4月18日 知りたいと思うなら
TO:カナさん
あれだけ夕飯平らげたのにペロッといきましたね。
みんなどんな胃袋してるんですか?
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「ご馳走様でした」
「ごっそさん」
「お粗末様でした」
それじゃあまた明日、と特能課のメンバーを送り出したのが午後11時過ぎ。
今は静まり返ったリビングで一人携帯端末をいじる。
今日はとんだ災難だったとポチポチと文字を打ち込んでいく。夏芽さんの突然の思い付きにもある程度慣れたとは言え、巻き込むのは俺以外にして欲しいよ。
でもまぁこんな日があっても悪くはない。
***
特能課は何故か朝と夜は基本的に一緒に食事を取るスタイルらしく、俺としては毎日二食は強制的に取らされるので故郷で一人暮らしをしていた頃のように食事を忘れることもなく、ある意味健康的な毎日を送っていた。
例え先に一人仕事を上がっても、誰かしらが夕飯は食べたのかとプライベートメッセージを送ってくるものだから答えざるを得ないというか何というか………一度メッセージに気付かずに機械イジリに没頭していたら部屋に突撃され非常に驚いた。それからは一人でもなるべく食事は取るようにしている。
食べること自体は好きなのだが、何かに集中すると食事も睡眠も二の次になるのは悪い癖だとは思っている。過度の干渉は好まないが、気に掛けてくれることは嬉しいと思う。
意外にもローズさんが食事関係には気を遣ってくれていて、何度か手料理を振舞ってくれたこともある。料理が得意という訳ではないのだそうだが、肉料理はおいしかった。
ちなみに特能課メンバーは全員料理が出来るそうだ。
カナさんと夏芽さんがスイーツ専門。カナさんはオールマイティーだが特にケーキ類を得意としていて、夏芽さんはパン系が実は得意だったりする。2週間ほど前に突如として行われたスイーツ祭りでは二人の本気を見た。
クゥさんの腕前は未だ不明ではあるが、話を聞くところによると和洋食一通り作れるらしい。料理好きではなくただ単に器用なだけ、とは本人談。一度食べたことのあるものなら大抵は作れるというのだから相当なのだろう。しかし分量通りに計らないといけないお菓子作りは苦手だそうだ。
かく言う俺も一人暮らしが長かったこともあり、困らない程度には料理は出来る。
―――俺たち別に料理好きの集まりじゃないはずだけど。
何はともあれそんなこともあり、特能課は食事というものに重きを置いているのではないかと思っている。あと、個性豊かな俺たちの唯一の共通点かもしれない。
「そう言えば明日の夕飯はビーフストロガノフらしいよ」
「へぇ、珍しいな」
「楽しみ………」
「前に出たのは結構前だった」
「(前に出たのは結構前ってソレ全然覚えてないんじゃん)俺、食べたことないです」
食後のシャーベットを頬張りながら何気ない会話を交わす。ああ、カナさん特製のバニラアイスも最高だけど、シェフの作るオレンジシャーベットも捨てがたい。
そう幸せを噛み締めていると―――
「カノくんの郷土料理って何があるの?」
夏芽さんが不意に聞いてきた。
「郷土料理、ですか」
ぱくりとシャーベットを一口。サラサラと口の中で溶けていく食感を楽しみながら考える。
俺の故郷は箱庭から程よく離れた自然豊かなところにある。都会育ち(であろう)皆とは違い素朴な味の郷土料理と呼ばれるものはあるにはある。素朴過ぎて料理と呼べるのかは定かではないものも多いが。
「有名どころで言えばアクアパッツァ………でしょうか」
アクアフォレストという名の通り、俺の故郷は水と森に囲まれた結構な田舎だ。水と魚介とオリーブオイルとトマト、それといくつかの香辛料を使っただけのシンプルなアクアパッツァは、まぁ郷土料理と言っても差し支えないと思う。
「もしかして作れちゃったりする?」
「………ハイ?」
「アクアパッツァ、作れちゃったりするの?」
嫌な予感しかしませんが。
「ええ、まぁ。作れるか、作れないかで言えば………作れます」
「ふむふむ」
「不穏な気配を感じます」
「考え過ぎじゃないかなぁ」
「カノ、諦めろ」
「そうだぜ。こうなったら言うこと聞きやしねぇもん。ボスは」
「ローズさぁん!」
「むり」
「嘘でしょう! 誰か助けてくださいっ」
