第1話
通学路を歩くランドセル。
黒に紺に赤にピンク。他にもちょっと表現し辛い色だってある。
ひとまとまりになっていた下校する小学生の列は、いつの間にかまばらになり、それぞれの通学路に分かれて散っていく。
梅雨が明けて、本格的な暑さが強い陽射しと共にやって来た。
むせ返るような熱気が黒々としたアスファルトに溜まり始めた午後。
電柱の多い住宅街を小学校四年生の男の子が下校していた。
男の子の名前は北川正巳。
少年の家は県立下荘司小学校の、学区の一番はずれにあった。
徒歩で毎日おおよそ三十五分。
もう慣れているので脚は何ともないが、仲のいいクラスの友達とは、校門を出て十五分くらいの所で手を振って分かれる。
そこから家までがやたらと長く感じるのは、きっと仕方のないことなのだろう。
いつもどおり住宅街のはずれに差し掛かった時、正巳はふと思い立って足を止めた。
そこに一本の脇道があるのに気付いたからだった。
狭い道だ。自転車は通れても車は入れそうにもない。
先が右へ曲がっており、どこまで続いて、どこへと出られるのか全く想像できなかった。
単純に方角だけならこっちが家の方なんだけど……
好奇心は人並みにある少年は、小さな決断をして、細い路地に足を踏み入れた。
なあに、行き止まりなら引き返せばいいだけだ。
小路の奥へと進んでいくと、あまりなじみのない家が立ち並んでいた。
知っている家を裏側から見ているだけなのかも知れないが、少年にとってはとても新鮮で、ワクワクするような心細いような、絶妙に微妙な感覚を味わっていた。
ワンワンワン。
恐らく室内で飼っている犬が見慣れない小学生に気が付いたのだろう。
柵と山茶花の植え込みで見えにくいが、おおよそ吠えている辺りは見当がついた。
首を向けながらそのまま通り過ぎると、少し広い道へ出た。
右手に長い下りのスロープ。
見覚えのある道に、少年はひと息つく。
肩に吊り下げていた水筒の栓を開けて、残り少ない麦茶を喉を鳴らして飲む。
この先を行けば家が見えてくる。少年は水筒の栓をして緩やかなスロープを下った。
そしてふと、前方を人が歩いていることに気が付いた。
紅いランドセル。
赤というより紅色に近い色合いだった。
帽子を被っていないおかっぱの後ろ姿は、少年と同じくらいの歳に見えた。
誰だろう。
少年は女の子の十メートルくらい後ろを歩きながら考える。
四クラスある同学年の女子全員を知っているわけでは無いが、それでも髪型や背格好だけで、おおよそ見たことがあるかくらいは判別できそうなものだ。
しかしいくら前を歩く少女の姿を眺めていてもピンとこなかった。
三年生かな。五年生って感じじゃあないよな。
そのうちに左手が池の道に入った。
少女は池の方を気にするかのように時々顔を向ける。
正巳はその横顔を見ようとして目を凝らすが、等間隔にある電柱に邪魔されて丁度その横顔を確認できない。
そうこうしているうちに池の通りが終わり、今度は古い住宅街に差し掛かる。
そして少女は十字路を左に曲がって行った。
最後に顔を見てやろうと思っていた正巳だったが、住宅から伸びた立派なツツジの植え込みに邪魔されて、やはり顔を確認できなかった。
正巳が少女が曲がって行った通りを覗き込むと、そこにはもう人影はなかった。
翌日も正巳はあの道を通って帰ることにした。
路地を抜ける少年を、また今日も顔の見えない犬が吠え立てる。
近道かと言われたら微妙な所だった。
多分三十秒くらい早い気がする。
しかし、帰宅時間が少し早くなるというのは全く念頭に入れていない。
それよりも昨日顔を見れなかった女の子のことが、正巳には引っ掛かっていた。
スロープの道へ差し掛かると、タイミング良くあの少女はまた前を歩いていた。
池の通りに差し掛かると、やはり少女は時々左手の水面に顔を向ける。
しかし、絶妙に電柱に視界を阻まれて、もう一息の所で顔が見えない。
ツツジの植え込みのある十字路を左に曲がった少女の顔は、またしても見えなかった。
少年は十字路に差し掛かると足を止めた。
自分の家はこのまま真っすぐだ。
左に曲がって行った少女の姿は見当たらない。
この並びの家か。それともどこかで曲がって行ったのだろうか。
どうにもすっきりしない気持ちを抱えて、少年は少女を追うことなく帰り道を急いだ。
次の日もその次の日も、少年は少女の背中について行った。
小さな好奇心は彼の中で成長し、何時しか少女の素性を見極めることに少年は執着しだしていた。
しかし、やはり絶妙な感じで顔を確認できないまま、一週間が過ぎた。
あの少女のことでずっと引っ掛かっていた正巳は、学校でクラスを覗いて確認してみることを思いついた。
下校の時に、走って追いついて顔を確かめればいい話だったが、確かめたあと女の子に変な奴だと思われそうだと自粛したのだ。
正巳はまず四年生のクラスを周った。そして該当する女生徒がいないのを確認して、三年生のクラスも回ってみた。
おかっぱの女子は全部で二十名ほどいたにも拘らず、紅色のランドセルはどこにも見当たらなかった。
乗り掛かった舟でもあるし、一応は五年生のクラスも回ってみたが、やはりそういった生徒は見当たらなかった。
そして、下校途中。
やはりおかっぱで紅色のランドセルをしょった女の子は前を歩いていた。
意地になっていた正巳は、速足で女の子について行こうとした。
しかし、正巳が歩速を上げると、女の子も同じように速くなる。特に頑張って歩いているようには見えないのに、距離が縮まらない。
そしてやはりその顔を見ることはできなかった。
十字路を曲がった女の子を追いかけるように正巳は駆けだした。
そして、ツツジの植え込みを超えてすぐに左手に目を向けた。
いない。
たった数秒の間で少女の姿は忽然と消えていた。
正巳はその奥へと足を踏み出そうとして思いとどまった。
こっちへは行ってはいけない気がする。
理由もなくそう思い、左には行かず、真っすぐそのままいつもの道を辿った。