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炎の追憶

青海夜海です。

正義は迷い、炎が猛る。すべては雄弁に過酷に。

 

「……そう。それがあの時の願いだったのね……」


 その呟きは確かにリリヤの耳朶が捉えた。微かに開いた眼で彼女を見る。【正義】の名を冠する誇り高き正義の剣たる可憐な少女——セルラーナ・アストレア。


 その青き黄金を帯びた瞳が魂の輝きをそのままに、リリヤを見つめ続ける。


 いつの日か瞳に焼き付いた死闘が再生される。


 超越した限界の更に極地へと誘った、この世界で最もお互いの意志と信念、願望と叫びで成り立った尊き戦闘。それはこの世界のあらゆる闘争に置いて、何よりも尊く誰よりも雄々しくどこよりも輝かしく、世界で一番美しい在るべき在り方だった。

 雄と雄が命を駆けた泥臭くも愚かでも美しい一対一。忖度も不条理も言葉も名誉も栄光も慈悲も慈愛も何もない。

 あるのは己だけの魂の咆哮。誰よりも熱く、何よりも強く、どこまでも諦めず。

 幼き日に見た同じ年頃の少年の激闘が、今だ私をつき動かす。【正義】であり続けようとさせる。

 そして自分に夢を与えたその存在こそ彼——リリヤ・アーテだ。


 彼の紺青の瞳が私を認めた。


「――そうだ。……俺がヴェルテアを倒した愚かな者だよ」

「貴方は愚かなんかじゃないわ。私にはとても尊く美しく強く見えたもの」

「今の君も昔の君も同じ無垢なだけ。俺は愚かで嘆かわしく恐怖の存在」

「貴方が恐怖と言うなら、貴方に仕えるその子も友達のゼアにも同じレッテルを張るということよ!」

「こいつらはそれを知ってなお、俺の傍にいる」

「け、けれど……⁉」

「アストレア……」


 強い語気で名前ではなく家名で呼んだ。その名は『正義の名』。女神より受け継がれた使命の楔状と血錠。決して何があっても揺るがしてはいけない、魂の意志。

 セルラーナの身体は心は口は眼は金縛りのように動かない。どうしても、その『名』に吸い寄せられる。


「君の魂は綺麗だ。純白で正義感に溢れている」

「…………っ……」


 言葉がでない。否定したいのにどうしても何もできない。頭をゆっくりと横に振ることしかできない。

「君は優しい。強くて逞しく、迷いながらも『正義』を重んじている」


 そんなことはない!私は酷く弱くて、自分の気持ちすら貫けていない!わ、私は……


「悪を知り、力を理解し、己を見極め、他者の意を汲み、救済を迷わず差し出し、悪を許さない。正義たる君の強さはきっと誰にも負けやしない。……だから、俺は愚かで嘆かわしい竜の子さ」


『正義』の名の下に生まれたセルラーナ。彼女は見てきた死と悪、欲と愛、心と嘆き、笑みと嗤い。あらゆる世界を人物を見てきた。あらゆる物語をこの目に焼き付けた。その中にはリリヤとヴェルテアの死闘もあり、その全てがセルラーナを【正義】とたらしめる。


 これは定めでもなければ運命でもない。


 彼女が【正義】を名乗るのは、『正義』を振るうのは、己の意志と使命の決意。彼女が決めた覚悟だ。


 だから、本当に確実に世界がセルラーナ・アストレアを『正義の象徴』とするならば、リリヤ・アーテは『欲望の象徴』だ。


 即ち……


「君が【正義】であるならば、俺は【悪】だ。『復讐』に憑りつかれた残酷な死神――【殺戮者アウズ】だ」


 自分が正義であるから彼は悪となる。――否だ。絶対の否だ。

 互いの歩みが交わる事なく彼らは歩んできた。


 家族を殺され復讐を誓い、悪を無慈悲に残虐する竜の子。

『正義』を重んじ自らも悪を征する【正義】を名乗った気高き神の眷属。

 悪魔と罵られ幾万の死を見て、嘆き続けた果てに心を喪ってなお、死神として在り続けるリリヤ。

 純粋に純白な魂を宿し、正義の眷属として救いと笑顔に囲まれ抗い生きたセルラーナ。


 この二人は対照的な世界で生きてきた。けっして交わることなく生きてきたのだ。


 今、復讐心が燃え盛ろうと、今、正義心が彷徨っていようとその因果関係は変わることはない。


 それを理解して、けれどそんなものは正義たる自分が許せない。

 正義たる自分がリリヤを悪たらしめるなどあってはならない。幼き日の今はいない母が言った。

『正義』とは、即ち――


「誰かを救うこと!人々の心に平穏をもたらし、世界を輝かせること!たとえ、誰か悪人を裁くことになっても、泣いている誰かを助けるために私は剣を振るう。これが私が掲げる『正義』!貴方は悪なんかじゃない!だってっ!貴方に――」


