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正義と悪

 とある邪神の禁忌によって生み出された世界の敵——『魔物』。

 その魔物を構成する『魔素』に乗っ取られた憐れな人間にして人類に敵——『魔族』。殺戮にのみ生を見出す悍ましい破壊衝動物。

 魔物は神々の領域を侵略し、魔族は人類を駆逐した。神聖紀から続く因果関係。世界の絶対悪。

 リリヤは地上に進出した『魔族』どもを最高の無慈悲と残酷で殺す。その眼は瞋恚に燃え殺気に滾り激しすぎる憎悪に刃は空を走る。


『ウゥゥゥゥゥゥァアアアアアア——⁉』

「黙れ。死ね」


 二言は蹂躙に意だけをわからせる。それは正しく殺戮。魔物のように無慈悲に残酷に神のように冷酷に酷薄に『復讐者』のように憎悪と瞋恚を燃やして殺す。

 斬撃が迸る。先ほどとは別格の速さと鋭さ、全能力が格段に跳ねあがった力が捻じ伏せる。貴様らに生きる価値はないと切り捨てる。かつて、この光景と似た情景を見た誰かはこういった。


 ——まるで、死神……【死神アウズ】だ。


 店で買った『冥王』の仮面を被り魔族共の汚血を黒の外套に付着させた『復讐者』は魔族の死体路を歩み追い詰めた一人の男に迫る。その男の手には見たことのない魔道具。怯え逃げようとすることから事の原因はその男で間違いない。血が流れる剣を振って斑点を広げ、男に詰め寄る。


「お、おれはっなにもし、してない⁉ち、ちがうんだぁ!おれは知らなかったんだ⁉あ、ある人に頼まれただけで、オレァ無実だぁ!被害者だぁ——っ!」

「…………」

「や、ややめろっ!っひぃィィ——ッ⁉たたたたたっぁあああああああっ!」


 男の言い訳などに耳は貸さず、その剣は無情に男に首を撥ねた。墳血しながら膝をつく死体を見下ろすリリヤの相貌は仮面でわからない。しかし、それを誰かは『悪』だと罵倒した。復讐のためならば手段を択ばないリリヤを、人間は恐れこう畏怖した。


 ——人間の悪魔だ。


 それは、人類の総意だ。仮面を被った少女の容態は『悪魔』のそれだ。その剣も纏う血糊も放つ殺意も歩んだ軌跡もすべてが畏怖すべき忌避の存在。それを理解しながらもリリヤは矛を下ろさない。

 地面に落ちて割れた魔道具を回収しようと膝を曲げたその時、神足の瞬撃がリリヤを襲った。本能の反射によって斬撃が重なる。深い金属音は高らかに、荒れ狂う嵐と砕かれる地面。一撃の斬撃は瞬殺のそれだった

「貴方は……なにをしたの!」

 怒気を孕んだ重圧の大喝。押し込まれる斬撃の重さに驚愕してその存在に目を見張った。

 青銀の長い髪、青金の瞳は不純物がなにもない洗練された海のよう。華麗な相貌に白雪のように綺麗で滑らかな柔肌。青と黒を主にした軽装に左腰には一振りの鞘。見目麗しい齢十七、八ほどの少女の美貌はため息が零れてしまいそう。しかし、今の威勢は屈服してしまうほどの『正義感』に溢れている。

 その者の名は誰も知る真実【正義】の名だ。

「アストレア……っ⁉」

「あら、私の家名を知っているのね。なら話しを早いわ」


 更に踏み込んで押し込むアストレア家の長女は正義執行の審判を降す。


「無差別な殺人。理由も聞かないで無惨に殺す冷酷さ。看過できないわ!」

「……くっ!」

「私は【正義アストレア】の血統者!【正義】の名を賜る制裁者よ!故に私は降すわ。貴方を無効化して連行する!」


 大空のどこか。誰かが呟いた。——『正義の少女』だと。


【正義】——正義の女神アストレアの眷属であり、女神の血を引く血統者。秩序を守り平和を戴き悪を滅する下界の英雄(ヒーロー)。彼女こそが下界の【正義】。

 故に【正義】の名のもと判断された者は正しく【悪】。

 ただ、家族を殺した魔族どもを許せないだけなのに。魔族どもを殲滅したいだけなのに。『復讐』を果たしたい、『悲願』を叶えたいだけなのに、皆してリリヤを見る目はいつもこうだ。