一見、物腰柔らかでその儚げな容貌から控え目な印象を受ける夏芽さんだが、その実かなり強引なのだ。一度こうと決めたら梃子でも引かない。叶えられるワガママであれば突き通すのが夏芽さんという人なのだ。俺が本気で嫌がっているなら折れるだろうが、ただひたすらに面倒という理由での拒絶は断じて認めない。
他のメンバーもそれが分かっているから味方にはなってくれない。
こうなったら諦めるほかないだろう。
「えへ。僕、カノくんの手料理食べたいなー?」
「分かり………ました」
こうして久方振りに包丁を握る羽目になったのである。
***
「材料はこんなもんか」
買い物かごの中身をチェックして買い忘れがないか確認する。
白身魚、オリーブオイル、トマト、白ワイン、ガーリック、塩胡椒………必要なものが全て入っているのを確認して会計を済ます。どうしてこうなったかなんて考えない。負けた俺が悪い。
レストランで皆と別れてから、俺はARIAへと向かった。当然ながらアクアパッツァの材料なんて冷蔵庫にある訳もなく、買い出しを余儀なくされたのだった。いつ食べたいんですかと尋ねたら、思い立ったら吉日って言うもんね。忘れない内に食べたいなぁ………なんて言うからもう仕方なく。本当に仕方なく従った。
「夏芽さんは絶対末っ子長男だ」
自由奔放、ワガママ放題。
でも要領は良いから怒られない。最後には仕方ないなぁと許される。愛されている証拠だ。
俺にほんの欠片でもその才能があったなら、人生もう少しイージーモードだったかもしれない。ま、ないものねだりしても天は俺にその才能を与えなかったのだから諦めるより他ない。
「良いよなぁ。せめて………いや、別に夏芽さんは羨ましくないかも」
夏芽さんの良いところを考えてみたら、別段羨ましいところはなかった。ないと言ったら語弊があるが、無駄に美しいお顔のせいで注目を集めることも無駄に暁さんに怒られるのも俺には必要ない。大丈夫。俺は水方叶で問題ない。うん。
「早く帰ろ」
レストラン前で皆と別れたのはかれこれ2時間前。夕食後、一旦部屋に戻って軽く掃除をし、一応冷蔵庫の中を確認。やっぱり飲み物と必要最低限の食材しかないことに軽く絶望を覚え、10分悩んでARIAへ行く決意をした。隊員証をひっ掴み移動魔法陣を幾つか乗り継ぎ(?)マーケットへ向かったのだった。
食材の前に何なら包丁やまな板、鍋に皿なども買ったことも付け加えておこう。だってここに来てから作ることなんてなかったんだから仕方がないじゃないか。
なるべくなら動きたくない。そうは思っても一度やると言ったからにはやらねばと謎の使命感に突き動かされここまで来たのだ。後は帰ってこの右手にある魚を捌き、カットしたトマトと一緒に白ワインと水にぶち込みぐつぐつと煮てやるだけだ。そうしたら今日の俺のミッションはコンプリートでオールクリア。
よしよし。出来る。俺なら完遂できる。
グッと拳を握り、俺はまた移動魔法陣まで駆け出した。
***
アクアパッツァ。
それはとてもシンプルな料理である。
材料さえ揃えば子供でも作れる定番中の定番。まずは白身魚(魚であれば別に何でも良いと思うが、白身魚がおススメだ)の鱗と内臓を取ってやる。今日は真鯛を用意した。
それから奇跡的に蛤の缶詰があったのでスライスしたニンニクと一口大にカットしたトマトと一緒にひたひたの水とともに鍋に入れて沸騰させる。俺の好みとしては先にニンニクをオリーブオイルで炒めて魚も一旦焼いておくのだが、ここは作法に乗っ取りごく一般的な作り方にした。
ぐつぐつと煮える音が聞こえたら白ワインをこれでもかと注ぎ込む。ワインはあってもなくても良いが俺はあった方が好きなのでどばっと景気よく入れる。
白ワインの香りが広がったところで再度煮えるのを待つ。後はオリーブオイルを垂らしたら完成。
もう15分もしない内に出来上がるだろう。
スープを掛けながら、買っておいた固めのパンをトースターにセットする。どうせなら一般家庭の味を余すことなく堪能してもらおうじゃないか。
フルコースを食べた後に食べれるか見物だな、と少々意地の悪いことを考えながらグループメッセージを送った。
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TO:特殊異能課
カノ)カノです。そろそろ出来上がるので部屋にきてもらえますか?
