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流しの天龍親分の話

作者: 谷中濤外

登場人物

渡部天龍 奥会津出身の流し 30

フミ子 テル子の親戚筋の姉 24

テル子 後の藤波桜華、本編の語り部で作者の母 20

(1)

 これはまだ母藤波が錦穣先生と出会う前のこと。戦争が終わって無事戦地から帰ってきた祖父が小菅の刑務官として東京務めになったのを機に母も一緒に奥会津から上京した。親元にいる気安さもあって、母は新聞の求人情報を見て住み込みで仕事をしてみたり、辞めて家に戻ったりの生活、あるとき母は求人欄に載った募集広告で国鉄系列の飲食会社を受けた。母は18、まだ戦後間もない昭和24年のことである。


 面接の結果、その会社の持ち店の一つで採用になった。上野の須田町食堂、そこは上野駅ガード下の一二階を占める店で、東北の表玄関駅の店舗だけあって店は常に繁盛していた。母(ここではテル子という名前で働いていた)が務めているという噂を聞いた郷里の者も、誰ともなく上京した際にはよく訪ねてくれたそうだ。

そこで母は都合2年間働いた、気に入らなければすぐ辞めてしまえばいいだけの気楽さ、好き嫌いの激しい母の性分からするとこれは長く続いたほうだ、職場はよく言えば家族的、従業員みんなざっくばらんな雰囲気だった。

会社は夏と秋、年2回ほど職場を閉めて従業員全員を慰安旅行に連れて行った。母が2年辞めずに続いたのはそんなことも理由の一つだったのかもしれない。


 昭和25年夏の旅行先は熱海だった。熱海は東京にほど近い温泉地として戦前から大いに賑わった町である、一行は一通り街中を見物した夜、旅館の二階で夕涼みをしていた。皆で道行く人の群れを眺めていると若い男がギターを抱えて近づいて来た。

「えー一曲いかがですかあ、流しの御用はありませんかあ!」

男は威勢良く声を発しながらどこか哀愁のあるギターの音色を響かせながら階下に近づいた。カラオケがなかった当時、流しといって希望の曲をギターやアコーディオンで奏でたり歌ったりしたりする商売者が盛り場には必ずいたものである。


 テル子はそれを見て同郷の天龍という男のことを思い出していた。渡部天龍(わたなべてんりゅう)、本名郡次。母テル子より二十歳ほど年上の歌の得意な青年だった。母が頼むといつでも得意のはやり唄を自慢のギターで披露してくれた彼は、地元の学校を出て間もなく芸で身を立てると言って奥会津を飛び出し、しばらく横浜を根城にしていた。その郡次が終戦間近、疎開と言って郷里へ歌い手だという派手な妻と情婦を連れて戻った事は村のちょっとした事件であった。芸能とは無縁の素朴な村の、しかも戦時中の事である。

その後、終戦して戻ってからは熱海で手広くやっていると風の便りに聞いた。


「お兄さーん、このあたりで渡部天龍っていう流しの人知ってるう?」

テル子が階上から呼びかけた。

「こりゃ驚いた、お嬢さん天龍親分を知っているのかい、天龍親分はここいらの流しの元締めだ。俺も親分のところで世話になってるのさっ」

 若いテル子がなんで熱海の親分と旧知なのか、ほらに違いない。信じない同僚が確かめに行こうと言い出して一行は、親分の居所まで散歩することになった。親分は坂の上の大きな旅館に間借りして、そこに家族や若い衆を住まわせていた。行くとたまたま親分は留守だったが、妻が母を覚えていて迎えてくれたのでその時母は嘘つきにならずに済んだ。


(2)

 その天龍親分が、最近行方不明知れずになっているという話を聞いたのは昭和30年代も中頃、母の育ての姉、同郷で血の繋がっていない文子姉からである。郡次の親戚、会津からの知らせで家族は捜索願いを出しているそうだが依然として郡次は見つかっていないそうだ。郡次の昔話に盛り上がる母と文子姉、その中で文子姉がしゃべった内容が、今回の本筋である。


「私、昔郡次あんちゃに助けられた事があるのよ、といっても直接助けられたわけじゃあないんだけどね」


 母が文子姉からその時初めて聞いた話、文子姉は当時、亭主と二人で横浜に住んでいた。亭主がラーメン屋をやってみたいと言うのでしばらく店で働いてノウハウを覚えた後に二人横浜の駅そばで屋台を曳いていたそうだ、復興も始まらない終戦直後、店は割合繁盛していたが、当然地回りのヤクザから目を付けられて場所代を払うの払わないのという話になった。

文子姉の亭主は、しらふの時はおとなしいが酒を飲むと途端に向こう見ずの大人物になってしまう。あるとき亭主は酒の勢いを借りて組の若い衆相手に啖呵を切って退散させてしまったそうだ。


 面子を潰された若い衆が、今度は親分助っ人を連れて文子姉の家へ直接乗り込んで来た。長屋の玄関にいきなり踏み込まれ、しらふの亭主は今度は文子姉を置き去りにして裏から一目散に逃げてしまったそうだ。多勢に無勢、大人数を後ろ盾に迫る若い衆は今度は残された文子姉を相手に虐め始めた。気丈な文子姉はそれでも降参することなく気張っていたが家に来られては逃げようもない。

 しびれを切らせた若衆が短刀を抜いた。

「詫びを入れて金を払うのか払わないのか!どっちなんだよ!」

男は声を荒げてそれを目の前の畳に突き刺し、短刀は深々と目前の畳に納まった。


 しかし文子姉はひるまなかった。

「なんだい!女ひとりに寄ってたかって。こっちだって生きるか死ぬかさ、払えないものは払えないよ!それにね、私だって出るところに出れば知ってる人が居るんだよ!」

男が乗ってきた。

「なんだとこの女!おもしれえ!いったい誰が知り合いだっていうんだよ」

「天龍、渡部の天龍さんだい!」

この時文子姉が思い浮かべた人こそが会津の郡次あんちゃ、渡部天龍だった。天龍が横浜にいたことを文子姉はとっさに思い出したのだ。

「待て」

後ろで黙っていた親分風の男が初めて口をきいた。

「ほう、奥さん天龍親分を知って居なさるのかね」

後ろの男は天龍を知っている風だった。

「家族ぐるみのつきあいだよ!」

「……そうか天龍親分の、天龍親分には昔世話になってな。そうか天龍親分のお身内かい、それは金を取るわけには行かないな」

納得のいかない若衆もその声で引き上げざるを得なくなった。

「……おまえたち、引き上げるぞ」

「奥さん、もう金をせびることはない、商売も続けて結構。邪魔したな、天龍親分によろしく言っておいてくれ」

こうして文子姉夫婦はその後も続けて横浜駅周辺に屋台を出し続けられた。


(3)

 文子姉は一度会って礼を言いたかったそうだが、その機会もなく十数年が過ぎてしまった。母も文子姉も、結局戦後一度も郡次あんちゃ、天龍親分には会っていない。


 その郡次あんちゃ、天龍親分は行方不明になって2年の後、栃木鬼怒川べりで白骨となって見つかった。遺体が身につけていたベルトのバックルが決め手だった。それまでの間、親分の妻は身元不明者が見つかる度に確認に行っていたがこれでやっと肩の荷が下りたそうだ。司法の判断は自殺、事件性はないとのことだったが彼が自殺などするはずはないと誰も皆それを信じなかった。


「流しの天龍親分の話」 おわり

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