4月21日 夢見ることができるなら
TO:カナさん
あの絵本のこと聞こうと思ってて昨日の夏芽さん捕獲計画の所為ですっかり忘れてたんですけど、【夢見るクジラ】のクジラはなんで叶わない夢を追いかけてたんです?
時間の無駄じゃないですか。
至って平和な今日はこれといって目立った事件もなく、通常通り定時出勤定時退社でLN寮に戻って来た。とは言ってもLN棟と寮は同じ敷地内、それも隣接されているのでものの5分で自室に到着する。こういう時、魔法って便利だなと思う。
流石に歩いて帰るとなると隣接しているとはいえ各館への行き来には10分以上掛かるが、移動魔方陣を使えば瞬きの間に寮まで行ける。今日は俺以外の特能課メンバーは仕事が残っていたらしく、先に上がらせて貰って早々に夕食を取り自室へ引っ込もうかとしていたところでふとそれに気が付いた。
レストランから自室へと続くガラス張りの渡り廊下。パタパタと打ち付ける細かな水音でいつの間にか雨が降っていたのかと窓に近付いた。何気なく見渡した先、寮から少し離れたところにあるレベルE直下専用庭園の外灯が、柔らかい金色の光を一際大きい桜の木に当てていた。
(ああ、桜雨か)
―――桜雨。桜の花が咲く頃に降る雨。
例年より長くその薄紅色の花弁を揺らしていたが、今日の雨で散ってしまうのだろう。眼下のそれを見下ろしながら少し残念に思った。つい先日レベルEとLast Noticeで開催された花見大会を思い出す。満開の桜の花びらはひらりひらりと舞ってそれは綺麗だった。
だが今は滴り落ちる滴は小粒ながらも確実に一枚一枚花びらを地面へ散らしている。
しばらくその様を眺めていたが、散ってしまう運命を憂いても仕方ないと先を進んだ。
いつもならそのまま自室のある12Fへ戻るのだが、珍しく再度歩みを止めた。見つめる先には共有スペースと呼ばれているところで、図書館やトレーニングルームとちょっとした休憩室がある。(レストランもその共有スペースにある)
何故かは自分でもよく分からない。ただ珍しく足が向いた。
珍しいというのは語弊があるかもしれない。初めてそこに足を踏み入れたのだから。勿論トレーニングルームではなく図書館の方だ。一見しただけではそうとは見えないが入口に掲げてある立て札には確かに《Dorm library(寮の図書館)》とそのまんまの名前が付けられていた。
自動ドア越しにこっそり覗くが中は真っ暗で人はいないようだ。ポケットから手帳を取り出し、初日にクゥさんから貰った寮の手引きを取り出す。
(えっと図書館………は、と。24時間開放、貸出には隊員証が必要。特記事項はなしね)
必要最低限の情報しかないが、特出したものもないのだろう。特にLN寮はLast Noticeの人間しか入れないしどこへ行くにも隊員証とカードキーが必要になる。隊員証がカードキーになる場合もあればカードキーのみでOKの場合もある。またその両方が必要な場合も。俺もまだ理解していないが、一般職員のいる【保安局】管轄区域はカードキーで大抵通れて、【その他】は隊員証(+カードキー)が必要になるそうだ。
それもまぁ、人によって承認されていなければ入れない区域もあるのだろうが。俺なんかはペーペーなので、LN棟内ですら自由に他課の階に出入りできない。エレベーターAIのヴィーナスが門番の役目を担っていて許可なく他所の階に立ち入ろうとすればもれなくえげつない制裁が待っている。出入り可能なのはLNエントランスのある2Fと食堂のある4Fのみ。階段もまた俺では隊員証を翳しても扉は開かない。
話は逸れたがとにかくLN寮については隊員証さえあればどこでも出入り可能だということは事前に聞いていたので首からぶら下げてある隊員証を確認し、スキャナーへと通した。
