9 ドラゴンさんは覚悟を決める
私が戸惑いに言葉を無くしているのを機嫌を損ねたと思ったのか、ネクターは慌ててつづけた。
『実は、今まで研究していたのは隷属の呪いの解除法だったのです。
ラーワの解除法を見て、契約の裏をついて無効にする方法はみつけましたが、杖の無い私ではそのために必要な魔力が圧倒的に足りません。ですが、魔力生命体であるラーワの体の一部があれば、必要分の魔力を直接供給できるのでは、と考えました』
『…………私は君が契約を果たす限り、君の意思を尊重すると誓約した。今までそれを真摯に守ってくれた君が行きたいというのなら、私は否というわけにはいかない。だが、それでは君の魔力回路が壊れてしまうよ?』
確かに私の一部である鱗なら、そんじょそこらの魔石よりも純度の高い魔力資材として使えるだろう。
しかも私にとってはたかが鱗である。髪とか爪と同じように何年かに一度は生え変わるので(爬虫類に見えるのに脱皮ではなかった)はっきり言ってしまえば捨てるほどある。それを拾う分には取引も起きないから対価も発生しないわけで。
だがそれをそのまま使うとなると大いに問題がある。
たしかに杖が無くても魔術を使える。それでもネクターがなぜ杖にこだわるかといえば、人の身で大規模な魔術を使おうとしたとき、膨大な魔力に体、主に魔力回路が耐えられないからだ。
魔力と術者の関係性は電力と電化製品が近いだろう。
電化製品という術式、それを動かすための電力という魔力を供給する必要があるけれど、その電化製品にあった電圧を供給しなければいけない。それには変圧プラグをコンセントに刺せばいい。
魔術は魔力回路という変圧プラグがどれくらいの自由度を持っているかによって適性が決まる。
私が杖を必要としないのはドラゴン自体が変圧機能の役割を持っているからだ。
人族は個人差があるとはいえ、魔力の結晶から魔力を直接引き出して使えるような魔力回路は持っていない。だから、それを補うために変換増幅制御の役割を担う杖を使う。
そんな人間が魔力のかたまりから無理矢理魔力を引き出そうとすればどうなるか。
例えて言うなら変圧プラグを通さず、コンセントに適性電圧の違う電化製品のプラグを刺そうとするものだ。
魔術の場合は術者のほうである程度合わせることができるものの、本来想定していない膨大な魔力を扱うのだから制御も難しくなるし、魔力回路にかなりの無理がかかる上、命の保証もない。
魔力回路は一度壊れたら治すことはできない。下手をすれば一生魔術の行使はおろか、魔力を感じることすらできなくなるのは魔術師にとっては致命的だ。
なのに、ネクターはわかっているというように強くうなずいた。
『最初の一人を解放できれば、私が術式を教えることで杖を持つ魔術師が安全に他の仲間も解放できます。
並の魔術師では一人で発動できないでしょうが、カイルならできると確信しています。一回だけ発動できれば良いんです。それなら耐えられるでしょう。
支払える対価でしたらいくらでも払います。私に友人を助けに行く許可をいただけませんか』
私は気づかぬうちに詰めていた息をふうと吐いた。
ドラゴンの肺活量だから呼気で風が巻き起こり、真摯に見上げてくるネクターの亜麻色と薄紅の髪を揺らしたが、目をそらしたりはしなかった。
『……君は、私に呪いを解いてほしいと願うと思っていたよ』
驚きと意外をあらわにするその表情で、本当にその発想はなかったと知れる。
心底不思議そうに、ネクターは言った。
『これは私たち人の世の問題です。英知をお借りしただけでも申し訳ないのに、そもそも無関係のラーワに解決まで願うのは料簡違いというものです。人の問題は人の手で解決すべきでしょう』
そう考えられる人間が本当にまれなことを、私は知っている。
鱗が欲しいならわざわざ言わなくったって探せばそこらに落ちているのだ。
言わずに持って行ったって怒りはしないのに。
『では、レイラインのほころびはどうだい? 魔力の循環を整えるのは私の使命だ。
ほんの少し予定を変更して先に塞いでくれと願うのは魔術師としては多少矜持は傷つくだろうけど、無理な要求ではないよ』
少々意地の悪い問いかけだという自覚はある。だが、どうしても尋ねずにはいられなかった。
もちろんお願いされればやるだろう。私がたとえどんなに残念に思っても、それは私の領分だ。
案の定ネクターは困り切ったように眉をハの字ににゆがめた。
『確かにそうでしょう。あなたはとてもお優しい。
我らが勝手に手を入れ傷つけたと知っても怒りもせず、あの芸術のような魔力操作でほころびを閉じ、何事もなかったように整えてくださる。―――ですが、それが終わってしまえば、あなたはここを去ってしまうのでしょう?』
ネクターが何が言いたいのか分からなくて、私まで困惑する。
『まあ、その通りだけど。一度整えれば、土地はそれを維持しようとする。そうすれば私はそこにいる理由がなくなるから、別の土地へ移動するよ』
『私は、それが嫌でした』
『……え?』
身を引き絞られているかのように苦しげなネクターを前にぽかんとする。
私と別れるのが、嫌?
