第16話 ドラゴンさんと希薄の令嬢
私がメイドさんに案内されながら、屋敷内を歩けば。
リシェラは、自室ではなくサンルームにいた。
外はすでに夜だから、大きく窓が取られたその部屋は暗いのに、魔力で光るランプがテーブルに置かれているだけだった。
窓辺にたたずみ月明かりに照らされるリシェラは、その華奢さとはかなげな風情が一層際立って、一幅の絵のようだ。
ただ、私は星明かりだけでも全く問題はないんだけど、リシェラにとってはとても暗いんじゃないだろうか。
「リシェラ様、ただいま参りました」
私が声をかければ、リシェラはこちらを振り向いて、私の3歩後ろにいるメイドさんに視線を向ける。
するとメイドさんは一礼したとたん、衣擦れの音をさせて当然のように去っていってしまった。
え、行っちゃうの。行かないで、メイドさーんっ! と思ったのは顔には出ていない、はず。
「……こちらに」
「あ、はい」
二人きりになると、リシェラはそっと動いてソファを勧めてくれた。
ランプがおいてあるテーブルのソファに落ち着くと、テーブルの上にはティーポットとカップと摘めるお菓子がおいてあった。
そのティーポットは若干魔力を帯びていたから、魔力を込めることで保温が効くようになるタイプのようだ。
とりあえずリシェラがお茶を注いでくれたので、カップに口を付けた。
だが、それっきり沈黙が降りる。
す、すごくつらいです。
……今、気がついたぞ。そういえばこういう年代の女の子と共通の話題がない!
美琴やマルカは東和国語とかアールの話とかあったけど、リシェラは私が今まで関わったことのないタイプの女の子だ。
対面のリシェラはきれいに膝をそろえてり、こちらを見つめるだけで、話すそぶりは全くない。
助けてリグリラ! こういう女の子にどんな話題を振ればいいの!?
あ、そうだ。これがあった!
「り、リシェラさん。そういえば婚約なさるそうですね。おめでとうございます」
次が思いつくまでの時間稼ぎのつもりだったのだが、リシェラは緩く瞳を瞬いた。
「すでにご存じ、でしたの」
「え、あ、はい」
「わたくしは、先ほど届いた父の手紙で知りました」
リシェラの言葉は淡々としていたけど、それはつまり婚約の当事者が一番最後に重要事項を知ったってことで。
つまり完全事後承諾で決められた政略結婚ということになるわけで。
完璧に地雷だったよリグリラー!!!!
だらだら冷や汗をかいて内心で悲鳴を上げつつ、これをどう取り繕おうか頭をフル回転させていると、彼女はほうと、細く息をついた。
「そろそろだろうと、思っておりました。結婚というものは、家同士で決められることです。お気になさらず」
なんか初めて長台詞を聞いた気がするけど、その何の感慨もない声音に、私は息をのんだ。
リシェラは、出会ったときから私の知っている17歳とは大違いだった。
年齢としては一つ下とはいえ、美琴や、男の子だけどエルヴィーやイエーオリ君は、友人達と思いっきり学業や部活動に打ち込んで、時々失敗もするけれどそれすらも楽しそうだ。
他の貴族の女の子と見比べても、年齢よりも落ち着いた態度に完璧に整えられた所作は、気品があってとても美しい。
けれど、覇気がないとでもいうのだろうか、諦観したようなまなざしは、なんだかとても痛々しくて、切なくて。
「ねえリシェラ、どうして私だったんだい?」
そう思ったら、取り繕う言葉もなしに問いかけていた。
私の言葉づかいの変わりようにか、それとも突然の問いかけに驚いたのか、リシェラはけぶるようなまつげを震わせた。
「君とはあの園遊会で出会ったのが初めてだったし、会話もしなかった。なのに、こうして私たちを屋敷に招いてくれたのは、どうして?」
まっすぐ見つめれば、リシェラの瞳はおびえたように揺らぐ。
けれど、目は逸らされなかった。
「……あのとき、わたくしは見ました」
か細い声音で、それでもしっかりと言葉が紡がれる。
「あなた様が、母の首飾りから、なにかを取り出すのを」
今度は私が驚く番だった。
確かに彼女は魔術師になれるほどじゃないけど、人より多く魔力がある。
それは、保温ポットを当然のように使えることからもよくわかるけど、まさか、訓練を受けていない女の子に魔核の抽出が気づかれるとは思っていなかった。
