010 風はそよぐ先を迷う
翌日、井上が来たというので、会議場には話がてら二人で行くことにした。それを狙って、彼も早めに現れたのだろう。
雲の多い天気に風が強かったが、カートを使わずに歩くことを選ぶ。
「インドから極東に行ったかと思っていたが、戻ってきた――ワケではないな」
「内容は知っているでしょう。私も『ヴォロス計画』の一部に組み込まれてますから」
「……君の父上の差し金でないことは――」
「知っています。そこまで父も権力を行使しませんよ」
公然の秘密とも言えない会話で、父との微妙な確執を隠さないクラインである。
「気を遣ってるつもりもないが、いま『ヴォロス』には若い世代でなくては対応できない事実がある。表向き公募だっただろう?」
「誘いがあったので、推薦してもらっただけですよ。結果、能力があることは証明できました。少しは使い物になるみたいです」
「俺には自慢にも聞こえんな。どうにも死に急ぎとしか見えないのは、俺だけではないだろうよ」
精悍な顔に笑みを浮かべて、クラインの肩を叩いた。
「しかし、家族だな。ディトマからも同じ計画で技術面のサポートが得られる。心安く頼れるのは否定するなよ。不具合で遠慮なく文句が言える――昨日、会ったか?」
「いいえ。兄も個人的に付き合いがあるようでしたので……昨夜は薫にだけ」
井上が個人的な配慮で話しているのは、分かっていた。
クラインとは十以上の年齢差があるが、父ゲルハルトも絡んでの旧友である。双子の兄ディトマよりは、より兄的な付き合いで理解者ではあった。
ただ、自分の周りの人間には、いつも父の影が付きまとう――――。
意識し過ぎかもしれない。
だからと言って存在を消すことは無理である。
権力者を父に持つというのは、時に精神的な負担をもたらす。
「そうか……ところで、第五世代はテスト・パイロットが試験的に作戦投入されているが、お前は第五世代の専属になれそうか?」
「コンビネーション・テストのセミナーまでは受けました。現時点でこの場に呼ばれた事は、選から漏れたのだと思いますが……」
「そう素直に考えるな。人事も正しく機能しているわけでは無さそうだぞ。G.B.Nにまともな部隊指揮官の居ない処が発生していた。部隊編成の不手際が露呈してしまったんだ。まともな頭があれば、お前も呼ばれるだろう」
「異動だけに忙殺されそうですね」
「そう皮肉るな。今居る職務は閑職ではない。適当な知識を持ち出してから前線で使え」
「そうします」
井上と話しながら、クラインは何気にスッキリとした気分であるのを意識した。
眠りの浅い彼にしては、珍しく熟睡したらしい。
「………ッ! ごめんなさい!」
ぶつかってはいないが、早合点した声が上がった。
見れば肩まで伸びる黒髪の少女が、慌てて地面を這うように手でまさぐっている。
「いや…私に被害は無いが……」
返しながら腰を下ろして、散らばった物を集めるのを手伝う。
「あの、いいんです。私がちゃんと見てなかったから――」
井上が彼女の着ていた赤い制服を見て尋ねる。
「ラボに居るのか?」
「はい。研究生です。…じゃなかった…テストから戻されてきたものですから…」
「ふうん。パイロット?」
「そんなところです。――ありがとうございました」
クラインから受け取って、少女は頭を下げると駆けて行った。
その後姿を見やって、井上は笑った。
「彼女が例の犠牲者かもしれん」
「まさか」
「ありえない話ではないだろう?」
「………否定はしませんが…」
「俺は、お前も犠牲者の一人だと思っているよ」
「哀れみですか」
「――こういう時流に生まれてしまったってことだ」
彼の辛辣な言い草には慣れている。と思おうとしたが、やめた。
慣れるとか反発するほど、人間関係に深入りしていないからだ。
「諦めも肝心ですよ…」
クラインは受け流した。
「素直そうで素直でない奴」
相変わらずの年若い友人を、屈託無く評する。
常々、懸念があった。
井上は、この計画の一端を担う人間として、第五世代の予測し得ない戦力を期待はしているが、一抹の不安を心に隠す。
『ゲルハルトが望んだと聞くが、第五世代に至ってまでも実験の位置づけを離れないのは――』
『兵器とは常に開発途上にあり、いつの時点でも実験であるとの認識だろう』
『通常、将兵には愛国心を始めとするイデオロギーの刷り込みと、所属するところへの忠誠を叩き込まなくてはならない。思想教育を施さない者を戦場に送り込んでしまっては、危険ではないのか?』
『―――技術の漏洩も考えなくてはならないが、高学歴のエリートが扇情的なプロパガンダに染まりやすいのは、歴史を鑑みれば明らかだと言うのだ』
『では彼らに歴史を選択させると? しかし、戦勝を上げるか死ぬかの瀬戸際で何の利益が』
『………歴史の選択肢を与える…そうも言える。多様で多元的なものの見方をするのは悪いことではないだろう? と、言えば、私は賛同者にされそうだが、一理を認めているだけだ』
『ですが、若い、と言うだけで扇情的な存在でもあります』
『選択だよ。思考をコントロールする一元的な教育では、思考が停止する。多元である事を教えて迷わせ、そこで得た答えが力となる。それを本人自身に選択させる。理屈はこうだ。敵方になっても止むを得ないだろう。だが、第五世代の指針だ』
『理論どおりに行けば、第四世代までは“失敗作”になりますね。反対はしません。戦場で迷いが無い事を祈ります』
『望みたい事だが………』
少し前の事を回顧して、なるほどと思った。
迷っているのがいる。