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正義と復讐

青海夜海です。

正義を問おう。復讐をお前は許すか。

 

 


 ………………………………




 映像が終わり、驚愕と物言い難さに言葉は出なかった。男が見た魔族降臨の瞬間。そして無慈悲な殺戮。そして……。


「悪魔、ルシファー……」


 凍える声音で死神は殺意に堕ちた。

 ぞっとするほどの暗黒。誰にも到れない憎悪。


 リリヤは腰に佩く蒼の剣を握りしめる。それが意味する所を理解できないものはいない。

 焔が霧散したその場は沈黙の名の氷で創り上げたかのような静寂となる。


 怒りを覚えたセルラーナ。口を引き結ぶローズ。銀狼の眼を鋭利にするゼア。口元を抑え今にでも倒れてしまいそうなヴァーネ。魔力を解き息を吐いたアムネシア。

 誰しもの脳内には先ほどの過去が幾度と流れ、決して振り払うことなど不可能な映像。植え付けられた魔族への敵愾心や恐怖心が嫌と言うほどにフラッシュバックを起こさせる。

 故に決断は早急。リリヤは一人扉へと脚を歩む。それに倣い、ゼアも立ち上がりヴェルテアも後につく。これが彼らの決断だ。


「…………どこに、いくの?」


 セルラーナの絞り出すかのような儚い銀鈴の声音。

 その問いは何しにいくではない。どこに……そう、セルラーナ・アストレアは訊いた。

 脚を止めたリリヤは半分だけ振り返り、殺意溢れる鬼の形相の紺青の瞳で青金の瞳を見据えた。情けだ。


「…………地下ダンジョン」

「地下ダンジョン?」

「……間違いなく奴らはそこにいる」


 絶対的な確信をもった言い様に、困惑するセルラーナの代わりにローズが問うた。


「どうしてダンジョンなのですか?」


 純粋な疑問。けれど、それは愚門。


「アムネシアの映像を見る限り、奴らは転移をして現れた。それにこの国はヴェルテアによって結界が張られている。けれど、その結果には反応がなかった。なら既にこの国内に潜伏しているのは明らか。ヴェルテアの調査でもそれは判明している。なら、誰も知らない未知の迷宮――この国の地下に存在するダンジョンの未到達エリアが一番怪しい」


 にべもなく言い放つ。その声音にもはや感情の起伏はない。冷酷に無常に無関心に復讐のためだけにその命は賭される。悲願のためだけに。


「それに俺たちがこの国に来たのは、ここらで悪魔が潜伏してるっていう情報を手に入れたからだ。もうある程度周りは調査済みだし、残るは国の内部かその付近だった」

「じゃあ、審判の祠付近で討伐された魔族はなんなの?」

「あれはカモフラージュ。魔族の意識を外に向かせるものだろう。結果、奇襲は成功して多大なる損害が出た。いくら素早く討伐して魔族が逃走しても一緒のこと。奴らの奇襲は成功したんだ」


 返す言葉も見つからず納得だけしてしまう。今思えば確かに変だった。

 なぜこの瞬間に大量の魔族が出没したのか。なぜ奴らを操る生贄がいたのか。すべては国内の強度を弱めるため。

 それに加えて式典を控えた催しの今日、他国の宰相や外交官などが滞在する中なにかあってはならない。故に外の警備を厳重に固めるのが定石。奴らは侵入などできないし、外での目撃情報があったのだから。きっと映像で見た悍ましい悪魔はそれを熟知しての計画だったのだろう。今にしてセルラーナも理解した。


「でも、悪魔の存在を感知していたのならどうしてギルド管理部に報告しなかったの?最初から厳重な警備や対策を行っておけば、未然とは言わないけれど十全に対処できたかもしれないわ」


 彼女の言い分はごもっともだ。言い返す言葉もないほど正論だ。けれど、『正論』を彼らは持ち合わせていない。あるのは『野望』を叶えるための『野心』だ。


「言わんことはわかるが、こっちも万全な情報でもねーんだよ。ましてやヴェルテアのことなんか話せるわけがねー。確証もなければ理由も説明できない。これを王様やギルド様はどう対応するだろうな」