『わかっているんです。今この瞬間にも無辜の民が、何よりカイル達が危険にさらされている。魔力の流入を平常に戻せれば、今の状況は半分以上解決します。
でも、こうして奇跡のようなめぐりあわせであなたと過ごしたこの時間が、あまりにも楽しくて、幸せで、このままずっと続けばいいと思ってしまったのです』
ネクターはまるで、己の犯した罪を懺悔するようだった。
『私は、あなたの黄金の瞳で見つめられ、消えたいという心を忘れました。
私は、あなたと語り合うことで、魔術の楽しさを思い出しました。
私は、あなたにそのままでいいと言われて、受け入れられる安らぎを知りました。
あなたと過ごす日々で、私は生きていたいと思えるようになったんです。
この時間は長く続かない。
あなたがこの地を去れば、私はもう二度と会うことはないでしょう。
いつか終わりは来る。
頭の隅で理解はしても、なるべくいつかにしておきたかった。
夢のようなこの時間を、自分の手で手放したくなかったんです』
私も同じだ。
ネクターの独白に、気が付けば胸の内でつぶやいていた。
一人が寂しくて、言葉を聞いてくれて話を受けてくれる人がそばにいて。
ずっとネクターがいてくれたらいいのに、と。
ああそうだ、私もあんまりにも楽しかったから気付かぬふりをしていた。
もう九割がた循環の調整が終わっていて、残るはあのレイラインのほころびだけ、ということを。
『だから、あなたに教える言葉もわざとわかりづらい表現を使い、話の寄り道を増やして、時間が長くかかるようにしました。誓約を完遂しなければ、ラーワのそばにいる理由がある。
そう考えて自分のエゴで行動を起こさず、神聖な誓約を穢しました。私はあなたがしてくださった誓約にふさわしい人間ではありません。本来ならこうしてその身体の一片を望むことすらおこがましいのです』
彼の告白に、ようやく私が今まで何にこだわっていたのか気付いた。
そうか、私はうらやましかったのか。
ネクターとカイルの絆は深い。
そりゃそうだ。たかだか数週間の私とは年季が違うんだから。
更に言えば種族が違う。
普通に考えれば、いつでも自分を瞬殺できる相手の前でまともなことを話そうとは思わないもんだ。
でも、この亜麻色と薄紅の髪の青年は、私と過ごした時間を惜しんでくれた。
別れるのが嫌だと言ってくれた。
それなら、きっと大丈夫だ。
私は覚悟を決める。
ここまで言わせて、私だけ隠しているなんてドラゴンが廃るよ。
だから、言った。現代語で。
「……君が、わざと時間がかかるように教えているのはうすうす気づいてたよ。誓約が延びるようにとまではわからなかったけど、私も同じようなものだったから」
ネクターははっと息を飲み、私の隠し事に気付いた。すでに私が言葉を理解しきっていることに。
ドラゴンの学習能力はとても高いのだ。
今まで情報が足りないだけだったから記憶能力を駆使して解読すればあっという間だった。
それをわからないふりをして、まだだと思い込んで精霊を納得させるのはちょっと大変だったけれど、できないことではない。
「いつから、ですか」
「友人くん達が来た時には7割くらいはわかっていたかな。部下の人との会話でパターンが完全につかめた。だから友人くんとの会話も、大筋はわかっていたよ。
だけど、君がそばにいる時間があんまりにも面白くて、君がまだまだ教える気なのをいいことに先延ばしにしてたんだ。君が誓約に関して気に病むことはない。そもそも、誓約の精霊が罰を与えない時点で相互の合意があるのだから。でもそれで誰かに迷惑をかけているのなら、やめなければいけないね」
ほんと馬鹿だなあ私。
手段にこだわり過ぎて、本来の目的をすっかり忘れてたんだから。
叶えられる方法はすぐ近くにあったのに、妙に焦ったせいで面倒くさいことになりかけた。
今ならまだ間に合うはずだ。
「っ! ラーワ!!」
何をしようとしているか悟ったネクターが血相を変えるのを無視し、私は努めて平静に内に眠る精霊を意識し、声を張り上げた。
『我、《熔岩より生まれし夜の化身》は、ネクター・プロミネントとの間に交わされた誓約の完遂を認める。
その際に交わされた約定はすべて破棄され、ネクター・プロミネントの宣誓も無効とする』
誓約した時と同じく、私とネクターを取り囲むように魔法陣が現れると、胸の内から光球状の精霊が抜け出し、魔方陣と一緒に花火のように砕け散っていった。
その儚くも幻想的な光景に見入ることもなく、ネクターは空色の瞳を見開くように愕然と光球が消えた一点を見つめている。
一方私のほうも、これから言わねばならないことを前に今までにない緊張を感じていた。
この体になってからは感じたことのない喉の渇きをやり過ごし、言葉を間違えないようゆっくりと問いかける。
『これで君を縛るものはなくなったわけだが。―――誓約がなくなった今、君にとって私はどんな存在だろうか』
『存在、ですか』
私の質問の意図が飲み込めないんだろう。鈍い反応を返したネクターに構わず続けた。
『建前とはいえ学術研究のためにやってきた事を考えるなら、観察対象だろうか?