ウィーンと鈍い音がして自動ドアが起動、次いで電気が付き俺は図書館へと足を踏み入れた。
(思ったより広いな。ジャンルも多い)
入口のすぐ横、カウンター前に設置してあった見取り図を眺める。
A-総記
B-哲学
C-歴史
D-社会科学
E-自然科学
F-技術
G-産業
H-芸術
I-言語
J-文学
一昔前の分類法だったか………今や電子媒体が殆どの昨今において紙媒体、蔵書としてあるのはなかなかに貴重だ。国内においても図書館と呼ばれる施設は国立図書館と王立図書館の二ヶ所のみ。勿論それに比べれば小さいものだが十分立派だ。ざっと見渡しただけでも十万冊近くある。ややジャンルに偏りはあるようだがそれはそれ。寮内施設としてはかなり揃っている。
俺は別段本が好きという訳ではない。
読むジャンルは魔導書と技術書の二択に限られる。紙媒体としては魔導書一択だ。今も昔も魔導書は紙媒体以外普及していないからというのが理由ではあるのだが、第一に一般的な魔導書でも透かし文字やらモノグラムやらページを折ったりしないと読めない文字や魔方陣があったりするのだ。電子媒体ではとてもじゃないが読み取れない。どうも魔法師というものは悪戯好きというかひねくれてるというか一筋縄ではいかない人種の集まりらしい。
ただ、そんな隠されたものを探すのは面白いので魔導書だけは好きで読んでいる。
さて、ここの蔵書は何があるのか………?
とは言え元々読みたい本があった訳ではない。魔導書も技術書も好んで読むが今日は本当にただ足が向いただけで借りようとも思っていなかった。気に入ったものがあれば借りても良いし、幸い誰もいないから静かだしここで読んでも良いな、と軽い気持ちでいた。目的もないのでとりあえず一周でもしてみようか、そう思って入口から左側の通路―――Aから順に回ってみることにした。
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(思ったよりしっかり管理されてるんだな)
ふらふらと左右の棚を交互に見ながら歩く。
そこまで書誌分類に詳しくはないが、背表紙のラベルを見ると2次区分までされているのが分かる。確か網目表、だったか。それがどこまでなのかは知らないが記憶にある限りでは各ジャンルの大枠くらいの荒い感じだった気がする。そこから更に区分があって別紙だか補助だったか細かい表が付いていたはず。
流石にそこまで管理出来ていないようだが、概ね3次区分(大枠の中の更にジャンル分け)まではされているようだ。誰がここの管理を任されているかは知らないが随分整えられている。ふた昔前のものも置いてあるがどれもコーティング加工が施され、古さを感じさせない。余程の本好きなんだろうな。
初めて見る本の山。
今日日なかなかお目にかかれない紙の本。現代において本屋というものもあるにはあるが専門書を扱うところばかりでこじんまりとした店が普通だ。
紙媒体がないという訳ではない。今も児童書は本が主流だし出版社もある。しかしその殆どが電子書籍がメインで棚に並べるほど印刷はしない。
ルーヴェリア国立図書館と王立図書館には電子書籍も含む全ての書籍が保管されているが、今のところ足を運んだこともなければ術もなくここだけでもう十分すぎる程揃っていると感じてしまう。
そんなことを考えながら回っていたら10分もしない内に最後のJの棚まで辿り着いた。図書館という名がついているとは言え、所詮は寮の中の一スペース。だが、そこで俺はこの図書館の主を知ることになる。
(これってカナさん、だよな…?)