 ほとんど嫌味の分類だが、あながち間違いでもなく王もギルド管理部もちゃんとは取り合わないだろう。警戒に力を入れますの一言で終わり。調査の一つもしない。ましてや【正義】の方に案件として回される可能性もある。

 ここで言えばゼアのそれもまた『正論』であった。その『正論』の裏に隠れた真実。他者の信用など当てにしない孤高。いや、猜疑心の集い。身勝手なほど他者を信用などしない。何度裏切られ侮蔑され貶められたことか。

 まだ何か言いたそうなセルラーナを置いてリリヤは扉に手を掛ける。そして開けようとして、その手を細い手が掴んだ。

 唐突な出来事に眼を見開くリリヤだが、すぐに目を細め彼女を睨み付けた。


「なんだこの手は?」


 淡白ながら怒りの滲んだ声音に、その人物は己を奮い立たせるようにギュッと力を入れる。

 別にどうってことのない力。だけれども、伝わってくる。熱意、激情、意志、決意。

 否――『正義』だ。

『正義』の雄叫びが掴まれた腕から這い上がって来る。暑苦しく鬱陶しい、けれど誇り高く尊い己の正義。

 青金の瞳が真摯にリリヤを見た彼女は、セルラーナは吠えた。


「私も行く!」


 正義の激情が怒りのように喰らいかかる。


「それは正義ゆえか」

「ええ。私の義心が言うの。……ここで何もしないのはダメだって」

「それは激情の慣れではないか」

「そうかもしれないわ。でも、私の心意が言うの。……心を潰しては、誰も助けられないって」

「………………なら訊こう。『正義』とはなんだ?」


 再びの何度目の問いに、セルラーナははっきりと淀みなく答えた。

 迷いなど泡沫の彼方に、もう葛藤してられない。貫いて示さなければいけない。

 無理矢理でもこじつけでも、本物じゃなくても――その時だから。


 迷うな答えろ!叫べ声に出せ!過去を振り返るな!


「――『正義』は人々を笑顔にする心。誰かを助ける在り方――っ‼」


「その果てに誰かを不幸にするかもしれない。その結末に誰かが泣くかもしれない。……それでも、『正義』の執行だと胸を張れるのか?」


 知っている。見てきた。だから、迷っていた。葛藤が正義を迷霧に曝した。


「……絶対的な正義はこの世の中にはないわ。きっと誰かを泣かせることも苦しめることも、憎まれることもある。もう何度も体験したわ。それが私の心を迷わせるの。……今も変わらない。私は迷っている。それでも……助けを求める人がいるのなら!私は『正義』を執行する!私が思う悪を、みんなが嫌う悪を正してみせるわっ!――私は私を疑わない!疑うことは、今だけは絶対にしないわ――ッ‼」


 それは綺麗ごとだ。美辞麗句の果てでしかない。


『正義』そのもの自体無価値に近い空疎なもの。けれど、彼女は彼女の祖先たちはその『正義』に情熱を燃やしてきた。誇りに思い激情を貫き己が思う全てを信じて生きてきた。

 セルラーナもまた、己を信じる道を歩みだした。


 なら、その覚悟足りうる言葉は、きっと今の誰よりも美しい。


 彼女は言うのだ。『正義』は人々を笑顔にして誰かを助ける在り方だと……迷っていた心を砕いた。

 一部であっても【正義】として吠えてみせた。

 そんな彼女の激情に揺らがないはずがない。

 それも正しく魂の炎なのだ。燃えている。熱く清らかに繊細に情熱的に燃えている。その篝火は『(つるぎ)』だ。

 逸らすことを逃げとする真摯な瞳に、リリヤは戸惑い苦しみ哀しみ、ほんのり納得したように見つめ返した。


「……なら、『復讐』は正義と言えるか」


 再度の問い。それは『拒絶』だ。けれど『試練』だ。

『死神』と名付けられた復讐者と手を組む意味への問いだ。


 リリヤは世界から見た歪んだ正義そのもの。否、正義など烏滸がましい。人間として最大の悪意だ。それが、ただ家族を殺した悪魔への『復讐』だとしても、王女に誓った『悲願』だとしても、ただ大切な人の死を見たくないだけだとしても……リリヤ・アーテは『悪』である。


