第4話 過去
夕飯も済ませ、先にシャワーを浴び終えた俺は、清の部屋だというそこで、小さく縮こまって座っていた。
清はまだ戻って来ない。
清のもう一つの部屋。俺の知る部屋は、あの日本家屋の一室のみ。ここには長期間、体調を崩し学校を休んだ際に療養を兼ねて利用していたとの事だった。
確かに学校を休んでいる間、清の姿はあの家になかった。療養中だからそういうものだと思っていたのだが、まさかこんな場所で過ごしていたとは。
と、廊下をドカドカと乱暴に歩く音がした。待てよ! と、進士の声がする。
同時に部屋のドアが勢い良く開かれ、同じ勢いで閉められた。
「清?」
清は鍵もかけてしまう。
直ぐにガチャガチャとドアを開こうとした音がしたが、それもすぐに止んで。足音が一つ去って行った。
「なんか、あったのか?」
ドアを背にし深く息をついた清の頬は赤らんでいる。
「…何でもない」
清はぐいと口元を拭って、気持ちを鎮める様に目を閉じたあと、気を取り直す様に再び目を開き。
「すばる、寒くないのか? そんなところに座って。先に寝てれば良かったのに」
部屋の中央に置かれたテーブルの前に、縮こまって座る俺に目を向ける。
「…なんか、お前の部屋じゃないみたいで。落ち着かない」
すると清はその言葉にくすりと笑い、膝を抱えた俺の傍らに座り込む。
「ここは俺の部屋だって。本来の自分に戻る場所、かな?」
「本来って…」
「すばるには見せてない俺で居られる場所。ここはいやすいんだ。だって、コウはパートナーの奏介さんとずっと付き合ってるし、マキとマナも付き合ってる。進士さんは相手が男だったり女だったり。当たり前に好きなもの同士、一緒に過ごしている。それがい心地よかったんだ」
俺と過ごすよりも、だろうか。
そう考えて、胸がぎゅっと締め付けられる。
「…俺、知らなかった。清がそうだって」
「だって、ぜったい知られたくなかったからさ。知ったら、友達でいられないって分かってたから…。お前も気を遣うし、俺だって…」
清はため息を付く。俺は自分の膝頭を見つめながら。
「…もう、戻れないのか?」
「どっちかしかない。付き合うか、終わるか。今はね」
「俺が、お前と付き合わなかったら、清は…あの人と付き合うのか?」
清は沈黙する。それは、そうだろう。好きだったのだから。先ほどの様子から、今も燻っていない訳ではないのだろう。
「それは、すばるには関係のないことだろ? すばるは俺の事を本気で考えられるか、それとも無理なのかだけ考えて答えてくれればいい。進士さんのことは考えんなよ」
関係ない。その言葉が胸に刺さる。
清の言う通り、俺はそういう風に清と付き合っていかれるのかを先に考えるべきなのだろう。
けれど、寂しさが胸に募る。
この先もずっと一緒にいるものだと思っていた。清が他の誰かに笑いかけている姿など想像もつかない。
「なんで…清は俺の事なんか、好きになったんだよ? ほかの人なら、俺は友達でずっといられたのに」
思わず本音がこぼれた。清はふっと息を吐き出すと。
「だって、仕方ないだろう? ずっと隣にいて、俺の事を一番に思っていてくれてさ。いつも笑わせてくれた。父さんがいなくなった時だって、傍にいてくれた。俺、救われてた。好きになるなってのがむりだよ」
清は俺の膝を抱えていた手を取ると、自分の手の中に握りしめる。
「俺はすばるが男でも女でも好きになってた。すばるが、好きなんだ」
握られた手が熱い。
「でも…進士さんのこと、好きだったんだろ?」
「あれは…一時の気の迷いって言うか…。白状すると、すばるへの思いを断ち切ろうと思って、声をかけたんだ。あれくらい強烈な人なら忘れられるかなって」
「確かに、カッコいいもんな? モデルとかって…。派手だし」
断ち切る。
一時はそこまで考えていたのかと、知らなかった自分にショックを受ける。
俺は隣にいたのに、まったくそんな清の心の動きにも気付かなかった。清は感謝してくれているけれど、俺は何も分かってはいない。
「断られて良かったよ。結局、俺はすばるだけが好きだって気付いたし。きっと真剣に付き合ってたとしても、上手く行かなかった。だって、本当に好きな奴がずっと傍らにいるんだ。形だけ他へ向けても、続くはずがない」
俺は膝に頬を埋める。