鎌をかけられている、という考えも浮かんだけれど。
「あれは、悪魔のかけら、なのでしょう?」
人族で悪魔、というのは魔族のことだ。
そして、魔核についても「悪魔の大事な石」という表現でお伽噺や戯曲で描写があるほどよく知られていて、それを奪うことで退治する終わり方が多いことから、悪役として扱われている。
だがリシェラの、無表情でもそうであってほしいと願っていることがわかるような、すがるような風情からは、好意しか感じられなくて。
私は誤魔化さないことにした。
「君は、あの魔石の原材料を知っているのかい」
「うすうすは、推測をしておりました」
唇を引き結んだリシェラはかすかに、だけどしっかりとうなずいた。
「じゃあ、私が人工魔石に手を加えているのを見て、誰かに通報しようと思わなかったのかい」
「あなた様は魔石を魔石に戻しただけで、被害はなにもありません。
それに、誰かに話したとて、なにになりましょう。母は、このようなことに興味はありませんし、父はわたくしの声を聞きません。わたくしの言葉に耳をかたむけるものは、今はおりませんから」
何もしないお母さんに代って使用人さんを采配したり、お茶会の手配をあっという間にしてみせたりしていたから、頭のいい子だ、というのは感じていたが、その言葉はとても悲しかった。
だが、今は同情している時じゃない。
「じゃあ、手紙を出したのは私を監視するためかい」
義憤にかられてという理由がとっさに思いついての問いかけだったけど、やっぱり違う気がした。
案の定リシェラはゆるゆると首を横に振る。
「あなた様なら、わたくしの望みを叶えてくれるかもしれないと思ったのです」
そう言ったリシェラの手は、白くなるほど強く握りしめられていた。
表情はほとんど変わらないけれど、彼女は勇気を振り絞って話しているんじゃないか。
リグリラは言っていた。
貴族の社会で、迂闊に本音を口にするのは抜き身のナイフを相手に渡しているようなものなのだと。
相手の使い方次第で、首を掻き切られてもおかしくない自殺行為なんだって。
なのに、彼女の声はか細かったけど、とぎれることはなかった。
「わたくしは、フィグーラ様がモートン様と楽しげに会話をしながら食事をされるのが、とても新鮮でした。あなた様が連れ出してくれた外出は、わたくしの知らぬことばかりで、戸惑いましたが痛快でした」
その、ご飯の時は普通におしゃべりしていただけだよ?
お散歩だって、ただ歩くだけの公園がつまんなくて、池の傍に落ちていた石を魔術で加工してこっそり水切りしたり、それっぽい葉っぱがあったから、笹船もどきをつくって浮かべてみたりしちゃったけど、後でリグリラに怒られたんだ……。
その時リシェラはじーっと見ているだけだったけど、そっか、あの時楽しかったんだ。
「楽しい食事、というものはこういうものなのかと、遊ぶ、というのは本当に面白いものだったのかと。わたくしはあの方が話してくださった『人の楽しみ』をはじめて実感したのです」
リシェラの話はわからないところがあったけれど、私は彼女が紡ぐ言葉を黙って聞いた。
「わたくしは、生まれた時から体が弱く、成長も遅く、よく熱を出して倒れる子供でした。生成する魔力に身体が耐えられないのだ、というのが医師の見立てでした」
そういうことがあることを、私は知識として知っていた。
魔力は生命活動に不可欠だが、過剰になると劇薬にかわる。
ネクターのように成長することで内包する魔力に見合う器を持てる人もいるが、その前に耐えきれずに死んでしまうことも、多くはないが少なくもない。
「そのため、領地で様々な治療を受け、食事の代わりに薬をのむ日々を送っておりましたが、成人まで生きられないと物心つく頃から知らされておりました。わたくしはあと何日生きられるか、指折り数えて過ごしておりました。すぐに熱を出し寝込む体では、それくらいしかする事がございませんから」
寒々しい情景が浮かぶ。
小さなリシェラが、広い広い部屋のベッドでたった一人で過ごす姿は、想像するだけでもの悲しかった。
「そんな中、わたくしは冬の流行病にかかり、高熱で倒れました。主治医の、もう助からないだろうと言う声がぼんやりと聞こえました。父も、母も、そばにはおりませんでした。それが当たり前でしたから、寂しいとは思いませんでした。そうして焼かれているような猛烈な熱さと、体の芯が凍っているかのような寒けでもうろうとする中、あの方が現れたのです」