 言葉を募ろうと、その決定的な真実を述べようとして……セルラーナの口は言葉を発しなかった。

 喉の奥、体内の全てが膠着させられ、その青き眼光によって意志すら狂わされた。

 そして無表情の激情で言い放つ。それは区切りだった。それは諦めだった。それは決別だった。



「――なら、『復讐』は『正義』と言えるのか?」



 世界が凍りつく。眼の前が闇に閉ざさせる。

 蒼月の闇は赤き炎も気高い太陽も悠音な草花をも無味に変えてしまう。


「俺のやってきた復讐は正義か?悲願を叶えるためにやって来た殺戮は正義か?悪かもわからぬならず者を殺してきたのは正義か?死神の名のもとに裁いたそれらは……正義足りうるものなのか?」

「っぁ………………」


 ……何も答えられなかった。


 リリヤはただの魔族殺しではない。悪意をもった下劣な人間も罪なき悪たる根源の破片も、彼は容赦なく冥土へと還した。消える命を願う人をも、彼はその刃を突き刺した。その意味するところ。


 セルラーナは彼を『正義』とは…………呼べない。呼べなかった。


 彼の殺人鬼たる瞳に恐怖を全体で感じる。感じて慄いてしまう。それがどうしようもなく情けない。セルラーナだけじゃない。アムネシアもヴァーネも、彼に手を差し伸ばし続けたローズすらも魔族を見るようなその恐れの瞳でリリヤ・アーテを映した。


「…………それが答えだ」


 興味は消えたとばかりに視線は離れていく。


 まってっ⁉行かないでっ⁉……手なんて伸ばせないくせに。言葉すら渡せないくせに。今だ『正義』すら掲げ貫けないくせに……なぜ引き留めようとする。言葉で飾って態度で示そうと剣を振るって、それなのに肝心な時には何も出来なくて、迷いながら叫んで見っともない。やるせない。やりきれない。違う。情けなく弱い。弱すぎる。私の正義など、彼はこれっぽっちも見てくれやしない。


(私の正義が……私が、彼を……彼を……っ)


「ヴェル、ゼア。今すぐ魔族を探しにいく」

「でも、どこに行くんだ?」

「一先ずは外だ。結界に引っかからない何かがあるはず」

「そのようだな。リリヤの言う通り。まずは外を観察にいくとしよう。どこかに術式なんかがあるかもしれないし、急いだほうがよかろう」

「ああ。お前らはそこで……どうしたアムネシア?」


 今すぐ敵の占拠地へと乗り込もうとした矢先、アムネシアがゼアの袖を引いた。大きく赤い瞳が深呼吸と共に真剣な面持ちでゼアを見上げた。


「……アンタの目的はなんなの?」

「俺の?」

「そう。あんたもリリヤと……同じなの?」


 それは確認というよりもお願いにも似た問いだった。

 リリヤと共に旅をするゼア。彼がリリヤといるのは同じ復讐心の成れの果てなのでは……アムネシアの考えがわかり、その上自分を心配してくれているのだと、ゼアは何故かそう感じた。

 アムネシアは言外に何も言わない。けれど、それは正しくお願いのようであり、懇願は人であること。


 出会って三日目。最初の印象は最悪。喧嘩に喧嘩で碌に話したことはない。ずっといがみ合ってばかり。

 ゼアは嫌われているものだとばかり思っていた。彼女の酷いことも言ったし、何度馬鹿にしたことか。どれだけ彼女を怒らせ恥ずかしめ屈辱に振るわせたか。

 なのにそのお願いはゼアを後悔させる。いや、思い直させる。

 だから、彼女の懇願は雪に降る灯のようで、もしくは嵐に一掃させる雷のよう。


 向き合う時なのかもしれない。


 自分も心ある聖獣として、一人の人間として過去と正しく向き合う時が来たのかもしれないと、そんなことを思いながら話した。


「俺が『聖獣』だってことはなんとなくでもわかってるよな」

「ええ。……エルフたちが騒いでいたから」

「そうか……。まーそれはどうでもいいんだが、俺には妹がいた。活発で優しい元気な妹だった」


 妹を語るゼアの表情は嬉しそうで楽しそうで、同時に過去形なことに気付くアムネシアやローズは沈黙した。


「ある日、俺ら二人は悪魔に襲われたんだ」

「…………えっ?……悪魔に」

「ああ。妹は攫われて、俺は殺されかけた所をリリヤに救われた」


 あの日、出来事は今だ脳内を激しく激発させる。

 妹の泣き叫ぶ声。涙の雫。悪魔の笑顔と走馬灯のような過去。今もずっと渦巻いては己を焼いていく。殺されるように焼かれていく。


「でも、俺の【カマラ(スキル)】で妹が今も生きていることはわかっている。だから、悪魔を探すこいつといれば妹の居場所も掴めると思ったってわけ。だから、俺はこいつと旅をしてるってこった」


 二人は利益からの相互関係だ。命を救われた身であるゼアからすれば物足りないが、けれど妹を取り戻す全ての対価は右腕となること。魔族を滅ぼす役目を彼もまた背負っている。その先が妹へと繋がるはずだから。