 貴様は『悪』だ、と。

 心など当の昔に捨てた。この身は殺すだけの身。けれど、今は生きることを願う人間の身。リリヤは最大の出力を持って対抗した。


「なっ⁉」

「貴様に何がわかる?」


 振り上げた剣と振り下ろす剣。剣と剣がぶつかり合った瞬間、互いに理解する。これは正しく死闘。これは正しく激戦。故に戸惑いも手加減もいらない。己を賭して全てに賭ける。


「はぁあああああっ!」

「あぁあああああっっ!」


 そして二人は更なる斬撃の応酬と共に、己が貫く意志を激烈に輝かせた。

 天浮かぶ雲すら逃げ出す気流が打ちあがる。アストレアから離れたリリヤは地面を蹴ってすぐさま加速する。円弧を描いた上段斬りをアストレアの下段斬りが衝突して往なされる。その一瞬に背後に廻り、横薙ぎがリリヤに迫るが、身軽な身のこなしで跳躍して躱し、身体を捻って首筋に蹴りをかます。身体を後ろへ倒したセルラーナによって蹴りは空を過ぎ、バク中の要領でリリヤを蹴り上げる。それを上手く足裏に合わせて跳躍の要領で後方へと身を投げる。着地と同時に顔を上げると迫る斬撃を間一髪で受け止めた。


「手強いっ!まさか本当に貴方は——」

「黙れ。貴様が誰だろうが、俺が誰であっても変わらない。『偽善』も『甘さ』も『油断』も必要ない。『悪』は殺すだけだ」

「…………それは他者を拒む選択よ。心の余裕のない者の焦燥。もしも違った『真実』が隠れていたら、貴方は責任を取れるの——っ!」


 実感の籠った叫び。まるで悔恨の痛苦。アストレアの叫びは正しい認識と過去からの選択だ。

 ああ、それが正解。それが正しい。けれど、リリヤの答えは違う。彼と彼女は根本から違う。

 剣の腹でリリヤの剣を滑らせて内に入り込んだアストレアが振り上げる一光と同じ速度で跳躍して上空に逃げるリリヤ。しかし、それをわかっていたかのように込められていた魔力が波動となって穿たれる。間一髪で両断するが、その意識の瞬間にセルラーナはリリヤの背後を陣取った。


