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5. 落ちぶれた船

追え!

 やけに外が騒がしいなと、ケリーソンは書類から顔をあげた。

 そろそろ文字も読み疲れたころで、気分転換も兼ねて甲板に出ることにする。

 左舷から岸を眺めようと、顔を出したケリーソンは、なぜか大勢の歓声で迎えられた。


「な、なんだ」


 岸壁には、現地の人間たちが集まって、こちらに向かって手を振っている。

 今さら入港の歓迎をしてくれているわけでもないだろうし、一体なにが起きているのか、まったくわからなかった。


「船長!」


 ざわめくなかから、甲高い声が矢のように、ひときわ鋭く聞こえてきた。

 シルフィの声だ。

 目をこらしてみると、どうやら、現地の人間の集団の真ん中に、若い水夫連中がいる。

 さらにその中心にいたシルフィの小さな身体が、飛び出してきた。

 ケリーソンに、縄梯子を投げるように頼んでくる。

 それを登ってくるなり、沖合の船の灯りを指さし、縋りつくような声で言った。


「船長、デヒティネを出して。あの船を追って。友だちが攫われて、あれに乗せられてるんだ」


 突然、無茶なことを言いだすので、返答に困る。

 予定にはもちろんなかったことだし、人員だって揃っていない。

 どうやって無理なことを説明しようかと考えているあいだに、縄梯子をつたって、どんどん人が乗りこんできた。


「おいおいおいおい」


 ピーティーやリッチー、それに航海士のニックとジェリーまで。

 さらにはそれ以外にも十人ほど、有能な若手水夫がいる。

 つまり、最低限ならデヒティネを動かせるメンバーが揃ってしまった。

 嫌な予感しかしない。


「船長さん」


 すると、ひどく重々しい声音の男性が、甲板にあがった集団のなかから、前に出てきた。


「私はジェラニと言います。攫われたのは、私の娘なんです。船を出していただけませんか」


「しかし……」


「では、どうでしょう。私が今から、この船を短期契約で雇うというなら? お代はちゃんと、あとで払います」


 そこまで言われて、ケリーソンも強く断れなくなってしまった。

 それに、自分にだって、これから生まれてくる子供がいる。

 もしも攫われたりしたら、経費なんて気にしてられない。

 借金してでも、地の果てまで追いかけていくだろう。


「金についての話は、あとにしましょう。そういう事情ならしかたない、協力しますよ」


 話が決まると、ケリーソンはすぐに水夫たちに指示を出した。

 なぜこんな騒ぎになっているのか、今の二人の話を聞いていたので、みんな事情はわかっている。

 急いで、配置についた。

 シルフィも力強く頷くと、檣楼へと一目散に登っていった。

 さらにそのあとを、ゲイルが追う。


「ジェラニさん、あんたも一緒に来てください。娘さんを確認しないと。それからできれば、腕っぷしの強いヤツも何人か」


「わかりました。ありがとうございます」


 ケリーソンの言葉に、ジェラニはすぐに仲間から十数人を選んだ。


「ニックとジェリーは銃を出して、いつでも撃てるようにしておけ。この手の商売してる船だと、武装してる可能性がある。さすがに、大砲積んでる船には見えんが」


「アイ、サー」


「それと、残りの連中は降りろ! 邪魔だ!」


 ジェラニがその言葉を訳し、選ばれた何人か以外は、すごすごと船を降りていった。

 そこに、さっき事情を訊いたタグボートの持ち主が、曳航を申し出た。

 自分がなにに関わってしまったのかを理解して、せめてもの罪滅ぼしをしたいのだろう。

 事情がわかれば、こうやって、次々と助けが増えていく。

 人が売られることに、この港の人々も怒っているのだと、シルフィは実感した。


「船だまりを抜けたら、すぐにスピードあげるぞ、準備しておけ!」


 操帆手たちにそう指示すると、ケリーソンは自ら舵輪を握る。



***



 時間をすこし遡り、ティシャのこと。

 男たちにつかまったあとは、とにかく必死だった。

 洞窟で捕まったらすぐに、檻に入れられた。

 それからふたり組のひとりが誰かに報告にいき、妙に洒落た格好をした優男を連れて戻ってきた。

 力ではかなわないだろうに、二人組はこの男に頭が上がらないらしく、叱りつける言葉に口答えもせず、黙って指示に従っていた。


「すぐにずらかるぞ。大ごとになると、握りつぶすにも限界がある。荷車を寄越すから、さっさと箱に詰めて港に運ぶんだ。俺は先に行って、船を手配しておく」


 どうやら、この状況を仕切っているのは、この優男のようだ。

 もしかしたらあとで役に立つかもしれないと、ティシャはそっとポケットから粉の筒を取り出すと、相手に気づかれないようにして、背中へ蝶の印をつけた。

 そのあと荷車が着くと、檻にいた他の人間と一緒に、木箱に入れられた。

 まるで荷物を重ねるように入れられて、心底参った。

 同じような木箱がもうひとつあり、残りの者もそれに入れられていた。

 荷台に積まれ、連中が傍を離れた隙に蓋に頭突きをして開けてみようとしたが、しっかりと留めてあり、効果はない。

 頭が痛くなるだけなので、しかたなく、しばらくはおとなしくして様子を窺うことにする。

 そもそもがあまりにも窮屈な環境で、姿勢を保つのもやっとだ。

 弱りきって身じろぎもろくにできない自分以外の人間を、それでも痛い場所を踏んだりしないように気をつけながら、ティシャはなんとか箱の上部にある空気穴の近くに鼻と口を持っていった。

