに寄ってきてティシャを抱きしめ、近くにあったベンチに座らせた。

 こういう時は、慣れ親しんだ人たちに任せたほうがいいだろうと判断して、シルフィは場を離れ、船に戻ろうとする。

 なにか手伝うことがあるだろう、と思ったからだ。

 そのとき、集まっていたなかのひとりが、声をかけてきた。


「あんたがティシャのこと、助けてくれたんだってね」


 初老の女性だった。

 市場で店を出しているのを、見た覚えがあった。

 ティシャたちの店の近くだ。


「うん。だって、友だちだから。それに、あたしひとりでやったんじゃないよ」


「いやいや、偉かったねえ。それに比べて……、ねえ。人さらいに協力するなんて、船乗りの恥だよ」


 女性は、薄汚れた船に目をやりながら、呆れたようなため息をつく。


「しかもなにを血迷ったのか、族長の娘をさらうなんて」


「族長の……娘?」


 思いもかけない言葉を聞いた。


「おや、知らなかったのかい。ジェラニは、このあたりで一番大きい部族を統率してるんだよ」


「き、聞いてなかった」


 女性は、笑った。


「あの子も、そんな事情を知らない友だちができて、嬉しかったのかもしれないね」


「でも、そんな偉い人の娘が、なんで市場の店番なんてやってたの」


「ずっといるわけじゃない。ティシャの社会勉強のためだろ」


 そう聞いてもピンとこないシルフィに、また笑う。


「あの子は、後継ぎなんだよ。いろんなことを、知っておかなきゃならないんだ。たとえ子供でも、ね」


(ずいぶんしっかりしてると思っていたら、そういうことだったのか)


 シルフィが納得していると、背中に、気配を感じた。

 振り向くと、ティシャだ。


「ちょっと、大丈夫なのかい」


 心配する女性に頷いてみせたあと、シルフィを見た。


「船に、手伝いに戻るの」


「うん」


「あたしも行く」


「……平気?」


「なんか……。なんかしてないと、落ち着かないんだ」


 心配は心配だが、その気持ちもわかるような気がする。


「じゃ、一緒に行こうか。スープ飲ませたり、身体拭いたりするのに、いくらでも人手いるだろうから」


「うん」


 シルフィはティシャの手を、ぎゅっと握った。そしてそのまま船へと向かった。



***



 救出された人間たちの、手当や食事の世話が甲板でされている頃。

 船室では、ジェラニが、船の持ち主アジゲに話を聞いていた。


「とにかく、ずっと仕事がなかったんだ。家族だって食わせてやらなきゃならない。いい話だと思ったんだよ」


 言い訳をしきりとまくしたてるのは相手にせず、単刀直入に訊く。


「誰に頼まれた」


 実は、かなり前から、人さらいの噂がみんなの間で囁かれていた。

 しかし、証拠らしい証拠もなく、誰が仕組んでいるのかもわからなかった。

 今回のことで、突破口が開けるかもしれない。

 ジェラニはドアから顔を出し、自警団の団長をしているキファルを呼んだ。

 一緒に話を聞いたほうが、よさそうだからだ。

 狭い室内に、体格のいいジェラニとキファルが並ぶと、それだけで威圧感がある。

 アジゲは、ますます身体を縮こまらせた。


「ちょうど今、依頼した人間が誰なのか、訊いていたところだ」


「ああ」


 ふたりのやり取りを、アジゲは黙ったまま見ている。


「おい、おまえ」


 その態度が気に入らないキファルは、顎をしゃくりながら声をかけた。


「わかってるのか。ジェラニはクザ族の長だぞ。しかも族長間会議の議長だ。睨まれたら、この大陸で商売なんて、二度とできなくなるんだぞ」


 アジゲは、目を剝いた。

 その小賢しい頭をフル回転してしばらく損得を計算していたようだが、ようやく、結論が出たようだ。

 機嫌を窺う卑屈な目つきで、語り始めた。


「身なりのいいやつに、頼まれたんだ。空いてる船を探してるって。急ぎだからしこたま払てくれるって、そんで積み荷は木箱ふたつだけ。いい話だと思ったんだよ。特殊な魔法を使うから、水夫も雇わなくていい、俺ひとりだけいればいいって話だったし」


