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2. 新しい友だち

シスターフッドのはじまり

 市場は、にぎわっていた。

 白い屋根の下に入ると、音が反響するせいか外とは違う音の聞こえ方になり、まるで別世界に入ったようだ。

 この地の人々の話す言葉はどこかリズミカルで、言葉の意味がわからないシルフィには、まるで打楽器を打ち鳴らしあっているように聞こえる。

 それに、さっきまで強い日差しを浴びてじりじりと焼かれるようだった皮膚の表面が、一瞬、休めるように感じた。

 ただごちゃごちゃしているだけではなく、こんなふうに快適さも備えているとは、意外だった。

 場内を動いている空気もどこかのどかで、それらの匂いや音を、まるでアクセサリーのように(まと)いながら漂っては、悪戯めいた風を時々起こしている。

 シルフィは大きく息を吸い、さっそく歩き出した。

 見たこともない魚や、動物の肉を売る商店がまず入口そばにあり、独特の匂いがあたりに漂っている。

 それを通り過ぎると、今度は野菜や果物、次は香辛料や乾物……。

 アーンバラのそれらより何倍も強い、色や匂いを楽しみながら、シルフィはゆっくりと歩いた。

 ひと通り食べ物に関係するものを売っている区画を過ぎれば、次は生活用品だ。

 素朴な作りの鍋に壺。

 木製の小型家具もある。

 さらに進むと、今度は敷物に掛け布、履き物に服、そして色鮮やかな布や糸といった関係の店が固まっている場所になる。

 そこの一角に、色とりどりの粉のつまった瓶を置いている店があった。

 シルフィはそれがなんなのかわからなくて、つい好奇心から、足を止めてじっと見つめた。

 すると、たったひとり訪れた客に売り込もうとしたのか、棚の裏側から、弾かれたような勢いで店番が飛び出してきた。

 人懐っこい顔をした、シルフィと同じくらいの年齢の少女だ。

 よく焼けた肌にくるくると渦巻く茶褐色の髪は、どこか活発な印象を見ている者に与える。

 だが、シルフィが驚いたのは、その肌に施されているものだった。

 このあたりでは当たり前らしい、肌の露出したデザインの服を着ているのだが、その見えている皮膚一面に、細かな模様が色彩豊かに描かれているのだ。

 しかもどう見ても、入れ墨ではない。

 

