第29話 幕間 稀薄の令嬢は選び取る 下
「フィグーラ、様」
リシェラが呼びかければ、ラーワは申し訳なさそうな顔になった。
「こんな夜分にごめんね。表だって会いに来るわけにもいかなかったから」
それはそうだろう。
彼女たちは自分たちの痕跡をほとんど消してしまっていた。
だから、貴族たちのつても使えないまま、領地に戻っていたリシェラを見つけ出せたことの方に感心した。
突然の来訪には驚いたが、こうして……そう、人知を超えたすべを使って現れたことにそれほど驚きはなかった。
出迎えようとベッドから出ようとしたリシェラだったが、自身が薄い夜着一枚であることを思い出して、かあと頬が赤くなる。
他人に見せられる格好ではないが、着替えるためにメイドを呼ぶわけにもいかない。
かつてない危機にリシェラは無意識にシーツを引き上げ硬直していると、ラーワが近づいてきた。
「ほんとにごめんよ。貴族のお嬢さんが夜着姿を恥ずかしがるってのは知ってたんだけど。見てないから、ちょっと待ってね」
ラーワが指を一振りすると、リシェラはふんわりとした魔力の光に包まれた。
その幻想的な光が散った瞬間、リシェラの服は室内着に変わっていた。
全体的にかわいらしいといってもいいのに、どこか艶めいて見えるデザインは、金の巻き髪の仕立て師を思い起こさせた。
そこまで考えたところでふと、リシェラは真っ暗なのに自分の姿もラーワの姿も見えることに気がついた。
「リグリラから持たされたんだ。ドレスのときも思ったけど、よく似合っているね」
いつの間にかぽうっと室内に浮かび上がっていた、柔らかな光を灯す光球に照らされる彼女が微笑んでいる。
同じ貴族であれば社交辞令という考えも浮かぶのだが、彼女の言葉は本心かとしか思えずに少々居心地が悪く、気恥ずかしい。
別の意味で顔を赤らめながらも、リシェラは礼を口にしてベッドから降りた。
「あの、フィグーラ様、どのような御用向きでしょうか」
「まずは謝りに。本当はもう少し早く来るつもりだったんだけど、あと片づけに手間がかかって。君にも迷惑をかけたみたいだ」
ごめんね、心底申し訳なさそうな顔をするラーワに、リシェラは少し戸惑った。
彼女の言う”迷惑”が何なのか、心当たりがなかったのだ。
「でも王宮のほうにちょっと工作してきたから、明日っからは少し楽になると思うよ」
さらりと続けられた言葉の意味もうまくのみ込めなかったが、誠意を持って対応してくれているらしい、彼女の思いをくみ取った。
「その、ありがとうございます」
リシェラが礼を口にすれば、ラーワは苦笑しつつ話柄を変えた。
「それにしてもすごいな、リシェラは。聞いたよ、領地や領民のためにがんばってるんだって」
「いえ、それは。必要とされましたので」
「だからこそだ。期待に応えるのってとても大変なことだよ」
凪いだ金の瞳で言うラーワに、リシェラは少し言葉を詰まらせる。
彼女の前ではリシェラが念入りに付けている仮面が、あっさりとはがれかける。
大変なことだったと寄り添って、認めてもらえることが嬉しかった。
その喜びを不用意に表に出すことは、上流階級ではあまり良くない。
だが、彼女はその常識の外にある人なのだ、ということを思い出して、ほんの少しだけ、心のままに笑んでみた。
「彼らは、わたくしの声を聴いてくださいましたの。だから、がんばれました」
リシェラが仕事をやり始めた時の彼らは、はじめ自分へ決裁を求めてくるだけだった。
判を押せる人物がいれば、それでいい。
もちろん未だにそういう意識だというのがありありとわかる人間もいたが、リシェラへの態度が変わった者の方が多い。
わからないリシェラが説明を求めれば、わずかな時間でも教えてくれ、できることはないかと問えば、言葉には出さずとも感謝の色を見せてくれた。
勘違いでなければ、屋敷の使用人も、どこかリシェラへの態度が柔らかくなった気がする。
彼らの仕事自体にかわりはなかったけれど、何かが変わった気がするのだ。
「そっか。はじめに考えたのとはちょっと違うけど、ここで味方を作れたんだね」
「味方、なのでしょうか」
「うん。聴いている限りでは、彼らにとって遠くの人じゃなくなったって感じだ。それにリシェラの雰囲気がなんかずっとかわいくなったから。このまんまで話していたら、そりゃあ落ちるよね」
うんうんと、うなずく彼女に、リシェラがこそばゆさを感じていると、ラーワに問いかけられた。
「ここで、やっていけそう?」
「わかりません。ですが、こうして奔走して気づきました。わたくしはこの領地と領民が好きなのです。できれば、この地を守ってゆきたいと思います」
リシェラは、慰問のために被災した領内の村へ行ったときに、出会った子供たちの鮮やかな笑顔を、なにもできない自分に感謝の念を表した領民たちを思い出す。