「貴方のそれは怠慢で我儘よ!」


 強烈で重みの乗った一撃を何とか受け止めたリリヤだが、態勢が悪くセルラーナの力に劣り、地面に吹き飛ばされた。叩きつけられながらもすぐに離脱して剣を構えた。

 陸に降り立ったセルラーナは怪我一つないリリヤに眉を寄せる。


「……魔力で防いだわね。小賢しいわ」

「…………」

「何も答えられないの?反発の一つも出てこないの?貴方は私の言ったことが図星だったの?」

「…………はぁー……」

「……なんとか言いなさいよ!その瞳、嫌いよ。間違ったことに私よりも強く意志を貫く姿勢も、嫌いよ」


 何も言わないリリヤにアストレアは苛立ちを高め唇を咬んで目を眇める。

 どうして『正義の審判』の前でそうも余裕綽々でいられるの。

 どうして『正義』が貴方を『悪』と定めたのに、そう揺らぎないの。

 まるで貴方こそが【正義】のようでイライラする。

 スキルで高まっていく信念の力が剣を純白に輝かせた。


「答えなさい。貴方はどうして時期尚早に彼を殺したの?」

「…………考えるまでもない。奴が魔族を徴収した原因だったからだ」

「その裏に隠されている『真実』も知らずに、貴方は罪を死とするの?」

「勘違いするな」


 その声音は冷酷だ。何人たりとも阻ませない酷薄な殺意。思わずアストレアは息を呑んでしまった。纏う風格は風に聴く『死神』のよう。


「俺の邪魔をする者。俺が『悪』と定めた者を俺が殺す。貴様のような人道に則ることはない。俺は俺のためだけに生きている。……復讐を果たすために」


 口を噤んだアストレアを見据える静かな仮面の奥の瞳。仮面の戦士は己をどのように見定めているのだろうか。そう思うと途轍もなく怖くなった。

 もしも、もしも目の前の存在が忌憚に聴くかの存在であるのなら、アストレアは間違えてはならない。誤ってはならない。かの者の世評の真偽が如何にせよ、【正義】を名乗る意味を間違えてはならない。


「貴方は……何者?」

「……ふっ。そうだね。『旅人』とでも言っておくよ!」


 互いに地面を蹴り斬撃が世界に吟声させる。大地がせり上がり亀裂が伝染していく。突風が不純物を細かく刻むかのように周囲は荒れ狂った。


「貴方を打ち負かして証明するわ」

「————」

「なによ?」


 凝視された感覚に眉を顰めるアストレアにリリヤは聞き取れない音量で吐いた。


「——それでいい」


 更に力が増したアストレアに土を削り膝が曲がるリリヤ。だが、その膝が地につくことはない。それを理解しているアストレアだから全神経をもっと押し切る。


「死闘をしましょう!」


 そう吼えたアストレアの力が一際増す。押し込まれていくリリヤだが、やはり膝が地につくことはない。歯噛みするアストレアに仮面の奥で眼を細め、身に沈む力を発揮する。


「はぁあああああっ‼」


 弾き返したリリヤの強撃に「なっ⁉」と瞳を大きく開くアストレア。けれど、驚いている時間はない。地を蹴った高速の斬撃が次から次へと迫る。それを何とか剣で捌くも、格段に重たい一撃がアストレアを吹き飛ばす。


「はァッ!」

「くっぅぅ~~っっっっ⁉」


 アストレアは剣で地面を叩いて勢いを殺し、地面に抉られながら幹に激突する寸前で踏ん張り止まる。

 切れて血が出た唇を拭い、体の調子を改めてから剣を構えた。

 突貫してくるリリヤの動きをよく見極め、急速した変化の跡に側面からの剣戟を脚を引いて回避する。続けざまの連撃を躱し、往なし、打ち付ける。連撃の最後、迅速の突きを見事に躱してみせたアストレアは攻守交替の斬撃の連撃をもたらす。最初の最も隙ある攻撃は剣の腹で受け止められるが、後方へふらつくリリヤに整える暇を与えない。


「はぁあああああああっ‼」


 左右からの乱撃。脚を軸にして放つ横薙ぎや回し蹴り。不意をついた死角からの斬りがリリヤの腕を浅く切り裂き血が噴きだす。それが好機。地面をいっぱいいっぱいに踏み込んだアストレアは、詰め寄るように前進に跳躍をしてそのまま顎下から蹴り上げた。


「ぐはっ……」


 リリヤは痛覚の声を漏らして、宙に孤を描いて地面に落ちる。


「はぁはぁ……っ。どう!これが私の実力よ!」


 言外に言ってやる。私の方が強いと。これが私の意思の強さだと。

 そんなアストレアを見上げたリリヤは仮面の奥で眼を細めた。それは怒りであろうか。はたまた冷静的な観測であろうか。

 リリヤは立ち上がり「ふぅー……」と息を吐いてアストレアを見る。見えないはずのその紺青の瞳は恐ろしいほどに無機質に見えた。一歩たじろぎそうになるアストレアだが、それを根気でなんとか踏みとどまる。

