最終の彩と炎
青海夜海です。
最終決戦。狼の敗北、エルフの絶叫、邪鬼の微笑み。すべては意志のままに。
「ぜ、あぁ……いや、ぃやぁ……ぃっいやぁあああああああああああああ…………っぁ⁉」
膝から崩れ落ちて泣き叫ぶアムネシア。呆然と佇むローズ。
思考を封じられた。勝機が目を晦ました。意志が砕けていく。
もう…………勝てないのだと、理解してしまう。
勝手に受け入れて諦めようと心が叫んで――
強い衝撃がわたしを押し飛ばした。
駆け抜けていく『何か』が視界の端に映る。
強い衝撃がわたしをその場から遠ざける。
香りがした。好きな人の凛とした香り。
声がした。生きた時から共にいた妖艶で優し気な声音。
そして――託された。
未来を、誰も泣かないような未来を託された気がした。
「……………………ぇっ」
視界の映る先で鮮血が舞う。鮮やかで綺麗な血の結晶が宙を踊った。
背中を地面に撃つ衝撃。隣に誰かが倒れる音。
血の濃い匂いがわたしの鼻孔を刺激して、思考を死なせた。
わからなかった。わたしの隣に倒れているが誰であるのか、知りたくなかった。
今起こった事実を何も知りたくなかった。認めたくなかった。
そんな悲劇が受け入れられるはずがない。はずが……ない、のに。
荒くか細い微かな息。胸から零れる命の源。青ざめて白くなっていく美貌。
苦し気に寂しげに儚げに、その人はわたしの名前を呼んだ。
「…………ローズ、ちゃん」
その人は妖精のような女性。
その人は優しさの塊のような姉。
その人はずっと私を見守ってくれていた大好きな家族。
嘘だ、嘘だ……うそだ!こんなの嘘だ、なんで……どうして⁉
貫かれた胸から流れる鮮血がわたしの掌に付着した。彼女のか細い息が苦し気に耳朶を揺らす。
首を何度も何度も横に振って、けれど名前を呼ばれて眼が離せない。わたしと同じ翡翠の瞳が離さない。
信じたくない。……こんなの何かの間違いで、こんな事実はなくて、それで……それで……それで……。
現実だ。言い訳の通用しない真だ。
隔たりも過不足も不可視もあれども、まごうことなき真実の理不尽だ。
知っている……知りたくない。
理解している……嘘だ。
眼を逸らしている……逸らすな。
受け止めろ……嫌だ。
認めろ……知るものか。
なら――何も出来ずに死なせるのか。
誰かが、『わたし』が『わたし』に言う。
何も言わずに何も出来ずに、何も示さずに死なせるのかと。
わたしは――彼女の名前を嗚咽交じりで言葉にした。
「…………ヴぁ、ねぇ……お、ねえちゃん」
「げほげほ……ええ。そうよ……あなたの、お姉ちゃん、よ」
蒼白の顔で笑顔だけは絶やさない。溢れ出てる血が止まることはない。
ヴァーネ・シンベラーダは彼岸へと誘われていた。
「どうして……どうして⁉わたしを庇ったのっ⁉ねぇ!どうして……⁉」
涙が流れた。それがヴァーネの頬を濡らす。熱く純粋な雫はヴァーネの涙であろうか。
「貴女に、生きて、いてほしい……それだけよ」
そう言って笑うのだ。確かに微笑むのだ。それだけだと、ローズに生きていて欲しいだけだと笑ったのだ。
そんなことが信じられるわけ……受け入れられるわけがない。
わたしは鍛えてきた。強くなるために傷を沢山負って、一ヶ月以上寝込むときだってあった。それでも死ななかった。わたしは強いはずだった。なのに……
「お姉ちゃんは、ぅっ……わたしより弱い!ッなのに⁉どうして……⁉っどうしてわたしを、助けたの――っ!いやだぁ……いやだぁっ……お姉ちゃんが死ぬなんて……い、やだ……」
駄々を捏ねる。怒ってやる。泣いてやる。足掻いてやる。
なのに、なのにわたしには何もできない。何一つできない。
強くなったつもりでいた。強く在ったはずだった。誰にも負けない自負があった。
なのに、こうもあっさりと大事な人に傷を負わせた。それは二度と治ることのない傷。
後悔が苦しめる。罪悪感が訪れる。自己嫌悪が心臓を穿つ。
