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空のむこう  作者: マン太
9/13

第9話 海からの便り

 いよいよ、日曜日。

 俺は待ち合わせの時間まで、清とは顔を合わせないことにしていた。

 なんだか、告白前に会ってしまえば、そこで余計な事を口走ってしまいそうで。

 代わりに気持ちを落ち着かせるため、海に来ていた。何時もの自転車を自分の脇へ横倒しに置いて、鈍色の海を眺める。

 その日は晴れているのに波が高く、一見すると穏やかにも見えたが、遠くで白波が立ち、初心者が出てはいけない海況だった。

 それは皆分かっているらしく、こなれたものしか海には出ていない。

 俺もボードは持って来ていたが、海に出るつもりはなかった。入っても、波打ち際で少し水遊び程度のつもりだ。


 なんかしてないと、落ちつかないな。


 気を紛らわせるため、海に入り浅瀬を行ったり来たりを繰り返しているうちに、意外にぐったりしてしまった。我ながらアホらしい。

 昼も間近。最後に少しだけ沖まで泳いで帰ってきた俺は、そろそろ帰ろうかと海から上がった所で人の騒ぐ声を聞いた。

 見れば、数人の子どもが固まって沖合を見て騒いでいた。

「なに? どうしたの?」

 俺の傍らを走り抜けた子供の一人に声をかけた。その顔は蒼白だ。

「友だちが、流されて! いま、大人呼びにいくの!」

 それだけ言うと、子どもは駐車場へと駆けて行った。そこに親がいるのだろうか。

 俺は急いで子どもたちが集まる場所へと足を向けた。

 訓練も受けていない素人が行ってはいけない。

 そう、どこかで聞いた気もする。

 俺はそれでも持ってきたボードを手に、沖に出ていた。

「うっ…ぷ!」

 俺も若干ひるむほどの波だ。俺のレベルじゃ乗れない波。

 でも、今は波乗りが目的じゃない。

 せてめて、ここへ乗せることができれば、息をすることはできる。

 一か八かだった。


 清。俺に力をくれ──。


 遠くでサイレンの音がする。


 あの子は、ちゃんと浮いているだろうか?


 流されても、ボードにつかまっていれば、きっと沈むことはない。

 なんとか揺れる波間に子どもを見つけ、足にボードのストラップを括り付けてやった。これで、ボードと離れる事はない。


 きっと助かる。

 

「大丈夫だから! 絶対、ボードを離すな!」

 涙目の少年の細い背を、背後から支える。なんとか沖合から斜めに移動し、ゆっくりと岸を目指した。


 俺、今日。清に会わなきゃいけないんだ。

 間に合うかな? 岸についたら、直ぐに帰らないと。

 大事な日なんだ。絶対に約束は破れない。


 清、俺お前が──。


「っ!」

 大きな波に身体が飲まれる。手がボードから離れた。岸まではあと少し。

 ゴボリと身体が海に沈む。俺はキラキラと光る青い海面を見上げた。


 早く、上がらないと。

 清に、言わなきゃいけないんだ──。


 遠くで響く、サイレンの音。

 

 俺の意識はそこで途切れていた。


「すばるが…?」

 コウから連絡があったのは、お昼を過ぎた頃。今日のイベントに備え、自室で落ち着かない時間を過ごしていた時の事だった。

 すばるに時間になるまで会わないから、そう宣言され。致し方なく、すっかり読み古した文庫本を捲っていたのだが。

『ああ。海に遊びに来ていた子どもが沖に流されて、それを助けにでたらしい。子どもはすばるのボードに乗って助かったんだが、途中、すばるが…』

 コウの言葉が途絶える。

 清はぐっと手の平を握り締めた。


 すばるに限ってそんなことない。

 だって、すばるは今日、俺と金星食を見ると約束した。そのすばるが、見つからないなんて。


 それが何を意味するのか、分かっているつもりだ。海での遭難はイコール死につながる。

 でも、認めたくない。


 そんな、はずがない。


 清らは荒れた海の中、捜索もままならない警察や海難救助隊の様子を見守ることしかできなかった。

 そして、数日経っても、すばるは見つからなかった。

 あれから五年。

 清は二十三歳となっていた。

 大学も卒業し、大手出版会社に就職し。

 忙しい日々を送るが、片時もすばるの事を忘れたことはない。


 そういえば、明日、金星食だったな。


 五年ぶりだった。

 三日月の下へ金星がまるで飾りのように輝くのだ。すばると見る約束をした。

 あの日の約束は、忘れたことがない。

 結局、あの日。俺は見ることはなかったけれど。

 すばるの母は、失踪宣言は申し立てていなかった。状況から見れば死亡も確実なのかもしれないが、まだ五年。もう少し、時間が必要なのかも知れない。

 清は早めに仕事を切り上げ、約束した公園へ向かうことに決めた。


 本当は、そこで告白の答えを聞くはずだった。

 答えは聞かずとも分かっていた気がする。

 だって、すばるはちっとも俺から逃げなかったのだから。

 あの態度を見ていれば、断ることなどないと分かっていた。それでもすばるから聞くまでは確信が持てない。


 もし、断られたなら。


 その時は必死に泣き付こうか。せめて、お試し期間をと頼もうか。

 すばると別れると言う選択肢はなかった。


 あれこれ、妄想していたよな。あの時。


 結局、すばるの遭難によって、全てなしになったのだが。

 その後、サーフィンもやめ、コウの元を訪れるのもごく稀になった。

 心を氷のように固めて、誰も受け入れなかった。


 俺が受け入れるのは、すばるだけ。

 

