小さな
赤と破片と残骸で出来上がった戦場は最早荒野とは言い難く、言うなれば戦野。けれどそれすらも相応しくないかのように思えるそこに、仮面を被った一人の少年か少女が佇んでいる。
灰となって消えていく残骸の中、その人だけはその地を譲らない。
返り血によって染め上げた黒衣は死だけを連想させ、美しい群青の髪だけは純色をそのままに、風に靡いては儚い粒子すら溢れ出しそう。些かこの戦場の有様とはどうにも噛み合わない。どんな英傑であろうと、勇敢な勇者であろうと、戦闘に卓越した戦士であろうと、その美しさを保つことばかりは不可能であると思えた。
私はその異常を見惚れるようにずっと見つめ続けていた。
やがてそよ風が世界から自分たちを切り離すように駆け抜ける。
仮面が剥がれたその素顔、顔を隠していた前髪が揺らぎ、紺青の瞳が私を捉える。
びくりと身体を弾ませた私だが、その人は一向に動く気配はない。密かに脳内で浮かびあげた詠唱も腰に佩く掴んだ剣の柄も披露できなかった。その人から戦意が全く感じられないのだ。
ずっと見ていた戦闘。そこに確かにあった叫びが私には向けられない。
それは私が未熟だから、戦う価値のある者ではないから。そういった理由ではないと何故かわかった。けれど、戸惑いは隠せない。
沈黙を静寂するように風が吹き、荒野の砂をサラサラと流していく。その音は静寂で温かみのある綺麗な音色だった。私の耳朶を盗み、戦意すらも消しさるような、どこか悲観な声音。
「————君は、俺を怖いと思うか」
それは問いでもなければ、確認とも違う。私に問いているようで、どこか遠い存在に向けた言葉のよう。掴めず離れず、けれど意味にすら見いだせない。儚く蕾にすらなりきらない誰かへの問いかけ。
仮面を被り直す『少年』に、私は何も言えなく、そんな私にその人は悲し気に微笑んだ。
仮面によって素顔は見えない。本当に笑ったのか、その顔が悲し気なのか本当の所はわからない。けれど、何故かそう感じてしまった。そう想像できた。仮面のその人は手に持つ蒼の剣に自らを映す。
「悲願がある。越えなければいけない、叶えなければいけない、為さなくてはいけない使命がある。そのために生きてきた。そのために戦ってきた。……けれど、世界は小さくて大きかった。あまりにも俺たち人間では計り知れないほどに、壮大で……未完だった。
だけど同時に心は小さくて、どうしてもきっかけによって思い出してしまう。俺は、どうしたらいいのかわからなくなりそうになる。けど、この復讐心だけは忘れない。それが俺が生きている意味。……君には叶えたい願いはあるのかい?」
その突然の確かな、今度こそ私に向けられた確かな問いに私は一瞬の沈黙ののち、たどたどしくてもなるべく本音で偽らないように言葉にした。
「……私は、わからないです。望みも使命も何もわからないんです。……あなたのような過去を私は生きてきてません。普通の家に生まれて、父と母と妹に恵まれて幸せに生きてきました。私は育ててくれた大切な家族を守るために『竜印の覇者』に今はいます。家族だけでも守れるようになるために」
そんな私の事情にその人は微笑ましく口角を上げた。それは嬉しそうで眩しいものを見るようで、けれどどこまでも悲観的ではなく幸せそうに。
「そうか。君はちゃんと生きているんだね」
「はい!私はピオニィス家に生まれた長女です。あの、あなたの名前は?」
「……俺の名はリリヤ」
リリヤと名乗った少年は初めて私を身体ごとみとめた。私とそう変わらない痩躯で白く細い手は頼りない。女性のような群青の長い髪が流れ、黒衣が揺れる。腰に仕舞われた剣。ボロボロの仮面の奥の紺青の瞳が私を離さない。威圧的でもなければ無関心でもない。狂気的でもなく野蛮的でもない。理性と冷静は酷、けれど篤実な眼差し。
見つめ返す私は息を吸った。それは吐き出すことはなく、私の紅緋色の髪が躍るように、それを抑えて淡い赤の差す口紅を偽りなどなく自分として微笑んだ。
空色の瞳が弓なりに優しくなっていることを私は知らない。その微笑を浮かべた口が言葉を躍らす。
「私の名前はルベル・ピオニィス。『竜印の覇者』第一部隊ナンバーセブン【蒼炎】のルベルです。よろしくお願いしますね、リリヤさん!」
ふっと笑った仮面の戦士リリヤは私の前まで歩み、けれど止まらずに横を通り過ぎていった。通り過ぎる瞬間、私の耳元で声音が響く。
「————また、逢おう。狼が吠える頃に」
振り返る私に彼は振り返らない。その背中が新たな戦場へと赴く。
私は本来の仕事を忘れずっと、ずっと彼の言葉と声音と共にその背中が見えなくなるまで、見えなくなっても暫くは見続けていた。
私の掌に残る彼の物。赤い真珠のような血を凝縮させたような小さな結晶。
意味も意義もわからない。けれど、また逢う時まで離さない。
きっと約束の証だ。
私は誰もいない戦場で遥かな知らない彼の物語に、消えない夢想だけを見続けていた。




