哀しみに狂い
青海夜海です。
悲鳴、慟哭……言葉は、ない
ルシファーを倒して三週間が過ぎた。
死者の数は数えることなど不可能で、生存者が三千人いるかどうかなほど。
アーテル王国の国王ザッツル・テン・アーテルは、国家体制や領土問題に戦況報告や他国に物資や食料の供給のお願いや民の安全宣誓などに多忙を極め、王に仕える者たちも傷が癒えれば直ぐに国中を駆けだし回っていた。
『騎士団』も『竜印の覇者』も『ギルド』も『平民』や『貴族』も関係ない。生きている者が生きていくために、死を増やさないために未来を繋げるために奔走している。
破壊された国の整備に食糧や物資、材木や資源の調達調整受給。四方八方へと事の顛末を連絡要員が駆け出し、暗黒の時代に似た貧困が襲い掛かる。
弱小なったと貴国との貿易を利のない害として閉ざそうとする国や都市もあれば、原因の調査に明け暮れ対策に赴く国もある。
支援をなかなか得られない中、隣国海城の島々リヴェル共和国の救援救済によって一週間を過ぎた頃には落ち着きを取り戻していた。
王ザッツルは言う。
——今、我らの国は最大の危機を脱出した。故に我らが向かう世界は希望である。だから、安心するのだ!平和はもうここに来る!
王国であれば王への忠誠は高いもの。だから、王の声は鶴の声。万軍を支配する王冠の輝きである。
誰もが安心を抱いた。誰もが心から恐怖が去ったと胸を撫でおろした。誰もが王の御業であると尊敬の念を宿した。
その裏で、この国を救った『英雄』がいるとは誰も知ることはない。
悪魔たちの討伐は騎士団や竜印の覇者である。国の救助に尽力して命を賭したのはギルドに所属する戦士たちである。王を守ったのは誇り高き忠誠を誓う彼らである。世界はそう成り立った。
そうして、すべて落ち着きを取り戻し、人々が帰れる家を持ち食料を平等に得られ、騎士やギルドたちが休息をできるようになった三週間を過ぎた今日。
世界の成り立ちは、『偉業』として書き記された。
崩れ去り再建築できていた街の奥、微かな草原の丘であった場所で今だ懸命に命を尊ぶ草花を絨毯に、一人のエルフは一つの墓石に花を添えていた。
その墓石には名前は刻まれていない。ただここにあるだけの物なのだろう。その下に遺骨はあるのだろうか。
彼女以外にいる者はいない。朝焼けの黄金の髪を後ろで雑に一括りにした少女は、真っ白なワンピースのスカートの裾を折りたたんで膝をつき、花束をそえる。
「お姉ちゃんの好きなスターチスだよ。……ここらへんじゃあまりなくて、水玉の森林まで行ってきたの」
白い色のスターチスはふわりと風と靡かれ香りを広げる。それは天へ還る生命のようで、必死に堪えていた涙が滲みだして無理矢理笑って見せる。お姉ちゃんは笑顔のほうが好きだから。
「お姉ちゃんのお陰で敵は倒せたよ。リリヤとセルナが悪魔も倒してくれたから、生きている人たちを救えた。これもすべてお姉ちゃんのお陰。……お姉ちゃんのお陰、なんだよ……」
お姉ちゃんがわたしを守ってくれたから、わたしは【邪鬼】を倒すことができた。それに違いない。
だから……これほどまでに悔しく苦しく怒れることはない。
わたしが夢見る彼女はもういない。
それがどうしようもなく涙と痛哭に変えてしまう。
晴天なのに曇天が雨を豪雨の様に叩きつけるような慟哭が、景色すら誤審させる。祝福しているような晴天なのだ。
まるでヴァーネからのお願いのよう。けれど、翡翠の瞳に涙を溜めたエルフの少女――リシュマローズ・シンベラーダは慟哭に枯れる。
「でも!お姉ちゃんがいないなんて、わたしには耐えられない!戻って来てよっ!帰ってきてよっ!……なんでわたしを置いて死ぬのよっっ⁉」
