第7話 ドラゴンさんと魔族事情
魔法陣が燐光を残して消えていくのを前に、私は頬をかいた。
あーリグリラの悪い癖が出たなあ。
苦笑しつつこれからどうするかと考えていると、仙次郎がちょっぴりうろたえた様子で立ち尽くしていた。
「ラーワ殿。リグリラ殿はあの御仁と一体なにをしに行ったのでござろう」
「うん? たぶん、カイルの力量をはかりに行ってるんだと思うよ。魔族って”魔物狩り”の時に共闘する可能性があるから、相手がなにができてどこまでできるか把握するために、初めて会った同胞とは挨拶代わりにいっぺんやり合うんだ」
そうじゃなくても、リグリラは喧嘩をふっかけるし、遊びでほぼ本気の殺し合いを楽しむ魔族も少なくないけどね。
「まあ今回は、リグリラもストレス発散がてらってのもあるんだろうねー」
私がガス抜きしてあげたほうが良いかなーと思うくらいにはリグリラも忍耐の連続だったしね。
どっちみち魔族として生きていくカイルには避けて通れない道だったし、知り合いに洗礼をやってもらえるだけましかな。
と、思っていたのだが、珍しいくらいむっつりと不機嫌そうにしている仙次郎に気づいて戸惑った。
いや、不機嫌というより、不安?
「その、リグリラ殿がどこへ行ったかわかるでござろうか」
「そりゃあまあ。リグリラも目印を残していってくれたし」
空間転移の座標はさっきので読みとれたし、リグリラは魔力の足跡を隠蔽していかなかったから、位置は問題なく特定できる。
すると仙次郎はとても言いにくそうにお願いされたのだ。
「できれば、後を追いたいゆえ、教えてくださらぬか」
申し訳なさそうに灰色の狼耳をへたらせる仙次郎に、私はきょとんとしたけれど改めて状況を整理してみて、納得した。
そうか、この場合、リグリラが見知らぬ男を捕まえて、堂々と浮気しにいった、ということになるのか。
自分に置き換えるなら、ネクターが見知らぬ人に声をかけて二人っきりでデートをし始めたようなもので……浮気じゃないってわかっていても、ちょっとどころじゃなく気になるな。
私はうんと決意すると、ひどく申し訳なさそうな仙次郎に提案した。
「きっとリグリラは場合によっては朝まで帰ってこないと思うんだ」
朝という単語にびくりと尻尾を揺らす仙次郎に言葉選びを間違えたと急いで続けた。
「いや、だからね。このまま宿をチェックアウトして、リグリラたちの所へ向かって、そこで野宿にしよう。そうしたら翌日すぐに出られるし、宿代も節約できるしね」
「お気づかい、傷み入る」
「どういたしまして。気持ちはわかるからね」
安心させるように笑いかけると、仙次郎は少し照れた様子で耳を動かしたのだった。
*
荷物をさっさとまとめると、二人だけで出てきて不思議そうにする宿屋の従業員さんに、チェックアウトをしてもらった。
そうして、空間転移の座標とリグリラの目印を頼りに馬車を走らせれば、街道を大きくはずれた丘陵地帯の一角にどでかい結界を張ったリグリラがカイルを追いかけ回していた。
「あははははっ! ベルの旦那がこんなに歯ごたえがあるとは思いませんでしたわっ!!」
「くそっ話をさせてくれってのっ!」
カイルはすでに魔族としての本性に戻っていて、解放した魔力で髪は長く伸び、全身からは彼の属性として定着した紫電が溢れだしている。
そんな外見で杖という名のでっかいハンマーを振り回すものだから、なんかもう敵を滅殺するチートキャラっぽい。
でもそんなカイルが相対しているのは金髪美女なリグリラなわけで、しかも押して押して押しまくられて圧倒されている、というのは割とシュールかもしれない。
ものすごく楽しげなリグリラが投げまくる出力全開の攻撃魔術を、同出力の魔術をぶつけることで何とかいなしていたカイルは、半笑いで眺めている私がいることに気づくと、一瞬の隙をついてこちらにやってきた。
おおう、傍にくると放電がぱちぱちびりびりいってるなあ。
「ラーワっなんだあの戦闘狂! 転移して早々いきなり戦略級の攻撃魔術ぶっ放しやがったんだぞ! しかも全部急所ねらってきやがって、何度死ぬかと思ったかっ。古い知り合いなんだろ、どうにかしてくれ!!」
「えーと、無理かなあ。一応魔族式のコミュニケーションだから。それにスイッチ入っちゃってるみたいだから、今私が入っていったら余計止まらなくなると思うんだよねえ」
私の場合、一番長かったのは三日三晩だったかなあ。
なまじどっちにも体力があるだけに、落とし所を見つけるのが大変でねえ。
ふっと遠い目をしつつ、私はわなわなと震えるカイルの腕をぽんぽんと叩いてやる。
「一応魔族基準で死なない程度に手加減してるみたいだし、たぶんだいじょうぶ? だよ」
「魔族って全部こうなのかよ!?」
「まあ、リグリラは極端だけど。だいたいこんな感じ、かなあ」