 その相貌はもう私の知っている『彼』ではないような気がした。その慧眼は私を見る『彼』の眼ではないような気がした。その戦意は誰も知らない殺気にも見えた。

 けれど、あの日見た憧憬を想起させる。

 仮面の戦士は剣を天へ掲げる。そして、詠唱した。


「【私は復讐者なり、私は悲願を叶える者なり、故に全てを呑み込む覇者なり】」


 それは三小節の短文詠唱。家族を殺され復讐を誓ったあの日に生み出した暴力の顕在化。それは呑み込むような暴力の魔法。その名は神の名が与えられた。


「——【ケール】」


 発光する魔力の粒子が黒夜のような粒子と変わり、剣を包み込んだ。それは力。それは闇。それは死。正しく闇の魔法は世界の照明を一つ落とす。

 その均等され磨き上げられた雄々しく禍々しい魔法に、誰もが畏怖した。忌避して身体を震わせた。ただの魔力の物理攻撃だろうと、戦慄して身体を竦めた。


「皆が怖がる。皆が逃げていく。俺の魔法を君は怖いか?」


 問われた私はいつかみたその魔法の本当の恐ろしさに、喉の奥がぎゅっとなった。闇に包まれた蠢く蒼月の剣に眼が吸いつけられ、離れない。

 それは確かに恐ろしいもの。誰かを心まで呑み込んでしまうような恐怖の魔法。それでも、その黒の美しさに私は見惚れていた。その者の求めた強さに憧れを思い出した。その高鳴りが憎悪であろうと嫌悪であろうと、復讐心であろうと。故に答えなど決まっている。

 アストレアもまた剣先をリリヤに向けた。そして、詠唱する。


「【正義を宿すこの御身、いずれ来るその災厄に、私の(せいぎ)で天へ導こう】」


 それは正義の眷属に与えられた理。光を宿し正義を胸に、来る日に抗うことを定めとされた、正義の血統に受け継がれし『光の魔法』。それはどこまでもリリヤとは正反対。


「【さあ、英雄よ!正義の(つるぎ)に、誓いの光を】っ‼」


 その魔法名にもまた、ある正義の女神の名が与えられている。

 これは運命。これは定め。抜け出すことなどできない、神からの託させた願いだ。この魔法を使う時、アストレアの中に眠るたった一つの諦めきれない『正義』が呼び起こされる。

 私はその名を闇に堕ちる世界で叫んだ。


「——【エウノミア・ルウ】っ‼」


 魔力が黄金の正義たる粒子と変化し、剣に集っていく。それは正しく『聖剣』と呼ばれるその物のよう。彼のものが『聖剣』であれば、其のものは『魔剣』。

 正反対の光と闇が空を切って世界を変える。互いに剣先を相手の心臓へと向けられ。


「終わりよ‼」


 セルラーナが聖剣を振り上げ。


「消えろ」


 リリヤが魔剣を横に。


「「はぁああああああああッッ‼」」


 振り下ろした聖剣と引き抜いた魔剣から光と闇の閃光が撃ち放たれた。それは膨大なエネルギーとなって衝突する。風が荒れ空気が爆ぜ大地が震える。


「【エウノミア・ルウ】を使っても互角だなんてっ……本当に怪物ね!」

「………………【正義】。俺が誰か既にわかってるだろ?」


 その言葉づかいからまるで今までのリリヤとは違うよう。その声音に感情は一つもなく、淡白で冷淡な冷たい諦めの声音にセルラーナは叫ぶ。


「知っているわ!私は【正義】を司る使命をもった女神の眷属。だから、私の正義は悪を滅するもの」

「………………」

「でも、だから私は貴方に問わなければいけない」

「なにを?」


 闇と光の狭間。アストレアは叫ぶ。


「——貴方は善良な人を無差別に殺すの?」


 それはアストレアが『正義』と『悪』を見極める境界線。それが『正義』の心根だと彼女は定義する。それゆえにリリヤに問うたのだ。貴方は善良な人間をも殺す正しき『悪』ですか、と。