Jの棚。即ち文学スペースに辿り着いた俺は、そこに置かれたものに目を奪われた。
見慣れた字、見慣れたお菓子の包装。サービスワゴンに乗せられたご自由にどうぞと書かれたポップとバスケットに並ぶ小包装のクッキー。
成る程、この図書館の主は間違いなくカナさんだ。決して暇ではない筈だが綺麗好きで細やかなカナさんなら納得だ。ついでに飲み物はレストランからポットを貰えるらしく数種類の紅茶とコーヒーのバッグが添えられていた。
「流石というか何というか…うん。あの人ホントすごい」
クッキーの袋の裏には、まるで店舗のもののように製造年月日と賞味期限、製作者名が書かれたシールが貼られていた。毎日作っているのかは定かではないけれど、現在ここに置いてあるクッキーは全て今朝作られたものだった。
何故ここまで? と思ったが、ああそう言えばカナさんは絵本が好きだと言っていたかと思い出す。
それなら今日は気まぐれついでに絵本でも読んでみようか…と吸い込まれるように棚の方へと歩を進めた。
【一等星のウィンヴィ】
【シルラディアの魔女】
【夢見るクジラ】
特にオススメだと銘打たれた棚に置かれていた三冊。
上二冊は有名な絵本だ。例え詳細は忘れてしまっていても老若男女問わず題名は覚えていだろう定番中の定番。だが三冊目の【夢見るクジラ】これは知らない。最近のものだろうか?
表紙には海とも空ともつかない青のグラデーションの中、浮かぶ大きなクジラが描かれている。
裏表紙は白一色。文字も絵もない。何だか意味深だ。
絵本なんて普段見向きもしないけれど、顔見知りのオススメというだけで興味が湧いてくるのだから随分とちょろいもんだと自分でも思う。一度手に取ってしまえば読んでみようかなんて思ってしまうのだから不思議なものだ。
オススメ以外にもたくさん並んでいるが、迷うことなく【夢見るクジラ】だけを手に取り、ついでにクッキーとオレンジペコーのティーバックを一つずつ拝借した。
そのまま入口近くのカウンターに置かれたスキャナーでほんのバーコードと隊員証を読み取る。ピピッと音が鳴ったことを確認し、意気揚々と部屋に戻ろうとした時、またもや視界に入った桜の木。
はらはらと舞い散る花弁は雨粒と淡いライトに照らされながらも美しくその命の終わりを惜しみなく晒している。
(…まぁいいか)
エレベーターへ向かい12Fのボタンを押した。
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パタパタパタパタパタ…
傘に滴り落ちる雨。
結論から言うと、俺は部屋には戻らず―――いや戻ったのだが傘を取ってすぐに引き返して来たのだった。向かう先はあの桜のある庭園の休憩スペース。つい先日どんちゃん騒ぎをしたあの桜を見納めようと思ったのだ。
中庭にはちょうど桜の木の前に休憩スペースがあり、眺めるには絶好のスポットなのだ。各施設間は移動魔方陣で行き来出来るが、全てがそれで行ける訳もなく、中庭へ行くには外から回るしか方法がない。その為一度部屋に戻って傘を取りに行ったという訳だ。
「やっぱ誰もいないよな」
当然ながら休憩スペースには誰もおらず雨の所為か少し肌寒く物悲しさを感じたものの、ゆっくり出来そうだと迷うことなく桜の目の前のソファを陣取る。
テーブルに絵本とカップ、それにレストランで貰ってきたポットを置く。ポットを借りた時にどこに持っていくのかとシェフに聞かれ庭園の休憩所だと答えたところふっかふかのブランケットまで貸してくれた。何という至れり尽くせり感。空調機を使わずともこれで十分暖を取れそうだ。
コポコポとポットからお湯を注ぐ。LNに入ってからカナさんかクゥさんが茶葉から淹れてくれる紅茶を飲んでいる所為か何だか味気ない気もしなくもないが、カナさんが選別したものだからか良い香りが辺りに漂う。
蒸すまでの少しの間ソファにゆっくり沈み込む。保安局の休憩スペースは正しく休憩を促す為に作られていて、どこも座り心地居心地共にすこぶる良い。隣同士の間隔も広く、一人用だろうがグループ用だろうがテーブルが備え付けてある。俺はと言えば現在グループ用の三人掛けソファのど真ん中を我が物顔で使っているのだが。
「やっぱ国家機関は違うなー……寝ちゃいそう」
ぽすっと横になるとふかふかブランケットも相まってベッドにいるような感覚に陥る。