涙が滂沱する。声が震える。喉がか細く呼吸する。視界が揺らぐ、何も見えないよ。
「わたしはみんなを笑顔に……わたしに、できるの?こんなにも心が揺らぐの。お姉ちゃんがいないだけで、わたしは苦しいよ……。苦しくて苦しくて!…………わたしは、どうしたらいいの?どうしたらっ!…………お姉ちゃんのいない世界で、生きていけるの?みんなを、笑顔にできるの……?」
リシュマローズの人生の大半はヴァーネの存在が大きかった。村を飛び出した日にヴァーネはローズについてきた。共に旅をすると弱い身で支え続けた。
山賊に襲われた時、命賭けでローズを助けようとしてくれた。
何かに悩んでいる時、ヴァーネだけがローズの話を聞いてくれる心の支えだった。
全ての困難にヴァーネはローズに寄り添った。
それは依存に似ていて、純粋な家族愛であって、花よりも儚い存在どうしだったのだ。
ヴァーネが縛り付けていたわけではない。ローズが自ら徐々に手を離さなくなったのだ。これは自分の過ちの果て。
リシュマローズは一人で求めるゆえにヴァーネに依存してしまった『共愛者』だ。
だから、ヴァーネのいない世界は彼女にとっては始めの道。頼ることは出来ない。守る者がいない。理解してくれる、許して受け入れてくれる無条件の存在がいない。
彼女は初めて知る、これが『独り』だと。
「あっぁぁぁぁぁっああああああああああああっっ⁉」
慟哭は止まない。傷は癒えない。ローズは泣く、叫ぶ、嘆く。
「助けてよ!誰か、わたしを助けてよっ!わたしの涙を止めてよ。お姉ちゃんッッ‼」
その後ろ姿をセルラーナ・アストレアとアムネシア・アスターはずっと見守っていた。
決してその場に踏み込むことはせず、ローズが立ち上がるまでその場で背中を見守る。彼女たちにはそれくらいしか出来ない。
経った半日共闘しただけの相手に、なんと声を掛ければいいのかわからない。大切な人の死を味わったローズには届くことはない。セルラーナの言葉もアムネシアの哀しみも、全てが綺麗ごとと成り果て捨てられる。
不意に立ち上がったローズがふらふらと歩んでくる。その身体を支えようとセルナが手を伸ばした瞬間、ローズがセルナの手を振り払った。
驚くセルナとアムネシアの瞳に映るのは、怒りと悲しみに歪んだ翡翠の瞳を鈍くした相貌。綺麗なはずなのに淀んでいる。そしてローズは言う。
「わたしに気を遣わないで!優しさを与えないで!お姉ちゃんの真似事はしないで!」
「私はそんなつもりで手を貸したんじゃ……」
「一番身近で大切な人がいなくなる苦しみなんて、あなたたちは味わったことないじゃない!わたしの家族の、大好きなお姉ちゃんがいなくなった苦しみなんてわかるはずがないっ‼」
「ローズ……アタシは」
「アムネシアさんにとっても大切だったかもしれない。でも!わたしにはっ!わたしを支えてくれる人はお姉ちゃんだけなのっ‼わたしの我儘に付き合ってくれたのもお姉ちゃん。わたしを助けて寄り添い続けてくれたのもお姉ちゃん!わたしが命を賭けて守りたかったのもお姉ちゃんなのッ‼」
「…………」
「こんな気持ちは知らない……。こんな苦しいの、わからない。こんな……嫌な怒りはなに?」
「ローズ……。私もアムネシアも同情なんてしないわ。……貴女の苦しみも分かってあげられない」
セルナの語りにローズは呆然と絶望する。どこかで期待していた。惰弱な心でありながら強く在ろうとするわたしを包んで甘えさせてくれることを。いや、違う。わたしは、期待していた。
――彼女たちが『お姉ちゃん』であることを。
「私の傷は私もの。貴女の傷は貴女のものよ」
「アタシの穴も記憶も喪失感も哀しみも、アタシのものよ。……だから、アタシたちはあんたの傍にいる事しかできない。――ヴァーネのようにはなれない」