 駅の改札を出て、徒歩で公園に向かう。

 実家からはそう遠くないが、今住んでいるマンションからはかなり離れている。

 それでも、見に行こうと思えた。なぜかは分からない。行かないといけない、そう思えたからだった。


 そして、今。

 目の前にすばるがいた。

 海で遭難する前の、まだ高校生のすばるが。

「なんで、泣いてんだよ?」

 懐かしい声。


 だって、だって君は──。


「俺さ、ちゃんと言う」

 そう言うと、俺の肩を起こし、顔を覗き込んでくる。

「すばる…」

「俺は、清が好きだ。誰にも負けないくらい、好きだ」

 笑顔でまっすぐこちらを見つめ、すばるは答える。

「俺も! 俺も──」

 と、唐突に目の前からすばるが消えた。

 空を見上げれば、すっかり月と金星が離れてる。金星食が終わったのだ。

 ほんの僅かな時間。

 どこがどうなったのか、あの時のすばるがここにいた。

 まぼろしではなかった。

 掴まれた肩にはしっかりと温もりが残る。

 星が見せた奇跡だったのだろうか。

「すばる…」

 あとは声にならない。涙があふれた。

 とめどなく溢れて、枯れる事はなかった。


 会社帰り、久しぶりにコウの名前で着信があった。


 なんだろう?


 コウはその後店を閉め、湊介と二人、別の場所で仕事を始め暮らしていた。マナとアキも同様だ。

 店舗兼住居だったあの家は、今は住む人もなくひっそりとしている。

 なぜ知っているのかと問われれば、時折、過去のすばるに会いに行くためだった。

 あそこに行けば、記憶の中だけとは言え、笑顔のすばるにいつでも会うことが出来る。

 それは唯一、心を癒せることができる、大切な時間だった。

 コウに電話をかけ直すと、

『信じられない! 清、信じられないんだ!』

「いったい何が? 分かるように話してよ、コウ」

『すばる君が、来たんだ!』

「…は?」

 数週間前の金星食を思いだした。

 しかし、あれは誰もが見えるものではないはず。


 コウもそれを見たのか?


 不審に思っていれば、どうやらそうでは無いらしい。

 取り敢えず、前に住んでいた海沿いの丘の家に来いという。

「分かった。すぐに行く」

 コウ程興奮はしていなかった。きっと、コウもあの幻を見たのだろう。そう思ったからだ。


 だから、興奮して──。


 その後、すばるがいなくなってから、ご両親は母方の実家へ身を寄せた。

 かなりの山奥で、とても静かな場所らしい。落ち着くまでそこで暮らすとの事だった。

 清の母親も、拠点を海外へと移し。今はアジア各地を、新たなパートナーと共に巡っている。

 皆が新しい、すばるのいない日常を歩き出していた。そこへ今回の出来事。

 コウもかなり気落ちしていた。ボードなんて教えなければと。でも、それは仕方ない。

 どれも、すばるの選択だったのだから。誰も責められるものではない。


 俺だって、すばるの傍を離れなければ。

 

 後悔しない日はない。


 そのすばるが現れたなんて。とうとう、コウも可笑しくなったのか。


 訝しく思いながらも、清は家へと向かった。

 


 丘の家はまるで昔を取り戻したかのように、暖かい光を窓から零していた。

 久しぶりに人の気配を見た気がする。

 玄関が見えて来た所で、そのテラスに腰掛けている人影を見た。


 誰だろう?


 外灯が当たらないため、顔の判別がつかない。ここから見ても、黒い塊にしか見えなかった。

「…清?」

 幾分、大人びた、聞き覚えのある声。身体が固まる。


 いや。嘘だ。冗談だ。俺はまた、辛い幻を見ているんだ──。


「清…っ!」

 暗い影から、突然、光を浴びて一人の青年が姿を現した。駆け寄ると、がっしりと清の身体をホールドする。


 嘘だ。だって。


「ごめんっ! 清、俺…」


 すばるは、死んだ──。


「…どう、して? 幻だろ? また、消えるんだろ…?」

 けれど、今度のすばるは違った。首をブンブンと振ると。

「消えない! 幻なんかじゃない! 俺は…清の傍にずっといる…!」

 すばるは徐に顔を上げて。

「清。俺、もう一度言う。お前が好きだ」

 目に一杯に涙を溜めて、見上げて来る。

 随分と背が伸びた。でも、やっぱり俺のほうが高い。茶色いフワフワした癖毛はあの時のまま。肌は焼けている。これは海の男の焼け方だ。そこだけは、男らしくなったなと思う。

「もう一度って。やっぱり、あれは幻じゃ──」

「違う。どうしても言いたくて。俺、諦め切れなくて…」

「もう、いい」

 清は力なく笑う。その様子に、すばるは不安を見せた。

「清?」

「だって、すばるがここにいてくれる。それだけで──」

 ぎゅっとその身体を抱き締めた。


 もう、何もいらなかった。

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