私が乾いた笑いを漏らせばカイルは絶望的な表情になった。
その後ろから、ゆっくりとリグリラが歩いてくる。
「風雷の?」
めったに見せない上機嫌で魅惑的な笑顔で甘く呼びかけるリグリラは、その上機嫌さとあらわすかのように金砂の髪がゆらゆらと独りでにうごめいている。
ぎ、ぎ、ぎ、ときしむように振り返ったカイルは、そのいっそ蠱惑的でさえあるリグリラの艶やかな表情を見てのけぞった。
「さて、準備運動はこれくらいにしましょうか」
ひゅんと愛用のムチを鳴らしながら迫るリグリラに、カイルは寸分もためらわず雷を引き連れて加速し逃走を図る。
まるで瞬間移動をしているようにカイルの姿は遠のいていったが、でもだめだなあ。
思った通り、カイルが何かを察知したように急停止したとたん、揺らいだ空間から現れたのは、大きな大きな羽クラゲだった。
体長はだいたい15メートルちょい。
本性の私と同じくらいで、無数の触手は金色にきらめきながら空中を漂い、大きな傘についた昆虫のような3対の羽は緩やかに震えている。
その傘を彩る紫と赤がその感情を表すように光をはらむ姿は、奇妙でいながら幻想的だった。
いつ見ても綺麗だなあ。
魔術で作り出した精巧な人型に気を取られているうちに本性に戻って先回りしていたリグリラは、傘に入った赤の筋を明滅させながら、甘くささやく。
「遊びはまだこれからですわ。たあっぷりと楽しませてくださいましね?」
「いっ……!!」
いきなりさらされた本性に驚くまもなく、カイルは一斉に襲いかかる無数の触手に飲み込まれた。
「おーがんばれーカイル。どうしてもやばそうだったら助けるからー!」
「助けるんなら今助けてくれ――――ッッ!!!」
悲鳴のような声が聞こえてきたけど、触手の合間からばちばちと雷光が見えるし、声を上げられるんなら当面は大丈夫だな。
というわけで思いっきり観客の気分で馬車に敷物でもとりに行こうかと振り返ると、仙次郎が絶句の表情でたち尽くしていた。
「仙さん、どうかしたかい?」
「いや……」
いやね、そんな風に尻尾がしょぼくれてるのに何でもないってわけないじゃないか。しかも生返事だし。
仙次郎がこっち向かないので視線の先をたどってみれば、超生き生きしている金色羽クラゲで……ってまさか、
「もしかして、リグリラの本性見たのは初めてだったり」
「いや、それとなく髪が揺らめく場面であったり、湯船に幾分小さいあの姿でぷかりと浮いている姿は見たことがある」
湯船で揺れる羽クラゲ、なにそれ超かわいい。
想像した私は悶えつつもほっとしたが、その間も仙次郎はカイルに向けて触手をふるうリグリラに目が釘付けになっていた。
「だが真の姿で技を使う姿を見るのは初めてにござった」
「ああ、なるほど。まあ、あの姿になったリグリラとやり合える魔族も少ないからね。カイルは本気で実力を推し量りたくなったんじゃないかな」
そういえば弱い魔族はあれとかそれとしか呼ばないのに、カイルは風雷のって渾名をつけてたし。
それなりに認めてるってことなのかも。
「そうで、ござるか」
ぽつりと言った仙次郎は、遠くで繰り広げられるリグリラとカイルの追いかけっこをじっと見つめて続けている。
その表情がひどく真剣だったから、私はそれ以上声をかけるのをよして、野営の準備を始めたのだった。
*
結局、リグリラとカイルの力比べという名の追いかけっこは明け方まで続いた。
「あー楽しかった! ですわっ」
そのまんま出発した馬車の手綱を取るリグリラは超ご機嫌で、めちゃくちゃすがすがしい笑顔で伸びをしていた。
対して精魂尽き果てた感じで馬車の荷台にぐったりとしているカイルは、うつろにつぶやいた。
「ああ、俺、生きてんのか……」
「お疲れさま、カイル」
私が苦笑しつつ用意していた水筒を差し出せば、本性に変化したせいで髪が伸びてしまったカイルが恨めしげな顔ながらも受け取って無造作にあおる。
が、次の瞬間思いっきり口を押さえていた。
「ラ、ラーワこれは一体なんだ」
「私が魔力を込めて生成した水だよー。魔力欠乏にはこれが一番だし」
「……あまりの濃度に危うく吐き出しかけたんだが」
いいつつ、カイルは今度は慎重にちびりちびりと飲んでいった。
魔族は魔力の固まりだからね。魔力が補充されれば気分も良くなるだろう。
すると、馬車の中のやり取りを聞いていたらしいリグリラが、ひょいっと御者席にある窓を開けてきた。
「あ、ラーワ。わたくしにもくださいな」
「ええ、リグリラは余力ありそうじゃないか。夜には終わらせるって言ってたのに朝になっちゃったしさ」
「そんないけずなこと言わないでくださいな。戦り終えた後の一杯がおいしいんですもの」
リグリラの催促に負けた私は、もう一つの水筒を取り出して螺旋を描くように魔力を練り上げ凝縮させる。
水は流動。