「おめでたいヤツだな。だいたい、あれが外律魔法だとは、気がつかなかったのか?」


「気がついたときには……」


「ああ、遅かったわけか」


 キファルが、せせら笑う。


「それで、その身なりのいい男はどんなヤツだ。容姿を詳しく説明してみろ」


 アジゲが説明したのは、実は、ケリーソンが声をかけられた男と同じだった。

 だが、それを知る者はここにはいなかった。


「そいつが誰だか、心当たりがあるな」


 ジェラニは口元に手をやる。考えるときの癖だった。


「誰だ?」


 なにげなく聞いたキファルに、耳打ちをする。


「ゴールドんとこの!?」


 叫んだキファルの胸を叩く。

 囁いた意味が、台無しだからだ。

 その名前に、アジゲの顔がさらに青くなった。


「やばい、殺される。マジで殺される。なんとかしてくれよう!」


 必死な形相に、ジェラニもさすがに気の毒になってきた。


「逃げるなら、手を貸してやってもいい。内陸になら、つてはある」


「なんでもいい! なんでもいいよ! もう海の仕事はごめんだ。船だって手放したかったのに、ずっと売れなくて……」


 ついにはめそめそと泣き出した。

 ジェラニはしばらく思案した。

 そして、懐からコインのたっぷり入った革袋を、取り出した。


「これで船を俺が買い取ってやろう。どうだ? 状態からしたら、悪い値段じゃないと思うが」


 アジゲは、ただただ頷く。

 渡された革袋をすぐに開け、なかを確かめると、にんまりと微笑んだ。


「こんなにもらって、いいのか?」


「急いで逃げるとなると、色々と金もかかるだろう」


「ありがたい! じゃあ俺はさっそく……」


 そう言って駆け出そうとするのを呼び止め、袖をまくらせる。


「なんだ?」


「俺の関係者だってわかる印を、描いておいてやる。困ったらクザ族の人間を探して見せれば、力になってくれるだろう」


「助かるよ、ありがとう」


「とにかく一刻も早く、この街を出るんだ。ゴールドの権力も、街の外までは及ばない」


「ああ」


 状況に似合わない上機嫌で出ていく背中を眺めていると、キファルが呆れて言った。


「いいのか。あんなに気前のいいことして」


 それには、肩を竦めてみせる。


「元凶じゃないあいつをどうこうしたって、しかたないだろう。はした金で恩を売れるなら、あとでなにかの役にたつこともあるかもしれん。そんなことより、ゴールドだ。沖合に、たしかヤツの持ち物の小さな島があったよな」


「ああ、そういえば……。ってことは、この船が向かってたのは、その島か」


「そろそろ、よそ者に好き勝手に仕切らせるのも、考えなきゃならんな」


 ジェラニはそう言うと、船室から甲板へと出た。



***



 その頃、ひと段落ついたデヒティネの艦長室では、グラスの酒をちびちび飲みながら、ケリーソンが満足気なため息をついていた。

 正直、自分を取り戻せたような気分だ。

 商会回りですり減らしていた神経が、海に出たことで、すこしだけだが持ち直せたのだ。

 人助けができるなんていうのは、本当のところただの口実だったのかもしれない。

 自分がこれを意識下で欲していたからこそ、我ながらあっさり話に乗ってしまったのかもしれなかった。

 そんなことを、酒でぼんやりした頭で考えていると、ドアがノックされた。


「入れ」


 ジェラニだった。


「ああ、失礼しました。うちの船員かと思って」


 酒を勧め、座るように言う。


「今回は助けていただき、ありがとうございました。娘も無事でしたし、他の弱ってた連中も、何日かすれば体力を取り戻しそうです」


 グラスを傾けたあと、ジェラニが言った。


「ああ、そりゃあよかった。船の持ち主は?」


「私が船を買い取って、奴は内陸に逃がすことにしました。ここにいちゃ、危ないかもしれないので」


「危ない?」


「今回の件の、雇い主がわかったんです。手を広げてるのはいいが、どうも以前から、悪い噂が絶えない奴で」


「ああ、なるほど」


 そこらへんは、正直、どこの港でもある話ではある。


「ただ、今までは決定的な証拠がなくて、手を出せなかったんです。我々が見て見ぬふりをしているうちに、立場の弱い者から搾り取ったり無知な人間を騙すだけじゃ飽き足らず、外律魔法にまで関わっていたとは」


