ある少年の青春の葛藤。
北海道の海沿いに住む母を失った少年の青春の
影。
僕は今でも覚えている。
北海道の東、海沿いの町の外れの高台にあった
レンガ作りの長屋みたいな公営住宅で過ごして
いた日々のことを。
僕は当時中学生だった。
家からは遠くにオホーツク海が見えた。
その家に引っ越したばかりの頃は家の裏に小さな
松の木が生えていたが、お父さんがそれを切って
しまったのだ。
冬になれば、アムール川で出来た流氷が、その海に
接岸する。オホーツク海は流氷が接岸する最南端
である。
お父さんはとても流氷が好きで、それを見たいが
ために、この公営住宅に住むことを決めたようだが、
僕はまだ思春期で、その意味すらわからなかった。
ここに引っ越してまもなく、お母さんは家を出て
行った。どうも好きな人が出来たからだったらしいが、思い起こせば、僕が中学に入学した頃から、
お母さんは水産加工場で、働き始めて、それから
よく夜になると、外出していた。
職人だったお父さんの仕事が忙しく、連日残業が
続いていたし、お母さんも仕事で精一杯だったのかも
しれない。
よく夕食の支度はしてあるから、それを食べて
いるようにと言いつつ、居間の隅にあった鏡台に
向かい、厚化粧をし、花柄のフリルのワンピースなどをまとい、とてもウキウキした様子で、出かけていた
ものだ。後に聞いたところでは、お母さんは夜な夜な
愛人に会うために、出かけていたらしい。
ある雨上がりの夜に、お母さんが少し疲れた
ような顔をして、帰ってきたことがあった。
お父さんは連日家を空けるお母さんに愛人がいる
ことに気づいていたのだろう。
男と会っていただろうと、お母さんを問い詰めたが、お母さんはそんなことをしてないと、嘘をつき、
嫉妬したお父さんが、お母さんの頬を殴ったことが
あった。その日以来お父さんとお母さんの殴り合いの
喧嘩が耐えす、紅葉が美しい季節に、お父さんが仕事でいない間に、ボストンバッグに衣類などを詰めて、
出て行った。僕は追いかけようとしたけれど、
落ち着いたなら、連絡する。必ず迎えに来るから、
それまで待つようにと、指示され、家に置き去りに
された。
その日のことは今でも鮮明に覚えている。
お母さんが去ってからは、お父さんは仕事から
帰ると、浴びるように酒を飲み続けたし、僕は
すべてが虚しくなり、学校にも行けなくなった。
当初はお父さんが学校に行くようにと言ったもの
だが、そのうちに何も言わなくなった。
お母さんがいないことは、僕にはたまらなく
淋しく、僕たちはお母さんに捨てられたのかと、
毎日が苦しくてならず、そんな心の空白を埋めようと、悪友たちとつるんで、同級生にケンカをしかけたり、隠れてタバコや酒を飲み始めるようになった。
もしかしたらお父さんは、そのことに気づいていたのかもしれないが、僕にはそれについては、何も言わなかった。それが何故だったのかは知らない。
それがいつだったのかは覚えてはいない。お父さんがしばらく家に帰らない日々があった。
僕はどうしたのだろうと、心配しながら、毎日お父さんを待ち続けていた。風が窓を叩く音にも心が震えた。早く帰って来ないかなと何度も思った。
それからしばらくの時が過ぎた頃、確か真夜中
だったと思うが、お父さんは帰宅した。玄関には、
若い女の人がいたようだった。お父さんが中に入る
ように促すと、その人は突然僕の前に姿を現した。
髪が短くて、瞳が大きく、鼻筋が通った人だった。
その人を好きな女性であると、僕に紹介し、
その夜は泊めてやって欲しいと頼んできたが、何日も
家に戻らず、挙げ句の果てには若い愛人まで、家に
連れて来るようなお父さんを許すことは出来ず、
僕は奥にある自分の部屋に隠れた。
僕のことを息子かと、お父さんに尋ねたその女の
人とお父さんはその日は一晩中酒を酌み交わしつつ、
楽しげに談笑していたようだったが、僕の心には、
怒りの嵐が吹き荒れていた。