 その問いはリリヤの根本を脅かす。いや、思い出させる。捨てたはずの心があった、あの日々のもう一つの信念。リリヤは『正義』の意志の前に素直に吐露した。


「しない。殺すのは悪だけだ」


 それを聴いたアストレアは口元を綻ばした。


「なら……貴方のそれは悪なんかじゃないわ」

「…………」

「ええ。貴方のそれは少なからずとも救いではあるわ。あの日、貴方に抱いた憧憬に偽りはなかった……。たとえ、世界が貴方を『悪』だと罰しても、正義(わたし)だけは否定するわ。だから、私は貴方を殺すことはしない!」


 光と闇に染められし世界の中、誰にも届かない叫びはリリヤだけに届けられる。


「今の私にはちゃんとした答えを答えてあげられないわ。……それでも、私は貴方の歩みを今は否定しないわ。貴方は皆が怯える『アウズ(死神)』なんかじゃないっ‼」


 美辞麗句と罵るだろうか。知らないくせに知った風な口をきくなと激怒するだろうか。それとも何も心に響かず冷たい声を返されるだけだろうか。はたまた嘘偽りの返しで往なされるだろうか。けれど、そのどれとも違った。彼は怒るでも煩わしく思うでも嘘をつくでも、何も感じないわけでもなかった。

 リリヤ・アーテはさらに魔力をつぎ込んで。


「【正義】など愚かで虚しい情の果て」


 それは【正義】の否定だ。否——それはアストレアへの拒絶であり試練だ。


「【復讐】も同じ。だけど、俺は『死神』であり続ける。悲願を叶えるために復讐をする。断罪をする。殺戮をする。それが秩序に反することだったとしても、誰もが恐れるその存在であり続ける」


 その意志の強さ。揺るぎない誓いの勇気。彼もまた問うのだ。


 ——お前の〝正義〟とはなんだ?


 何度も浮かび上がる過去と情の果て。何が正義かわからない。わからない、わからない、わからない‼

 二人は荒れ狂うように咆哮した。


「はぁああああああああああああああああ————っ‼」

「あぁああああああああああああああああ————っ‼」


 そして、世界は光と闇に呑み込まれ、天を貫くような二律背反の渦が柱のように立ち昇った。やがて晴れた世界。荒れ地の真ん中。二人の戦士は大きく肩で息をしながら失うことのない鋭利な瞳で見つめ合い、剣を収めた。


「貴方の、名前を聞いてもいいかしら?」


 その声音は澄んでいた。透明で億尾もなく、かと言って無感情ではなくその口元は笑みをつくっている。その声に使命感はない。それが正しいと彼女は名を訊ねる。リリヤはしばらく逡巡した後、答えた。


「リリヤ」

「そう、リリヤ。さっきは失礼したわ。ごめんなさい」


 リリヤの弁明ひとつとして訊かずに『悪』と定めて攻撃した罪に彼女は頭を下げる。これも一つの【正義】の信念の基となっている在り方。彼女はリリヤにこう言った。


 ——その裏に隠されている『真実』も知らずに、貴方は罪を死とするの?


 だからアストレアはリリヤと正しく向き合う。その意思に感服するものも、リリヤからしたら自分に頭を下げた彼女の態度に困惑しるばかり。この人生、感謝ももちろん謝罪などされたことはない。だから、目の前の少女に他者とは違った印象を持つ。


「…………別に」


 そんなぶっきらぼうな返答しかできないリリヤにアストレアはありがとうと顔を上げた。そして胸に左手を添えて名を名乗る。


「私の名前はセルラーナ・アストレア。【正義】と呼ばれているわ。よろしくリリヤ」


 セルラーナと名乗った少女は薄く微笑んだ。

 曰く、最強の戦士。曰く、裁きを与える神判。曰く、悪を滅する下界の守り人。


 セルラーナは胸に添えた左手をリリヤに差し出す。呆気にとられたリリヤは彼女と手を交互に見た。そして様々な逸話が脳内を彷徨い……その手を繋いだ。

 いつ以来だろうか。誰かから手を差し伸ばされたのは。そしてどうして自分は掴んでしまったのだろうか。感情が渦巻いた。この不思議な出会いにリリヤは自分に困惑する。


「どうしたの?」


 首を傾げて覗き込むセルラーナの瞳が合い、胸が高鳴った。慌てて一歩後退するリリヤは平静になる。感情を消していつものように。誰かと関わることは己を殺すことである。


「……何でもない。……一応よろしく」


 その細い手を握る。セルラーナは今何を考えているのだろうか。そう疑問に思えってしまった自分は何だろうか。そんな感情は関係のないこと。彼女とリリヤが住む世界は違う。いずれ忘れていく存在。いずれリリヤから遠ざかっていく存在。故に彼女への思考など虚無の果て。