 やがて荷車が動き始める。

 いよいよ、切羽詰まった状況になってきた。

 突然、身体じゅうから嫌な汗が噴き出してくる。

 怖れの感情が重い石になって覆いかぶさってきたようで、それになにもかもが潰されるようだ。

 なんとかその感覚に押しつぶされそうになるのを(こら)え、ポケットからまた、粉の入った筒を出した。

 シルフィがきっと、誰かを連れて戻ってきてくれる。

 それを信じて、せめて行き先だけでもわかるようにと、せまい空気穴からなんとか筒の先を出し、頃合いを見ては粉を飛ばし、蝶の印の呪文を唱える。

 どこに落ちるのか見届けることはできないが、道端の石でも草でも、なんでもいいから印が貼りつくようにと祈った。

 ガタゴトとうるさい荷車の音が、これに関しては役に立っているらしく、御者席にいるふたり組は気づいていないようだった。

 やがて、潮の匂いが強くなってくる。

 港に、近づいているらしい。

 しばらくして荷車が止まり、さっきの優男らしい声が、手配した船について説明していた。

 そしてまたすこし移動したあと、今度は空中に吊り上げられる感覚があった。

 船の積み荷として扱われているのだろう。

 助けに来てくれた人間に、ちゃんとわかるだろうか。

 ティシャの胃が、きゅっ、と痛くなった。

 それでも諦めず、ここでも蝶の印を飛ばす。

 今は、助けが来ると信じること。

 それしかできることがなかった。



***



 タグボートのロープが外され、進路から外れていく。

 充分に離れた頃合いを見計らって、ケリーソンは号令をかけた。


総帆展帆(そうはんてんぱん)! 全速で追いつくぞ!」


 檣楼で待機していたゲイルとシルフィも、立ちあがり、指笛を吹き始める。

 渦巻く風が、あっというまにデヒティネを包む。

 次々と広げられる帆はそれを受け、船体を前へ前へと、まるで押し出すように進めていく。

 レイディの歌声が聞こえてくる。

 最初はいくぶん眠そうだったが、スピードがあがるにつれ、明瞭なものへと変化していく。

 前方に見えていた窓の灯りは、もう、見えない。

 相手も、自分を追ってくる影に気づいたのだろう。

 気配を消すために、灯りをおとすか窓を閉めてしまったのだろう。

 そうなると、あとは月の光だけが頼りだった。

 あいにく三日月なうえ雲も多く、常に照らしてくれているわけでもなかったが、雨ではないだけマシというものだ。

 昼間なら出入りする船で騒がしい一帯の海域も、今はわずかな月光を反射する波面が広がるだけで、世界がまるで絵になってしまったような静けさだ。

 船倉が空のデヒティネはあっという間に、目的の船のすぐ後ろに追いついた。

 相手はデヒティネの半分もないサイズで、マストも一本しかない。

 沿岸伝いの輸送がせいぜいの、かなり小ぶりな帆船だった。

 全体的にあちこちが痛んでいるし、艤装(ぎそう)も明らかに貧相だ。

 とてもじゃないが、違法な仕事で大金を稼いでいる。羽振りのいい船には見えなかった。

 だが、ジェラニから蝶の印のことを聞いたケリーソンには、心当たりがあった。

 商会から出てきたときに声をかけてきた、あのうさんくさい男だ。

 仕事がなくて、行きづまっている船を狙って雇おうとしたのだろう。

 もしもあの話にのっていたら、デヒティネがこんなふうに、人さらいの道具に使われたのかもしれない。

 そう考えると、寒気がした。

 檣楼では、ゲイルもシルフィも、いったん風呼びをやめていた。

 あまり勢いをつけすぎると、相手を通り越してしまう。

 それに、今目にしているものを、確かめたかったからだ。

 上から見ているとよくわかるのだが、相手の船は、全体が、なにか黒い霧のようなものに覆われていた。

 進ませているのは風ではなく、この霧のような瘴気だった。