 外律魔法の危険さは、ケリーソンもよく知っていた。

 この世界の秩序を担っている地律魔法。

 それに反する力なのだという。

 強力であることは確からしいが、調子に乗って使ったあげく、滅んだ国や沈んだ島の話は、いくらでも聞いたことがある。

 つまり、周りまで巻き込まれかねないのだ。

 土地の人間が、放っておけないのもわかる。


「ゴールドって男なんですけどね。彼が来てから、色々とおかしくなった。……あなたと同じ国から来たようですが」


「名前からすると、そうみたいですね」


「彼みたいな人間が流れ着いてくるかと思えば、あなたみたいな、直接自分に関係ないことでも手を貸してくれる人も来る。港町っていうのは、面白いものですね」


「ここにお住まいじゃないんですか」


「一年の大半は、内陸にある、自分たちの部族の土地で暮らしています。年に数ヵ月だけ、商売の契約手続きや、最新情報を仕入れにここで暮らすんですよ。今回は初めてティシャも連れて来たんです。そろそろ社会勉強もさせなきゃいけない年齢ですから」


「なるほど」


「そういえば」


 ここで急に、ジェラニが話題を変えた。


「デヒティネを雇うという話の続き、ちゃんと詰めてませんでしたね。いくらお支払いすればいいでしょうか」


「ああ、あれですか」


 ケリーソンは、自分のグラスに酒を足しながら、肩をすくめた。


「気にしなくていいです。あそこで揉めて時間を無駄にしたくなかったから、とっさに言ったまでです。デヒティネに損害があったわけでもないですし、払う必要はないですよ」


「しかし、乗組員の方々にまで、手伝ってもらったではないですか」


「ああ。あいつらは好きでやったことですから。なんなら、あとで酒場で一杯ずつ奢ってやってください。それで満足するでしょう」


「しかし、それでは……」


 しばらく悩んだあと、急になにか思いついたのか、ぱっと顔が明るくなった。


「そういえば、染料の荷が手配できなくて、お困りだとか」


「ああ、そうなんです。明日っからまた、うんざりする商会巡りです」


「もしよかったら、私の知り合いから、都合つけましょうか。仲介を挟まないので、仕入れ値もかなり安くなると思います」


「いいのですか」


 願ってもない申し出に、ケリーソンは腰を浮かしかける。


「我々のために、わざわざ船を出してくださったんだ。その心意気は報われなくてはいけないでしょう。ちゃんと、上物を揃えさせますよ」


「そりゃ、ありがたい」


 ずっと頭を悩ませていたことが解決するとなると、酒の味がさっきよりよくなった気がした。

 出港の予定も、これでずらさずに済む。


「こちらとしても、直接取引ができるのは、ありがたいですよ。なんなら今回ばかりと言わず、今後もごひいきに」


「願ってもないです」


 デヒティネは年に数回、この港に寄る。

 この話が決まったので、これからは、心身をすり減らして、交渉に走り回らなくて済む。

 もっけの幸いに、心も軽くなるというものだ。


「では、明日さっそく見本を持ってこさせましょう」


「すぐに契約できるよう、こちらも担当の者を同席させます。構いませんよね」


「ええ、もちろん」


 ジェラニは酒を飲み干すと、立ち上がった。


「とにかく、助かりました」


「まあ、そもそもはシルフィが頼んできたからですけどね」


 ケリーソンがちょっと皮肉な笑みを浮かべると、ジェラニも同じような表情をした。


「お互い、やんちゃな子供がそばにいると、退屈するヒマがありませんな」


「まあ、面白いっちゃ面白いから、いいんですけどね。本人にゃ絶対そんなこと言わないですが」


「はっはっは。わかります。調子に乗らせたら、世界の果てまで飛んでっちまいそうですからね。うちは、これから説教ですよ」