 立ち去ろうとするリリヤだが、彼女は終わらせる気はないようだ。


「この道すがら、魔族を殲滅したのは貴方の仕業よね?」

「……そうだね」

「そう。で本題よ。貴方が殺した元凶のその男。貴方はどうして情報やそうなった経緯を訊かずに殺したの?」


 逃げることは許されない。これは正義の猶予。制裁へと運ばないためのセルラーナ・アストレアの慈悲。死んだ男へと視線を注ぎ、はぁーと息を吐いて沈黙を破る。


「俺にはいらないからだ」

「だから殺した?『真実』も知らずに?」

「ああ。関係ないよ。人類の敵に加担する奴は魔族と同じ。そんな奴らに慈悲なんてくれてやるものか」

「…………助けを求めていても?」

「そうだとしても、そいつのその行い一つでどれだけの人間が死ぬと思う?魔族や魔物、悪魔の手によってどれだけ下界に災厄が持たされたと思う?」

「…………」

「知っているはずだ。——奴らは等しく『絶対悪』。なら、どんな理由があっても加担したならそういうことだ」


 リリヤの意見に見解にセルラーナは反論しない。彼の言葉は正しいからだ。

 魔族側に加担する意味。それは人類への裏切り。その意味以外に存在しない。その裏に大切な人が人質に捕られていようと、命を握られていようと、誰かを守るためだろうとそれ以外の意味には為りようがない。いや、なることはない。たった一人の命と幾千の人々の命。天秤にかけるものではない。

『悪』は『悪』であり、『悪』に染まった人間もまた『悪』なのだ。


「そうね。……そう、なのよね。……」

「…………」


 何かに迷っているのか晴れ晴れにはほど遠い困り顔。彼女が何に葛藤しているのかは知らない。本質的にリリヤとセルラーナの道は違う。分かり合えるはずがない。立ち去ろうとするリリヤにセルラーナが慌てて呼びかける。


「……リリヤ」

「なに?」


 仮面の奥の表情はわからない。それでもとセルラーナは懇願するように問う。


「正しい、いえ、悲しい『真実』が裏にある悪人を、貴方ならどうする?」


 真剣な眼差しで問われる。そんなものに答えは決まっているが、それを応える義理はない。彼女に伝える意志もない。だけれど、『悪』はリリヤの殺意に導く殺し屋。絶対に赦せない殺すしかない存在。だから零れた。


「——悪は滅びるべきだ」

「え……?」

「君は【正義】。俺とは違う」 


 幾度の戦闘の末に擦り減り続けた心を思い出す。

 悪魔と恐れ慄かれた。堕天使と忌み嫌われた。道化だと馬鹿にされた。異端児だと魔女裁判に晒されかけた。幾度もの暗殺、幾重の罵倒、幾千の恐怖と憎悪、嫌悪でみるその瞳。

 リリヤの人生は一言で表すなら最悪だ。その果てに夢に出てくる温もりの象徴である母親との唯一の繋がりを自らの意志で断った。それが意味するところは誰にも分かるはずがない。

 否。一人だけ、あの『王女』だけが、『紅花の彼女』だけが抱きしめてくれた。

 悪魔同然のリリヤにアーテという『姓』を捨てなくてもいいと、夢想と同じように頭を撫でてくれた。……けれど彼女はもういない。

 だから、そのすべてが彼の真実であり、けれど擦り減り欠けて消えていったもの。

 馬鹿馬鹿しいとリリヤは今度こそ完全に背を向けて去る。

 その少女のような背中を、セルラーナはしばらく見つめていた

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