 その証拠に、帆もまともに張られていない。

 そもそも、あちこちが破れたり穴が開いていたりして、帆としての機能すら充分ではない。

 檣楼には赤ん坊ほどの大きさの荷袋がくくりつけられていて、開いた口から、瘴気が流れ出ていた。

 それが霧になり、船を包んでいるのだ。


「どういうこと、これ」


「外律魔法だ。こんなもの頼りにしてるなんて、ろくな船じゃないぞ」


「そんなのはわかってただろ」


「ああ、まあ、そうだな……。人さらいだもんな。しかし、こりゃあ……、船がかわいそうだ」


 ゲイルの言う通りだった。

 デヒティネが並走に入ると、相手の船の舳先が見えてくる。視界に入ったものに、シルフィはぞっとした。

 取りつけられている船首像は、海の一角馬(シーユニコーン)だった。

 螺旋模様を描く角が額にある、馬の姿だ。

 胴体の後ろ半分は魚のかたちで、前半分は背を反らして勇ましく前足を跳ね上げ、口は今にもいななきが聞こえそうな形で開いている。

 本来なら、気高く、勇ましい、躍動感のある姿だったろう。

 しかしそれが今、ひどい姿になっていた。

 醜い黒い塗料で両目が潰され、口には木の棒をくわえさせられうえにロープでぐるぐると巻かれ、なにもできないようにされている。

 船員みんなに敬われ、自由に憎まれ口をきき、笑い、鼓舞するデヒティネの船首像に慣れている身からすると、あまりにも痛々しい姿だった。

 これだけでも、この船の不気味さと異様さが、一瞬で理解できる。

 こんなところから、一刻でも早く、ティシャを救い出したかった。


「この瘴気を払えないか、風を呼んでみよう。できるか」


 ゲイルの言葉にシルフィは頷く。

 気持ちばかりが焦り、うまく吹けないでいると、肩に手を置かれた。

 見上げると、指笛を吹きながらゲイルが頷いてみせる。


「おちつけ」


 そう言いたいのだろう。

 それで、すこしだけ気持ちが落ち着く。

 焦りに気持ちのゆとりを失い、できることもできなくなるのなら、本末転倒というものだ。

 シルフィは口から指をいったん離し、大きく長く、息を吸った。

 そのあとはいつものように吹くことができたが、黒い瘴気はどうも自然の空気とは違う法則の存在なのか、なかなか動かない。



***



 そのとき、甲板はといえば、相手の出方がまったくわからず、戸惑っていた。

 黒い瘴気に覆われていてろくに見通しもきかず、どれだけの人間が乗っているのかすら、わからない。

 銃などで攻撃してくるのを想定して、身構えていたのだが、それすらも反応がない。

 ためしに一発撃ってみると、瘴気に軌道を曲げられ、弾が跳ね返ってきた。


「渡し板をお借りしていいですか」


 しばらく様子を見たあと、ジェラニが、ケリーソンに申し出た。

 向こうに乗り込むという。

 状況から考えて、たしかに肉弾戦しか方法はなさそうだった。


「うちの乗組員も……」


 ケリーソンの申し出に、ジェラニは首をふる。


「お気持ちは嬉しいですが、まずは私たちの仲間だけで行きます。なにかあったら、すぐに、船を動かせるようにしていてください」


「そうですか」


 このやりとりを知らなかったシルフィは、板をジェラニたちが渡り始めると、ゲイルに叫んだ。


「あっちでも、風呼んでみる!」


 そして、檣楼から飛ぶように降りると、誰かが止めるまもなく、あとに続いた。


「わっ、バカ、あいつ……!」


 それに気づいたピーティーが止めようとしたが、そのときにはもう、シルフィの身体は黒い霧のなかに消えてしまっていた。

お読みいただきありがとうございます。

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