こんなもの……こんな結末があっていいはずがない!それなのに……わたしにはどうすることもできない。
そんなわたしの頬にヴァーネが指先でなぞった。赤い液体が嫌に付着した綺麗な白く長い指。わたしの髪を梳くってくれる大好きな人の指。
「ぁぁぅっぅぅ……お、おねぇっちゃぁんっ!しっ……しな、ないでっおねがい……っぅ」
「……ごめんなさい。でも、私が、いなくても……ちゃんと自分の思うように生きて。貴女には、かけがえのない……仲間がいるでしょ?だから、泣かないで」
指の感触が熱の伝導が言の葉の紡ぎが声音に安心が大好きな姉の笑顔が……そこにあった。
わたしの突拍子のない家出からの旅に、お姉ちゃんはついて来てくれた。
弱いくせにわたしを守ろうと奮闘してくれた。その度にわたしはお姉ちゃんに怒って、でも最後には微笑むお姉ちゃんに勝てなくてわたしも笑った。
知っていたはずだ。お姉ちゃんは自分の命も、大切な人の危機に捧ぐ勇敢で蛮勇な妖精なのだと、知っていたはずだ。
だって何度もその光景を見てきた。何度も救われて、怒って、笑って、心配してきた。
だから、これはそういう結末なんだ。お姉ちゃんの使命が果たされた結末でしかない。
だから――だから、わたしだけはちゃんと示さなければいけない。
お姉ちゃんを囚われの監獄じゃなく、紅き花々が咲き誇る彼岸へと還さなければ。
それがせめてもの恩返しなんだ。今できる、たった一つの今世で最後の……
わたしは涙を強引に拭って無理矢理に不細工に笑った。口角を上げて目を弓なりに曲げて頬を持ち上げる。お姉ちゃんが望むわたしで生きていくために。
「わたしは生きる。生きて生きて生き抜いてっ!みんなの笑顔を見つけてあげられるようになるよ!お姉ちゃんみたいに!だから、また会いましょう。大好きなお姉ちゃん」
「ええ……また、また、逢いましょう。さようなら……大好きな妹」
そして、そんな二人を見下ろす赤い髪の泣きっ面を晒した女の子に振り向いた。
「ありがとうね、私の親友。……大好きよアムネシア」
「…………ええ。アタシもあんたのことが……好きよ。だから、もう眠りなさい。あんたの大好きなスターチスを添えてあげるから」
アムネシアは笑うことはなかった。けれど、優し気な親友にしか見せないその顔は、ヴァーネにとってかけがえのない幸福のお別れだった。
「…………この子をよろしく」
そして、ヴァーネ・シンベラーダは、静かにゆっくりと人生の幕を降ろした。
この残酷と無惨に晒された世界の中、彼女もまた儚き命を彼岸へと消えていった。
冷たくなっていく身体、力のない腕脚。光のない瞳。
泣かなかった。これ以上は泣いていられない。
すぐそこには元凶たる【邪鬼】がローズたちを見下ろしている。
のろのろとした足取りで、尋常ではない脅威が圧しこめた。けれど、そんなものは脅威でもなんでもない。大切な人を喪う哀しみに比べればどうってことはない。
お姉ちゃんに示した。
生きて生きて、生き抜いた先で笑顔を見つけてあげられる存在になってみせると、そう誓った。
なら、こんな所で死ぬわけにはいかない。絶対に死ねない。
毅然と立ち上がり、迷いない意志が漲る翡翠の瞳で【邪鬼】を見据えた。
「ローズ。アタシの魔力を少しあげるわ。だから、絶対に勝ちなさいよ!」
「……っはい!お姉ちゃんを殺した罪っ……わたしの全部を持って必ず倒してみせます!」
アムネシアから与えられた僅かな魔力は、どんなものにも負けない『聖火』のよう。
そして、ローズの詠唱が響いた。
「【世界の彩よ、彼の眼は彩花の顕色となる彩なり】」
それは長文詠唱からなる彼女だけに与えられた魔法。想像から創造する顕色の訓え。
魔力が唸り出す。彩が集い始める。彼女の真意に世界の彩が応えていく。
【邪鬼】は本能的に直感した。