「それ、すごいね」


 思わず指さして言うと、相手は自慢そうに、ふふん、と鼻を鳴らした。


「秘伝なのさ」


 流ちょうな船乗り語が、返ってくる。

 異国の人間相手の商売に、歳に似合わず、かなり慣れているようだ。


「あたしの部族しか、肌に模様を描ける、この特別な染料を作れない。どうだい、買っていかないかい?」


 そう言って、手のひらで包み込めるほどのサイズの瓶を掲げてみせる。

 なかには、まるで発光しているように鮮やかな、紫色の染料の粉が入っていた。


「うううん……。いくら?」


 ためしに訊いてみると、銀貨一枚と言われた。

 シルフィの給料二週間分だ。

 あまりの高額に、購買意欲などあっという間にどこかに行ってしまった。


「そんな高いの、買えないよ」


 シルフィが愚痴るように、ため息まじりに言うと、相手はまじまじと全身を見た。


「あんたそんな恰好して、もしかして船乗り? 女の子が乗ってるなんて、聞いたことないけど」


「うん。あたしは風呼びなんだ。今日港に着いた、デヒティネって船に見習いで乗ってる。名前は、シルフィっていうんだ」


「ああ、あたしはティシャっていうんだ。へえ、あんたデヒティネに乗ってるんだ。今の時期なら往路か。じゃあ、次はフーミダーラに寄るんだろ」


「そうだけど……。デヒティネって、そんなに有名なんだ」


「年に数回とはいえ、まあ、ほぼ同じ時期に寄港して、大きな取り引きをするからねえ。なんとなく、馴染みはあるね」


「そっかあ……」


「ここでこれ買っていけば、向こうじゃ倍以上の値段で売れるよ。あんたはみんなみたいに、小遣い稼ぎはやってないのかい」


 世慣れた口調に感心しながら、シルフィは勧めに従うかどうか迷う。

 すると、ティシャは品物の陳列棚の裏にまたいったん消え、小さな皿と筆を手に戻ってきた。


「試してみたら?」


 そう言って、色々な種類の模様の描かれた自分の腕をシルフィに見せる。


「どの模様が好き?描いてあげるよ」


 じっと見つめたあと、小さな鳥の模様を指さす。

 ティシャは頷き、小皿に水で溶いてあった青い色の粉を筆に付け、シルフィの手首の近くに、鳥の模様をすばやく描いた。

 それはすぐに乾いた。

 するとティシャがごしごしと擦ってみせる。

 みごとに、薄れも曲がりもしなかった。


「すごい。これ、ずっと消えないの」


 自分でも何度も擦ってみながら訊くと、会計台のそばに置いてある箱から、なにかが描かれた薄紙を一枚取った。


「これを使えば、消すことができるよ。これにかけてある呪文も、秘伝でね。これを当ててから水で濡らせば、すぐに消せるんだ。あげるよ」


「もし失くしちゃったら、もう消せないの?」


「そうだね。だから、控えも含めて何枚も買っていくヤツも多いよ」


「へええ……」


「でもそれを使わない限りは、いくらでも長持ちさせられる。いいだろ」


「うん。これってあの、服を染めるのにも使える?」


「ああ。もったいない使い方だとは思うけど」


「そっかあ。じゃあ、ひと瓶もらうよ」


 もしも上手いこと(さば)けなくても、それなら最悪家まで持って帰って、母親にあげることもできる。

 色褪せた布地や糸を、何度も染め直して再利用するのをよくやっていたから、こんないい染料、喜んで使ってもらえるだろう。

 シルフィに商品を渡すと、ティシャはちょうど通りがかった果物水売りに声をかけ、冷たい飲み物を奢ってくれた。

 売り子が背負っている、大きな水差しからカップに注がれたのは、鮮やかな赤と黄色が混じった派手な液体だった。

 驚きながら口をつけると、どぎつい色からは想像もつかない、繊細で爽やかな味がする。

 ゆっくりと飲みながら、周りを見回した。

 とにかく、この周辺で売っているなにもかもが、鮮やかな色をしていて、ただ眺めているだけでも退屈しない。

 しかもこれだけの豊かな色を使いながらも、下品にはならずちゃんとバランスが取れているところが、これが当たり前の文化の、連綿と続いている歴史を感じさせる。


「おいしい?」


 ティシャが心配そうに訊いてきた。

 味わいながらゆっくりと飲んでいるのが、渋々飲んでいるように見えたのかもしれない。


「あんまり美味しいから、大事に飲んでるんだ」


 シルフィの返事に、大きな口を開けて笑った。


「あんた、気に入ったよ。ここにはいつまでいるんだい?」


「最低でも三日はいることになってる」


「そっかあ。観光でもするのかい?」


「うーん、そうしようかなあ。そういえば、木音の森ってところの絵を見たよ。行ってみようかなあ。綺麗なところだよね」


 あくまで世間話をするようなつもりで言ったのだが、ティシャは驚く申し出をしてくれた。