 死を振り撒く血濡れの竜――即ち【死神アウズ】


 そんな悪たる少年と協力する意味。即ち『正義失墜』の意。


 セルラーナは理解している。ローズも理解して、リリヤと関わることを提示したのだ。想いは届かなくとも拒絶させたとしても無理矢理に。

 けれど、あの時のリリヤとは違う。復讐を必ず果たすべき敵がいる。なら他者に構う隙間など害でしかない。だからこれは試練なのだ。


 セルラーナ・アストレアが『正義』を掲げ貫く誓いの試練。

 リリヤ・アーテが誰かを許す『失くした心』を今だけでも掴み取る試練。

 そして――物語を紡ぐための繋がりだ。


 セルラーナは答えた。


「――復讐は正義ではないわ」


 はっきりと誤魔化すことなく答え……。


「けれど、悪なんかでもないわ!」


 全ての人類が罵ったリリヤに対する価値観を拒絶した。


「…………」


 誰もが唖然となる。誰もが言葉をなくす。

 正義でもなく悪でもない。ならばリリヤが掲げるものはなんだ。彼を表す言葉はなんだ。

 困惑するリリヤにセルラーナは微笑んだ。優しく穏やかに、銀鈴の声音を乗せて笑った。


「貴方のそれは、『願い』よ」

「願い……?」

「ええ。貴方の復讐も悲願も全て貴方の純粋な願い。綺麗でも醜くもない。尊くも悍ましくもない、ただの純粋な願い。心からの迷いない信じる己の叫びよ。貴方に悲嘆(アルゴス)破滅(アーテー)は似合わない。――貴方は【誓願者(アドニス)】。自分を信じることができる人よ。だから、私は貴方についていく」


 惜しみなく堂々と迷いなく溌剌と宣った。


 リリヤは『死神』なんかじゃない。彼は『願う者』であり、『信じたい者』であると。


 アドニス――神話に出てくる捨てられし子。女神アフロディーテによって育てられた愛ある戦士。

 その最期は燻る愛美の花を咲かせる血を宿す愛の残花。信じ、愛し、願い、戦う揺るぎない愛の女神の子供。

 そんなアドニスの名をセルラーナはリリヤへと送る。


「貴方は『死神(アウズ)』なんかじゃないわ。貴方は愛することが出来る、願いと信頼に乗せた『誓願者(アドニス)』。私は、貴方を拒絶しないわ。――共に戦うわ!」


 正義に満ちた勇敢な少女は、死神と恐れられる少年に改めて手を伸ばした。

 淀みない屈託な微笑みと瞳。その強さ、その在り方、その心。


 嗚呼……彼女こそが【正義】を名乗るに相応しい英雄なのだ。


 自分の根本を否定され、己の迷いに定義され、リリヤに新たな生きる名を与えた。


 嗚呼……これを愚か《正義》と言わずしてなんという。


(おかしい。……おかしくて堪らなく馬鹿みたいでふざけてて、哀しくて。で、馬鹿みたい……本当に、馬鹿だ……。『アドニス』なんてそんなガラじゃない。願望なんてずっとある。信頼なんてしていない。……でも、『死神』よりはずっと馬鹿で、ふざけている……)


