第4話
不気味なことのあったあの道を、正巳はあれから通ることは無かった。
あれほど奇妙な体験をしたにも拘らず、時間の経過とともに、少年の中で次第にあの少女のことは薄らいでいった。
月日は流れ、正巳の小学校生活はあっという間に過ぎ去った。
小学校の卒業式から帰ってきた正巳は、六年間お世話になったランドセルを綺麗にしていた。
捨てても良かったが、愛着のあるその黒い鞄を捨ててしまうのは忍びなかった。
乾いた布で丁寧に拭いてから、中に入っているものをすべて出し終えた時に、丁度、あまり普段気にかけない小さな内ポケットがあることに気が付いた。
中を見てみると、入れっぱなしだった皺だらけのハンカチとポケットティッシュが出て来た。そしてその一番底から、地元の神社のお守りが出て来た。
きっとランドセルに母が忍ばせてくれていたのだろう。
一年生の時からずっとランドセルの中にお守りが入っていたことを、正巳はこの時知ったのだった。
中学生になって、正巳はほんの少しだが学校が近くなった。
部活を終えた遅い夕方、夕日の落ちかけた空の下、正巳は帰路を辿っていた。
ふと前方に立て看板があるのに正巳は気が付いた。
水道工事。通行止めにつき迂回してください。そう書いてあった。
正巳は仕方なしに、あの時以来ずっと踏み入っていなかった脇道へ足を向けた。
みんな通っている道だ。何の心配もない。
正巳の数メーター先には、仕事帰りっぽいスーツ姿の男がスタスタ歩いている。
その気配を察してか、またあの犬が吠え立てる。
ワンワンワン。
どこにでもある住宅街だ。
そう言い聞かせて、右手にスロープのある道へ出た。
さっきまで前を歩いていたスーツ姿の男は、いつの間にかいなくなっていた。
正巳は少し速足で緩やかな下り坂を進んでいく。
誰もいない。
前を歩く人も、後ろを歩く人も。
背後を振り返って視線を前に戻したとき、正巳の背筋は凍り付いた。
さっきまで誰もいなかった道に、ランドセルを背負った少女が歩いていた。
そんなはずはない。誰もいなかったはずだ。もしかすると電柱の陰に隠れて気付かなかったのだろうか。
正巳はできるだけゆっくりと歩いた。
おかっぱの髪に、くすんだ紅色のランドセル。
以前目にしたあの女の子と酷似していた。
正巳はその妄執から逃れようと強く何度も頭を振った。
そうだ。ずっと前に何度も見かけた少女と同一人物である筈がない。
それにしても……
正巳はゴクリと生唾を飲み込んだ。
似ている。おかっぱの髪型といい、紅色のランドセルといい、少し猫背気味の歩き方といい……
薄気味悪いその後ろ姿を見まいと、正巳は下を向いて歩いた。そして正巳は気が付いた。
足跡……
乾いたアスファルトの上に小さな靴の跡が点々と連なっている。
まるで水にでもはまったかのように、靴跡は綺麗にくっきりと乾いた路面に跡を残していた。
何故だろう。こんなにゆっくり歩いているのに、少女の背中が近づいてきている気がする。
そして少女は突然立ち止まった。
正巳は金縛りにあったようにその場から動けなくなった。
そういえばずっと前、下校途中に友達が言っていた。
世の中には、見てはいけないものがあるのだと。
その目にしてはいけないものを、神様が見えないようにしてくれているのだと。
そしていま、自分がどうして少女に近づくことが出来たのかを、正巳はなんとなく理解した。
あの時僕はランドセルを背負っていた。お母さんが忍ばせておいてくれていたお守りの入ったあのランドセルを。
恐ろしい何かと目を合わせることの無いよう、あのお守りが僕を守ってくれていたのだと。
それを見てしまったら後悔する。
ずっと前に友達が言っていたことを鮮明に思い出した時、おかっぱの少女はゆっくりとこちらを振り返った。
ー完ー