兄バカ弟バカ
「家を出ます」
家族を集めて弟が言った。
居間がしんと静まりかえった。
どうしたんだ、夕二。夕二がそんな大胆なことするなんて。
隣で母さんが大きく息を吸った。
「何で?」
堰を切ったように両親の質問攻撃が始まった。
「何でなのよ!いきなり何!?」
「学校はどうするんだ!」
「そうよ貴方まだ高校生になったばかりじゃない!」
夕二はため息をついた。
「高校は行く」
「何でいきなり出てくなんて言うのよ!」
「いろいろあるんだよ」
「一人で暮らす気か!?」
一瞬夕二が言い淀んだ。
「......別にいいだろ何だって!」
俺は、きまり悪そうに顔を背ける夕二の横顔を見る。
これは同棲だな。
彼女でも、出来たんだな。
夕二は両親の猛攻を振り切ってその日のうちに荷物をまとめて出ていった。
その日は夕食が出なかった。
次の日、夕二からメッセージが来た。
『何で追いかけないんだよ』
かわいい。
もう恋しくなったのか。
『追いかけたい。今どこ?』
『○○町○丁目』
そこは電車で一駅の場所だった。
確かにここからなら学校通えるな。
『彼女出来たんだろ?』
『違う』
『嘘つけ。紹介しろよ』
『嫌だ。だって兄ちゃんに会うと』
続きが来ない。
『なに』
『あれじゃん』
『どれだよ』
結局答えは返って来なかった。
『じゃあ明日来てよ』
『おk』
今日も朝食が出なかった。このままだと昼食もでなさそうだ。
外で食べよう。
俺は近くのファミレスで昼飯を食べた。
あ、ここから駅近いな。
俺はゴーグルマップで弟の同棲先への道のりを調べた。
徒歩と電車で17分だった。
行けるじゃん。明日行くと言ったが今から行くことにした。
夕二の同棲拠点はアパートだった。
よかった。相手のお宅とかだったら引き返してた。
インターフォンを押す。
すぐに扉が開いて、夕二が出てきた。
「兄ちゃん!?」
夕二は豆鉄砲でもくらったように固まった。
「んな......なんで......」
「ちょっと近くまで来たから」
「明日って言ったじゃん......」
まあまあ、と押しきるように家に上がる。
部屋は二人暮らしにはちょっと狭いくらいの大きさだった。
玄関には夕二が普段履かないような尖った革靴や迷彩柄のスニーカーがあった。
相手はボーイッシュな趣味の人か。
「お邪魔しまーす」
「どちら様ですか?」
低い声が返ってきた。
顔を上げると、背の高いイケメンがいた。
俺も結構高い方がだが、俺よりも高い。183くらいありそう。
髪の毛の色を抜き、紺のボーダーの服を着ていて落ち着きのある雰囲気の人だった。
「あれ、友達来てたの?」
夕二は俺の質問には答えずそのイケメンに言う。
「兄。ごめんいきなり来て」
「ああ、あの。いいよ。心配してきてくれたんでしょ」
「違う違う。物見遊山」
イケメンは、そんなこと言うもんじゃないよ、と柔らかく笑った。
「朝一です。こいつめんどくさいでしょ。迷惑かけてすいませんね」
俺はイケメンに頭を下げる。
「いえいえ。むしろ夕二君にはいつもお世話になってます。永多です」
ゆうじ、くん。
年上か。
「今コーヒー淹れます。義兄さんはそこに座っててください」
「じゃあ遠慮なく」
永多さんが指さしたソファに座る。
夕二が俺の隣に座った。
「すごいしっかりしてる友達だな」
夕二は俺を睨んだ。
「友達じゃない」
「じゃあ何」
「恋人」
「は?」
地鳴りみたいな低い声で言われた。
恋人?恋人て、え?
「付き合ってんの?」
夕二は何でもないように頷いた。
うおああああ、あ、女だと思ってた。勝手に女だと思ってた!