「あそこは、行くのけっこう大変だよ。明日でよければ、案内してやろうか?」


「店番はいいの」


「明日は交代のヤツが来てくれるからね、大丈夫」


「じゃあ、お願いしようかな」


 観光や見物という発想はなかったが、考えてみれば酒も女も関係ないシルフィからすれば、せいぜい買い物くらいしかやることはなかった。

 申し出のおかげで、がぜん好奇心が湧いてきた。


「どこに泊まってんの」


「『雄豹のヒゲ』亭に泊まってる」


「ああ、あそこか。じゃあ、明日の朝、迎えに行くよ」


「わかった。ありがとう」


 約束するとカップの中身を飲み干し、別れを告げた。

 もうすこし市場のなかを見て回り、船の上で楽しめる日持ちのする菓子や食べ物を買い集めると、宿に戻った。


「おう。どうだった」


 ちょうど廊下でゲイルにかち合い、訊かれる。


「友だちができたよ。明日、木音の森ってとこに連れていってくれるって」


「ああ、なんかいいとこらしいな。でも大丈夫なのか、友だちって」


「うん、そうだと思うけど……。市場で店番やってた、あたしと同じくらいの歳の子なんだ」


「あー、あの市場か。公営だし、一応許可受けた身元のしっかりした業者しか店出せないから、まあ、悪人じゃないとは思うが……」


「これを売ってたよ」


 染料を出してみせると、まじまじと見つめて、品質を確かめているようだった。


「いくらだった」


「ひと瓶、銀貨一枚」


「まあ、相場だな。物も確かなようだ。騙してくるような相手じゃなさそうではあるな。俺もついていこうか?」


「大丈夫だよ。夕方までには帰ってこられると思う」


「そうか。念のため、短剣は持っていけよ」


「わかった」


 その後、ゲイルと一緒に夕食に行っているあいだにも、シルフィは明日のことで気もそぞろだった。

 なにしろ、物見遊山など初めての経験だ。

 ベッドに入ったあとも興奮がなかなか醒めず、眠るのにひと苦労した。



***



 その頃、路地裏の居酒屋。

 奥の席では、ケリーソンがトバイアスを相手に食事……というか、飲んでいた。

 実は、ヤケ酒に近い。

 氷の売り上げが、あまりよくなかったからだった。

 どうやら数日前に、船の速度においてライバルと言われている、レッドヘアーが寄港したらしい。

 同郷の船なので、積み荷もデヒティネと同じ、ハイランドの氷だった。

 先に大量に捌かれたので、価格が暴落しているのだ。

 なんとか許容範囲の値段を提示された商会に売ることが決まったが、そこは食料品関連専門の会社で、染料の取引はしていない。

 しかたないので、今度は改めて、染料の買いつけをするための商会を探さなければならなかった。

 針路変更を余儀なくされたのはしかたないとはいえ、よりによってレッドヘアーに先を越されてしまったのが、そもそも癇に障る。

 ケリーソンは、グラスのなかの濃い酒を、いっきに(あお)った。

 そして、むせる。


「船長、大丈夫ですか」


「ああ、ごほっ、大丈夫だ。これくらい」


 咳が止まらない姿を、気の毒そうに見ながら続ける。


「腹が立つのはわかりますが、無理しちゃいけませんよ」


「ああ、わかってる」


「明日はまた商会巡りなんですからね」


「そうだな。酒臭い息で行っちゃあ、まとまる話もまとまらない、か……」


「おわかりなら、これ以上は言いません」


 トバイアスはそう言って、皿にある魚のフライにかぶりつき、自分の酒を飲んだ。

 グラスに入っているのは、軽めの果実酒だ。


「最悪、染料以外のものも積み込むことを考えなきゃいけませんね。もっと利幅の悪いものでも、空っぽでいくよりはマシですから」


「ああ……」


 頷くケリーソンの目は、とろんとしてきている。

 酔いが回ってきているのだ。

 ろくに食事に手をつけず、すでに何杯も飲んでいる。

 トバイアスは、そろそろ店を出る潮時と判断した。

 大急ぎで皿のものを平らげると、会計を済ませ、宿の部屋までケリーソンを送っていく。

 こんな姿を見ても、自分の船長が情けないとは、まったく思わない。

 なぜなら、商売のやり繰りが失敗すると、結局は乗組員全員の賃金に関わってくるからだ。

 出来高の何パーセントが取り分、というシステムの給料支払いなのだ。

 となると当然、ケリーソンの責任も重い。

 それがわかっているから、あてにしていた目算ほどには稼げなくて酔い潰れたくなる気持ちを、責めるつもりはない。

 ただ、明日になってもまだ情けない態度を取っているなら、自分が気合をいれるしかないな、とだけ決めてから、自室に戻った。

お読みいただきありがとうございます。

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