 ゼアの目的を聞いて、アムネシアは安心と不安、不快などが混じったしかめっ面のようなものに顔を固め、それがどうしてか面白かった。


「そんな顔をするな。こう言えばあれだが、俺はあいつとは違う。あいつは俺の友みたいなもので、俺のほうが人間らしいし、てかあいつ以上に人間味ないやつなんてそうそういねーだろうがな」

「おい。勝手に俺を揶揄するな……」

「といったわけで、こいつみたいに罪なき人を殺したりもしていない。けれど俺にも譲れないものはある」

「妹を……取り戻すため……」

「そういうこった。だからそんな顔を、心配気に愛おしい人が離れていくような顔なんてお前には早いだろうが。てかお前頭大丈夫?俺のこと嫌いじゃねーの?嫌いの反対は好きってやつなのか?」


 そう茶化してくるゼアに「ばっ……あんたをアタシが見下しただけよ!それに……勝手に死なれたらその……アタシの気分が悪くなるから一応心配してあげてるのよ。これもギルド管理部としての仕事よ。仕事!」と、腕を組んでそっぽを向くので呆れたゼアは「そうかそうか」とアムネシアの小さな頭を撫でてあしらう。

 けれど、その仕草はきっと妹にやって来たものだろう。親愛の妹に行っていたささやかな兄としての温もり。

 今のアムネシアには気持ちのいいもので、けれど直ぐに顔を真っ赤に赤らめて振りほどいた。


「頭の撫でるのをやめなさいぃぃ——っ!」

「嬉しそうだったけどな」

「うるさいバカ!」


 弱い弱い拳がゼアの胸板を叩いて、息を吐いた。それはどこか決意を決めた胸を膨らます呼吸。

 アムネシア・アスターは決意を固めた。

 赤いツインテールを解き、もう一度ゼアの胸板を叩く。


「ならアタシも協力してあげるわ」

「協力?お前が……?子供には無理だ」

「むぅぅーっ!アタシは子供じゃないわよ!……こんなことをしていても時間の無駄ね。あんたのご友人も痺れを切らして、アタシを殺してしまうかもだし」

「そんなことはしない。……それよりも協力ってのはいったい……」


 首を傾げる二人にアムネシアは一歩下がりその両手を胸に当てた。そして詠唱を始める。


「【いつかあの日の情景よ、いつかあの日の感情よ、忘却の我にその刹那を与えて欲しい】」


 アムネシアを中心として大きな赤い魔法陣が誕生した。赤い粒子が浮かび上がり火の粉のように彼女に寄り添う。


「これは……長文詠唱の、概念魔法……?私やローズとは違った魔法だわ!」

「ほんとです。……魔力が凄く穏やかで、綺麗で編み方が違う」


 それは在る種の絶景に近い。遊覧と揺らめく火の粉の影は暮れる仄かな聖火のよう。冬の薪を燃やす温かな火の温もり。


「【この涙は過去の証、この心は物語の始憶(プロローグ)、この炎魂(ほのお)は今だ知らぬ私の世界】」


 紡いでいく言葉の刹那は空虚などではない。熱があった。思いが溢れている。

 始まりと終わりを繋ぐ確かな記憶。


 その力を知る者は彼女の唯一の友だけだ。妖精(エルフ)でありながらヒューマンのアムネシアに寄り添い、肌の触れを許した唯一無二の友。


「――アムネシアには記憶がないわ」


 ぽつりと呟いたヴァーネただ一人。今から始まる軌跡を知る命運の妖精。


 誰しもがヴァーネの言葉を鼓膜に打ち、けれどアムネシアの情熱(ほのお)から眼を離すことはしなかった。


「【いつか訪れる終憶(エピローグ)を覆す軌跡を辿ろう。原初の(ほむら)の名をもって祭壇する。(ともしび)よ貴方の物語(かこ)を拓けなさい】っ!」


 そして腕を振るい赤き魔法陣と焔の破片を渦巻かせた。

 その魔法の名は彼女だけのもの。


 世界で一人記憶を求め、過去に願い、物語を紡ぐ炎記なり。



「【炎の追憶(エヴァ・メモリア)】」



 紅蓮の方陣がその力を震撼させる。現在させ姿見となり、何よりも美しい焔の一端と成し得る。

 火の粉が激しく舞う。紅蓮が映し出す。


 赤き瞳は『生』を司る魂なり。その具現は『炎』。誰にも譲れぬ己の『聖火』。


 炎が部屋中を輝かせ、そして彼女が願う追跡を映し出した。


「これは……過去の記憶?いや……世界の存在(メモリー)か」


「そうよ。【炎の追憶(エヴァ・メモリア)】によって世界の記憶(メモリー)に干渉できるのよ。時間は三分程度ね」


 そして彼らは見た。その在りし明星の残虐を。


明日夜に更新します。

ここから怒涛に行きます。

感想レビュー等いいね等よろしくです。

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