「俺、清の事、ちっとも分かってなかった…」
「それは、上手く隠してたからさ」
「俺、もっと清のこと、知りたい」
「すばる?」
「それで、判断する。もっとちゃんと清の全部を知って、どう思うのか。そしたらきっと後悔しない。って、するかもだけど、でも全部やりきれば納得はできるから…」
「どうやって知るんだよ?」
清の問いに俺はガバリと顔を上げると。
「ここに遊びにきていいか?」
「…って、それは──」
「じゃないと、清の本当が分からないだろ? 家にいたんじゃ半分も分からない。清は俺の事全部知っているくせに、俺は知らないなんて、フェアじゃない」
「んだよ。それ…」
「明日、コウさんに許可貰って遊びにくる。清は気にしなくていいから」
「気にするって。ここ、他にもいろんな奴出入りするし」
危ないんだよな、と清はつぶやくが。
「俺の事、構う奴なんて早々いない。クラスの女子にだってモテた事ないのに…」
「この前、告白されてた。あれ、受けたのか?」
「あ、あれは! 生まれて初めてだったし。断った。だって、俺、そんなつもりなかったし…。てか、清なんて何倍も告白されてきただろ? それくらい、俺なんて興味持たれてないんだ」
「…違うと思うけど」
清は気に入らないと言った表情で見返してくるが。
「いいから。俺はお前に返事するためにそうするんだ。邪魔するなよ?」
「ったく。好きにしなよ。けど、コウか俺がいないときは帰れよ? コウ、ここでサーフィン教室開いてるから、いろんな奴が出入りするんだよ。昼は外のテラスでランチだけ提供してるし。たまにだけどやばい奴もいる。気をつけろよ?」
「分かってる。けど、何度も言うけど、俺みたいなガキ、だれも気にかけないと思うぞ?」
誰が見ても目を惹く清と違って、俺はどうみても、その辺にいる冴えない高校生だ。
少し茶けた髪が癖毛のせいで勝手にあちこちに向かって跳ねている。お世辞にも自分が誰かの気を惹くとは到底思えなかった。
清は分かっていないと呟いて髪をかきむしっていたが。
「もう、今日は寝よう。明日は休みだし」
「な、サーフィンって、お前もできるのか?」
「…少しなら」
「なあ、じゃあ、明日教えてくれよ。…用がなければだけど」
清は苦笑すると。
「いいよ。明日はなにも予定ないし。ただ、まだ海水が冷たいから少しだけな?」
「おう!」
すっかりご機嫌になった俺に、清は肩をすくめるようにして。
「お前、俺に返事すること忘れるなよ? なかったことにはできないんだからな?」
「分かってる…」
「じゃ、寝よう」
清はベッドサイドのライトだけにすると、室内灯を消してしまう。部屋が柔らかい光だけとなり、いっきに眠気を誘う。
「そっち、詰めて。すばる、寝相悪いから落ちるだろ?」
先にベッドへと押しやられ、布団をはぐっていると、清が背を押してきた。
「よく分かってんな?」
「だって、昔っから落ちてただろ? ベッドセミダブルだけど、やっぱ、高校生二人が寝ると狭いし」
押されて、壁と清とに挟まれる形となる。横を向くと、清がこちらを見つめていた。
暗がりにその目がキラリと光って見える。
「なんだよ?」
「好きな子がそれを知って、逃げもせず、隣に寝てたら、ちょっとは期待するだろ?」
「っ! なに言ってんだよ! 俺はまだ答えて──」
すると、清は不意に腕を伸ばし、俺の頭を胸へ抱え込んだ。
「ちょ! なに?」
「顔見てると襲いそうになるから。こうしていれば見えないだろ?」
そうだろうけれど。これでは俺がドキドキしてしまう。身体つきが大人に近い、ひとつ年上の清をこういう時に感じてしまう。
「昔はだっこして眠っただろ? いろいろ考えてないで寝ろよ」
「…寝られるかよ。バカ」
「おやすみ。すばる」
そう言って、清はあろうことか、少し腕をゆるめると、顔を上げた俺の唇の端にキスを落とした。
「?!」
「…さっき、嫌な思いをしたんだ。すばるで打ち消したい」
「さっきって、進──」
言おうとした名を、再びキスで塞がれた。今度はしっかりと唇に落とされる。軽く押し当てただけのそれはゆっくりと離れ。
「おやすみ」
ふっと笑んだ清はとても幸せそうな笑みを浮かべていた。
そんな清に怒ることもできず、俺は大人しく清の腕の中で眠りについた。