または強者と弱者として私は捕食者となるのだろうか。それとも―――』
『…………あなたがどう思おうと、私にとってあなたは大切なことを思い出させてくれた何にも代えがたい大事な方です。誓約がなくなろうとあなたへの想いは変わりません!』
『そう、か』
そこだけは譲れないと言いきられたその言葉に、胸の奥がじんわりと暖かくなるのがわかった。
良かった。それなら、今から言うことも怖くない。
『なあ、ネクター。私は難しく考えすぎて、大事なことを忘れてしまっていたよ』
『……?』
私はそれを前世で学んでいたはずなのに、すっかり忘れていた。
耐えるように唇をかみしめていたネクターが不思議そうに顔をあげる。
『誰かとの関係っていうのはその相手を思う気持ちを日々積み重ねてできるものだと思うんだ。
なのに、初めはどうあれ私は話の通じた君を逃したくなくて、誓約で形ある約束を欲しがった。
君も私に興味を持ち、だがあまりにも違いすぎるがために通常の方法では無理だと勘違いして、そばにいる理由を作るためにあんな宣誓を持ち出した。
もっと簡単な方法があったのに、勇気がなくて初めのやり方を間違えてしまったんだ。
ただ、こういえばよかったのにね』
わずかな予感と不安に満ちたネクターを見つめて私はその言葉を口にした。
『なあネクター。私はドラゴンで、君は人だけれど、私の友達になってくれるかい?』
『っ!! はい、ラーワ喜んで!』
ネクターの晴れ晴れとした笑みに、私も自然と笑顔になる。
これは精霊を介した誓約ではないから、あることを感じられるわけではない。
でも何かがつながった気がして、じんわりとした胸の温かみに泣きそうになったが、私は努めて真面目くさった態度をとって続けた。
『ならば、友達が困っているのを助けるのも当然。むしろ助けないほうが道理に合わないと思う。
だから、私はレイラインのほころびをふさぎにいく』
『それは、ありがたい、のですが』
しかつめらしく並べたその乱暴な建前にあっけにとられていたネクターだが、レイラインを直しに行くという言葉にしゅんとしていた。
別れが早くなるのは変わらないとでも思っているのだろう。
『別れてもまた会いに行くのが友達というものだろう? そう落ち込むことはないよ。レイラインの修復には時間がかかる。方法はいくらでもあるさ』
『そう、ですね』
いたずらっぽく目を細めて笑いかけると、ネクターはうなずいてくれた。
『さて、友達であるからには鱗の一枚や二枚餞別でやるのはやぶさかじゃないけど、出来れば杖のほうがいいんだろう?』
『ええ、それはそうですけど。
魔力制御と増幅の負荷に耐えられ、なおかつ魔力と親和性の高い材質のものは特殊な鍛え方をした神性銀や精霊が宿るような老木に限りますが、神性銀はもとより、杖の加工に適した樹木はすべて国で管理されているので入手はほぼ不可能です。一枝でも入手できれば私にも加工と調整はできるのですが』
杖に必要な条件は私の知るものと変わらず、おもわずにんまりとした。
『実はね、精霊の宿るような老木に心当たりがあるんだ。
説得はそれを使う君にしてもらわなければならないが、連れていくことはできるから挑戦してみないか?
きっと君なら気に入られると思うけど、鱗は出来なかった時の保険にしよう』
『行きます!』
予想通り勢いよく即答したネクターの前に私は乗りやすい様に体を伏せた。
『じゃあ急ごう、ここから結構距離があるから。カイルは2週間と強調していた。
ということはそれまでに何か大きなことが起きると予想しているんだ。荷物をまとめたら出発だ』
私の言葉にネクターは大慌てで馬車に突っ込み荷物をまとめてきたが、地に伏せた私の前で躊躇するように立ち止まる。怖いのかと思ったのだがそうではないらしい。
『ずっとあなたの体に触れてみたいと思っていたので―――とても気持ちのいい手触りですね』
『……っ早く鬣につかまって!』
背に乗り込んだネクターがうっとりと私の体を撫で上げたわずかな感触に妙に動揺して、それを振り切るように勢いよく空に舞い上がる。
その後、寒さや風圧のことに気が付いた私が、ネクターを乗せた馬車ごと持ち運ぶことを思いついて引き返そうとするのを、なぜか当の本人に反対されるというひと悶着あったのだが。
余計な荷物はないほうがいい、ということで馬車を持ち歩くより面倒の無い魔術の重ねがけということに落ち着いたのは余談である。
自分で踏み込んではじめての友達ができた喜びをかみしめて、私は青くどこまでも広い空をひたすら駆けたのだった。