直接は無理だとしても、何らかの形で、彼らの生活を守っていきたいとリシェラは素直にそう思った。
「そっか。うんわかった」
まぶしそうに目を細めたラーワは、リシェラに向けて片手を差し出した。
「約束を果たすよ。リシェラ」
自然と細く華奢な手に目が吸い寄せられると、光がこぼれだす。
そうして淡い光と共に現れた指輪の、その石に、思わずぎゅっと胸に手をやった。
伝わってくる気配は焦がれて、焦がれた。
「あの方の、石ですか」
「これだけしか取り戻せなかった。彼は傷ついて深い眠りについている。たぶん、君が死ぬまでに姿を現すことはないと思う」
こみ上げてくる想いに言葉を失っていたリシェラは、申し訳なさそうに目をそらすラーワの表情すら目に入らなかった。
「細くつながっている君なら、彼の声を聴くことができるようになるかも知れないけど、それも何十年先になるか……」
「じゅうぶんです」
勝手に言葉が滑り出た。
はっと顔を上げたラーワを見つめて、リシェラはあふれかける激情を押さえながら言葉を繰る。
「あの方がここにいる。それだけでわたくしは、生きようと思うことができます」
「……そっか」
2,、3度瞬いたラーワは、ほころぶように笑うと、もう片方の手を差し出してきた。
「なら、君が持っていてくれ。それがきっと一番良い」
リシェラは差し出された白い手に、己の震えかける手を乗せた。
「どの指が良い?」
「薬指に」
人差し指ではペンを持つのに支障が出るから除外しての、なにげない選択だったが、ラーワの表情が変わった。
悪い感じではない。ただ戸惑うような、少し照れたような表情だった。
「なにか」
「ああいや、実はね。地きゅ……ある文化圏では、薬指に指輪をつけるのは、婚姻の意味があったりするんだよ」
リシェラは目を見開いた。こみ上げる羞恥心に顔が赤らむのがわかる。
「そう、なのですか」
「やめる?」
うかがうように尋ねられて、リシェラは少し沈黙する。
「その風習は、ヘザットとは交流のない遠い地域ですよね」
「うん、そもそもこの世界とは断絶しているから、私以外知らないのは保証する」
「なら、そこが良いです」
なぜそのような文化を知っているのか、それなら信憑性はあるのかなどは関係なかった。
そういう意味があること、それはリシェラしか知らないということが重要だった。
そうして、薬指に通された指輪へリシェラは手の甲にそっと頬を寄せて、密やかにつぶやいた。
「オブリエ、オビリオ」
契約をした日に教えてもらった、大事な、大事なあの方の名前だ。
指輪にはまる石がほんのかすかに瞬き、胸にある契約印が疼いた。
彼に何かがあれば、そうでなくともリシェラに飽きてしまえば、契約の印は消えしまう。
そう、初めに教えられた。
だから、彼が姿を消した後は、これがあるという事だけを希望に過ごしてきた。
ほとり、と、雫が落ちた。
目の前のラーワが息をのむことすら意識の外だった。
彼は確かにここにいる、それだけで満たされた。
しばらくして、リシェラが落ち着いた頃を見計らって、ラーワは口を開いた。
「もう一つ、リグリラからの伝言だ。『ドレスの代金はリリィ婦人服飾店へ送金すること』」
「は、い。落ち着いてからになりますが、必ず支払わせていただきます」
顔に残る濡れたあとは隠せないものの、リシェラは平静を装ってうなずいた。
「それとね、ファッションで悩んだら手紙をよこしなさいだって。あと突貫ドレスが実力だと思われては困るから、いずれは店へいらっしゃいってさ。そのときは私もいくね」
思わず目を見開くリシェラに、ラーワはいたずらめいた微笑を浮かべた。
「ヘザットも良いところだけど、バロウも中々だよ。また会おうね、リシェラ」
それが別れの言葉と悟った。
だけど、これほどまでに嬉しい別れの言葉はないと思った。
これからのことを考えれば、また、というのがどれだけ困難か、リシェラは重々理解している。
それでもわずかな可能性を否定したくはなかったリシェラは、精一杯の笑顔を浮かべた。
治まったはずの涙が、またこぼれ落ちた。
「はい、またお会いしましょう」
リシェラはあふれる涙もそのままに、背筋を伸ばすと、スカートの裾を引きひざを折る。
習った中で最上位の敬意の表し方だった。
本来なら王族にしかやってはいけないとされるものだけれど、リシェラの大切なものを取り戻してくれた彼女には、これがふさわしいと思った。
「こころからの、感謝を」
一拍二拍と間をおいて顔を上げれば、泣き笑いのような表情のラーワが目に入る。
かすかに、口元が動いたのを読みとれば、「ごめんね」と言っているように思えた。
目を見開くリシェラが顔を上げきったときには、すでに夜の化身の姿はそこにはなく。
ただ深閑とした柔らかな夜の気配があるだけだった。
……――首都からの速達便で、王宮に黒火焔竜が降り立ったと知ったのは、その翌朝のことだった。