それは今までのどの魔法とも比べ物にならない、己を殺すに足りる脅威であると、亡者からなる英傑としての経験と魔物としての本能が訴えかけるのだ。
その魔法を完成させてはいけないと。
故にドランガルの狙いはローズ一人になる。瞬時に繰り出す剛撃を躱し、走り去る。それは時間稼ぎに他ならなく、ローズを殺す以外の選択がない【邪鬼】は、鈍い脚を必死に動かして追いかける。追いかけながら伸びていく手腕だが、それは先ほどの半分もない。十に満たない手腕は躱すのには余裕。
「【貴女の彩よ、彼の心を静寂の星華となる彩なり】」
トネリコの杖で往なし、身体を捻り前転後転宙転と、あらゆる動きで回避一点に努める。
それでも躱しきれない手腕は予備の短剣で捌き、遠くから振り下ろした剛撃が地面を伝って地震のようにローズを襲うが、素早く跳躍したローズに被害はない。そのまま屋根上に着地して駆ける。
「【私の英雄よ、星に昇る彩の結晶よ、その御身に聖なる華の涙花をもって届けましょう】」
魔力が変化していく。彩に染まり一凛の花のように今咲き誇ろうとその時を待っている。
魔力を魔石に注いだことで、棘も咆哮も使えない【邪鬼】には手腕しかない。
けれど、危惧すべしはそれではない。【邪鬼】が持つ一番の脅威はその強靭な剛撃だ。
地割れを伴う反動がローズが駆ける全ての建物を崩落させ、無理矢理に地上へと誘った。それは予想外の出来事で、ローズは目を見開き身動きのできない空中に放り出され迫る手腕に詠唱が止まりそうになった…………その時。
駆けた。風を貫いて『誰か』が駆けて行った。そして、手腕は悉く天へ召される。
爪牙の輝き、低い咆哮、毛並みの生え揃い、血だらけで傷だらけの死んでいておかしくない存在がローズを守った。
「……⁉ゼアっ!」
アムネシアの声に応えるように、『人狼』のゼアは【邪鬼】に向けて反撃の咆哮で宣告した。
「ァォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォッ――――ッッッ‼」
そして、その手に握りしめているのは紅き結晶。まるで血を固めたかのような宝石のような結晶を、鋭い牙で噛み砕いて体内へ投入した。
そして始まる。
狼の逆襲が狼煙を上げる。
本当の姿が顕在する。誰も知らぬ人狼の本来の姿。
ゼアの毛並みがブワリと震え、全身が紅く光り出す。脚が太くなり腕が強靭にその身体は全長三メルほどの化け物へと変貌した。
満月の夜、人間は『狼男』へと変貌する。そして紅き月の夜、狼は『巨狼』へ変貌する。
異界の生物――吸血鬼がこの世界に進出した時に浮かぶ紅き月。
それが起動条件。
紅き月の一端を疑似的に創り上げた魔晶を体内で吸収することで、ゼアは伝説の再現へと駆りたたられる。
【邪鬼】の背丈と同じ大きさへと変貌したゼアの爪牙が、【邪鬼】の腕を切り裂く。
『ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ⁉』
「ァアアアアアアアアアアアッ‼」
ゼアの回し蹴りが首を捻じ曲げて吹き飛ばす。
「遅くなってすいません!」
ゼアの後を追ってやって来たルベルの炎が伸びる手腕を焼き尽くした。
「まさか……あの時の結晶が『聖狼』のトリガーだったなんて……これを見越していたのですかね?」
そう。ルベルは任務によってリリヤのもとを訪れた時、彼から紅き結晶を戴いていたのだ。それが偶然にもゼアのトリガーであり、リリヤはゼアと共に行動することが出来ておらず、こうしてルベルがゼアの下へ辿り着いたのだ。
偶然にして出来過ぎている。けれど、そんなものはどうでもいい。
ゼアのなけなしの力で力を削いだ【邪鬼】にローズの詠唱は止まらず、最終曲へと移る。
「【世界の彩よ、私の花に染まれ】
顕在する。星華の花々が意志に応える。魔力に乗った世界の彩が、輝いて満ちていく。
この身は生きる身。生きて生きて笑顔の意味を見出す使命の身。
約束を守ろう。