絶えず動く流れに魔力を乗せて循環させれば魔力は恒久的にその流れに留まるのだ。
「ほい、いっちょあがり」
窓に向けてひょいと投げれば、器用に片手で受け取ったリグリラが、水筒に口をつけるのが見えた。
「やっぱりあなたの練り上げた魔力が一番ですわ。自分で作っても味気ないんですもの」
「まあ、そういってくれると嬉しいよー」
本当に幸せそうな顔をしたリグリラが、パチリと無造作に指を鳴らす。
すると馬車がふわりと浮き、移動速度が一気に上がった。
「これで午後にはメーリアスにつきますわ」
「ほんと、自由だなおまえさん」
何とか起きあがったカイルが疲れ果てた様子で頬杖をついていると、袖に手を入れて腕を組んで考え込んでいた仙次郎が話しかけていた。
「カイル殿、以前は人であったと申されたが、あの身のこなしは修行を積んだものの動きでござった。当時はそのようなことに従事しておられたのか」
「そうだな、若い頃は軍に所属していた。少々地位が上がって前線から離れた後も、暇を見つければ体も鍛えていたぞ……って、何だラーワ殿そのにやにやは」
カイルが訝しそうにするのに、私はわざとらしくしらばっくれてみせた。
「いや、べっつにい。ただ、仕事でのうっ憤を晴らすために、危険種討伐の時は必ず陣頭指揮をとった挙句、先陣切ってつっこんでいったーとか聞いたけども?」
「……誰に聞いたんだ」
「ベルガとネクター」
とたんきまり悪そうな顔をしたカイルは、言い訳がましく言った。
「確かにそうだがな。部下の士気と結束力を上げるには組織の長が現場に出て采配することも必要なわけでだな。……まあ多少はストレス発散もなくはなかったが、やることはきっちり押さえているんだぞ」
「うむ、それは戦いぶりを見ればよくわかるでござる。豪快でござるが、状況把握をいきわたらせて実に効果的に魔術行使をされておった」
「あ、ああ。ありがとよ」
真面目に褒められてちょっと面食らうカイルに、仙次郎はさらに続けた。
「では、今回のリグリラ殿との手合わせ、いかがでござったか」
「いかが、っていわれてもな。正直逃げ回るので手一杯だったぞ。でかいくせして妙に速いし、あの触手は一つ一つから違う魔術が飛んでくるんだぜ。あれは反則だ」
青ざめた顔でぶるりと震えるカイルに、リグリラが振り返って言った。
「あら、ラーワでしたらあれくらい8割以上反唱してしまいますわよ」
「古代神竜と比べんじゃねえよ」
やり合う前より幾分気安い口調で言い返したカイルは、仙次郎に向き直った。
「まあ、魔族になって頑丈になったおかげでこうして生きているが、何度も死ぬと思ったな。いや、今はもう消滅か」
「いいや、君は魔核が完全に壊れない限り、休眠するだけだよ」
私が訂正すれば、カイルは何とも釈然としない風で胸のあたりを押さえた。
「それも、あまり実感がないんだよなあ。知識としては植え付けられたから理屈ではわかってんだが、元の姿で行動していると、どうにも変わったって気はしないんだよ。ま、それでも大した支障はないんだが」
ほんとに実感なさそうな顔で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
私はドラゴンになったときはぎゃあぎゃあ泣いて、人じゃないことを受け入れるのにそれなりに時間がかかったものだけど。
カイルは戸惑いはあるものの終始こんな感じでからっとしていて、人でなくした身としてはひそかにほっとしていたりする。
「あら、珍しいですわね。せっかく手に入れた力を存分にふるってみたいとは思いませんの?」
リグリラが不思議そうに聞かれると、カイルは頬を掻いていた。
「まあ、以前は使えなかった魔術が展開できたときは楽しかったが、一度やれば気は済んだ。なんて言うんだ。俺は、俺だろ? 本性はだいぶ変わっちまったが、俺が変わんねえのに何かしたいって急には思わないな。それが普通だろ」
そんな風に一人ごちるカイルに、意外にも仙次郎が灰色の瞳をひどく真剣にして言った。
「それは希有な資質でござる。身に余る大きな力はその魂を蝕む故、心弱きものであればたちまち身を崩すものでござる。力を得てなお、己を保つカイル殿は、流石に竜に認められしものでござるな」
「いや、そんなたいそうなもんじゃなくてだな」
カイルが居心地悪そうに頬をかくの姿に私がにやにやしていると、仙次郎が小さくつぶやくのが聞こえた。
『俺もそれぐらいの強さがなきゃ、同じ土俵にすら立てねえってことだな』
東和国語でしかも早口だったからうまく聞き取れなかったけど、仙次郎の視線の先には結い上げた金砂の髪を気にするリグリラがいて、何となくわかった気がしたのだった。
ドラゴンさん3巻の刊行が決まりました!
楽しんでくださった皆様のおかげです。ありがとうございます!