「え?ゲイなの?」
「うん」
「あの人も?」
「うん」
えええええ……、15年間一緒に暮らしてて全っ然気が付かなかった。
「何で言ってくれなかったんだよ~~」
俺は夕二の肩に腕を回す。
夕二は鬱陶しそうに振りほどいた。
「言ったって別に、何も変わらないだろ」
「まあ、そうだけど」
「俺が男が好きだって女が好きだって、兄ちゃんには関係ないし」
「そんなことないだろ」
「……何で」
「家族なんだし」
夕二はまた俺を睨むと勢いよく立ち上がって彼氏……彼女?恋人でいっか……恋人の元へ行った。
俺なりに気を遣ったつもりだったのに、何で怒ったんだ。
昔から繊細な奴だとは思っていたがまさかゲイだったとは。
えー。混乱。
「ブラックでいいですか?」
永多さんが言った。
あ、俺ブラック飲めない。
俺がそういう前に夕二が永多さんに指示した。
「兄ちゃん苦いの無理だから。砂糖大匙2と牛乳半分くらい」
「そんなに?」
「うん」
運ばれてきたコーヒーは俺の好みの濃さだった。
「ほぼミルクでしょ」
俺はクリーム色のコーヒーを指さして言う。
永多さんは「ははは」と笑って俺の隣に座った。
夕二も俺の隣に座って、二人で俺を挟んだ。
「でもこれが好きなんだよなー」
コーヒーを一口飲む。
「あ、好きと言えば!二人は恋人なんだって!?」
左右を交互に見る。
夕二が怖い顔をした。
「はい。そうなんです。夕二君からは家族には言っていないと聞いていたので、その」
「いやいや。俺も今知ったんですけど。うん。まさか夕二にこんなしっかり者の恋人がいたとは驚きだったよ」
永多さんは緊張した表情を少し緩めた。
「ここって永多さんが借りてんの?」
「そうです」
「社会人?何の仕事してるんですか?」
「いえ、大学一年生です」
「ええ!?同い年じゃんなんだ!敬語つかって損した」
「全然敬語じゃなかったじゃん」
夕二に揚げ足をとられる。
「大学生なのに部屋借りてんの?」
「はい。バイトして」
「あ、タメ口でいいよ。へえでも二人分の生活費とかバイトじゃ無理でしょ」
夕二が俺の脇腹を小突いた。
「これからは俺もバイトするからいいんだよ」
「お前はなあ、接客とか無理そうだしなあ」
「そんなことないよ。夕二君はしっかりと挨拶できるし、礼儀正しいし、誠実だし」
おお。フォローした。
これぞ恋人って感じだな。
「永多さんどこの大学?もしかして同じってことあるかも」
「いえ。違いますよ。僕は▽△大だから」
「あー残念!夕二から聞いてた?」
「うん。夕二君いつも義兄さんの話ばかりだから」
「んなわけないだろ」
永多さんは持ち上げるのがうまいなー。
「家事とかやってる?夕二」
夕二に訊いたつもりだったが永多さんが答えた。
「やってくれてるよ。大学は授業が不規則だからハッキリ分割は難しいけど、それぞれがそのときにできることをって感じで」
「うへえ。すごい。俺全部母さんがやってくれてるよ?しっかりしてんなー」
「そう聞こえるだけだよ。意外に一人暮らししたら誰でもできるようになるものだし」
「それは出来るやつの言葉だ」
「ははは」
俺はコーヒーを飲み干す。
「ねえもしかして永多さんって喫茶店とかでバイトしてる?」
「いや、ただのファミレスだけど」
「あまりにも永多さんが淹れたコーヒーが美味しいからてっきりプロかと思った」
「あはは。豆かな」
「豆とかわからん。夕二ちょっと詳しかったよな」
「え?ああ、うん」
夕二は不機嫌そうに答えた。
「それより義兄さんの事教えてよ」
「ああ、うん」
「朝一って呼んでいい?僕も聡でいいし」
下の名前さとるっていうのか。
「朝一は恋人はいるの?」
「俺は―――」
夕二が急に立ち上がった。
「俺ちょっと出てくる」
「どこ行くんだよ」
「……どこでもいいだろ」
「きっとコンビニだよ。徒歩3分でいけるんだ」
そりゃ便利だ。
「いってらっしゃーい」
夕二はこちらを一切見ずに出て行った。
「不愛想なやつ。あいつ聡にもあんな感じ?」
「いつもはちゃんと挨拶するよ」
「ならいいんだけど。ああいうやつだからさ、まさか恋人がいるなんて思わなかった。友達だって怪しいし」
「夕二君のこと心配?」
「そりゃ家族だし。あ、俺の彼女の話ね。いないいない」
「そうなんだ」
「いや、まあ聡みたいにイケメンじゃないし。おつむの方もアレだからさ。この前告白されてさ、人生初の彼女が出来るかと思ったんだけど、美香の……友達のイタズラだったんだよ!マジ酷くね?そういうのは無しだと思わない?」
「そうだね。僕もあまりにやりすぎなドッキリ番組とかは見られない質」
「ドッキ……えー俺わりと見てたわ。こんな気持ちになるのか。もう見れない……」
聡は愉快そうに笑った。
それから小一時間くらい二人で話した。
「てか夕二遅くない?」
「いきなり出て行って何時間も帰ってこないことよくあるから。近くの古本屋にでもいるんじゃないかな」
「あーあいつ没頭すると時間忘れるしな」
ガチャ。
玄関で音がした。
あ、夕二帰ってきた。
「噂をすれば影だ」
影?
聡は立ち上がって夕二を迎えた。
夕二は俺の姿を認めると、「まだいたの」と低く言った。
時計を見る。
「うあ、もうこんな時間か!十分くらいで帰ろうと思ってたのに」
「嘘つけ」
俺は荷物を持って立ち上がる。
「すいませんね。土産もなくって。今度は持ってくるから」
「もう来んな」
夕二は部屋に引っ込んでしまった。
代わりに聡が手を振って見送ってくれた。
最悪だあの教授!昼休み潰して30分も講義延ばしやがった!
腹減ったー!