遠くを見つめるリシェラの瞳は凪いでいる。
だけれど、私はそこに初めて感情の色を――かすかな喜色を見た気がした。
「人の形のような、そうでないようないびつな獣の形をしたあの方は、わたくしに問いました。『あんたを生かしてやる代わりに、魂をくれ』と」
私にはなじみのありすぎる文言だった。
それは、魔族が人に契約を持ちかける常套句だ。
「ですがわたくしは断りました」
少し緊張していた私は、リシェラの言葉にずっこけた。
「こ、断っちゃったの?」
「はい。この苦しみが続くくらいなら、この場で果てたかったのです。何の意味もない、この生を早く終わらせたかった。するとあの方は少し考えた後こう言いました。『なら楽に死なせてやるから、魂をくれ』と。子供心に、困ったような声音がおかしかった」
リシェラの表情の雰囲気が変わった。
笑みまではいかない。
けれど、ほんのりと口角があがったことで、表情に生気が宿り、リシェラを華やかに彩って私は見惚れた。
「苦しいのも辛いのも、もうたくさんでしたから、わたくしはうなずいて、そこで意識がとぎれました。翌日目が覚めると、わたくしからすべての不調が消えていました。主治医にも奇蹟だと言われましたわ。その日以降、時折あの方がわたくしの元に現れるようになったのです」
そのあと、リシェラはその魔族との思い出を、密やかに、でもうれしそうに語った。
二度目の邂逅の時に、リシェラはどうして殺してくれなかったのかと文句を言ったらしい。
その魔族は、人の楽しみも知らないおまえの魂はひどくまずいから、楽しみを味わわせ、魂を肥え太らせて、最後の最後で絶望したそのときにもらい受けるのだと返してきて、途方に暮れたこと。
一体楽しいとは何なのだろうと投げかければ、魔族は人の楽しみなんか知るかといいつつ、くるたびに様々な「人族の楽しいこと」の話を聞かせてくれたこと。
ちょっぴりその魔族に同情した。
命に執着する人ばかりと契約するだろうから、命を助けて、文句言われた事なんてなかっただろうからね。
そのせいだろうか、リシェラの話からは見えてくる魔族は、女の子の扱いに戸惑いつつも何とかしようとする、可笑しみが感じられて、思わずくすりと笑ってしまった。
「ですが、ある日突然、父が屋敷へ魔術師を連れて参りました」
リシェラのトーンが変わる。乏しい表情の中にも痛みと深い悲しみがにじんでいた。
「屋敷の使用人が父に申したのでしょう。わたくしが悪魔に見入られている、と。それ以降あの方が現れることはありませんでした」
魔術師、というのはたぶん人工魔石の開発者だ。
きっと彼女は実際に何が起こったかをまったく知らされていないから、明言は避けたのだろうけど、淡々と告げられた言葉の意味は、たぶんそういうことなのだ。
「ですが、首都へ居を移して、父の言うとおりの生活を送る中、わたくしは時折、あの方が残したこの印がうずくのを感じたのです。それは決まって父のそばでした。はじめは何かわかりませんでしたが、父が持っている石と、あなた様が人工魔石から石を取り出すのを拝見して、わかった気がいたしました。あの方は姿を変えてまだどこかにいらっしゃると」
言いつつ、リシェラは無意識だろう、胸元をぎゅっと握っていた。
そこに魔族の契約印があるのだろう。
契約印は、魔族が力を無くしたり消滅すれば消えてしまうし、魔術的パスがつながっているから、本当にわずかだが、人からでも魔族の様子がわかることがある。
それでもよほど、気にかけていなければ感じることはできない。
いつの間にか、リシェラは私をまっすぐ見ていた。
「わたくしは、あの方から楽しみをたくさんいただきました。ならばわたくしは、あの方にもう一度会わねばなりません。会ってわたくしの魂を差し上げなくてはなりません。それが、契約でした」
相変わらずリシェラの表情は乏しかったけど、その瞳は今にも泣きそうに思えた。
「あなた様がなにをお望みかは存じ上げません。ですがわたくしにできることなら何でもいたします。どうか、あの方の石を、取り出してくださいませんか」
夜の帳に、リシェラの密やかな声が染み渡った。