「――ッ⁉」
抉った、心を。壊した、気持ちを。傷つけた、妄執を。ローズという存在の固定概念に似た依存対象がこの場から完全に排除させる。
縋る手は空を切り、叫ぶ声は蜃気楼に呑まれ、追いかける瞳は闇に閉ざされる。
知らない、この恐怖。わからない、この虚無。理解できない、あなたたちの言葉。
ローズの瞳から涙が流れる。たった一滴の生気のような闇に濁った涙だ。
震えていた身体はびくともしない。様々な感情が入り交じった瞳も相貌も人形のように、熱く震えていた赤の唇は氷のように息を吸うだけ。
力を喪ったローズはその場に座り込んだ。
「ローズ⁉」
直ぐにセルナが彼女の腕を掴んで、はっと気づく。見下ろすアムネシアも気づいた。
死人のように魂の抜けていたローズがくつくつと笑いだしたのを。
それは異変、もしくは自然。リシュマローズ・シンベラーダは嗤うのだ。
「あはっあはははははははははははははははははははぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ‼」
たじろぐ二人を目尻にローズは徐々に立ち上がる。二回目のセルナの腕を取らずに、アムネシアの心配を無視して黄昏が終わった夜空を仰ぎ、後ろにふらりと一歩二歩と後退って息を吐いた。
「どうしたのよローズ……?」
「わからないわ。でも、私は知っているわ。……大切な人を喪った人の絶望を」
ある冒険譚の一説でこのように書かれていた。
――ある英雄はその身を賭す覚悟で敵と刃を構えた。しかし、奴の刃が英雄の大切な人を紅花に咲かせた。
嗚呼、どうしようもないと英雄は嘆いた。
嗚呼、どうすればいいのだと英雄は求めた。
嗚呼、なぜ死んだのと英雄は苦しみ悲しんだ。
暗黒の敵はかの英雄によって倒された。しかし、英雄はもう亡き愛した人を抱きしめ涙を流し続けた。
〝嗚呼、愛しき私の姫よ。どうして、どうして死んでしまわれたのですか?どうして私を置いて逝かれたのですか!
……私の弱さ故なのですか?私の未熟さ故なのでしょうか?貴女を守れなかった弱き私への神々からの天罰なのでしょうか。
……私はもうわかりません。生き方も、望み方も、支え方も、歩き方も、戦い方も、笑い方も。泣くことしか出来ないのです。
私の罪は誰が裁いてくれるのでしょうか?〟
英雄は哀しみ続けた。嘆き苦しみ慟哭を絶やすことはなかった。国を救った英雄を皆が讃える。この悲劇も美談と勝手な涙を流す。
ああ、これは物語であっていいはずがないと言うのに。
ああだからか。いや、これが英雄の最期だった。
かの英雄は哀しみに暮れ、そして笑いだした。涙を流しながら枯れ果てた顔を天に、笑い続けた。
そして――〝神々よ。其の英雄は愛した人ひとりも守れなかった〟
記載者は記す。――哀しみが終わった後に来るのは笑顔であったと。それは絶望と同じであった……と。
ローズはわらう、わらうわらう。……ワラウ。
声にならない声で、笑顔にならない悲愴で、絶望と紙一重の虚無の闇のような涙を零して、わらう。それはいつしか泣き声へと変わり慟哭が灯す。痛哭が響く。叫喚が夜空に吸い込まれていった。
「お姉ちゃんっ!おねぇぇっちゃぁん――っ⁉おぉねぇえちゃぁぁ――っっん‼」
そのみすぼらしい姿をセルナもアムネシアもただ黙って見ているしか出来なかった。
夜空はこんなにも綺麗なのに、それは希望でもなく遠い世界のようで、ローズを知る者はいない。アムネシアの哀しいもセルナのやるせなさも、知る者はいない。
夜空はあんなにも綺麗なのに、どこまでも冷たく澄み切っていた。
内臓の奥、心臓の内、心の傷をも軋ませるほどに、夜空は綺麗だった。
そのうち更新します。