 伸ばされた手を見ながらリリヤは吐き捨てるように笑った。口角をほんのり上げて長い髪で目元を隠し、密かに誰にも知られないようにおかしそうに嗤った。


「――――。俺は【アウズ】。悪魔を滅ぼす竜の子で、誰でもない【死神】だ」


 揺らぎない。その名を捨てるほどにリリヤの覚悟が弱くなどない。決して誰かが否定しようとも手放さない。

 この名は戒め。この名は礎。この名は宿命。この名は罪だ。

 それを背負い、いつかの償うその日まで、【アウズ】の名は捨てることはない。


 自らを【アウズ】と名乗ったリリヤに失望するように手を下げようとした彼女の手は、強引に繋がれ、身体ごと引っ張られた。


「えっ……?」


 見上げた彼の顔が目の前で息が止まる。紺青の瞳に憂いがない。彼の吐息が鼻に当たりそうな位置で細められた瞳が告げた。


「けれど、……君がくれた名を忘れない。君が呼んでくれた名を誇れる時まで…………。だから、君の正義を見せてくれないか」


 ドクンドクン、ドクン。


 鼓動が五月蠅い。熱が昂る。心が弾む。ああ、ああ、嗚呼。唯々に嬉しい。

 セルラーナは花々の笑みで彼の手を力一杯に握った。


「……っええ!私の『正義』を見せてあげるわ‼だから、忘れないでっ!共に戦う仲間であることを――」


 眷属の正義は剣を掲げた。魂の炎が猛る。希望たる蒼月の青が満ちる。


 仲間と呼ぶにはあまりにも曖昧で、けれど他人と呼ぶにはあまりにも遠すぎる。死神と女神の名をもつ二人を冠するのは何か。

 それは――まだ名はつかぬ。

 けれどそれでいい。それでいいさ。セルラーナ・アストレアとリリヤ・アーテが手を組んだ。それだけで友であるゼアに嬉しかった。


 そしてまた、一人の妖精も立ち上がった。陽光の金色の髪を流し、翡翠な瞳に迷いはない。

 ああ、彼女もまた掲げる者なのだ。


「なら、わたしも行きます」


 そう、【色彩】の名を戴くリシュマローズ・シンベラーダは決意に満ちていた。


「…………」

「わたしも言いました。――わたしだけはあなたを忘れないって、わたしはあなたを怖くない。……あなたに出逢えてよかった――そう言いました。覚えてますよね?」


 覚えている。覚えているに決まっている。そんな言葉……人生で二度しか言われたことがないのだから。

 誰もが畏怖して忌避して嫌悪と憎悪を向ける悪たる対象。たとえ助けられたとしても、救われたとしても変わらない。

 女神のような美貌は惑わせるまやかし。天使のような対応は心に入り込む暗策。そして現す本来は、竜と悪魔のそれ。故に道化とも揶揄され、ついた名が【アウズ】。

 そんな人間の悪魔にどうしてこうも信頼などができるか。どうして出会えてよかったと、怖くないと、名を与えようとするのか。

 リリヤにはわからない。今だ死んだ心は戻らない。けれど、本気だというその一点だけは知り得た。

 これはほんの少しの出来心。ただたんの遊戯のようなもの。刹那的な愚行でしかない。それでよかったと思える日が来るのかわからない。リリヤは諦めたように頷いた。


「……なら、速く行こう。国がもう一度脅かされる前に」

「ええ!任せて」

「行きましょう!」

「そうだな。ちゃちゃっと終わらせるか」

「まさかこうも人が増える日が来るとはな……」


 そして、五人は歩きだした。世界の危機を救う英雄さながらに。


「ええ……私たちは何も出来ないから、ここで待っているわ」

「まーそこで大人しく待っとけ」

「ローズちゃんとセルナちゃんもどうかお気を付けて」

「ありがとうお姉ちゃん。行ってきます」

「ええ……それよりも、セルナってなに?」

「君の呼び名だろ」


 少し嬉しそうに「なによそれ」と苦笑うセルナ。ヴァーネに背を向けたローズ。扉を開けたリリヤ。その隣に陣取るヴェル。

 そして――


「帰ってきたら、ちゃんと謝ってもらうんだから。だから――死ぬのは許さないわよ!」


 そう言うアムネシアの拳にゼアは己の拳を当てて、口元を緩めてみせた。


「死なねーよ、バーカ」


 手をふらふらと振りながらリリヤたちの跡を追うゼア。ヴァーネは手を組み、アムネシアは彼らの背中が消えるまで見送っていた。


「帰って来なかったら、許さないんだから」


明後日に更新予定です。

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