罰ゲーム四個目①
「お嬢様」
「・・・・・・え?」
マリアは呼びかけに数秒ほど遅れて、自分に声を掛けてきた者に顔を向ける。
彼女の反応に、専属メイドである瑪瑙淳子は渋い顔となった。
淳子は、マリアが自分の誕生日に贈ってくれた、武骨な太いブラックフレームの眼鏡を軽く上げる。
カチャリッ、そんな音が室内に響く。
「何かありましたか?」
「え、どうして、そのような事を?」
「先程から、ぼぉっとしておいでなので、心配になりました」
マリアは、自分を心配してくれている淳子の言葉に気まずげな表情を浮かべた。
「鶏田様と喧嘩をなさったんですか、お嬢様」
「いえ、違いますわ」
その推測に首を横に振るマリアだが、すぐに、その表情に強張りが生じたのを淳子は見逃さなかった。
マリアを生まれた時から知っており、周りから、専属メイドであると同時に、マリアの姉に近い印象も抱かれている淳子の洞察力は、マリアに対して発動する時、より冴え渡る。
「喧嘩はなさっていないものの、何かはあったのですね」
「ッッッ・・・えぇ、何かは言えませんが、ありました」
姉として慕っている淳子に言えぬ内容ではあるにしろ、下手に隠そうとすれば追求が激しくなるのは、これまでの経験から知っているマリア。
なので、適度にボカしておく。
もちろん、淳子も付き合いが長い訳だから、マリアの誤魔化したい気持ちに気付いていたが、ここで問いを重ねると、マリアの口が一層に固くなってしまう事も知っていた。
「喧嘩でないのならば、よろしいですが、心に引っ掛かっている事があるのであれば、早々に解決すべきですよ、お嬢様」
「・・・・・・そうですね」
マリアは淳子の言葉に、重々しく頷く。
そうして、何かを考え始めた。
マリアが、自分の中で答えを出す間、淳子は穏やかな微笑みを携えていた。
主が思考に耽る時、それを邪魔しない空気を醸す、これもまた、メイドに大切な技術、と淳子は信じ、努力で獲得したのである。
(キララちゃんと喧嘩をした訳じゃない。
って言うか、マリアはキララちゃんと喧嘩した事がないわ。
仮に、喧嘩をしたなら、この子の性格的に、もっと、ズドーンって感じで落ち込んで、シクシクと泣くわね。
そもそも、喧嘩をするほどの仲に発展した友達が出来た事がないか、この子)
何気に、と言うか、かなり失礼な事を、主に対して思う淳子。
(キララちゃん以外で、マリアの友達は翡翠ちゃんとアクア先生よね。
けど、やっぱり、この二人と喧嘩しても、マリアは、こういう悩み方はしないのよ)
手はかかる分、可愛らしさも一入のマリアの事をよく知っている淳子は思考の速度を上げていく。
(つまり、マリアの悩みには、友達の誰かが確実に絡んでいる。
今の悩み方から察するに、キララちゃん、ヒスイちゃん、アクア先生じゃない友達。
そうなると、該当するのは、白銀様しかいませんね)
ギンの事でマリアが悩んでいるのだ、と思い至った淳子だが、途端に頭を抱えたくなった。
恋愛関係の悩みなら、それはそれで良い。
いや、マリアがつまらない男に懸想されたら、”姉”としては絶対に許せない。
だが、マリアが想いを寄せている男が、宇津路白銀となってしまうと、淳子としては悩みどころだった。
淳子の厳しい審査を、ギンは余裕で合格している。
白銀様であれば、マリアの彼氏になっても良い、むしろ、なってほしい、とすら淳子は思っていた。
もちろん、観察眼が鋭利い淳子は、キララがギンにピュアな恋愛感情と激しい性欲を抱いている事もちゃんと見抜いていたから、マリアとギンを強引にくっつけるような真似はしてこなかった。
淳子は、面倒臭い部分のあるマリアと友達でいてくれるキララに、心の底から感謝していたし、キララの事を、もう一人の世話の焼ける妹のように思っていた。
何より、そんな無粋が過ぎる真似をすれば、マリアが自分を嫌うのは火を見るよりも明らかだった。
仕事仲間から、この世に怖いものなど一つもない、と思われている淳子だが、それは大きな間違いだ、と淳子自身は言いたかった。
確かに、淳子は度胸がある方で、大抵の事には恐れずにぶつかっていくタイプだ。
けど、そんな彼女だからこそ、たった一つの事を何よりも恐怖していた。
その一つ以外は、何も怖くない、と表現するのが正確なところだろう。
では、金多マリアの専属メイドたる瑪瑙ヶ原淳子が、この世で何を恐れるか。
この答えは、誰でも、すぐに察せるんじゃないだろうか。
そう、主であり、”妹”でもあるマリアを烈火のごとく怒らせ、口も利いてくれないほど嫌われてしまう。
これを、淳子は何よりも怖れていた。
実際に、マリアを、そこまで怒らせた事など、長い付き合いの中で一回たりとも無かったからこそ、淳子は極端に恐れてしまっていたのである。
よって、淳子は余計な事を一切しないで、いっそ、白銀様がキララちゃんとマリアをWカノジョにしてくれればいいのに、と心の中で強く願うに留めていた。
「・・・・・・淳子」