今、旅立ったヴァーネとの誓いを果たす物語の第一歩だ。
リシュマローズ・シンベラーダは唯一無二の魔法の名を降した腕と共に解き放った。
「――【彩の星華】――っ‼」
数多の『彩』が顕在する。
赤に青に黄色に緑に白に黒。紅に蒼に深緑に鈍色に錆色に紫に夕暮れに朝焼けに、数多だ。
数多の『彩』が創造されたのだ。それらは一凛の花。己を獲得した決められた彩をもつ花々。蕾は芽吹き咲き誇った。
「お姉ちゃんの仇‼そしてみんなの仇よ!」
ローズは全ての死んだ人間の願いを背中に乗せて、魔法を撃った。
「いっけぇええええええええええええええええええええっっ‼」
開花した花から魔力の極光線が閃光した。
それは彩をもった特殊なそれぞれの魔力光線。炎に燃え氷に凍てつき鉄に固く風のように鋭い。雷は強靭で影と吹雪、光と黄金が走る。やがて魔法はアイリスのように集って咲いた。ローズの渾身の魔法が【邪鬼】の胴体に直撃する。
『ゴォォオオオオオオオオオオオオ――ッッ⁉』
黒い粒子が守るように逃げまとうように加速的に蠢き、苦しみ足掻き嘆き痛哭に叫ぶ。
「はぁああああああああああああああっ‼」
白虹の光が黒を呑み込み消滅させようとするが、しかし、【邪鬼】は黒い粒子を収束させて白虹を押し返さんと剛腕を作り迎撃する。。
今にも溢れ出しそうな黒の粒子は次第に腕だけに集まり、強靭的な剛腕に成り上がる。
「嘘でしょ⁉こ、この!」
残っている魔力は枯渇寸前。全身全霊の魔法なのに、どうして耐えることができる。
これこそが進化した魔族たる魔物の真価だ。膝をついていた脚を起たせ、一歩、一歩と歩み出す。踏ん張るローズ。押し出すドランガル。
そんな激戦は炎の巫女によって転結する。
「【私は蒼き炎を統べる者】」
「【私は紅き炎を統べる者】」
それは同時詠唱ではなかった。
『生火』を司るアムネシアと『心火』を司るルベル。二人の炎の使いが詠唱するのだ。
それは混同詠唱。否――複合詠唱。
神々の眷属における繋がれた魂から成り立つ唯一無二の神々が与えし神秘。
神血を刻まれた魂が二人の間に連繋を創り出す。
それは二人の司る炎の魔法から創造された『神秘の魔法』。
「【意志はここに紡ぐ軌跡へとなる】」
「【生命をここに刻む運命へとなる】」
自らが司る炎を誤らず、絶対の意をもって出来上がる。
『蒼炎』と『紅炎』の源が二人の巫女を神格させる。
「「【蒼炎と紅炎の眷属、魂血を司る聖火の巫女】」」
二人の声が重なり炎の揺らぎが、生命の真価が目覚めだす。
混合した言の葉。
清く正しく神に愛されし神々の血を刻まれたとある女神の眷属。
巫女は祭壇を顕在させる。
祭壇に誇る炎を呼び起こさせる。
「「【さあ、浄化の炎よ、標の名を意して打ち払え】‼」」
二人の巫女の声が響き、奇跡の名を叫ばれる。
「「【浄化の炎】――ッ‼」」
二人それぞれに与えられた『生』と『心』の聖火の魔法の名。
重なった。紡がれた。繋がれていく。希望の炎が燃え盛る。
【邪鬼】を中心として魔法陣が浮かび上がり、紅炎と蒼炎の渦が纏わりついた。それは黒の粒子を穢れを打ち払う。浄化の炎が一掃していく。
「今よローズ!」
弱っていく【邪鬼】をローズは見据え、咆哮した。
全ての仇をこの身に背負い、この物語の決着をつける彩を染め上げた。
「終わりだぁあああああああああ!」
世界は純白に染まる。打ち上げられる彩は炎に包まれ、ドランガルやその他の魂と共に天に還す。
それは柱。それは浄化。それは終わり。
そこに集っていたこの国の悪たる邪気も、穢されて停滞していた魂も、全てが純白に染まって消えていった。
見上げる空は夜のはずなのに、どこまでも蒼く、夕暮れのように紅く染まっていた。
「――また、会いましょう。いつか、どこか平和な世界で――――」
後二話で第一章は終わりです。
次はリリヤとルシファーの戦いです。
更新は来週になると思います。