「まったく。今回は結果がよかったとはいえ、身の危険をちゃんと考えられる人間になってくれないと、寿命が縮まります」


 そうやって笑いあいながら、ジェラニは部屋を出て行った。

 なかなかの太っ腹で、しかもどうも周囲の人間の態度からして、相当の地位の人間のようだ。

 いい縁ができたものだと、ケリーソンは笑みを浮かべた。

 説教をするにはしても、こういうきっかけを作ってくれたことに関しては、シルフィを褒めてやってもいい気がしてきた。



***



 それから、三日後の早朝。

 デヒティネは、いよいよ出発することになった。

 上質の染料をたっぷり積んで、飲料水も食料も充分だ。

 船倉の隙間が減って、そこに私物を便乗させて副収入を得ている下級船員たちが、ボヤくいるほどだった。

 港には、ジェラニとティシャの親子が、見送りにきてくれていた。

 奥まった場所に停泊してる、例のおんぼろ船も見えた。


「これ、船で食べなよ。二週間は持つよ」


 そう言って、ティシャが地元産の皮の厚い果物や加工肉、がっちり焼いた硬い菓子などを詰めこんだ袋を、持たせてくれる。


「ありがとう。大事に食べるよ。それに、これ」


 腕の、鳥の絵を見せる。


「消さないでおくよ。いつでもティシャのこと、思い出せるように」


「じゃあさ、今度寄ったときは、もっと凝った模様を描いてあげるよ」


 絵を指先で撫でたあと、ティシャは笑った。


「うん。今度。またね」


 シルフィが噛みしめるように言うと、顔をくしゃくしゃにした。


「やだなあ。また会えるよ。絶対だよ」


「うん」


 ふたりはしっかり抱き合って、頷き合った。

 不思議だった。

 生まれも育ちも全然違うというのに、なぜか双子の片割れを見つけたような、そんな気持ちだった。

 だから、こんなに別れがつらい。


「じゃあね」


 何度も振り返りながら、デヒティネに乗り込む。

 すでにみんな配置につき、それぞれの作業に没頭している。

 キャビンに荷物を放り込み、シルフィも檣楼へと登っていった。

 すでに待機していたゲイルが、身体をずらして場所を空けてくれる。


「なんだ、泣いてるのか」


 からかい半分、心配半分の声音で言われ、シルフィは目を擦った。


「泣いてなんかいない」


「そうかい」


 強がりも意に介さないのか、視線を空中に戻すと、指笛を吹き始めた。

 シルフィは下に目をやり、こちらを見上げているティシャとジェラニに手をふった。

 気づいて、振り返してくれる。

 それを見てから、今度は上空に視線を向けた。

 天気は上々。

 晴れ渡る空には雲ひとつなく、海鳥たちが長い翼を広げ、あちこちを滑空している。

 つまりは、風もいい具合に吹いている。

 こういうときの風呼びは、無理に呼び込まなくても充分に帆に風があたるので、調整だけをすればいい。

 海鳥がときおりあげる鳴き声は、デヒティネを沖へと呼んでいるようでもある。

 レイディの大きなあくびが聞こえた。

 船体に、一気に活気がみなぎる。

 それらを感じているうちに、新しい世界へと旅立つ喜びが、ふたたび、蘇ってきた。

 寂しいと言ったって、帰る場所がなくなったわけじゃない。

 いや、大切な友だちができたことで、戻るのが嬉しい場所が、増えたのだ。

 そう。

 そんなふうに幸運な人間は、そうはいないだろう。

 そして、これから行く先で、ティシャのような友だちが、もっと増えるかもしれない。

 その考えは、シルフィの胸のうちを、きらきらと輝く光でいっぱいに満たした。

[第三章 色彩の地 了]


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