カナ)おお! すぐ行くぜ
薔薇)………楽しみ
夏芽)わーい! カノくんの手料理だぁ♪
クゥ)ありがとう
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すぐさま全員から返事が届く。何だかそれが無性におかしくて思わず一人笑ってしまう。
「ふっ、はは! 何だよ、皆既読早すぎ」
別段腹は減っていないだろうに、待ち望んていたかの様に全員が同じタイミングで既読になったことがおかしくて、堪え切れず吹き出した。
ここの人たちは本当に変だ。
望めば俺なんかの手料理じゃなくたってシェフに作ってもらえるし、ARIAに行けばそれこそ国内外の料理だって食べれるはずだ。軽く2、3千人近くが働く国家保安局では大抵のものは揃う。本当に変な人たちだ。
「たまには期待に応えてもいいか」
料理は愛情と言うけれど、残念ながら愛はない。
けれど少しの感謝を込めて、仕上げくらいはやりましょう。
***
ぴんぽーん
「はーい」
来客を知らせるチャイムが鳴り、俺はパタパタとスリッパを鳴らしながら玄関へ向かった。
ドアを開けると勢揃い。期待に満ちた8つの瞳が俺に向けられる。
「いやいや、そんな綺麗な瞳で見られても」
「だってだってカノくんの手料理が食べられるっていうのに期待しない訳がない」
「オレも何気に期待してる」
「シャンパンだ。ノンアルコールの」
「カノおつかれさま」
各々それなりに楽しみにしていたのか食い気味に声を掛けられてたじろぐ。
そんな大層なものじゃないですよ? 確かにカナさんはいつも作る側で作られる側になることはないから少々期待してしまうのは分からなくもないけれど。
「まぁとりあえずどうぞ」
ドアを大きく開き招き入れる。
俺の部屋には何度か来てもらったことがあるから、皆迷うことなくリビングへと続く廊下を進んで行く。ま、そもそも全室造りは同じだから迷うことなど有りはしないんだけどね。
「おおっ! すげぇうまそーじゃん!! カノ、お前料理の才能あるんじゃね?」
「うんうん。すごいね! これがアクアパッツァかぁ………ローズちゃん見て見て! いい匂いだねぇ」
「ナツメ、見ればいいの? 嗅げばいいの?」
「ああ、美味そうだな。ありがとうカノ」
テーブルにどーんと置いた浅めの鍋から立ち昇る香りは仕上げのガーリックチップとバジルだ。
この料理の良いところは皿に盛り付けが不要なことだ。鍋の中さえ綺麗にしておけばそれなりに見えるのが良いところ。あとは各自でお好きなようにってね。
「さぁ冷めない内に召し上がれ。スープはこのパンを付けてどうぞ」
焼き上がったばかりのパンをまとめてテーブルに置けばささやかながら故郷の夕食が完成だ。
久しぶりに見る懐かしの郷土料理。ああ、こんな感じだったな。両親と兄弟で囲んだ食卓の記憶は遠い記憶になってしまったけれど、またこうやって形を変えて同じものを囲える日が来るなんて。
「カノくん」
「何ですか?」
「ありがとね。僕の我儘聞いてくれて」
こっそり耳打ちした夏芽さんはどこか嬉しそうで、俺は何だか急に照れくさくなった。
「………今回限りです」
そんな事を言ったって、きっとまたこの人の思い付きに付き合わされるのは決定事項なんだと知っている。
TO:カノ
フルコース料理はちまちま出てくる分、量が少ないから結構後で腹減るんだよな。
でも本当あの時のは美味かった。お前老後はアクアフォレストのレストランでも開いたらどうだ?
そしたら俺たち全員働けるぜ。全員得意分野違うからなー