大学から帰ると、俺はまっさきに冷凍庫を開けてアイスをくわえた。
ふー。美味い!
テレビでも見ようと居間に行くと、すでにテレビがついていた。
昼間は父は仕事で母もパートだ。
つまり誰も居ないはずなんだけど。
椅子に座る後ろ姿があった。
夕二だ。
「あれ?忘れ物?」
ぐじゅり、と水っぽい音がする。
椅子の後ろから夕二の顔を覗き込む。
夕二はさっと背けたがその顔は涙と鼻水で崩れていた。
アイスを口から抜く。
「えっ、どうしたんだよ......」
夕二は腕でごしごしと顔を拭う。
「別れた」
「え?別れた、て、あの人と?」
夕二はこくりと頷く。
「何で?」
あれからまだ3日だぞ!?
あんなにいい人そうだったのになんでだ。
「兄ちゃんが来るからだろ」
「なんで俺が関係してくるんだよ」
「兄ちゃんのことが好きになったんだって」
俯いてぼそっと呟いた。
「は?マジで」
ちょっと話しただけだぞ。
「なんかの冗談だろ」
「違うよ」
夕二が振り向いた。
俺を睨み上げる。
「だって兄ちゃんは俺みたいな、ゲイに好かれる顔してんだもんっ!それに、明るいし!」
そりゃお前と比べたら誰だって明るい。
それに、その、ゲイに好かれる顔?は妬みからくる妄想だな。夕二は想像力豊かだから。
あれかなー。別れる理由に俺使われたのかなー。
まあこれは言わないでおいて。
「でもそんなホイホイ好きな人変える奴なんか別れられてむしろ清々だろ!」
「俺兄ちゃんのそういう能天気なところ大好きだよ」
「あ?ああ」
「でも今はだいっきらい!」
どっちだよ。
夕二はドタドタと自室に入っていった。
あいつの泣き顔なんて10年ぶりに見たな。
同棲まで考えた仲だったもんなー。ショックだよな。
今はそっとしといてやろう。
母さんと父さんには俺が説明しといてやる。
部屋に突撃せんとする母を抑えて俺が夕二に夕食を運んだ。
夕二の部屋のドアをノックする。
少し隙間が開いて、夕二の顔が覗く。
俺だと分かるとドアを開けた。
「夜ご飯食べる?」
夕二は頷いてお盆を受け取った。
ベッドに並んで座る。
俺は夕二の背中を叩いた。
「ほら元気出せって!」
俯いた夕二の頭を撫でてぐいっと後ろに引く。
顔が上を向く。腫れた目と目が合う。
「下ばっか向いてるから根暗だと思われて恋人も出来ないんだよ。次行け次」
夕二はキッと俺を睨んだ。
目尻に涙が滲んでいた。
「ごめん今のナシ」
いやいや彼女が出来たことがない俺が言えたことじゃなかった。
「兄ちゃんはさあ、俺に恋人ができたことどう思ってんの」
「羨ましい」
「しね」
しね、って死ね?
その口調の荒さも直せ。
「別れたからってざまあみろとかは思ってないよ」
「当たり前でしょ」
夕二は俺が持ってきた夕食のご飯を手に取る。
「母さんグチグチ言ってたけどなんやかんやでお前が帰ってきて喜んでるよ。ほら」
俺はお椀の中を指差す。
「五目ご飯」
夕二はニコリともしない。
「兄ちゃんは?」
「ん?」
「俺が帰ってきて喜んだ?」
「すっげえ嬉しいよ!」
母さんと父さんの喧嘩仲裁できんのお前だけだし!
昨日の夜だって喧嘩してて俺が止めようとしたら余計ヒートアップしたし!
「あっそ」
夕二が俺に抱きついた。
「もういいや......」
ぐいーっと引っ張られてベッドに二人で倒れ込む。
「おーい飯は?」
「明日食べる。今日一緒に寝てよ」
「ええ......」
腕の締め付けが強くなる。
「ああうんわかった」
「あと明日一緒にゲーム買い行って。昼飯奢って。おやつも奢って」
それゲームも買わせる気だろ。
「いい?」
甘えるような声で言って、俺の背中に顔を埋めた。
「......わかった」
「あー早く兄ちゃんも別れないかなー」
「誰と?」
「彼女と」
「誰の?」
「兄ちゃんの」
「誰と?」
「だから、彼女と!」
「......ん?」
「ん?」
夕二が起き上がる。
「兄ちゃん彼女できたんだよね」
「......できてない」
「じゃああの『彼女できたー!フォーーー!』って叫びながら家中走り回ってたのは何だったの?」
「うああバカ恥ずかしいから忘れろ!あれ友達の嘘!悪戯!」
夕二が豆鉄砲くらったように固まった。
「んな......なんで言ってくれなかったんだよ......」
「何を!?彼女ができませんでしたって?お前は恋人出来たことも言わないくせに!?」
夕二が枕を握って振り上げた。
般若のような恐ろしい形相で迫ってくる。
「バカーーーーーーーーー!」
叫びながら、夕二は俺を殴り倒した。