組織のことは未だに分からない。箱庭に来た本当の目的もまだ果たせてない。それが果たされることだけを夢見てこの10年生きてきたのに。
「……絆されたのかもね、あの人たちに」
少しだけ立ち止まってもいいかも、なんて思ってしまうのは。
さて、そろそろ紅茶も出来上がっただろう。よいしょ、と勢いをつけて起き上がりカップを覗き込むと真っ白なカップの中は綺麗なオレンジ色に染まっていた。お茶請けのクッキーの袋もリボンを外し口を広げる。
オレンジペコーを一口飲み、クッキーをパクリと頬張るとサラサラと口で溶けるようになくなって後にはほんのりメイプルの甘さが残る。
……おいしい。
じわりと幸せを噛み締める。甘いものは正義。俺、カナさんがいれば生きていけると思う。
ほっと息を吐いたところで絵本を手に取った。【夢見るクジラ】本当に聞き覚えのない絵本だ。俺が知らないだけで有名なものなのかもしれないけれど少なくとも読んでもらった記憶はない。まぁこれから読むんだし細かいことはいいかと厚い表紙を捲った。
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―――夢見るクジラ
そのクジラは夢を見ていました。
寝ているときに見る夢ではありません。
いつか、大空を泳ぐ夢を見ていたのです。
ときどき海面に出たときに見える空というところはとても広く、きれいで。
鳥たちが自由に飛び回っている姿をうらやましく思っていました。
だけど海の住人であるクジラは、海から出ることができません。
それでも遠い空に憧れるのです。
鳥たちが歌う、昼の青い空と、夜の星がきらきら光る群青の空を泳ぎたい。
そう願ってやまないのです。
夢を見るようになって、どのくらい時間が過ぎたでしょう。
10年か100年か1000年か。
クジラはまだ海を泳いでいました。
毎日空を見上げてはいつかの日が来ることを祈っていました。
海の仲間たちは出来っこないと言って笑いましたが、クジラは諦めませんでした。
空を泳ぐ練習もたくさんしました。
目を瞑って、空を思い浮かべながらゆっくり旋回をするのです。
どうしてなのでしょうか?
望めば叶うと思っていたからでしょうか?
いいえ、そうではありません。
クジラは幸せだったのです。
夢を見ることは、自分の生きる意味になったから。
ただ海を漂うのではなく自分の意思で何かをしたいと思ったのは初めてだったから。
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「えっ………これで終わり?」
最後のページを捲ったところで思わず声を上げてしまった。
何とも消化不良な話だ。
結局クジラの夢は叶ったのか叶ってないのか分からないし、そもそも何で到底不可能な夢を見るのかサッパリ分からない。子供向けの話にしては難しいし、教訓的なもの?
ぱたん、と絵本を閉じる。
「………」
分からない。本当に分からない。0か1の世界………あるかないか、出来るか出来ないか。この作者はどうしてこんな話を作ったのだろうか。カナさんもどうしてこの絵本をオススメにしたのだろう。
すっかり冷めてしまった紅茶を啜る。
左手に持った絵本を脇に置いて話の内容を頭の中で反芻するが、答えは出ない。人知れず溜め息が漏れる。元々この絵本は答えを出す気がないというのは何となく理解している。読み手に考えさせるのが目的だろうという事も。
「とは言ってもモヤモヤするこの今の気持ちをどうしてくれようか」
例えば俺がこのクジラだったとしたら、きっと叶わない夢は初めから見ない。
何%あれば諦めずに努力するのかと言われたらケースバイケースだと思うが、少なくとも無駄と思われる努力はしない。
後でカナさんに聞いてみようかな。
この話の本当の意味。
そう思いながら窓の向こうの、未だ止まない雨とさらさらと散る桜を眺めた。
TO:カノ
いいや。
努力は必ずしも報われるとは限らないけど夢見ることができるなら、それは自分を諦めていないってことなんだと思うぜ。
夢っつーか希望っつーか、自分の意思で考えて動いて結果叶わなかったとしてもその努力は無駄じゃねーんだ。きっと違う形で実を結んだり、思わぬところで叶ってたりな。
まぁ今は分からなくてもいいさ。